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「遠友夜学校」って知ってますか? ー 新渡戸稲造が札幌で開いたフリースクールの原型 ー

亀貝一義

新渡戸稲造という人は、5,000円札に描かれている明治期の人物です。岩手の生まれですが、札幌農学校を卒業したクラーク先生の「弟子」につながる人と言っていい人ですし、国際連盟の事務局次長として、世界平和のために活躍した人でもあります。
彼が、妻萬里子(メリー)夫人の実家から送られた遺産1000ドルを原資に、札幌の南4条東4丁目に学校を開きました。これは、主として経済的理由で学校に行けない子どもたちのために準備した夜学校で、「友あり遠方より来たる」から遠友夜学校と名づけました。
スタッフは今でいうボランティアで働く学生たちでした(主として北大の学生)。
この学校は1894(明治27)年から50年間続き、戦争が厳しくなった1944(昭和19)年閉鎖を余儀なくされました。。

私はこの学校こそ、今でいうフリースクールであったと思います。学びの場としてのフリースクールの原型が札幌で誕生したということは、非常に教訓的であると思いませんか。

北海道で最も古い歴史をもつフリースクール札幌自由が丘学園は、今年25周年を迎えます。遠友夜学校の経た歴史の、まだ半分の期間ですが、役割やスタッフの意味からほとんど共通の教訓をもっていると思います。意義を歴史的に確かめながらさらに貴重な教訓を創っていきたいものです。

※ この文は「希望の樹」の最新号の冒頭の文章です。その後、新渡戸稲造関連の集まりに出たこともあって、もっとこの文章に記した意義を広げたいという気持ちになりました。そういうことで「再録」ですがご理解ください。

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