目標設定

久井 貴之

 新年早々、珍しくある男から電話がかかってきた。

 それは、自分が北海道立高校にて3年前に1年間だけ期限付教諭をしていた時に道東で出会った当時高校1年生だった男である。身長はそれほど高くはないが極めて体格がよく、正直高校生とは思えない風貌で、体格からは考えにくいほどバスケットボールのテクニックや知識を持っていた男だ。さらに彼は周囲を惹きつけるようなオーラも持ち合わせていた。

 教科担任ではなかったため授業で接することなかったが、毎日の放課後は違う。バスケットボール部監督・部員として濃密な時間を過ごした(勉強させてもらった。)。

 当時の部員が今どう過ごしているか、のような話も交えながら彼の今を聞いた。彼は北海道を離れ、ある職業に就くための大学に通っているということだった。高校に入学し、早い段階から進路を決定でき大学も自ら決めたようだ。

 目標のためにしっかりと計画を立て、それに向かって歩んでいるということは実に素晴らしい。本当に久々の会話でお互い少々ぎこちないような感じの10分弱ではあったが、非常に嬉しい電話であった。

“何か目標を持って生活してください。”

     数年前にある高校で勤務していた時の校長先生がいつも言っていた言葉

 “1年の計は元旦にあり”

     古くからあることわざ

 人は目標があるとそれを達成するための行動をとる。目標を達成することができると新しい環境に身を置きさらに成長していく。

 本校両コースの3年生があと数えられるくらいの登校日数で卒業を迎える。それぞれの目標をキチンと再確認しながら冬休みを過ごしているだろう。

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「早いもので…」

学園長 杉野建史

 

今年が始まるとき、「2012年は大きなイベントが控えていたり、新しい仲間が東京にできたり、忙しくなるぞ」と頭の中をいろいろな思いが巡っていた。あっという間に366日が過ぎようとしている。あっという間に過ぎなかった年は、この数年記憶がない。

来年は、フリースクール札幌自由が丘学園が20周年を迎える。私がこの仕事にかかわり17年が経ちその間に学園は大きく変化した。この数年での一番の変化は正式な高等学校を開校したことである。その高校の仲間に東京シューレが加わった。フリースクールとしては大先輩の東京シューレと教育提携を結び、ともに高校教育を推進していくことができるようになった2012年は高校開校以来の大きな節目になった。新しい仲間を職員として迎えることができた年でもある。

早いもので2012年があと少しで幕を下ろす。本当にあっという間に1年が終わってしまう。時間は何もしなくても過ぎてゆくし、何かに熱中してもあっという間に過ぎてゆく。時間の概念は実に不思議で、「直線的に無限に続くもの」や「始まりと終わりがある有限で線分的なもの」などがある。皆が同じ時間の中で生活しているのだろうけれど、人によって感じ方は大きく違うのだろうなと思う。1日86400秒、2012年31,622,400秒。人に「目をつぶり1分経ったと思ったら教えてください」という実験をしても、それぞれの人で実に様々な60秒の結果が出る。時間の感覚はその人の生きる歩幅なのか。

12月としては異常とも言える寒い札幌。せめて心だけでもあたたかくなる写真(今年の修学旅行で体験ダイビングをしている2年生の男子生徒と、それ以上に楽しんだスタッフのH氏)を皆さんに披露して、少々早いが2012年の締めくくりとする。

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「総合」

桑名八重

先日、「総合」の時間に生徒たちに履歴書を書いてもらった。

はじめて履歴書を書いた人もいたので、考えながら書いていた。
用紙とにらめっこしながら唸っていたひとりが聞いてきた。

「趣味って何書けばいいの? 先生の趣味って何?」

はて、私の趣味?

普段から好きなことをしているから「あまりこれが趣味です!!」と、
胸を張って自慢できること・・・はあまりない・・・。
しかし、「好き」でやっていることはいくつもある。

胸を張って答えました。
「えーとね、読書でしょ、ドライブでしょ、旅行でしょ、スキーでしょ、カヤックでしょ、音楽演奏・・・」

「ずいぶん、あるんですね~」
半分呆れたようにつぶやかれた。・・・そんなに多いほうではないと思うが・・・

「当り前でしょ、みんなより長く生きてんだから、楽しみ多いに決まってるしょ」
「・・・そうか、趣味ってそんなもんか」

趣味って、
自分の生活を豊かにするもの。
無理せず、長く続けられるもの。
なにより、自分が楽しいもの。
だと思う。

今、「自分の趣味ってなんだろう」って考えてる生徒たちも
本当はもう趣味って言えるものがあるはずだ。
ただ、それが趣味かどうかまだ気が付いていないだけだろう。

履歴書を通じて、自分を客観的に眺めている。
用紙とにらめっこしているクラスを見渡してそう思った。

自分も就活中は、何十枚も履歴書を書いた。
自己PRとか特技とか、職務経歴書とか・・・。
もう、はじめは嫌で嫌でたまらなかった(情けない自分ばかりが思い浮かぶから・・・)が、
今思うと、自分のことを改めて考える時間だったと思う。

生徒たちにも今の自分ともっと向き合ってほしい。
そんなことを強く思った午後の時間でした。

ちなみに、「特技」で悩む生徒には「資格じゃない、自分はこれ自慢です!を書いてみよう」とアドバイス。

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ある10月のSMS

田房絢子

10月のある夜、一通のSMSが届いた。「元気ですか?どうか番号が変わっていませんように!」聞くと、インターネットで偶然私の名前が掲載されている自由が丘のHPを見つけて連絡をくれたとのこと。SMSを通してだったけど、15年振りくらいの再会だった。今は北見にいるので、札幌に帰ったときに会おうと約束して終了。本当に会えるかな?どんな風に変わっているかな?なんて、15年経った友人を想像しながら愉快な夜が更けていった。

 11月のある日、忘れ去られた約束にはならず、ついに再会の日が訪れた。集まるのは5人。ほとんどのメンバーがもう15年近く会っていない。中には高校卒業から会っていない人もいたので、16年経ってる!意を決して向かうと・・・そこには全然変わっていないみんながいた。「学ラン着たら、昔のままだよ(笑)」とか、外見は大きくなったけど中身はぜんぜん変わっていないとか。おなかの底から笑えて、なんだかタイムスリップしたみたいだった。でも、もう子どもがいるとか、去年若い奥さんと結婚したとか、今は支店長だとか…。時間は過ぎてそれぞれに大切なものができて、でもまたそれをつかの間の時間でも共有できたことが、本当にすてきなことだと思った。そして、昔みたいにずっと一緒にいることはできないけど、ものすごーい時々しか会えないけど、自分の人生を共有できる仲間がいてくれることに感謝したい。当時はそんなに近い関係でなかった仲間とも、こうやって大人になった今だから築き上げられる関係にも。この間来た卒業生も言っていた。「卒業してからの方が、なんか仲いいよね(笑)」未来の私たちに、今の生活はずーっとつながっている。出会った人みんなが、きっと将来の私を作ってくれるのだ。今は全く気がつかないことだって、今の私の生活の中にきっとたくさん潜んでいる。そしてまたきっとすてきなことが将来起こるはず…!!

ふっと思い立ってSMSをくれた友人に、心から感謝。…電話番号変えてなくて本当に良かった(笑)!

 

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同窓会

高村さとみ

 

今年の年末、中学の同窓会がある。

中学の…といっても、当時父の転勤が多かった私は中学3年生の後期半年間しか在籍しなかった学校だ。みんな私のことを覚えていないんじゃないだろうか、というか私も名前を思い出せない人がいるんじゃないだろうか、と色々とネガティブに考える気持ちもあったのだが、それでも半年間しかいなかった私に声をかけてくれたことがうれしくて、参加することにした。せっかくなら当時なかなか学校に馴染めなかった私が今、教育に携わっていることを先生に伝えたいと思う。

さて、フリースクールの生徒たちはよくこんなことを言う。「大人になったらみんなで同窓会をしようね。」「20歳になったらスタッフと一緒にお酒を飲みに行こう。」と。

気が早いな~、と思っていたがよく考えたら中学3年生の子が今の私の年になるまで10年。20歳になるまで5年。あれ、あっというまだ!

私は中学3年生の時、5年後の自分も10年後の自分も想像できなかった。同窓会なんて自分に関係ないものだと思っていた。

フリースクールの生徒たちが5年後、10年後に希望を持っていること、今の仲間を大切に思っていることを本当にうれしく思う。

年を越えるとあっというまに旅立ちがやってくる。卒業生をだすのはさみしい気持ちもあるが、5年後・10年後の再会を信じて。あと4か月足らずの年度を生徒たちと一緒に精いっぱい走り抜けたい。

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Imagine

フリースクールスタッフ 新藤理

 平和を願い、愛あふれる世界を願って歌われたジョン・レノンの名曲、「イマジン」。しかし、2001年の同時多発テロ事件以降、アメリカでは放送が自粛されていたこともあったそうだ。はっきりとした理由は知らないけど、たとえば歌詞中のこんな一部分が問題になったのかもしれない。

Imagine there's no countries  It isn't hard to do
Nothing to kill or die for  And no religion too

(想像してごらん 国家というものはないのだと
 難しいことじゃないよ
 殺すべき理由も 死ぬべき理由もない
 そして宗教だって存在しない)

 対立する他国から攻撃を受け、祖国への思いに心を燃やす人から見れば、その歌詞は皮肉なものに映るだろう。でも、それだけこの歌詞のメッセージは鋭く深いということでもある。発表から40年以上が過ぎた今でも、世界から戦火が絶えることはない。この歌が歌われ続けることには大きな意味があると私は思う。

 先日のフリースクールの音楽の時間、みんなでギターを抱えて「イマジン」を練習した。この時間に初めてギターにさわる生徒も少なくなかったので、まずみんなで弾くコードは「CM7(シー・メジャーセブン)」の一つだけ。押さえ方の難しいコードは、ギターに慣れ始めた何人かの男子が頼もしく鳴らしてくれる。英語の歌詞はやはり口に出すのが難しく、大きな歌声はあがらなかったけど、「ちゃんと歌えるようになればカッコいいよなぁ~」とつぶやく子もいた。
 「カッコいい」で十分。歌詞に込められたメッセージを私は説明するけど、そこに共感もあれば批判もあり得るだろう。少しずつ理解し、自らの考えに沿わない部分は批判的に読み込んだってかまわない。ただ、こうした強い力を持つ歌が存在すること、そうした歌を持って抗わなければならない痛烈な世界の現実があることを、少しだけ意識してくれればそれでいい。


 フリースクールの子どもたちは、今日もそれぞれ無心に好きな歌を歌って過ごしている。ちょっと調子っぱずれなこともあるけど、なんて平和な歌声だろう。その響きこそ私の大切な「人生の歌」だ…と言えば、ちょっと大げさに聞こえるかもしれないけど、やっぱりそう思う。

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冬を目の前に

札幌自由が丘学園 学園長 杉野建史

 

暑く長い夏が終わったと思ったら、あっという間に冬目前になった。今年の札幌には秋がなかったように思う。

9月末、フリースクールの生徒数名とスタッフ4名で日帰りサイクリングに行った。その行事名を「ツール・ド・エム」。フリースクール生徒の中に自転車好きがいて、以前からサイクリングに行きたいとの要望があり、この秋にやっと実現したイベントだった。当日の天気は開催が危ぶまれる悪さ。出発時刻の天気は雨で、時間を遅らせてなんとか出発できた。小雨の中、生徒たちは元気いっぱい目的地の定山渓温泉を目指し、ペダルをこぎ始めた。自転車経験豊富で現役サイクリストの鶴間さん指導のもと、交通ルール遵守、交通安全第一で全員が完走してゴール後にはささやかな焼き鳥パーティーを行った。実に楽しいイベントで来年以降は定期開催、回数増で行いたいイベントだ。自転車同好会設立を切に願っている。

私自身、10年ほど前から自転車通勤を始め、トレーニングでも自転車を漕いでいた。2010年には生徒2名と約120キロ離れた登別までのツーリング経験もある。

この季節になると、「あとどれくらい自転車通勤ができるかな…(例年は11月中旬で自転車通勤あきらめている。)」と考えているのだが、自転車通勤をやめるとどうしても運動量が減ってしまい、運動不足な体になってしまう。そこで今年は自転車用の冬タイヤ(スパイクタイヤ)を装備して、出来る限り自転車通勤を継続しようと考えている。車道脇に雪が積もると交通安全上危険なので、それまでの期間と考えているが例年の天候から判断して年末までは大丈夫だろうと…。

交通機関を利用してかかる通勤時間は約1時間。自転車を利用すると30分。これだけを考えてもいかに自転車がもたらす効果が大きいか。さらに運動が出来るとなればそう簡単に自転車から降りることはできない。自転車様さまである。

自転車に乗るほど自転車にのめりこんでいく。出来るかぎり自転車に乗りたいし、自転車をいじっていたい。冬を目の前にして、この興奮は冷めないようだ。

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読書と蔵書

                                                                       亀貝一義
「あなたの趣味は?」と聞かれたら、私は「読書です」と答える。振り返ってみても小学校時代からよく本は読んでいたと思う。和寒の叔父の家で暮らしていたとき、たしか戦前に出されていた雑誌の「キング」とか「家の光」などを物置から引っ張り出して読んでいた。まだ和寒では電気がなくてふた昔前のランプ生活だったが、その灯りの下でこっそり読んだ。小説の多くは時代物(チャンチャンバラバラ)。その後、時代小説を自分でも書いてみようという抱負をもったことは、その時の印象が残っていたからだろう。この抱負はすぐキャンセル。

高校は士別にあったから当時の汽車通(今のJR通学)だったのであまり時間がなかったのだが、士別の図書館から初めて借りた本がロシアの文豪ドストエフスキーの代表作「罪と罰」だった。内容はほとんど理解できなかったのだが、その主人公ラスコーリニコフという名前は今でも覚えている。
高校時代の読書はほとんど汽車の中だった。「罪と罰」に続いて読み続けたのは吉川英治の「宮本武蔵」だった。この小説は理解できた、というより時間の経つのも忘れるぐらい読み続けた。あの剣聖と言われた武蔵の青年時代は今でいうヤンキー。その後、沢庵和尚(たくあんおしょう。例のタクアン漬けの考案者?)との出会い、そして常に武蔵を慕い続けるお通(おつう)という美しい娘、最後はライバル佐々木小次郎と巌流島での決闘、など作者がつくったこれらのシーンは多くの日本人の共通の「常識」になった。

60年代から70年代は推理小説をよく読んだ。松本清張の作品はほとんど読んだのではないかと思っている。今では記憶も定かでないが…。その他活躍した森村誠一の小説なども。
80年代以降は、歴史物が多い。倫理社会や世界史の授業内容を勉強するためという意味もあったのだが、特に中国の歴史については、小説と歴史書を重ねて読んだ。殷末周初、秦の時代から漢がつくられてくる頃の「項羽と劉邦」、そして三国時代、隋唐の時代など、歴史の展開は小説のようだった。上の吉川英治の「三国志」や「水滸伝」などは実に面白いテキストだった。

今の読書のジャンルは?と聞かれると「うん、まあ」とあいまいに答えるしかない。むしろ本をよく読むというようには言えない昨今である。

困りだした問題がある。それは半世紀以上にわたる蔵書の始末だ。古本屋さんに売れそうなものはかなり売った。また三和高校本校や札幌学習センターに移した書もたくさんある。それでもまだ6畳くらいの図書部屋が満杯になっている。「これらの本、どうするの?」としかるべき人に言われるのだが、「まだ死ぬには時間があるから、まあそのうちに」とこれまたあいまいに答えている昨今である。80歳を超えたら蔵書を選別して、寄贈したり廃棄したりするつもりだが、ダイジョウブだろうか。

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『体質改善』

安齊 裕香

秋も深まり、雪虫が発生してきました。

小さい頃、自転車に乗っているとよく口に雪虫が入ってきたものです。

学校では学園祭が終わり、スタッフは冬のスクーリングについての会議も始まったところです。あっという間に冬になりそうですね。

そう。この季節からは私にとっての闘いが始まる時期なのです。

最大の敵は『冷え』。

私は末端冷え性だと思われます。

いつの頃からか手や足先が尋常じゃないくらい冷えるようになり、ここ数年悩まされてはいましたが、あまり気にはしていませんでした。

そして、今年は体質改善をしようという気に、やっとなったわけです。

現在の取り組みは、湯たんぽ・はらまき・モコモコ靴下・カイロ・運動・睡眠・食事などです。

カイロはただ貼ればいいというわけではなく、足で言えば内くるぶしの指3本くらい上とか、肩甲骨の下中央とか・・・要は血液の循環がよくなるツボを温めるというわけです。食事に関してはカラダを温める食べ物を摂取したり、冷たい水はあまり飲まないようにしたり。食事に気をつかうとそれも楽しくなってきました。仕事が終わって家に帰ってごはん作るのが苦痛に思う時もありましたが、最近は、あまりそうは思いません。

でもやっぱり自分に一番合っているのは運動だな~なんて感じてもいます。なるべく週1くらいでプールに行って1時間くらい泳いであそんでいます。寝る前にはストレッチをしています。全身運動の後は血液が循環しているのがわかるくらい爽快になります。

そんなこんなやっていると、ここ1カ月は少しですが体温が上がっています。こういう成果が出てくるとまた気持ちいいんですよね。継続しようという気になります。

普段の生活って大事だなぁ~と感じる今日この頃です。

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「わらしべ長者?」

フリースクールスタッフ 鶴間 明

私が旭川の教育大学を卒業してから最初に赴任したのが歌志内の1学年1クラスしかない小さな小学校だった。 小さな学校では初任者であっても、一人でたくさんの役割をこなさなければならない。 できる、できないは通用せず、とにかくやるしかないという状況だった。 当時は必死になってもがいているだけだったが、そのことが後に大きな展開を見せることになるとは思わなかった。

私は小さな頃から運動が好きで、教育大学も体育科に入り、運動一筋で生きてきていたようなものだった。
そんな自分にとって、音楽はきらいではなかったが、音楽の授業は、どう見ても理解しにくいオタマジャクシの連続で、非常に苦手意識を持っていた。
小学校教諭の免許を取るのに、ピアノ室に閉じこもって、ピアノのできる友達から指使いを見て覚え、楽譜を読まずに何とかピアノを覚えてきてはいたが、簡単なバイエルを一曲仕上げるだけでも非常に時間がかかった。
学校の先生になりたいという思いで何とかしたものの、音楽専科のいない小さな小学校で、日々の音楽の授業をいきなりこなしていくことは、予想以上に難しかった。
自分の得意な教科の授業準備にも時間がかかっていたのに、音楽の授業準備は、ピアノの伴奏もあるために、授業準備とは別に夜遅くまで練習が必要だった。それでも、少しでも良い授業がしたいという思いで必死だった。

苦手なことに取り組むことは大変なことだ。
苦手を克服するためには人の何倍も時間がかかる上に、努力してもなかなか人並み以上にはならない。

音楽の授業の前の日は、憂鬱な気持ちは拭えなかった。

しかし、子どもの中には、音楽嫌いな子もいる。
そんな子たちを前にして、自分が先に音楽嫌いになっていては、子どもに影響がある。
音楽が得意で、音楽の授業を楽しみにしている子もいる。
苦手なことは変わらなかったとしても、自分がまず、好きになることだけは避けて通れない課題だった。

週末ごとに楽器店に通い、自分にできそうな楽器を探し、何とか自分自身が音楽を好きになるように仕向けた。
そんな中で、非常に奇妙な楽器、ケーナと出会った。
小学校の学芸会で「コンドルは飛んでゆく」をリコーダーで演奏した経験があったので、もう一度童心に帰って笛を吹いてみたいと思った。
ケーナは単なる竹の棒に穴を開けただけの無骨な笛だったが、その素朴なところにこそ惹かれていった。
しかし、尺八と同じように音を出すだけでも困難な楽器で、そう簡単に曲が吹けるようにはならない。
音楽の初心者にはますます取り組みにくい楽器だったが、誰でもできそうな楽器を大人になってから始めるよりも、誰にもできそうにもない楽器を自在に扱うことができるようになれば自分の人生が変わるのではないかと予感した。
それ以来、ケーナを肌身離さず持ち歩き、所構わず練習をした。
車の運転中も、ちょっと信号待ちがあればすぐに音を出す練習をした。
寝る時も仰向けになりながら静かに吹いて指づかいの練習をし、気がつくとそれを子守唄にして寝ていた。
そんな中、ピアノの伴奏やギターでの弾き語りができるようになり、音楽の授業も、私自身が一番楽しみにしている授業になっていった。

私のケーナへの情熱はエスカレートし、やがて自分でケーナを作るようになった。
同じ音楽をする仲間と出会い、人前で演奏するようになった。
ボリビア・ペルーを旅行し、現地のケーナの製作の仕方や演奏法を参考にし、マチュピチュの遺跡の前でコンドルは飛んでゆくを吹いてきた。
日本に帰り、北海道各地のイベントに招かれて演奏するようになり、その内の一つとして、自由が丘学園でのイベントがあった。
私がここで演奏したことはフリースクールスタッフを10年続けている音楽好きの新藤さんが記憶してくれていた。

苦手な音楽を受け入れることで、私の人生は大きく広がっていった。
生徒たちと音楽を楽しめるようになり、音楽を通して多くの人と出会い、友人も数多くできた。様々な慈善活動に協力することができるようになり、そしてフリースクールと出会うこともできた。そして、現在はこの札幌自由が丘学園の職員として勤務することができ、今の生徒たちとの出会いを実現させた。

20年近く前に握りしめた、たった一本の竹の棒が、私の人生を導いてくれたこの奇跡の様な出来事は、さしずめ、現代版わらしべ長者といったところかもしれない。
単なる偶然という言葉では表しきれない不思議な縁をひしひしと感じるものである。

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