晩秋につらつら思うこと

三和高校 桑名八重

あっという間に秋が終わろうとしています。
1年が早いな~という気持ちも年々、加速しているように思う今日この頃。

高校生にとっての1年はどういう感覚なのかな、とふと思う時があります。
自分が高校生の頃、
「あー、やっと1年が終わった・・・。」と本気で思っていました。

あの頃の高校生は世間の情報はテレビかラジオか雑誌か新聞かで得ていました。
今の高校生はネットをはじめ、沢山の情報源に囲まれています。
忙しなく流れていく情報を受け取って、もしかしたら私たちの高校時代よりも1年は早く感じているのかな?とも感じます。

1年を長く感じるか、短く感じるか。

どちらでも良いことかもしれませんが、長く感じるほうがなんだかゆっくりと物事に向き合って、考えることができるのではないか、と最近思います。

高校生の頃の長く感じた1年を今、体感できるなら・・・
新しいことにチャレンジしたい、
もっと沢山の本を読みたい、
ゆっくりと散歩をしたい。

いつでもで出来そうな、ささやかなことでも受け取る感覚が違って、違う見方が出来るんじゃないかと思っています。

時間の流れをどう感じるか、その人の生き方が表れているのでしょうか。
きっと、私は毎年「1年が早いな~」という生活をしているでしょう。
それが寂しいとは思いませんが、自分が納得いく一日が過ごせればいいなとは思っています。

担任するクラスの生徒たちは3月には三和高校を巣立ちます。
彼らは今、目の前のことに精一杯頑張っています。
予測の付かない新しい環境に向けて頑張っている彼らが、卒業までの一日一日を大切にしてほしいと願っています。

あと僅か。
彼らが「あっという間だった」と感じるほど、楽しく充実した日々にしたいと思う半面、正直送り出すことが寂しいと思う今日この頃です。

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「全道のつどい」の感想

高村さとみ

 9月30日(土)、10月1日(日)に「第18回不登校・登校拒否を考える全道のつどい」が開催されました。不登校の当事者、保護者、支援者が集い交流しよう・悩みを語り合おうという主旨の会です。道内各地から人が集まり、100名以上の方が参加していました。私は2年前からこのつどいの実行委員をしています。プログラムの一つに不登校を経験した若者3名に登壇してもらい、不登校時の経験を話してもらうシンポジウムがありました。そこでの話がとてもすばらしかったので、その感想を書きたいと思います。プライベートな話にはあまり触れないようにするため、少しわかりにくいかもしれません。
 3名の話を聞いて率直に感じたのは「等身大の話」であるということです。フリースクールを利用した人も主に家で過ごした人もいましたが、学校を責めることもフリースクールを賞賛することも不登校を悲観することもありませんでした。もちろん当時は辛い気持ちを持っていたと思いますが、不登校を良い意味でも悪い意味でも特別視していないのです。「風邪をひいたみたいなもの」と表現した方もいました。大勢の前で話すときなどは相手の望む話をしたい、盛り上がる話をしたいというフィルターがかかるものです。学校に行った方がいいとかフリースクールや家の方がいいとか、そういう話ではなく自分の状態として不登校だった。これを前提とした話はそうしたフィルターの薄い誠実な内容であると感じました。
 また、3人の話のバランスもとても良かったです。私から3人に依頼をしておいて何なのですが、どんな話になるのかは当日聞くまでわかりませんでした。例えばフリースクールを利用していた方がいたり、不登校中は家族に支えられ家で充実した日々を過ごしていた方がいたり、逆に罪悪感を持ちながら過ごしていた人がいたり。お父さんとの関係について、2人は主にお母さんとやりとりをしていてお父さんの考えは今もよくわからないと言っていたのに対して、一人はお父さんが「学校に行かなくても何とかなる」と言ってくれたことで気持ちが楽になったとのこと。三者三様の話でありながら「等身大の話」といというつながりがあることがまたおもしろかったです。いつか「お父さんの語る不登校」は企画してみたいですね。
 結びは「自分たちの話はあくまで自分たちのもの。子ども一人ひとりに何が合うのかはわからない。」という言葉でした。これは本当にその通りで、今回の若者たちにはこれがよかったという話でも、他の人には当てはまらないことも多いでしょう。だからこそ相手がどんな気持ちであるのか、何を望んでいるのかを理解しようとする努力を続けなくてはなりません。正解のない点は難しいところでもおもしろいところでもある、そんなことを改めて思ったつどいでした。

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3月31日の報道について(文科省の「点検」に関して)

札幌自由が丘学園三和高等学校 校長 亀貝一義

3月31日、朝日、毎日、道新などが、文科省が広域通信制高校を点検し不適切な事例を改善するように指導した、と報道した。ことの発端は三重県伊賀市のある通信制高校が国からの就学支援金を不正に受給したといういわば詐欺事件を受け、全国の広域通信制高校102校を対象に緊急調査をしたということだった。

この関連記事の中で、道新が「和寒の『三和』を指導」という見出しの小さな記事を載せていた。「就学支援金に関わらない不適切な例として、教育特区認定を受けた...札幌自由が丘学園三和高校が学則に、本来特区外では認められない添削や面接などの学習指導を行うと定めていたことから、和寒町から指導を受けた。同校は近く学則を修正する方針だ」というのがその内容である。

添削とは主としてレポート、面接とは主として授業のことだが、本校のような和寒町認可による特区立の高校では特区内でこれらを含めた教育活動を行うことになっている。だから本校は毎年和寒町でスクーリングを行い、これを必修としている。このスクーリングでは、和寒町と協議の上、さまざまな地域の活動に参加したり、多様な実習の活動を創り出してきた。まさに特区地域でしかできない学習活動を進めてきた。

学則を修正し、新年度は指摘されるような誤解がされないようにする。

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和寒町、三和高校の後援会を準備

札幌自由が丘学園三和高等学校 校長 亀貝一義

2009年にスタートした札幌自由が丘学園三和高等学校は、周知のように和寒町の認可による。また同町と高校の諸活動は深いかかわりをもってきた。例えば、スクーリングなどでは和寒で農業その他いろいろな仕事に従事している人たちが重要な役割を果たしてくれている。

先日の11月9日に高校から校長、副校長も参加した打ち合わせで、同町教育委員会が窓口になり「札幌自由が丘学園三和高等学校後援会」をつくるべく準備してくれていると報告された。そしてこの後援会は年度内に正式に発足できるはずだ。

この「会則案」によると、「目的」として「学校が行う夏季・冬季スクーリングなど」の受け入れや学校が行う諸行事等への協力を通じて「和寒町と同校の相互発展に寄与する」ことをうたう。

また「事業」として、「情報交換」「学校の行う行事・事業等への対応、協力を行う」とする。

これらの諸活動を推進する後援会の役員は三和高校本部のある三和菊野地区の自治会会長として、その他和寒の商工会、JA、体育協会、副町長、教育委員会の委員長や教育長などが連絡会議を開催する。

これまでもも何かと和寒町の支持支援が寄せられてきたのだが、今後はいっそう町と私たちの連携が深まることになる。私たちとしても、ギブアンドテイクという当然の原理を具体化するために町との具体的な連携方法を検討していきたい。いずれにしても、三和高校の教育実践上の成果を高めることになる。「地域と学校のつながり」などというよく言われてきた一般的なテーマをより深めることになるのだが、それが生徒たちにとっても、さらに父母との関係にとっても有意義な内容になっていくように努めていきたい。
  (20151112 記)

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「踵が上がる自由度」

フリースクールスタッフ 鶴間 明

スキーというものは、斜面を滑るための道具だ。
「スキー」というと、ゲレンデでリフトを使って登り、斜面を滑ることを楽しむ、「ゲレンデスキー」と呼ばれるスキーを一般的には思い出すだろう。
ゴンドラや高速で登る4人乗りのリフトや等、私が小さい時には考えられなかったような素晴らしい施設が各スキー場には整えられている。子どもたちや大人が週末などを利用して、時間を忘れて楽しく過ごしている。
しかし、案外、そうでない様子も一方では見られる。週末にスキーをしにスキー場に来た家族が、スキー場の駐車場に到着するや、親は子どもたちに呆れたり、疲れたりした様子で、子どもたちを叱りつけている光景を、なぜか目にすることが多い。おそらくは、子どもたちがスキーに行くための準備を自分たちでしようとしなかったりしたこと等が原因だったのだろうか。
せっかくの週末を家族で楽しくスキーに来ているのに、残念なことだと思う。自分が子どもの頃にスキー場に親と行けるということは滅多にない、非常に贅沢なことだった。子どもたちも前向きにスキーに取り組もうとしてもおかしくはないはずだ。そして、親自身も、もっとスキーに来たことを楽しみにしていていいのではないだろうか。

私自身がスキーの乗り始めたのは、小学校に入る頃だった。
今から約40年ほど前の道具で、家も裕福ではなかったので、今のスキーとは比較にならない粗末なスキーを使っていた。
滑走面は、完全に木だった。ワックスだなんて洒落た物はないので、ロウソクを必ず塗ってから滑った。毎回塗らないと、雪が滑走面にこびりついて滑ることができなくなったものだった。
スキー靴も使わなかった。長靴を履いたまま、前半分を皮でできたベルトに差し込んで、もう一方のベルトを靴の踵側に回して締め付けていた。踵は固定されず、浮き上がるようになっていた。
ストックは確か、竹でできていた。2本揃う時もあれば、兄が使っている時は本数が足りなくて1本のストックを両手で持って、それで特に不自由も感じずに使いこなしていたように思う。
子どもの頃、スキーの役割は、斜面を滑ることよりも、主に平地の移動だった。
自転車が使えない冬場は、子どもは行動範囲が狭くなるが、スキーを使うと、楽しみながら、より遠くに行けるようになったので、子どもにとっては貴重な移動手段だった。
自分の家からスキーで出発して、仲間が集まっている斜面まで行き、斜面を滑って遊ぶ。リフトなんてないし、圧雪もされていないから、新雪の斜面を滑ったら階段登降で圧雪し、自分たちで徐々にゲレンデを広げていき、また滑る。徐々にスキー場ができていくので、徐々に仲間も増える。スキーに飽きたら、すぐにスキーを脱いで長靴のまま遊べた。尻滑りや柔らかい雪の上での空中回転など、スキーを中心とした雪まみれになる遊びを、子どもの頃に思う存分に楽しむことができていた。時間を忘れて、暗くなるまでたっぷり遊んだものだった。

私が中学に上がる頃にはスキー場もかなり整備され、各家庭が車を所有するようになっていた。
スキーの道具も目覚ましく進化して、ワンタッチで踵も着脱できる金具流れ止め、足首をしっかり固定できる現在のスキー靴と同様の物が登場して、どれも画期的だった。それまで滑ることが難しかった急斜面などもスムーズに滑ることができるようになった。私もそんなゲレンデスキーの素晴らしさに夢中になった者の一人である。そのせいか、私の世代の子どもたちはスキーの滑走技術を身につけることには非常に貪欲で、パラレルやウェーデルンができるようになることは、友達との間で大きな勲章だった。家は貧しかったが、他の物を買わなくてもいいから、性能のいいスキーだけは何とかして購入してもらおうと親に懇願していた。
ところが、私の息子と娘などは、上手に滑るようになりたいとはほとんど思わず、楽しんで滑ることができればいいと割り切っている。何度も滑り方を直して、上手に滑ることができようにアドバイスしてやりたかったが、息子たちは本当に関心がなかったようだ。スキーに対する思い入れは自分の時代とは異なっているのだろうか。

私が子どもの頃は苦労して苦労して近くの斜面まで踵の上がるスキーを使って移動して自分で圧雪してスキーを楽しんでいた。
しかし、文化の発展と共に、車で移動して、リフトを使ってより高い山に登って、より発達した道具で急斜面を滑ることができるようになった。
今考えると、自分達の世代は、文化の発展とリンクしながら自分の成長も感じることができた、これはこれで非常に恵まれた世代だったのだろう。
私は結局、ゲレンデスキーでは飽き足りず、再び踵の上がるクロスカントリースキーに没頭するようになり、47歳になった今日でも童心に帰って毎週スキーで外遊びを楽しんでいる。今年の2月に行われた湧別原野85kmスキーマラソンにも出場して4時間台でゴールすることができた。人生は全て学びで、生きている限り成長し続けることを改めて実感した。これらは用具の進化と共に自分の成長を噛み締められたことも影響しているかもしれない。

今の子どもたちも、本当は、自分の手の届く範囲で、自分のやりとげられる範囲の中で達成感や冒険心を高めながら自分のペースで成長していきたいのだろうと思う。しかし、可哀想なことに、現代社会で道路でスキーに乗ることは、間違いなく咎められてしまうことだ。また、通常の靴で履けて、踵が上がる自由度の高いスキーは一般的には存在しない。つまり、多くの場合、スキーは、スキー場でしかできなくなってしまったのだ。また、近所の坂で遊んだとしても、スキーを脱げば足首が固定されてしまっているので、まともに歩行することもできない。だから、大人が用意した自家用車で連れて行ってもらえない限り、子どもたちはスキーを楽しむことができないのだ。自分がスキーで遊びたいと思った時にはできず、週末なって今日はスキーに行きたくないと感じても、親との約束は守らねばならない。秩序のあるスキー場では尻滑りも空中回転もできない。型にはまった遊び方はできても、子どもが本当にしたいと思っている「雪にまみれた遊び」はなかなか実現していかないのだ。そのような中で、大人が想像するスキーと、子どもが経験してきたスキーとではズレが生じているように思えるのだ。

私たちから考えて、たくさんの「良い」と思われる条件を整えたレールを子どもの前に敷く。
子どもたちは喜んで、主体的にこのレールに乗っている場合もある。
しかし、ここはいつも噛み合っているとは限らない。
このレールと、子どもの本来の歩みにズレが生じることがある。

若者にはレールがなければ指針を見失うので、道を見失うことがある。
しかし、指針が形骸化して義務的になれば、今度は歩みの自由度を失う。
学習には動機づけが必要だが、義務感が動機づけとして先行する学びとは何なのだろう。
現在の学校教育がその端的な例である。
学習指導要領は学びを進める上で指針として重要だ。だから、方法を示すためのもので「要領」と読んでいる。しかし、法的に拘束力を持たせた時点で、子どもの心からは遊離してしまった。
優れた方法で指導するための子どもには秘密の虎の巻だったのに、拘束力を持たせることで、教育内容や子どもを枠にあてはめて身動きが取れない状況をつくってしまっている。踵が上がることをゆるさなくなってしまったために、制限のある、自由度が低い活動しかできなくなっているのだ。

秩序が多く、何事にも制約が多くなってしまった現代に、もう一度踵の上がるスキーを復活させることは非常に難しいことである。しかし、こんな話を書いている内に、何だかこの金具が欲しくなってきた。
「カンダハー」と呼ばれていたこの締め付け具、まだ通信販売などで売っている。
このスキーで自宅の江別から札幌までの冬の通勤を毎日通うことができれば、巷で話題になり、道路交通法も見直され、ひょっとしたら北海道の冬の市民の脚として浸透する時代がくるかもしれない。

よし。来年のフリースクールのスキーの授業は、「カンダハー」で通学することからはじめよう!(本当か?)

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 ↑「カンダハー」と呼ばれていた締め付け具。

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作文の授業

高村さとみ

3学期がスタートしました。フリースクールでは3学期から国語の授業で作文を書いています。テーマは「フリースクールの生活を振り返って」と「私の好きなこと(もの)」。このテーマには次のようなスタッフの思いがこめられています。

まずは「フリースクールの生活を振り返って」について。3学期に入ると毎年本当にアッ!という間に時間が流れ、中学三年生の旅立ちがやってきます。中学三年生は高校生に、在校生も一つ学年が上がり新しいステージに立つわけです。ぜひ子どもたちには「自分はここまで成長したんだ」と自信をもって次のステージを歩んでいってほしい。そのためには、3学期をアッ!という間に過ごすのではなく、フリースクールで過ごした自分を思い返し「友達がたくさんできたな」「ここは大人になったな」「こんな楽しい思い出ができたな」と、そんな思いを一つでも持ってほしいと思いました。

次に「私の好きなこと(もの)」について。「フリースクールの生活を振り返って」をテーマにするにあたり、入学したばかりでフリースクールで過ごしている期間が短い子、自分の思いを言葉にすることが苦手な子について考慮する必要がありました。また、上記にあげたものの他にもう一つ「その子の個性がにじみ出ているような作文であってほしい」というスタッフの思いがありました。ひょっとしたら自分の好きなことや好きなものについてであれば、みんな夢中で・楽しく・生き生きと自分の気持ちを表現することができるのではないか。そのように考え、このもう一つのテーマが決まりました。

さて、今現在作文を書いているところなので子どもたちがどのように書き上げるのかはこれからのお楽しみなのですが、みんな自習や家に帰ってからの時間も使って一生懸命書いています。作文を書き始める前に、フリースクールでの日々をどのように思っているのか、何か変わった自分はいるかなど気持ちの深い部分について話をした子もいます。

果たしてどのような作文になるのか。自分の成長を確認するようなきっかけとなってくれていればうれしいです。

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猫背の危機

小田将弘

だいたい私は子どものころから猫背の少年で、まもなく38歳になるが、一貫して猫背を貫いてきた。 もちろんいろんな人から注意されてきたし、あんまりカッコよくないであろうことは自分でもよくわかっている。

実際大学の頃、バイト先に服とか顔とかすごくカッコイイお兄さんが、強力な猫背で、それゆえに全体が台無しになっているのも見たことがある。

ただこれ、止められないわけです。
でも最近ちょっと限界かも、というのが今回のエッセイ。

まぁ、猫背はなんとなく楽な姿勢ではあるらしい。日本人のほとんどが猫背だと言っている人もいる。
背筋がピンとしててさっそうと歩いているような人の方が珍しいのかもしれない。

猫背の理由その1は、「楽だから」というところ。

しかしこれは非常に肩や背中、首、腰などに負担がかかるわけで、多くの人が肩こりや腰痛に悩まされているのも、この姿勢が原因というのがあるようです。頭は重いですからね。それを無理な姿勢で支えてると負担はかかるのでしょう。

そういう理屈は最近ようやく理解したが、しかし私が猫背の理由は他にもある。

理由その2「私がかっこいいと思う人が猫背」ということ。
私が好きな坂本龍一やグレン・グールドなんかはピアノを弾く時の姿勢がかなり猫背で、逆に姿勢の良いピアニストはあんまり好きじゃない。ビル・エヴァンスなんかもそうだったと思う。

ピアニストに限らず、猫背の人はなんとなく風来坊っぽくてかっこいいっていうのが私的にある。
ルパン三世の次元とかもそう。

そんなんで、止めたくないのはやまやまなのだが、最近体の方がもたなくなってきてしまったのである。

以前から私は肩こりがひどく、特にパソコンに一日中向かっている仕事をしている時はひどかったのだが、パソコンやゲーム、テレビで肩こりがひどくなる。
さらに最近は首を痛めてしまい、首から来る肩こりは強烈に痛い。また最近では今までに無いほど頭が重く痛い時があり、先週は腰も痛くて、それでも遊びにいったりはしていたのだが、正直つらかった。

いずれにしても、これらすべて、お医者さんにも言われましたが猫背のせい。

色々あるんですが、そろそろ猫背を止めようかどうしようかと迷っているという話でした。

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フリースクールの「新しい旅立ちを祝う集い」でも発表がありましたが、3月いっぱいで札幌自由が丘学園から去る事になりました。
たくさんの皆様にお世話になりました。ありがとうございました。

最後のエッセイ、実にくだらない話となりましたが、この2年半の間、私はいかに「先生らしくしないか」ということを考えてやってまいりました。

本件も、普通学校の先生なら最後は「為になる話」や「感動的な話」でも書くのではないかと想定し、そのアンチテーゼとしてくだらない話をあえて書かせて頂きました。

私は別に普通の学校の先生に反感を持っているわけではありません。
ただ、私は普通にしているように心がけただけです。
最後も私なりに敢えて普通にさせていただきました。

それでは。

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飛行機の乗り方

小田将弘

東日本大震災の復旧はまだまだこれからというところであり、まだ安心できない状況ではありますが、少し息抜きに日常の話を。

わからなくて困惑してしていることは色々あるが、一番難儀しているのは飛行機の乗り方である。
先月・先々月と出張で東京へ行くのに飛行機に乗ったが、
都合4回飛行機に乗ったがどうもしっくりこない。
乗り降りできたのが不思議なくらいである。

実は前の職場にいた時に大阪へ月1で出張に行っていたが、その時点で既に全然よくわからなかった。
10年ぐらいブランクがあった間にすっかり様変わりしていて、最近のやり方がよくわかっていないのである。

あの「QRコードかざす」ってなんなんでしょうか。あれでどうやって認識しているのか。
以前は金属探知機のところで係員にチケットを見せていたのだが、今では当たり前のように、薄っぺらな紙に書かれた模様みたいなものをガラス窓にかざすだけである。
それも誰もそんなこと教えてくれなかったし、やり方も示されていないのに、みんな当たり前のようにあれをやる。
納得がいかない。ただ、一応やりますが。
紙じゃなくて携帯をかざす人もいるけど、そんなのはもはや神の領域である。

その前に、先月はチケットの発券の仕方がわからなくて、ロビーで悲鳴を上げた。
列車の時刻表を調べ間違えて、離陸15分前に新千歳に到着。あの変な機械のところに行けばいいんだなと思っていたのだが、ぱっと旅行会社から送られてきたものを見たら、発券用のQRコードが無い!どどど、どうしよう、、

あ!番号入力すればいいのか、どれだどれだ、、、
よく分からない数字が色々書いてある。
あー!!!わからない!!

「東京行きご出発のお客様にご連絡いたします。離陸の時間が迫っております。お急ぎください。」
ちょ、ちょ、ちょ、待て!どーすりゃいいんだぁっ!!

こんなに焦ったのは久しぶりである。時間が無かったので、長蛇の列ができている朝のカウンター前で係員を捕まえて聞こうとしたら「列の一番後ろにお並びください」と返されてしまった。そりゃそうだけど、時間が無いんですって!

結局、列をすっ飛ばして発券してもらい、金属探知機へダッシュ。そこでベルトの金具が反応。ベルトをはずし、金属探知機をなんとか通過し、カバンとコートとベルトを手に持って搭乗口まで走った。ベルトはずすのが当たり前みたいになってるけど、一歩間違えたら変態じゃないですか。昔はこんなんじゃなかったのに、、とほほ。

なんとか新千歳から羽田に飛んだが、降りてみたら今度は見たことも無い光景。
羽田空港は改装され以前とは全く違うものになっていた。歩く歩道が長すぎて途中で一回トイレ休憩。ここでも軽く困惑した。

そして、お約束だが、帰路、第1ターミナルと第2ターミナルを間違えてすったもんだ。
現代の人々はたいした説明もなく、こういうことがするっとできてしまうんですね。すごいですねぇ。
誰か私に飛行機の乗り方を教えて欲しいものです。

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北海道だーいすき!

                                                    及川 かおり 

ひいき目ではなく、自然環境も文化的にも多様性に富んだ北海道は、人が暮らすのにとても恵まれた場所だと思う。欠点として、冬が長く寒いことなどが挙げられるが、半年間の雪がこれ以上の開発をはばんでいるし、豊かな山の幸海の幸を育くむために必要なだけの水量も、積雪によって保たれる。産業や雇用の課題についても、今後改善する余地は十分にあるのではないか。

およそ1世紀もさかのぼらない以前、北海道はアイヌモシリ(人間の大地)と呼ばれ、アイヌ民族が狩猟と採取を中心に暮らしていた。外交も見られたが、ほとんど山菜や川魚、海の幸や獣の肉だけで生活を営んでいたということだ。確かに厳しい暮らしだっただろう。それでも、そうして何千年もこの地で生きることが可能だったのだから、いつ想像してみても驚かされるばかりだ。

旭川の市街地で生まれ育った私も、そして札幌のような都会で暮らす皆さんも、もしかしたら想像しにくい事かもしれない。最近になってようやく、私は山や海、湖など自然の中に出かける機会が増えてきた。山菜採りやきのこ採り、登山やキャンプ、スキーなど、いざ自然に飛び込んでみると、そこから学ぶべきことの多さに圧倒される。まるで便利な文明の中で育ったことで、本来の感覚が鈍っていたかの様に、5感で様々なことを感じ、今まで使っていなかった心を使って考えさせられる。「危ないから」「道具がないから」などとアウトドアを渋っていた自分が愚かだったと感じる。

最近は友人たちと田舎暮らしについて議論を交わしたりもする。「生計を立てる」となると、そう簡単にはいかないのが今の社会のあり様だ。田舎は田舎なりの苦労がある。そして都会に暮らすことにも、やはりそれなりの確固たる意義があるのだ。どちらに身を置くにしても、主体的に人生を設計する覚悟なしでは、与えられた環境に文句を言うだけの、つまらない生活になってしまいかねない。

どこに居ても生きて行ける。それだけ言い切る根拠と自信が、私には必要なのだ。それでも、大好きな北海道なら、ずっと頑張って行けるだろう。ここで生まれて、出会えた全ての人や物事に感謝を忘れずにいたい。

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リフレッシュキャンプ④

森町のネイパルの森から函館港へ出発した自転車部隊は、途中の休憩地点でソフトクリームと親子丼をおいしくいただき、お昼前には無事に調査船の乗り場に到着しました。調査船「若竹丸」では船内の設備を案内してもらった後、乗船式を行いました。

乗船後は分刻みのスケジュールが続きます。夕食の用意も各班で手分けしてお手伝い。船の食事は意外にも豪華メニューで驚きました。厨房で熟練の料理人さんたちが用意してくれたごちそうです。感謝していただきました。

夕食後、若竹丸の船長による実習船の役割や、実習で何を学ぶかのレクチャーがありました。「壁にぶつかっても、何度も何度も諦めずに努力して、ようやく乗り越える喜びが得られる」と、長い船上生活で培われた得難いお話を聞くことができました。

すっかり日も暮れた後、甲板上に出て星空観察を行いました。遠く水平線のいか釣り漁船の光以外、真っ暗な日本海上で見る星空は、天の川もくっきりと浮かび上がり、無数の星々が輝いていました。都会では見られない美しい星空に圧倒され、星座を見つける度に歓声が上がります。

翌朝、最終日は朝の6時に起床後、朝日を浴びながら元気よくラジオ体操。揺れにも大分身体が慣れてきたところです。朝食を済ませて外に出ると、対岸にもう小樽の港が見え始めていました。朝日にキラキラ輝く海を甲板から眺めながら、ようやく船酔いから解放される嬉しさと、大海原の冒険が終わってしまう寂しさの入り交じった気持ちではなかったでしょうか。

無事に小樽の港に上陸後、この3日間の旅の振り返りを行い、今回の全てのプログラムを終えました。最後まで心の込もった指導をしてくれたネイパルの森の職員の皆さんたち、そしてとても優しかったボランティアの教育大函館港の学生さんたちが、笑顔で手を振って自由が丘の生徒を見送ってくれました。

忘れられない出来事ばかりだった3日間。新しいチャレンジが目白押しでした。何か1つでも楽しかった事、次につなげる自信を、しっかりとその手で掴んで帰って来られたのではないでしょうか。皆さんお疲れさまでした!

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