はぁ~るばるゥ~

フリースクールスタッフ 新藤理

 ♪はるばる来たぜぇ…と言っても、森町まで高速道路が延びた今では、札幌から函館への道のりはずいぶん短くなったような気がする。貸し切りバスでの道中、音楽好きな生徒たち(スタッフも)が変わりばんこに鳴らすギターに合わせて歌声を重ねるうちに、私たちはいつの間にか函館に到着していた。  フリースクール、二泊三日の修学旅行。実は、宿泊をともなう行事は今年度に入ってから三つ目(!)だった。そのため、生徒たちにとっては気持ちをそちらへ向かわせにくいような状況だったかもしれない。それでも、全三回を制覇しようとしていたある男の子は「前の二つ(フリースクール全国大会とネイパル森キャンプ)はどっちも他のフリースクールの人たちと一緒だったけど、今回は自由が丘の友だちしかいない。やっぱり別物だよ」と話していた。そう、純粋に今年の仲間たちとの思い出を作れる宿泊行事はこれが最初で最後。準備にうまく時間を割けない難しさがある中、それでもグループごとに自主研修の行き先を考えたりしているうちに、だんだんとみんなの中で旅行気分が高まっていくようだった。  もっとも、心配なことはいろいろあった。たとえば、一日目のメインである乗馬体験。行く前から何人かの生徒からは「どうしても乗らなきゃダメ?」という声が聞こえていた。どうしても体調が悪いなら仕方がないけれど、安易にパスする生徒が多ければ、それだけで旅行の雰囲気は何となくトーンダウンしてしまう。今年度の活動を見ていると、どうも「みんなでそろって取り組む」ということができない場面が多くて、そのことが旅行の一体感を削いでしまうのではないかと心配していた。  でも、いざ函館へ着いてみれば、生徒たちは私たちの予想よりもずっと前向きに旅行を楽しんでいた。昨年は「どうしても苦手で…」と馬に近づくことすらできなかった生徒が、今年は「やってみたら楽しい!」と笑顔で乗馬に取り組んでいた。誰一人欠けることなく馬にまたがり、森の空気を味わった。  全員で一つの目的に向かう…そのことの大切さをどこまで理解してくれたかはわからないけれど、とにかくみんなは同じ楽しみを分かち合うことができたし、それは最近のフリースクールではなかなか見られない光景だったのだ。そんなふうに、「普段以上にがんばった・楽しんだ」という姿が、旅行中のあちこちの場面で見られたことは、私たちにとっても本当に嬉しかった。  苦手だけど、やってみる。自分の興味とは範囲が違うことでも、まずは体験してみる。学園活動の中でいつも大切にしている目標がたくさんつまった修学旅行は、こうして無事に終わった。見慣れた学園にもうすぐ到着という時、みんなの歌声はもう一度だけバスの中に元気よく響いた。
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「スキーに魅せられて」

フリースクールスタッフ 鶴間 明

冬が近づいて寒くなってくると、また雪に閉ざされた不便な時期がやってくるという憂鬱な気になるが、楽しみにしていることもある。 スキーができる。 これが一番の(、、、というか唯一の?)冬の楽しみだ。 スキーというと広いゲレンデでリフトに乗って爽快に斜面を滑り降りて行く華やかなイメージがあるが、私が半生かけて続けてきた、結果的に大好きなスポーツはメジャーなゲレンデスキーではなく、クロスカントリースキーだ。 この不可思議なスキーと出会ったのは大学時代。 当時体育科にいた私は、スキー集中講義で歩くスキーの大会に参加することが、単位取得のためにどうしても必要だった。 歩くスキーは高年齢になってから行うスポーツという印象があり、当時はあまりやってみたいとは思わなかったが、大学のゼミの仲間と共にチームを組んで長距離を走るということができることは楽しそうな気もした。 初めて歩くスキーに乗ったは湧別原野100km駅伝の第1区のスタートをきった時だった。 滑り方もよくわからず、滑るというよりも走ったり転んだりしながら必死になって走って次の仲間にタスキを渡した。 この区間では最下位から二番目で、私が様々なスポーツの大会で経験してきた成績の中ではほぼ最悪であったが、走り終わってからの爽快感は他にはない、格別なものだった。 それまでの私のスポーツ経験では、人より強くなること、人に勝つことという観点しかなく、成績が悪い時はひどく落ち込むことが多かった。 しかし、スタート地点に立つこと、参加すること、とにかく精一杯やること、それだけで、こんなに充実した気持ちになれることを初めて体感した。

大学時代はお金がなかったが、この後、自分のスキーを買い、当時所属していた陸上部の冬季のトレーニングの一環にということで練習をするようになった。
私の過ごした旭川にはたくさんの川があり、河川敷にはどこにでもスキーの通った後があり、練習場所には困らなかった。
冬の山も美しく、夏には絶対に入っていけないような場所にまで、雪の上を自由に歩き回ることができた。
旭川の国際バーサースキー大会に参加すると、スタート地点の競馬場が、参加した人で埋めつくされていた。
仮装をする人、それまで参加した時にもらった布ゼッケンで作った服を着て参加する人、赤ん坊をソリに乗せて家族で参加する人、実に多くの人たちが順位など気にせずに、大会そのものを楽しんでいた。
スタートすると、競馬場に埋め尽くされた群衆が渦を巻く様に動き始めて、一大スペクタクルが楽しめた。
給食所ではボランティアの方々が声をかけてくれて補給食を配布してくれたりする。
参加者の中には、手分けしてジンギスカンの道具や食材を持ち込んで、コースの脇でジンギスカン鍋を自分たちで作って食べていた御一行もあった。
色々な人たちが、色々な目的を持って、厳しい冬の寒さの中、それぞれの楽しみを持って大会に参加していた。
上達することだけではない、勝つことだけではない、参加することそのものに大きな意味を持っている、まるでお祭りのようなスポーツイベントで、大会の懐の深さを感じ、これこそ真のスポーツだと感じた。

あれから20年以上の月日が経ち、歩くスキーの愛好家もいつしか、多くの人が(私も含めて)より洗練された道具を使うようになり、競技化し、クロスカントリースキーとして現在も続けている。
現在の大会はかつてのお祭り騒ぎの様な盛り上がりがやや少なくなってしまったが、動力に頼らずに一漕ぎ一漕ぎを懸命に踏み出していくこの地味なスキーには、ゲレンデスキーでは決して味わえない充実感を感じる。
苦しい登りに、爽快な下りが連続するあの白銀の世界に、また漕ぎだしていきたいと、秋の空を眺めながら思う。

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つながるということ。

高村さとみ 

 札幌自由が丘学園は「北海道フリースクール等ネットワーク」「フリースクール全国ネットワーク」という団体に加盟している。そのネットワークの仕事をしていて思う話。

 フリースクールが(フリースクールにかぎらず?)ネットワークを組むというのはとても大事で、それぞれのフリースクールの活動内容が違うことを活かし、相談に来た生徒保護者のニーズが違ったので他のフリースクールを紹介したというケースはいくつもある。また、公的助成を求める活動を行うときに1つのフリースクールが声をあげるよりも、利害の一致する多数の団体がまとまって動いた方が説得力がある。それもフリースクールだけではなく、親の会・当事者など様々な立場がいるとなお良い。

 様々な生徒を受け入れるフリースクールとしては、医療・福祉・教育など複数の分野とつながりたいと思う。必要に応じて連携をとることはあるが、目先の目的がない状態でこちらから他団体とつながるために動く、ということは時間も労力も必要なことなのでなかなかできないのが現状である。

 これを個人に置き換えてみてもネットワーク=つながるということはとても大切である。私自身、ふと知り合った人の話から刺激を受けそれを趣味や仕事に活かせた、ということがある。こちらは分野は関係なく、むしろ多種多様な人と知り合えた方がおもしろい。目的なく知り合っていても、目的ができたときには「手伝って」「助けて」と言える間柄は本当にありがたい。

 フリースクールの話に戻る。上記のようなメリットもありながら複数の団体がネットワークを組む難しさ、というのもまた感じる。ネットワークを組む団体の数が多いほど、各団体の目的やニーズにずれがでてくる。そこを上手く補完できるような活動であれば良いが、補完しきれない場合はどうすればよいのか。

 こんなことをつらつらと考えた理由の一つに、11月9日(金)に東区民センターで行う「フリースクールフェスティバル」のことがある。これは北海道フリースクール等ネットワークが行う北海道内のフリースクールのお祭りで、私は企画・運営に携わっている。もとは無目的に知り合っていて、このイベントを手伝ってくれる人もいる。そのありがたみを感じる一方で、目的やニーズに微妙にずれのある団体同士が満足するイベントをつくるにはどうしたら良いか、ということを考えている。

フリースクールフェスティバルまであと一か月。悩みどころも多いがやるからには盛り上げたい。

 

詳細が決まり次第ホームページに情報をあげていきますので、ご都合のつく方はぜひお越し下さい。

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ふるさと再発見?

桑名 八重

学園スタッフはとても“チャリ通”率が高い。 自動車通勤禁止ということもあるが、交通の便もいいがやはりチャリの小回りが利くという点が大きいから、運動も兼ねてチャリ通を通している。 本格的なバイクの方もいらっしゃるが、私は俗にいう通学サイクルというやつだ。

高校時代からチャリ通をしているが、最近はすごく街並みを見ていることに気づいた。
以前は、出発地(自宅)→到着地(学校)の間にどんなお店があるかとか、どんな犬がいるかとかまったく見ていなかったように思う。

一時期バス通勤・電車通勤になり、再び自転車が主要な交通手段となり、ずいぶん色々なものに目がいくようになった。
自転車で行くちょっとゆっくりぎみのスピードのせいか、それとも私自身の変化か・・・。

「ここの花壇、花咲いたんだ」「新しいお店がOPENしてる!」「今度の日曜イベントあるんだ・・・。」
ゆっくり歩くのとは違い、スッと流れていく瞬間ではあるけれども色々なものが目に入ってくる。

長く札幌にいるけれど、今更ながらに気づくものも多い。
近くのお寺の鐘は夕方6時に必ず鳴ってるとか。じつは公園の銀杏並木がすごくきれいだとか。

学園の周りをはじめ、札幌市内中心部はかなり再開発が進んでいる。
古い昔からの石造りの倉庫が取り壊されたり、リノベーションされたり。
どんどん街の姿が変わっていくのも感じる今日この頃です。

あんまり街並みに関心のなかった高校時代の私が覚えている街並みも、
今の街並みも私たちが暮らす街なんだなと思う。

変化することは悪いことではないけれど、
どんどん変わっていく様子にちょっとさみしく感じる時もある。
少しでもたくさんの街の姿を見ておこうと思う。
また、新しい発見があるだろう。

チャリ通は街を知る絶好の機会だ。

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副担任

                                          三和高校 副担任 田房絢子

修学旅行が終わった。今回も副担任として同行。担任とは違った目線から生徒を見ているので、毎回のことだけど担任とはちょっと違った味わいがある修学旅行となった。

初めて修学旅行に同行したのは2004年。高等部で言うと2期生だった。担任外で同行したので、陣頭指揮をとったり、ミーティングをしたりというのを後ろから見ていた。自由が丘の修学旅行とはどういったものかを学ぶ初めての機会でもあった。

その翌年、初めて担任としての修学旅行。当時の流れでは生徒たちと行き先を決めていたので、その年は関西になった。今でもあのクラスは沖縄・与論島ではなく、関西で正解だったねと笑い話になる。どこか地味な3期生。若さはち切れない3期生。全員で八ッ橋作り体験をしたのを思い出す。作務衣みたいな作業着に白い作業帽子。お互いにその姿を見て笑い合っていた。清水寺に行っておみくじをひいたら凶が出たから引き直した。いろいろなお寺を見て回った。奈良では鹿の大群に囲まれて服を噛まれて大笑いした。

そんな愉快なメンバーが自主研修の時には無事で帰ってくるか心配で心配でいてもたってもいられなかった。行き先はわかってはいるけど、なにかあったらどうしよう。変な人たちに絡まれないだろうか。道に迷ったらどうしよう…。今思えば「そんなこと」で済ませられることが、当時の私にとっては「大事(おおごと)」だった。「そんなに心配しなくても大丈夫」と何度も何度も現副校長になだめられたのを覚えている。そしてそんな心配をよそに、無事に帰還し武勇伝を聞かせてくれる彼らの姿を逞しく思ったのをはっきりと覚えている。かわいい子には旅をさせろというのはこういうことか…。

初めての担任として多くを教えられたクラスだった。そんな彼らももう20代半ばになろうとしている。社会に飛び出してがんばっている子も、紆余曲折して踏ん張ろうとしている子も、パパやママになって子どもを連れて遊びに来てくれる子もいる。担任として引率した初めての修学旅行。彼らの心にはどんな風に残っているだろうか。

修学旅行。高校生活において一番・二番を争うくらいのビックイベントである。それを一歩後ろから見守る副担任であることを嬉しくも思うし、ちょっと少し寂しくも思う。そしてちょっと寂しいから、ここぞとばかりにあらゆる所で生徒と戯れようと目論んでいる「副担任」の私である。

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何気ない話から

                                                                                                               学園長 杉野建史

 「Nはどうして不登校になったの?」。高校3年生の生徒との何気ない会話の中、私から自然に出た質問だった。

放課後、担任との面談を笑顔で待っているNに声をかけたことから先のような話になった。生徒が自分の不登校の原因を話したがらない場合、無理に聞くことはしない。学校生活の中で元気になり本人が話すことができるようになった時に話す。

Nは進学を希望していて昨年秋から急成長している。授業をはじめとして、本校スクーリング、行事などに積極的に取り組み、アルバイトをしながらも学校生活をおろそかにすることなく自分の生活を律している。現在の元気な姿を見て「なぜこの子が不登校に…」とふと思い聞いてみた。

原因は「いじめ」だった。男子からのいじめにはじまり、集団から無視されたとのことだ。Nは笑顔で話してくれた。思い出すのが辛いのならば話さなくて良いと伝えたが、屈託のない笑顔で話を続けてくれた。「当時は辛かった。大勢の人から無視された。でも、今はいじめられて良かったと思う。いじめられて不登校になったから、この学校を知ることができたし、入学することができた。」終始笑顔で時には大きな声で笑いながら話してくれたNを見て、私は胸がいっぱいになった。何とも言い難い感情で胸が詰まった。「いじめられて良かった。」と言える心の寛容さ(今の自分に対する肯定感からなのか…)にわたしは胸が熱くなった。なぜこの様に思えたのか。なぜ笑顔で話せるようになったのか。いろいろな思いが頭の中を巡った。私たちの学校が誰かの救いに役に立っていると思えた瞬間でもあった。

Nは進学を考える中で、「人間関係が少し心配です。また同じようなことが起こらないかと…」とも言っていた。苦しい記憶が全て無くなったわけではない。心の奥底にその苦い記憶の欠片を抱きながらも、これからもNの輝く笑顔で生きていってほしい。いつまでも私たちはあなたの一番のサポーターである。

人間がいる限り「いじめ」は無くならないかもしれない。しかし、撲滅したい人間の悪の行為のひとつである。「いじめ」を回避することで新たな人生を送ることは、「逃げ」ではなく積極的な「選択」に他ならない。

Nがこれからも積極的な選択をしながら生きていってくれたらと思った一時だった。

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私の節目

亀貝一義

前回のエッセイで安齊さんが「節目」をテーマとして書いている。安齊さんに続いて「私の節目」を記してみたい。 私は大学を終えてからすぐ(1960年)札幌市内の私立高校の教員になった。それから30年経った1990年にこの高校を退職し、今の札幌自由が丘学園に通じる仕事を始めた。教員生活の一つの重要な節目だったと振り返ることができる。今日にいたるまで50年余の教育にかかわる仕事をしていることになる。早いもの、長い時間だったという感じがひとしおである。

この「退職」は、それまでの教育に関する仕事というか自分の役割の今一歩の挑戦を心がけることだった。「今ある学校とは違う学校をつくりたい」という気持ちが80年代最後の4年間にどんどん大きくなってきた。幻想に終わったが一定のサポーターたる人も出てきた。そういうこともあってそれまでの高校をやめて今につながる仕事を始めた。

不登校の子どもたちとの関わりが、高校退職後ただちに求められた。「新しい学校をつくるなどといったユメみたいなことを言って…」とあきれられたり、笑われたりしたのだが、ひとたび始めたらアトには引けない状況になった。フリースクールのスタートから15年目の2009年の三和高校のスタートと、節目をつくり出すことができてきた。

節目というのは、「後退」の節目もあるが、「前進」の節目の方がうれしい(当たり前!)。次のわが人生の「節目」は何だろう。それをボチボチ考えながら当面は来年の「フリースクール札幌自由が丘学園」開校20周年と「札幌自由が丘学園三和高等学校」開校5周年をどう学園の総合的な発展の節目にするか、が最大のテーマである。

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節目

安齊裕香

最近の話題はロンドンオリンピックでしょう。 私は水泳の競技生活が長かったので、今回も水泳はかなり注目して観ていた。おかげで最近寝不足。決勝種目がだいたい朝4時頃に始まるので、うまくいけばそれに合わせて起床。 水泳は過去最高のメダル数。それでもヘッドコーチ退任。任期満了とは報道されたが。北島を育ててきた人なのに・・・と思いながらも、オリンピックが1つの節目なのかと思い複雑な心境。

全体では金メダルは少ないが、史上初となる競技でメダルを獲り、入賞し、ということが今大会は多いから今回で引退する選手が多いのか・・・なんて勝手に思っている。
スポーツ選手が最大の目標にする最高の舞台のオリンピック。そこで金メダルを獲れたら一つの節目だろうな~なんて想像する。過去2連覇の北島はすごいモチベーションでやってきたんだろうなぁ~と考えると鳥肌が立つ。
水泳もそうだが、陸上など、スプリント的なスポーツはある程度の年齢になると引退。女子は特に引退の年齢は早い。どれも難しいけど、やっぱりピークを知っているから、ピークと比較できる年齢になるから引退するのかな。マイケルフェルプス(米国)もそう。金メダル18個も獲って引退。ピークの体力や、速くなる、上手になるのを実感できるのってオリンピック選手となればほとんどのスポーツは20代。オリンピック出場選手はだいたい25歳前後が平均。テクニックやメンタル重視の種目は年齢を重ねて強くなる。でも、環境含め、それらが上手く合わさった時に全てが発揮できるんだろうなぁと思う。

・・・なんて、今回のオリンピックはそんなことを考えながら観ている。オリンピックが将来の夢だって書いていた私の小学校の卒業文集。懐かしい。競技生活を辞めた時期が転機であり、節目でもあったな。人生が大きく変わり始めたのは水泳を辞めてから。

辞めることだけが節目ではないけど、仕事の節目、スポーツの節目、人生の節目など、みんな必死に考えて決断するのだ。

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全国大会を終えて

高村さとみ 

 先日、約1年にわたって準備をしてきた「登校拒否・不登校を考える夏の全国大会2012 in北海道」「全国子ども交流合宿2012 in北海道」が無事終了した。当初は赤字も覚悟したこの大会だが、7月から参加申込者が急激に増え当日は何と350名もの参加があった。  間違いなく「やってよかった!」と思えるのだが、具体的に何がよかったかというといろんな視点がありすぎて自分の中でも整理がつかない。

 例えば、札幌自由が丘学園生徒の視点から。
 フリースクールの生徒は当日多くのお客さんの前でバンド演奏を披露した。今年度初めてのステージである。昨年度場数を踏んだだけあって、技術的にもとても上手になっていたし、このように自分たちの練習を披露する機会は一人一人の自信につながる。また、全国の人たちといじめや不登校について考える時間も持つことができた。様々な考え方をもった同年代の人達と出会うことはとても刺激になっただろう。

 例えば、フリースクールや不登校の親の会の視点から。
 この全国大会を機にフリースクールや不登校についてメディアにでる機会が増えた。学校へ行くことが当たり前とされる世の中で、不登校の当事者や保護者がいかにつらい思いをしているかは常に発信しつづけていかなければならない。また、今現在つらい思いをしている方たちにフリースクールのような支援機関の情報を届けるためにも、メディアでの発信は不可欠である。このような発信の場をつくる機会として全国大会は非常に有効であった。

 例えば、現地実行委員会の視点から。
 この全国大会を準備するために、北海道内のフリースクールスタッフや不登校の親の会メンバー、学生などで北海道現地実行委員会を組織した。後半は週に一度打ち合わせの場をもち、広報・協賛金集め・当日の仕事分担などを行ってきた。同じ目標に向かって多くの時間を共有するので、自然と仲は深まる。私自身もこの大会を準備するまでは知り合うことのなかった方々とつながることができた。このようなつながりは、きっと本番の全国大会が終わった後も引き継いでいけるものだと思う。

 …というように、やはり書ききれない。もちろん反省点もあるのだが、そこを差し引いてもやはり「やってよかった」のだと思う。私が印象的だったのは、私が引率した子どもプログラムに参加した親子に「2日間本当に楽しく過ごせました!ありがとう!」と言ってもらったこと。非常に主観的ではあるが、これだけで準備に追われていた疲れなどふっとんでしまうのだ。
 この大会をこのまま終わらせてしまうのはもったいない。大切なのは、この大会をステップにしてこれからどう動くか。残りの夏休みはそんなことを考えながら過ごすことになりそうだ。

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「登校拒否・不登校を考える夏の全国大会in北海道」終わる

                                                                                                                          亀貝 一義

28日と29日の両日、「世話人会」を含めると2泊3日の全国大会が終わった。これは1990年から数えて第23回目で、もちろん北海道では初めてだった。

全体の参加は350人というのが公表された数字だったが、当日参加も入れると400人近い参加だったと言える。一番南は宮崎県から、そして四国や中国地方からも参加者がいた。
この多くが父母だった。北海道からも100名以上が参加した。特に札幌自由が丘学園からは現父母やOB父母、そして卒業生や生徒たちもこの集会成功のために頑張った。
単にフリースクールだけでなく三和高校も職員は全員参加した。

札幌市上田市長も来賓として挨拶された。このように市長がこの大会にメッセージを寄せたのも初めてだった。

登校拒否・不登校をマイナスイメージで考えるのではなく、「不登校の権利」の確認という側面で考えるべきという決議も採択された。今、子どもが学校でいじめを受け自殺まで余儀なくされていることの背景に「何が何でも登校しなければ…」という意識がある。「学校にいくことが命がけ」という悲劇は1986年の鹿川君事件から変わっていない。

もっと楽しく過ごすことができる学校のあり方を、「多様性」をキーワードとして展開していくことが必要になっていくことをあらためて心に刻んだ。

来年は関西で開かれる。関西で再会を、と確認しあって多くの人たちと別れた。

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