多様な学びを考える

高村さとみ

 2月10日(土)、11日(日)の二日間、東京代々木で開催された「第5回日本フリースクール大会(JDEC)」に参加してきました。JDECでは全国のフリースクール関係者・関心のある学生が集まり、講演会・分科会への参加や交流を行っています。私は第2回から参加しているので、これで4回目になります。

 その年によってJDECの内容にはカラーがあります。特にフリースクール全国ネットワークが中心となって取り組んでいる「子どもの多様な学びの機会を保障するための法律」の動きはJDECの核とも言えるものです。2010年、第2回のJDECでフリースクールやホームエデュケーション家庭が公に認知され、支援を受けるための法律「オルタナティブ教育法(仮称)」法案骨子が出されました。そして2012年、第4回のJDECではフリースクールだけではなくシュタイナースクールやインターナショナルスクールなど学校以外の様々な学びの場をオルタナティブな教育の場として捉えることに変化しています。「多様な学び保障法を実現する会」が発足し、今年は「子どもの多様な学びの機会を保障するための法律」と名称を変更しての初めてのJDECとなりました。内容の詳細についてはまた別な機会に触れたいと思います。

 私自身、特にフリースクール以外の教育機関を多様な学び保障法の対象に含んだことで、「多様な学びとは何か」ということをよく考えるようになりました。私はフリースクールの良い点の一つとして、各フリースクールによって活動内容がバラバラであるということが挙げられると思っています。子どもがその意志によって自分に合った学びの場を選択できることは理想です。ですから、フリースクールは特に同じ地域にあるのであればそれぞれの特色を持ったものであると良いと思っています。例えばAくんが住んでいる地域に活動の内容の違うフリースクールがいくつかあり、シュタイナースクールやインターナショナルスクールがあり、家庭で学ぶホームエデュケーションも認められているとしたら。そして、その中からAくんが自分に合った学びの場を選択できるとしたら。それはとてもすばらしいことのように思えます。一方、○○スクールという形にこだわらずとも塾や習い事など様々な場所が多様な学びの場といえるのではないかとも思います。実際に現在不登校の児童生徒でフリースクールや市の相談指導学級とつながっている子はわずかです。大半の子は家で過ごしているか、学校には行っていないが塾に通っている、児童会館に行っているなど他機関を利用していることが予想されます。いわゆる教科学習に限らず、子どもが興味をもって取り組んだこと全てに学びがあるというのが多様な学び保障法の前提なのでこの考え方は沿っていると思うのですが、なおさら多様な学びに法案という枠組みをつくることがいかに難しいかということを感じます。多様な学びというとありとあらゆる学びが想定されるのに、それを推進するための法律がむしろ多様な学びの範囲を狭めてしまうことになるからです。

 今回は「多様な学び」という言葉をクローズアップしましたが、多様な学び保障法はまだまだ検討の余地がある法案です。様々な立場の方、たくさんの方に意見をいただきながら修正していくことで本当に今必要な「多様な学び」が何か研ぎ澄まされていくはずです。そのためにはまずこの多様な学び保障法を多くの方に見ていただくこと。少しでも多くの方が多様な学び保障法に関心を持っていただけるとうれしいです。

(多様な学び保障法骨子案はこちらからhttp://aejapan.org/wp

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うれしい知らせ

田房絢子 

 最近、うれしい知らせが多い。高校生活をやり直す選択をして、まずは福祉の勉強をしたいと連絡をくれた卒業生。大学を中退したけど、また新たに進学を考えているという卒業生。そして、今日来てくれたのは大学を卒業見込みで、4月からは専門学校に進学予定という卒業生。私が担任をしていたときには、頭を抱えることも多かった。「ちゃんと来れなければどうなるでしょうか・・・」とか「これからどうしますか・・・」といったようなFAXを送ったこともしばしば。お母さん達と共にLove FAXと銘打ったこの方法が彼の心に響いたかどうかは定かではない・・・が、そんな彼らが何とか卒業の日を迎えた3月。その4年後にこんな形で次々と報告が聞けるとは思いもしなかった。

 あの頃のクラスは、毎日が生きることに精一杯で余裕が持てる状態じゃなかった。でも徐々にお互いに心を寄せ合い、支え合うことを学び、そうして自分の足で立つことを覚えた。とても越えられないような壁に何度も何度もぶつかりながら、あの2年間で私もたくさんのことを学ばせてもらった。あのクラスがなかったら今の私は存在しなかったと思う。子どもに対する気持ちや接し方、愛情、自分の在り方、教師であるということ、生きているということ。子どもたち、そして保護者の方々からもたくさんの愛をもらって、そして、卒業式を迎える頃にはひとつの頼もしいクラスになってくれた。ひとり一人が自分を大切に思うことのできる、そして他人も大切に思うことのできる人に育ってくれた。最初は頼りなかったみんなだけど、今ではどの子も逞しく生き残ってくれるに違いないと思える。紆余曲折したって、自分らしく生きられる道を見つけてくれるに違いない。

 ふとした時に、こうして幸せを運んできてくれる卒業生たち。教師という職業は本当に本当に幸せなものだ。

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1月29日という一日。

                                                               3学年担任:安齊 裕香

  3年生が最後の登校日。最後な実感はない。まだまだ終わってないこともちらほら。でも前からずっと、今日のこの日はみんなで終わるんだなぁ~なんて想像していた。最後だし、真面目な言葉を贈ったらいいか、何を伝えようかぼんやり考えていた。

そう思っていた矢先、1名インフルエンザ。全員揃わない。16人いない。このタイミングでの出席停止。やっぱりなんかある。まぁ仕方がない。と思った朝は、なぜか8名で朝の会。なんで!?みんなインフルエンザなのか、交通機関の影響なのか・・・でも天気悪くないし・・・。全然。ただの授業変更を忘れていたみんな。こらこら。

 そんなちょっとのんきなところがある、相変わらずの天然ぷりな3年生。

でもそれがなんか懐かしい気持ちにさせられた。『3年間を思い出して!!』と言われているような気がした。2年生の途中まで朝は全然揃わなかった。でも修学旅行があけたくらいから、毎日朝から登校するのが当たり前のクラスになった。

なかなか登校できなかった子が毎日来ている。遅刻常習犯だった子が朝から毎日いる。授業に出席できなかった子が全ての授業に出席している。自分の考えを表現するのが苦手だった子が、しっかり発言する。

 みんな変わった3年生。

よく笑う3年生。

みんな上出来◎

 そんなこんなで素敵なクラスは2月に集合の予定となる。今度こそ揃うかな?インフルエンザ大丈夫かな?集合する日忘れてないかな?・・・なんて考えているうちに寂しさも忘れ、あっという間に終わった1月29日。

 

これから3年生を送り出す準備が始まる。

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札幌自由が丘学園の新たな展望を!

 亀貝一義

 最近、いつも頭をよぎるのは「札幌自由が丘学園創立20周年」である。それは、端的に言えば『来し方行く末」である。1993年11月1日のフリースクールスタートのシーンがありありと脳裏に浮かぶ。当時、この新しい学校をすすめる担当者たちの共通の思いは「フリースクールを一つのステップとして新しい学校を生みだそう」ということだった。だからその時の私などの問題意識は、フリースクールスタートは「認可学校」創設のためのいわば手段だった。  しかしその後のフリースクール札幌自由が丘学園の展開は、「手段」などでなく教育理念を展開するという目的そのものであった。  フリースクールという現在もまだ「アブノーマル」(「普通の学校でない位置にある)学校をノーマルな位置に引き上げることが今の私の基本目標になっている。

 立脚点の第一は、フリースクールが受けいれる「不登校」の子どもをどう見るか、ということである。単に「一般の子どものようには学校に行けない」という見方ではなく、今日の教育と学校の画一的なしくみを拒否し、「子どもの育ちが多様であるのだからこれにふさわしい教育と学校のシステムであるべきではないか」と訴えている子どもたちである。
 立脚点の第二は、豊かな感性をもって育った子どもたちは一時的に人とのふれ合いや「学校」そのものに対してなじめない点があるだろうが、それはあくまでも「通過点」であって、豊かな個性をもった大人(スタッフ)や生徒たちとの交流の中で多少のジグザグがあっても元気を取りもどし、「不登校の子ども?」と疑問を持たせるようなごく普通の子どもになるのである。すなわち、私たちの人間観生徒観の修正を求められる。
 立脚点の第三は、学校の在り方の多様性を追求し続ける立場である。近代的な学校が制度面でも内容面でも受けいれる子どもについても、画一的統一的なしくみをもってその水準などを維持発展させてきた。しかし、今上のように、中学校でいえば一クラスに1名以上の「不登校」の生徒がアピールしているが故に、学校の在り方を根本的に見直していかなければならないことを、多くの心ある人たちは自覚し出している。

 スタート以来、私たちは上の3つの点を、すなわち子ども観、子どもの成長観、学校観を育んできた。この上で、次の展望は、フリースクールという主として中学校と、創設5年になる札幌自由が丘学園三和高等学校を総合的に展開するいわば中高一貫の教育しくみを確立させていくことである。その展開から人としての自立(進路)を支援していくことができると確信している。教育制度の改変にまで思いをいたさなければならないから道は非常に遠いのだが、冒頭記した「来し方」と共に「行く末」を実のあるものとして多くの人に提示することができるだろう。

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目標設定

久井 貴之

 新年早々、珍しくある男から電話がかかってきた。

 それは、自分が北海道立高校にて3年前に1年間だけ期限付教諭をしていた時に道東で出会った当時高校1年生だった男である。身長はそれほど高くはないが極めて体格がよく、正直高校生とは思えない風貌で、体格からは考えにくいほどバスケットボールのテクニックや知識を持っていた男だ。さらに彼は周囲を惹きつけるようなオーラも持ち合わせていた。

 教科担任ではなかったため授業で接することなかったが、毎日の放課後は違う。バスケットボール部監督・部員として濃密な時間を過ごした(勉強させてもらった。)。

 当時の部員が今どう過ごしているか、のような話も交えながら彼の今を聞いた。彼は北海道を離れ、ある職業に就くための大学に通っているということだった。高校に入学し、早い段階から進路を決定でき大学も自ら決めたようだ。

 目標のためにしっかりと計画を立て、それに向かって歩んでいるということは実に素晴らしい。本当に久々の会話でお互い少々ぎこちないような感じの10分弱ではあったが、非常に嬉しい電話であった。

“何か目標を持って生活してください。”

     数年前にある高校で勤務していた時の校長先生がいつも言っていた言葉

 “1年の計は元旦にあり”

     古くからあることわざ

 人は目標があるとそれを達成するための行動をとる。目標を達成することができると新しい環境に身を置きさらに成長していく。

 本校両コースの3年生があと数えられるくらいの登校日数で卒業を迎える。それぞれの目標をキチンと再確認しながら冬休みを過ごしているだろう。

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「早いもので…」

学園長 杉野建史

 

今年が始まるとき、「2012年は大きなイベントが控えていたり、新しい仲間が東京にできたり、忙しくなるぞ」と頭の中をいろいろな思いが巡っていた。あっという間に366日が過ぎようとしている。あっという間に過ぎなかった年は、この数年記憶がない。

来年は、フリースクール札幌自由が丘学園が20周年を迎える。私がこの仕事にかかわり17年が経ちその間に学園は大きく変化した。この数年での一番の変化は正式な高等学校を開校したことである。その高校の仲間に東京シューレが加わった。フリースクールとしては大先輩の東京シューレと教育提携を結び、ともに高校教育を推進していくことができるようになった2012年は高校開校以来の大きな節目になった。新しい仲間を職員として迎えることができた年でもある。

早いもので2012年があと少しで幕を下ろす。本当にあっという間に1年が終わってしまう。時間は何もしなくても過ぎてゆくし、何かに熱中してもあっという間に過ぎてゆく。時間の概念は実に不思議で、「直線的に無限に続くもの」や「始まりと終わりがある有限で線分的なもの」などがある。皆が同じ時間の中で生活しているのだろうけれど、人によって感じ方は大きく違うのだろうなと思う。1日86400秒、2012年31,622,400秒。人に「目をつぶり1分経ったと思ったら教えてください」という実験をしても、それぞれの人で実に様々な60秒の結果が出る。時間の感覚はその人の生きる歩幅なのか。

12月としては異常とも言える寒い札幌。せめて心だけでもあたたかくなる写真(今年の修学旅行で体験ダイビングをしている2年生の男子生徒と、それ以上に楽しんだスタッフのH氏)を皆さんに披露して、少々早いが2012年の締めくくりとする。

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「総合」

桑名八重

先日、「総合」の時間に生徒たちに履歴書を書いてもらった。

はじめて履歴書を書いた人もいたので、考えながら書いていた。
用紙とにらめっこしながら唸っていたひとりが聞いてきた。

「趣味って何書けばいいの? 先生の趣味って何?」

はて、私の趣味?

普段から好きなことをしているから「あまりこれが趣味です!!」と、
胸を張って自慢できること・・・はあまりない・・・。
しかし、「好き」でやっていることはいくつもある。

胸を張って答えました。
「えーとね、読書でしょ、ドライブでしょ、旅行でしょ、スキーでしょ、カヤックでしょ、音楽演奏・・・」

「ずいぶん、あるんですね~」
半分呆れたようにつぶやかれた。・・・そんなに多いほうではないと思うが・・・

「当り前でしょ、みんなより長く生きてんだから、楽しみ多いに決まってるしょ」
「・・・そうか、趣味ってそんなもんか」

趣味って、
自分の生活を豊かにするもの。
無理せず、長く続けられるもの。
なにより、自分が楽しいもの。
だと思う。

今、「自分の趣味ってなんだろう」って考えてる生徒たちも
本当はもう趣味って言えるものがあるはずだ。
ただ、それが趣味かどうかまだ気が付いていないだけだろう。

履歴書を通じて、自分を客観的に眺めている。
用紙とにらめっこしているクラスを見渡してそう思った。

自分も就活中は、何十枚も履歴書を書いた。
自己PRとか特技とか、職務経歴書とか・・・。
もう、はじめは嫌で嫌でたまらなかった(情けない自分ばかりが思い浮かぶから・・・)が、
今思うと、自分のことを改めて考える時間だったと思う。

生徒たちにも今の自分ともっと向き合ってほしい。
そんなことを強く思った午後の時間でした。

ちなみに、「特技」で悩む生徒には「資格じゃない、自分はこれ自慢です!を書いてみよう」とアドバイス。

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ある10月のSMS

田房絢子

10月のある夜、一通のSMSが届いた。「元気ですか?どうか番号が変わっていませんように!」聞くと、インターネットで偶然私の名前が掲載されている自由が丘のHPを見つけて連絡をくれたとのこと。SMSを通してだったけど、15年振りくらいの再会だった。今は北見にいるので、札幌に帰ったときに会おうと約束して終了。本当に会えるかな?どんな風に変わっているかな?なんて、15年経った友人を想像しながら愉快な夜が更けていった。

 11月のある日、忘れ去られた約束にはならず、ついに再会の日が訪れた。集まるのは5人。ほとんどのメンバーがもう15年近く会っていない。中には高校卒業から会っていない人もいたので、16年経ってる!意を決して向かうと・・・そこには全然変わっていないみんながいた。「学ラン着たら、昔のままだよ(笑)」とか、外見は大きくなったけど中身はぜんぜん変わっていないとか。おなかの底から笑えて、なんだかタイムスリップしたみたいだった。でも、もう子どもがいるとか、去年若い奥さんと結婚したとか、今は支店長だとか…。時間は過ぎてそれぞれに大切なものができて、でもまたそれをつかの間の時間でも共有できたことが、本当にすてきなことだと思った。そして、昔みたいにずっと一緒にいることはできないけど、ものすごーい時々しか会えないけど、自分の人生を共有できる仲間がいてくれることに感謝したい。当時はそんなに近い関係でなかった仲間とも、こうやって大人になった今だから築き上げられる関係にも。この間来た卒業生も言っていた。「卒業してからの方が、なんか仲いいよね(笑)」未来の私たちに、今の生活はずーっとつながっている。出会った人みんなが、きっと将来の私を作ってくれるのだ。今は全く気がつかないことだって、今の私の生活の中にきっとたくさん潜んでいる。そしてまたきっとすてきなことが将来起こるはず…!!

ふっと思い立ってSMSをくれた友人に、心から感謝。…電話番号変えてなくて本当に良かった(笑)!

 

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同窓会

高村さとみ

 

今年の年末、中学の同窓会がある。

中学の…といっても、当時父の転勤が多かった私は中学3年生の後期半年間しか在籍しなかった学校だ。みんな私のことを覚えていないんじゃないだろうか、というか私も名前を思い出せない人がいるんじゃないだろうか、と色々とネガティブに考える気持ちもあったのだが、それでも半年間しかいなかった私に声をかけてくれたことがうれしくて、参加することにした。せっかくなら当時なかなか学校に馴染めなかった私が今、教育に携わっていることを先生に伝えたいと思う。

さて、フリースクールの生徒たちはよくこんなことを言う。「大人になったらみんなで同窓会をしようね。」「20歳になったらスタッフと一緒にお酒を飲みに行こう。」と。

気が早いな~、と思っていたがよく考えたら中学3年生の子が今の私の年になるまで10年。20歳になるまで5年。あれ、あっというまだ!

私は中学3年生の時、5年後の自分も10年後の自分も想像できなかった。同窓会なんて自分に関係ないものだと思っていた。

フリースクールの生徒たちが5年後、10年後に希望を持っていること、今の仲間を大切に思っていることを本当にうれしく思う。

年を越えるとあっというまに旅立ちがやってくる。卒業生をだすのはさみしい気持ちもあるが、5年後・10年後の再会を信じて。あと4か月足らずの年度を生徒たちと一緒に精いっぱい走り抜けたい。

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Imagine

フリースクールスタッフ 新藤理

 平和を願い、愛あふれる世界を願って歌われたジョン・レノンの名曲、「イマジン」。しかし、2001年の同時多発テロ事件以降、アメリカでは放送が自粛されていたこともあったそうだ。はっきりとした理由は知らないけど、たとえば歌詞中のこんな一部分が問題になったのかもしれない。

Imagine there's no countries  It isn't hard to do
Nothing to kill or die for  And no religion too

(想像してごらん 国家というものはないのだと
 難しいことじゃないよ
 殺すべき理由も 死ぬべき理由もない
 そして宗教だって存在しない)

 対立する他国から攻撃を受け、祖国への思いに心を燃やす人から見れば、その歌詞は皮肉なものに映るだろう。でも、それだけこの歌詞のメッセージは鋭く深いということでもある。発表から40年以上が過ぎた今でも、世界から戦火が絶えることはない。この歌が歌われ続けることには大きな意味があると私は思う。

 先日のフリースクールの音楽の時間、みんなでギターを抱えて「イマジン」を練習した。この時間に初めてギターにさわる生徒も少なくなかったので、まずみんなで弾くコードは「CM7(シー・メジャーセブン)」の一つだけ。押さえ方の難しいコードは、ギターに慣れ始めた何人かの男子が頼もしく鳴らしてくれる。英語の歌詞はやはり口に出すのが難しく、大きな歌声はあがらなかったけど、「ちゃんと歌えるようになればカッコいいよなぁ~」とつぶやく子もいた。
 「カッコいい」で十分。歌詞に込められたメッセージを私は説明するけど、そこに共感もあれば批判もあり得るだろう。少しずつ理解し、自らの考えに沿わない部分は批判的に読み込んだってかまわない。ただ、こうした強い力を持つ歌が存在すること、そうした歌を持って抗わなければならない痛烈な世界の現実があることを、少しだけ意識してくれればそれでいい。


 フリースクールの子どもたちは、今日もそれぞれ無心に好きな歌を歌って過ごしている。ちょっと調子っぱずれなこともあるけど、なんて平和な歌声だろう。その響きこそ私の大切な「人生の歌」だ…と言えば、ちょっと大げさに聞こえるかもしれないけど、やっぱりそう思う。

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