教育機会確保法が成立しました

                           亀貝 一義

一般にいう「教育機会確保法」が昨日参議院で可決され、成立しました。二月間の期間を経て施行されます。
この法律は、おおよそ次の内容をもっています。

① 教育基本法と児童の権利条約の趣旨にのっとり... 。教育機会確保の施策を総合的に推進することを目的とする(1条)。
② 基本理念として、すべての児童生徒のために、学校環境の確保、不登校児童生徒の状況に応じた必要な支援、学校環境の整備、普通教育を十分に受けていない者の意思を十分に尊重し国籍等の事情にかかわりなく能力に応じて、そして国と自治体はこの種の活動を行う民間の団体その他関係者の相互の密接な連携の下に行われること、をあげる(3条)。
③ 国と自治体は教育機会確保のために協力しつつ当該地域に応じた施策を策定し実施する責務を負う(5条)。また、国と自治体はこの施策を実施するため必要な財政上の措置その他の措置を講ずるように努めると(6条)。

④ 文科大臣は教育機会確保の関する施策を総合的に推進するための「基本指針」を定めなければならない。(その4つの事項)。これを行う時に、あらかじめ自治体やこの活動を行う民間の団体その他関係者の意見を反映させるために必要な措置を講ずる(7条)。
⑤ 国と自治体は不登校児童生徒の教育機会確保のために学校への取り組み、関係者間での情報を共有しなければならない(9条)。
⑥ 国と自治体は、不登校の児童生徒のために特別に編成された教育課程に基づく教育を行う学校の整備とその教育充実のために必要な措置を講ずるように努める(10条)。
⑦ 国と自治体は、学校以外の場において行う多様で適切な学習活動の重要性を考慮し、不登校の子どもの休養の必要性を踏まえ、状況に応じた学習活動が行われるように、子どもや保護者に対して必要な支援を講ずる(13条)。(夜間中学校については略)
⑧ 政府は、教育機会確保等のために必要な経済的支援のあり方について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずる。
⑨ この法律施行後3年以内に、この法律施行の状況について検討を加え、必要な措置を講ずる(附則)。

国と地方公共団体は、不登校の子どもの教育機会を確保するためにフリースクールなどと協議して具体的な施策を進めなければならない、とあります。

問題はこれからです。道や市がこの法律の趣旨にもとづいて、不登校の子どもの気持ちや感情を重んじながら、必要な支援のあり方を、フリースクールなどと協議して、どう進めるように仕向けるか。まず、自治体の受けとめる担当窓口がどうなるか、誠実に対応できる担当者であるか、などを注目していかなければならないと思います。

衆議院の採決にあたって、付帯決議が満場一致行われています。この決議はこの施策と理念をより的確にしめしていることを重視したい。法律施行の基本のよりどころになる理念です。

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給食のヒミツ

高村さとみ

 給食のヒミツ。フリースクールは正式な学校ではないので、通常は給食がありません。ありませんが、札幌自由が丘学園では今年度からお隣の「ひかり亭」に力を貸していただき、週に1回の給食を始めました。
始まった当初の給食の時間は大混乱!登校している人数が日によってバラバラなこと、米を炊く・食器を洗う作業があることなどが理由でした。今でこそ配膳から片づけまでの手順が決まってきましたが、まだまだ学校の給食ほど効率的ではないだろうなぁと思います。でも、この非効率さが良いのです。非効率的な分、子どもたちは考えます。

「まず始めに人数を数えよう」
「給食係以外の人で机を元に戻して」
「給食係は給食がのっていた大きな皿を洗うから、流しは1つ開けておいて」
「このおかず、あとちょっとだから誰か食べちゃって」

 こうして誰かの呼びかけや話し合いにより、少しずつ手順が決まってきました。まだまだ改善の余地はあるでしょうが、それは子どもたちが工夫を考える余地があるということでもあります。
これと似ているのがルールづくりです。札幌自由が丘学園には細かな生活のルールがあります。携帯の使い方、荷物の置き方、授業の過ごし方等々。フリースクールのイメージとあまりそぐわないかもしれませんが、このルールは子どもたち自身が決めてきました。まずは年度初めに今年度の仮ルールとして昨年度のルールを提示する。それを見て、今年度変更したいところや追加したいところについて話し合います。年度途中でも、何か変更したいという意見があれば改めて話し合いの場を持ちます。
 給食とルールづくりに共通しているのは、自分たちでつくり、考えなければならないということです。これがもしも、大人が全てを用意し与えるだけになっていたら、子どもたちが一生懸命考えて話し合う様子は見られなかったでしょう。より良くするための工夫は生きる力でもあります。効率ばかり追い求めてはいけない、まわり道、アナログ、原始上等。なんだか、人の生き方にも通じそうな話ですね。

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ご先祖さまと白いメシ

札幌自由が丘学園三和高等学校校長 亀貝一義

かつてアレックス・ヘイリーという人が自分の先祖を探すという活動を行いました。ルーツ探しということで話題になりました。また彼はこの活動を「ルーツ」という本にまとめて(1976)かなり多くの人たちに読まれています。彼の先祖はアフリカで平和な暮らしをしていたのに、奴隷狩りに逢い、アメリカ大陸に若い奴隷として連れてこられました。

日本でも多くの人がこれを読んで自分の先祖に関心をもったことがあります。私もそのひとりでしたが、あまりヒマもカネもなかったので、ほとんど「先祖捜し」はしていません。しかし、わが遠い親戚の中で興味・関心のある人がいていろいろ調べてくれました。
先祖といっても、父の方をさぐるか、母の方に重点を置くかによって、全く異なった先祖が見つかります。私の場合には母方をメモしてみましょう。

母方の先祖(大瀬という氏)は新潟市の近くで暮らしていたのですが、明治29(1896)年からの水害(信濃川)のために、そこで農業をつづけることができなくなり、なけなしのカネを払って北海道にわたってきました。この時に必要とした金額は100円だったとのことです。今のカネになおすと300万円ぐらいになるといいます。
まずたどり着いたのは、今は札幌市北区の篠路でした。ここでやはり農業(藍をつくったりしたらしい)をやっていましたが、明治36(1903)年に和寒に移りました。今、和寒で農業を行っている主人の3代前です。明治32(1899)年に、鉄道(宗谷本線)が和寒まで通じたこともあって、遠国ではない感がしてきたのだと思います。ただそこですぐ米作りをしたのではないと思います。和寒でようやく米づくりに成功したのは明治40(1907)年だったとのこと。だからといってみんなが白いごはんを腹一杯食べることができたかと言えば全くそうではなかったと思います。私のおじいちゃんが昭和21年ごろだったと思いますが、「おまえたちが不自由なく白いメシを食べられたらいいのに」という意味のことを語っていたことをかすかに覚えています。だから「白いメシ」を腹一杯食べることができるようになったのはそんなに昔ではなかったのです。せいぜいこの70年前ころからだったと思います。

「先祖」がどういう歩みをして今の自分がここにいるのか、を知ることは人間の大きな活躍の足跡をたどることになりますし、たくさんの人たちとのつながりを確認することにもなります。
今、ここにいる皆さんがたも、父母や祖父母、さらにその前の先祖がどこから来てどういう苦労を経て今の自分に至っているのかを、ちょっとだけ興味をもって考えてみて欲しいな、と思いました。

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プロ野球のことなど ... ニッポンハムファイターズ優勝!!

亀 貝 一 義

子どもの頃、誰もがそうだったように巨人が好きだった。その後、長年プロ野球には興味がなくなったが、1980年代に急に阪神タイガースのファンになった。その理由は、昔のことを知っている人には通じるだろうが、江川問題だった。何度か阪神を応援するために円山球場に行った(当時はまだ札幌ドームはできていない)。
セントラルチームしか眼中になかった。しかし、北海道にニッポンハムファイターズがやってきた。北海道人としてこれを応援しないわけにはいかないという気持ちになった。

以前のファイターズの成績がどうだったか、詳しくは知らないが、北海道のチームになってからは何度かのパリーグ優勝と日本一の結果をもたらした。そして今年はご承知のとおりだ。

特に今年のファイターズの成績は面白い。ナマで試合を見ることはなかったが、一喜一憂の一年だったように思う。

今期の出だしはパッとしなかった。「よくこんな成績で『日本一が目標』だなんて言えるものだ」と内心嘆いていた。しかし9月、残り2ゲームになってついにパリーグ優勝を勝ち取った。しかもたった1点で。しかし大谷投手がこの1点を死守した。「1点あれば充分だ」と言ったとか?

優勝を決めたとき、監督も選手も口々に「必ず優勝をする気持ちをもっていた 」「決してあきらめない」という意味の言葉を言っていた。

だから私は今年のニッポンハムファイターズについては、いろいろな場面で応用できると思っている。つまり、「目標をしっかりもとう」と言うことが第一。ついで「決めた目標を決してあきらめない。最後まで実現のために頑張る」ということが第二。

このことはファイターズに限ったことではないが、今年は特に身近なテーマとして再確認することができたと言えるのではないだろうか。

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結婚ウラ話

高村さとみ 

 結婚しました。

 結婚って何なんでしょう。インターネットで調べてみると「夫婦となること。特に、男女の間で夫婦関係を生じさせる法律行為。」という定義が一番に出てきました。実は私は籍を入れない、いわゆる事実婚という状態なので、厳密にいえば結婚してないことになるのかもしれません。
 生徒たちに「結婚するよ」と伝えたときも、「いつ結婚するの?」と聞かれて困ってしまいました。結婚の日というのは(入れる予定はないけど)籍を入れる日なのか、一緒に住む日なのか、それとも結婚式を挙げる日なのか。なので聞かれても「いつ?うーん...結婚って何を以てして結婚だと思う?」という質問返しに。その後結婚祝賀会を行うことになったので、「結婚はわかんないけど、結婚祝賀会は○月△日だよ。」と答えるようになりました。
 2015年12月に最高裁判所で夫婦同姓は憲法に違反しない、夫婦別姓は認められないという判決が出されました。私はそれまで籍を入れる入れないについて特に考えを持っていませんでしたが、この判決には疑問があります。夫婦別姓が良いと考える人たちは「全員別姓にすべき」と言っているわけではなく、「同姓でも別姓でも望む方を選べるようにしよう」という主張です。一方、夫婦同姓が良いという人たちが「全員同姓にすべき」と言うのは、別姓にしたいというマイノリティを蔑ろにしていると思うのです。そんなわけで「同姓しか認めないというなら、あえて別姓でいきましょう」という心境のまま今に至ります。「今時でいいですね」と言われることもあれば、「書類上の姓が変わるだけで実生活には何も影響ない」と言われることもあります。さらに、結婚のことが周りに広まると「高村さんをこれからなんて呼べば...」とよく言われるようになり、改めて一般常識を覆す難しさを感じました。
 実は不登校も同じなのではないでしょうか。学校に行くことが一般常識で、不登校があるなんて思ってもいない。不登校の子どもが「今日学校は?」と声をかけられるのと、このシチュエーションは同じなんじゃないかと思います。相手に他意はなくともこちらには思うところがあるというか。他意がないからこそ強く主張しづらいというか。


 そんなわけで私の気のすむまでは別姓のままでしょう。夫婦同姓レジスタンス。マイノリティが認められるために、ささやかな抵抗を。

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「お盆」という伝統行事

「お盆」という伝統行事

亀 貝 一 義

昔からお盆行事がある。この基本になっているのはお寺参りとお墓参りだ。私のウチには墓はない。しかし半世紀以上つきあっているお寺がある。先祖伝来、わが家は「浄土真宗」の信徒。これもお西(おにし・西本願寺系)とお東(おひがし・東本願寺系)の二つがあるのだが、今のお寺(これをその昔「檀家寺」と言った)はお西みたいだ。こまかいことはどうでもいいと思っている。

今年も子どもや孫たちもいっしょにお寺参りをした。妻の方のお寺もあるから、このふたつに仁義をつくそうとするから大体一日かかる。それでも、お寺の仏壇をきれいにして花をかざり、心ばかりのお供えをして合掌するとなんとなく亡き先祖(さし当たりは私の父と母)に対してご無沙汰を謝り、これからも一家の無事を天から見守っていてくれるのではという気持ちになってほっとする。

お盆はそういういわば宗教的な意味をもつ行事の他に、日頃つきあう機会がない親戚と一年ぶりに会って、お互いの無事を祝いこれからの一年を約束する行事でもある。
このような機会をつくってくれたお盆という行事にささやかな感謝をする。また、一年ぶりに会った坊さんにお経をあげてもらうのだが、あいかわらずお経の意味が分からない。お寺としては一番忙しい時だから、短いお経だ。それでもお布施を5,000円包む。駐車場が満タン。

記念写真を撮って「じゃまた一年後」、といって別れる。そういう出会いと元気を確認しあうことのできるお盆が今年も終わった。一年後のこの機会にも誰ひとり欠けることのないことを心の中で祈りつつ。

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答えは風に舞ってる

高村さとみ

 ここ数年、学校の先生の実践発表を聞く機会が多く、フリースクールでもそれができないかと考えている。実際、授業を一つ取り上げての実践レポートは書いてみたことがある。授業のねらいと詳細、そしてそれに対する子どもたちの様子や変化。札幌自由が丘学園は五教科や体験的な活動を授業として行っているので、それに対する実践は書けはするのだ。
 しかし、フリースクールの実践といえば「なぜ学校に行けなかった(行かなかった)子がフリースクールで生き生きとしているのか」が肝になるだろう。事例はいくらでもある。いくらでもあるが、それを事例でしか紹介できないところが悩みどころなのである。一つの例を取り出すだけでは、「その子だから」で終わってしまう。「なぜ子どもたちが元気になるか」の共通項を見いだせなければ、誰も真似できない。何か良いことをしていたのだとしても、そのやり方は広まらない。外に証明できないのだ。
 なぜ実践として書けないかは何となくわかってはいる。フリースクールの性質自体が不登校の子どもに対応する、対処的なところなのだ。実践とするにはねらいが必要だ。子どもにこうあってほしい、が先にあって、そうなるために活動として何を仕掛けるか、という順序がある。しかし、子どもからスタートするのがフリースクールの特徴でもある。札幌自由が丘学園ではやっていないが、フリースクールの「ミーティング」がその例である。何かを提案・決定するときは全てミーティングで話し合う。大人と子どもはミーティングの場において平等である。むしろ札幌自由が丘学園のように教科学習など授業時間を確保している(そしてそれに必ずでるようにしている)ことは稀で、多くのフリースクールはそういった活動への参加も含めて子どもの自主性に任せている。実践・ねらいとなるとそこには大人側の意図が必要になるが、子どもの自主性を信じることが実践という形を取りにくくしているのではないか。これがフリースクールの活動を外部に知られにくく、評価されにくくしているのではないか。
 しかし、目の前で子どもたちを見ていると個々の事例では済まない変化や成長がある。フリースクールも子どもが集まって生活している以上、一緒の活動をしていなくたって互いに影響しあっている。集団としての成長を感じるのだ。それを何とか言葉にできないか。型にはまっていなくてもいい、フリースクールなりのやり方で子どもたちの成長を伝えられないか。そんなことを悶々と考えた1学期だった。夏休みに入り多少時間の余裕もできたので考えるのはこのあたりで終わりにして、次は書きながら言葉にする難しさに悶々としたいと思う。

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「なんとなく」と私

三和高校 渡辺莉卯

 まだ寒さが肌を掠るような日が続く5月中旬、私は長期のお休みを利用して函館に行ってきた。中学を卒業して以来の、実に7年ぶりの帰郷だ。


 学生の時は部活で忙しいなどと、なんだかんだ理由をつけて帰らなかった自分を「薄情だな。」と思いつつも、行きのバスの中では不思議と高揚感で溢れていたのを覚えている。

「海を見に行こう。」


 ふとそう思い立ったのが、札幌に帰る前日だった。とにかく函館の海の見えるところに行きたいと、なんとなく考えたのだ。

私はそういうところがたまにある。

そのなんとなくがいい方に転ぶ時もあれば、失敗して母に「だから言ったでしょ。」とお小言を食らうのも昔からよくあることだった。この時も、そのなんとなくが始まったのだ。

 さて、そのなんとなくから海を見に行って、そこで何か特別なことが起こったわけではない。その場所で運命の人に出会って、なんていうロマンティックな話もすがすがしいほどない。ただ函館朝市の前を通りながら、

「生魚の匂いって子供の時すごく苦手だったなぁ。」

などとどうでもいいことを延々と考えていたくらいだ。それは海を見ながらでも一緒で、

「あ、釣りをしてる兄ちゃんがいる。釣れてるのかなぁ。」

など、本当につまらないことを考えていたのを自覚している。
でも、そんなぼんやりとした時間が私は好きだなとも思った。

何かすごいことが起こったわけではないけれど、自分がその場所でなんとなく感じたことを思い返すことで、その場所を離れて時間が経ってもまたその場所に自分がいるような感覚になれる気がするのだ。

故郷を離れても、いつでも大好きな海の匂いを思い返せたらそれはそれで幸せだと思った。


「今回のなんとなくは、まぁいい方に転んだだろう。」と、いつもの如くまた根拠があるわけではないのだが、私はまた最後になんとなくそう感じた。

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卒業制作と3年生

田房絢子

久々に担任を持つことになってもう4ヶ月を過ぎようとしている。

1年生の後半を担任代行で持って以来の全日担任業である。

授業やら連絡事項やらなにやらで毎日が忙しく過ぎていく日々の中で、

ついにクラスに対して卒業制作について提案したのがつい先日のことだった。

この言葉をだしてしまうと、なんだか卒業に向けてリーチをかけたようで、

本当は出したくなかったのが本音。でも卒業は必然で、卒業制作もまた然り。

補習だのレポートだの残っていても、みんな卒業に向けてまっしぐらに進むに違いない。

卒業制作の話を出すと、みんな思い思いにアイディアを出してくれた。

1年生のころを想像するとちょっと信じられない。

卒業を意味のあるものとして残そうと必死に訴えてくれる生徒。

情熱を持っているわけではないけど、やると決まれば協力してくれる生徒。

きっと温度差はあるけど、この卒業制作は実を結ぶものと信じている。

この間終わった最後のスクーリングでは、ものすごく成長した姿を見せてくれた。

私がいなくちゃだめだったあの頃(大変な思い込みもありますが)から、

もう私がいなくても大丈夫といった力強い言葉。想像もしなかった今がある。

でもちょっとだけでもいいから、たまには必要としてくれたらなぁ。

卒業制作は私も一緒に作りたいよ-。だって担任を含めてのクラスでしょ?(泣)

なーんて、最近の3年生に一喜一憂している今日この頃の担任でした。

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札幌市に対して「フリースクールへの公的な援助」を求める陳情の活動

NPO法人フリースクール札幌自由が丘学園理事長 亀貝一義 

私は、フリースクールの取り組みをはじめて20数年間、一貫してフリースクールの父母負担を軽くするために公的な援助を求めてきました。最初は1990年代後半の北海道に対して、次いでこの数年間は札幌市に対して進めてきました。90年代後半の対道要求の運動は署名運動という形で進めました。結果は、道議会は「フリースクールへの支援を検討しましょう」というような反応でした。

札幌市に対する取り組みを粘り強く進めてきた結果、2013年度から「札幌市フリースクール等民間施設事業費補助」制度ができましたが、今のところ一つのフリースクールに対して年間200万円が上限です。これは札幌市役所職員の年間給与の半分にもならない額です。(ないよりいいか)。

こういう現状を踏まえて、今年は札幌市議会議長宛の「陳情書」という形でこの要求を行うことにしました。
この概要は次の通りです。
ただ、議会サイドで「陳情」の形式と内容について検討して加除修正等を示唆してくれるとのことなので正式文書は7月中旬になると思います。その時には父母の皆さんにも「賛同」していただきたく思います。

(1)札幌市が実施しているフリースクールへの補助制度の拡充
 18歳未満の子どもを含めてフリースクール利用対象者とすること、札幌市民の子どもが近隣市町村のフリースクールを利用していることや、逆に近隣市町村の子どもたちが札幌市内の フリースクールを利用している場合もあるといった現状を踏まえた対象地域の拡大、人件費と施設借上料を含めた補助額上限の大幅増、さらに補助金額の段階的設定の拡大(現行では、8名以下、9名以上、の2つの「段階補助額」になっていますが、これに加えて利用者15名以上の「段階」も設定するのが現実的ではないでしょうか)など。
(2)通常の学校に提供される教材・教具の提供及び市の管理・所有している施設利用の保障
 札幌市として、通常の学校に通う子どもたちに提供する教材・教具をフリースクールに 通う子どもたちのためにフリースクールへも提供することを要望します。
 また市が所管する施設などで、フリースクール等が求める所(例えば空き教室など)があれば、この活用について市が便宜を図ることなどの措置があってしかるべきではないか、と考えます。
(3)不登校の子どもをサポートするための「官民協力体制」の確立へ
 国会で「継続審議」になった「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律案」は、不登校の子どもたちへの支援・サポートを官民あげて進めようという趣旨です。この法律案(16.6.20 衆議院HP)の第3条は「教育機会の確保等に関する施策は、次に掲げる事項を基本理念として行われなければならない」と言っており、これを具体化する各項があるが、この第5号で次のように言っています。
「国、地方公共団体、教育機会の確保等に関する活動を行う民間の団体その他の関係者の相互の密接な連携の下におこなわれるようにすること」。
 以上の趣旨から、札幌市はフリースクールとの官民協力体制を確立するために私たちと協議する。

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