答えは風に舞ってる

高村さとみ

 ここ数年、学校の先生の実践発表を聞く機会が多く、フリースクールでもそれができないかと考えている。実際、授業を一つ取り上げての実践レポートは書いてみたことがある。授業のねらいと詳細、そしてそれに対する子どもたちの様子や変化。札幌自由が丘学園は五教科や体験的な活動を授業として行っているので、それに対する実践は書けはするのだ。
 しかし、フリースクールの実践といえば「なぜ学校に行けなかった(行かなかった)子がフリースクールで生き生きとしているのか」が肝になるだろう。事例はいくらでもある。いくらでもあるが、それを事例でしか紹介できないところが悩みどころなのである。一つの例を取り出すだけでは、「その子だから」で終わってしまう。「なぜ子どもたちが元気になるか」の共通項を見いだせなければ、誰も真似できない。何か良いことをしていたのだとしても、そのやり方は広まらない。外に証明できないのだ。
 なぜ実践として書けないかは何となくわかってはいる。フリースクールの性質自体が不登校の子どもに対応する、対処的なところなのだ。実践とするにはねらいが必要だ。子どもにこうあってほしい、が先にあって、そうなるために活動として何を仕掛けるか、という順序がある。しかし、子どもからスタートするのがフリースクールの特徴でもある。札幌自由が丘学園ではやっていないが、フリースクールの「ミーティング」がその例である。何かを提案・決定するときは全てミーティングで話し合う。大人と子どもはミーティングの場において平等である。むしろ札幌自由が丘学園のように教科学習など授業時間を確保している(そしてそれに必ずでるようにしている)ことは稀で、多くのフリースクールはそういった活動への参加も含めて子どもの自主性に任せている。実践・ねらいとなるとそこには大人側の意図が必要になるが、子どもの自主性を信じることが実践という形を取りにくくしているのではないか。これがフリースクールの活動を外部に知られにくく、評価されにくくしているのではないか。
 しかし、目の前で子どもたちを見ていると個々の事例では済まない変化や成長がある。フリースクールも子どもが集まって生活している以上、一緒の活動をしていなくたって互いに影響しあっている。集団としての成長を感じるのだ。それを何とか言葉にできないか。型にはまっていなくてもいい、フリースクールなりのやり方で子どもたちの成長を伝えられないか。そんなことを悶々と考えた1学期だった。夏休みに入り多少時間の余裕もできたので考えるのはこのあたりで終わりにして、次は書きながら言葉にする難しさに悶々としたいと思う。

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「なんとなく」と私

三和高校 渡辺莉卯

 まだ寒さが肌を掠るような日が続く5月中旬、私は長期のお休みを利用して函館に行ってきた。中学を卒業して以来の、実に7年ぶりの帰郷だ。


 学生の時は部活で忙しいなどと、なんだかんだ理由をつけて帰らなかった自分を「薄情だな。」と思いつつも、行きのバスの中では不思議と高揚感で溢れていたのを覚えている。

「海を見に行こう。」


 ふとそう思い立ったのが、札幌に帰る前日だった。とにかく函館の海の見えるところに行きたいと、なんとなく考えたのだ。

私はそういうところがたまにある。

そのなんとなくがいい方に転ぶ時もあれば、失敗して母に「だから言ったでしょ。」とお小言を食らうのも昔からよくあることだった。この時も、そのなんとなくが始まったのだ。

 さて、そのなんとなくから海を見に行って、そこで何か特別なことが起こったわけではない。その場所で運命の人に出会って、なんていうロマンティックな話もすがすがしいほどない。ただ函館朝市の前を通りながら、

「生魚の匂いって子供の時すごく苦手だったなぁ。」

などとどうでもいいことを延々と考えていたくらいだ。それは海を見ながらでも一緒で、

「あ、釣りをしてる兄ちゃんがいる。釣れてるのかなぁ。」

など、本当につまらないことを考えていたのを自覚している。
でも、そんなぼんやりとした時間が私は好きだなとも思った。

何かすごいことが起こったわけではないけれど、自分がその場所でなんとなく感じたことを思い返すことで、その場所を離れて時間が経ってもまたその場所に自分がいるような感覚になれる気がするのだ。

故郷を離れても、いつでも大好きな海の匂いを思い返せたらそれはそれで幸せだと思った。


「今回のなんとなくは、まぁいい方に転んだだろう。」と、いつもの如くまた根拠があるわけではないのだが、私はまた最後になんとなくそう感じた。

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卒業制作と3年生

田房絢子

久々に担任を持つことになってもう4ヶ月を過ぎようとしている。

1年生の後半を担任代行で持って以来の全日担任業である。

授業やら連絡事項やらなにやらで毎日が忙しく過ぎていく日々の中で、

ついにクラスに対して卒業制作について提案したのがつい先日のことだった。

この言葉をだしてしまうと、なんだか卒業に向けてリーチをかけたようで、

本当は出したくなかったのが本音。でも卒業は必然で、卒業制作もまた然り。

補習だのレポートだの残っていても、みんな卒業に向けてまっしぐらに進むに違いない。

卒業制作の話を出すと、みんな思い思いにアイディアを出してくれた。

1年生のころを想像するとちょっと信じられない。

卒業を意味のあるものとして残そうと必死に訴えてくれる生徒。

情熱を持っているわけではないけど、やると決まれば協力してくれる生徒。

きっと温度差はあるけど、この卒業制作は実を結ぶものと信じている。

この間終わった最後のスクーリングでは、ものすごく成長した姿を見せてくれた。

私がいなくちゃだめだったあの頃(大変な思い込みもありますが)から、

もう私がいなくても大丈夫といった力強い言葉。想像もしなかった今がある。

でもちょっとだけでもいいから、たまには必要としてくれたらなぁ。

卒業制作は私も一緒に作りたいよ-。だって担任を含めてのクラスでしょ?(泣)

なーんて、最近の3年生に一喜一憂している今日この頃の担任でした。

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札幌市に対して「フリースクールへの公的な援助」を求める陳情の活動

NPO法人フリースクール札幌自由が丘学園理事長 亀貝一義 

私は、フリースクールの取り組みをはじめて20数年間、一貫してフリースクールの父母負担を軽くするために公的な援助を求めてきました。最初は1990年代後半の北海道に対して、次いでこの数年間は札幌市に対して進めてきました。90年代後半の対道要求の運動は署名運動という形で進めました。結果は、道議会は「フリースクールへの支援を検討しましょう」というような反応でした。

札幌市に対する取り組みを粘り強く進めてきた結果、2013年度から「札幌市フリースクール等民間施設事業費補助」制度ができましたが、今のところ一つのフリースクールに対して年間200万円が上限です。これは札幌市役所職員の年間給与の半分にもならない額です。(ないよりいいか)。

こういう現状を踏まえて、今年は札幌市議会議長宛の「陳情書」という形でこの要求を行うことにしました。
この概要は次の通りです。
ただ、議会サイドで「陳情」の形式と内容について検討して加除修正等を示唆してくれるとのことなので正式文書は7月中旬になると思います。その時には父母の皆さんにも「賛同」していただきたく思います。

(1)札幌市が実施しているフリースクールへの補助制度の拡充
 18歳未満の子どもを含めてフリースクール利用対象者とすること、札幌市民の子どもが近隣市町村のフリースクールを利用していることや、逆に近隣市町村の子どもたちが札幌市内の フリースクールを利用している場合もあるといった現状を踏まえた対象地域の拡大、人件費と施設借上料を含めた補助額上限の大幅増、さらに補助金額の段階的設定の拡大(現行では、8名以下、9名以上、の2つの「段階補助額」になっていますが、これに加えて利用者15名以上の「段階」も設定するのが現実的ではないでしょうか)など。
(2)通常の学校に提供される教材・教具の提供及び市の管理・所有している施設利用の保障
 札幌市として、通常の学校に通う子どもたちに提供する教材・教具をフリースクールに 通う子どもたちのためにフリースクールへも提供することを要望します。
 また市が所管する施設などで、フリースクール等が求める所(例えば空き教室など)があれば、この活用について市が便宜を図ることなどの措置があってしかるべきではないか、と考えます。
(3)不登校の子どもをサポートするための「官民協力体制」の確立へ
 国会で「継続審議」になった「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律案」は、不登校の子どもたちへの支援・サポートを官民あげて進めようという趣旨です。この法律案(16.6.20 衆議院HP)の第3条は「教育機会の確保等に関する施策は、次に掲げる事項を基本理念として行われなければならない」と言っており、これを具体化する各項があるが、この第5号で次のように言っています。
「国、地方公共団体、教育機会の確保等に関する活動を行う民間の団体その他の関係者の相互の密接な連携の下におこなわれるようにすること」。
 以上の趣旨から、札幌市はフリースクールとの官民協力体制を確立するために私たちと協議する。

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3月31日の報道について(文科省の「点検」に関して)

札幌自由が丘学園三和高等学校 校長 亀貝一義

3月31日、朝日、毎日、道新などが、文科省が広域通信制高校を点検し不適切な事例を改善するように指導した、と報道した。ことの発端は三重県伊賀市のある通信制高校が国からの就学支援金を不正に受給したといういわば詐欺事件を受け、全国の広域通信制高校102校を対象に緊急調査をしたということだった。

この関連記事の中で、道新が「和寒の『三和』を指導」という見出しの小さな記事を載せていた。「就学支援金に関わらない不適切な例として、教育特区認定を受けた...札幌自由が丘学園三和高校が学則に、本来特区外では認められない添削や面接などの学習指導を行うと定めていたことから、和寒町から指導を受けた。同校は近く学則を修正する方針だ」というのがその内容である。

添削とは主としてレポート、面接とは主として授業のことだが、本校のような和寒町認可による特区立の高校では特区内でこれらを含めた教育活動を行うことになっている。だから本校は毎年和寒町でスクーリングを行い、これを必修としている。このスクーリングでは、和寒町と協議の上、さまざまな地域の活動に参加したり、多様な実習の活動を創り出してきた。まさに特区地域でしかできない学習活動を進めてきた。

学則を修正し、新年度は指摘されるような誤解がされないようにする。

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3/5三和高校全日コース卒業式・学校長式辞

Boys and girls, be ambitious like this old man (第7期(毎日通学コース)卒業式式辞)

2016.3.5 札幌自由が丘学園三和高等学校校長 亀貝 一義

「式辞」というよりも、北海道科の最後の授業のつもりでお話をしたいと思います。

皆さん、卒業おめでとう。

3年前、全日コースとして私たちが迎えた人たちは14名でした。今、第7期卒業生として送り出そうとしている皆さんは20名です。3年前の4月、札幌自由が丘学園三和高等学校の生徒数は98名でした。今、東京の生徒数も含めて140名を超えています。

私自身で言えば、3年間皆さんの授業の担当をしたことから、非常にいい生徒だったという思いがします。優しく思いやりの心をもった皆さんでした。笑顔のすてきな皆さんでした。よく勉強をした皆さんでした。よい心、よい顔、よい頭、3拍子そろった生徒の皆さんと別れることは私にとって、非常にさびしい気持ちを抑えることができません。しかし、4月から皆さんは人生の新しいステージで活躍します。まさにそれぞれの翼で羽ばたこうとしている皆さんに、私からささやかなメッセージを送りたいと思います。

メッセージの第一は、「希望」についてです。札幌自由が丘学園の教育目標の第一は、「ステップアップ・『今一歩の挑戦』」です。これは、皆さんは前を向いて常に希望と目標ともって前進してほしいという願いです。これに関連するお話をしたいと思います。

今から140年ほど前のことです。当時北海道を動かしていたのは薩摩出身の黒田清隆(大通り公園10丁目のある2つの銅像のひとつ)は、北海道開拓のためにアメリカからすぐれた人たちを迎えようとしました。そのうちの一人がウイリアム・スミス・クラークでした。当時アメリカの大学の学長だったクラーク先生は、1年間の休暇をとって札幌にやってきました。札幌農学校の教頭の立場でした。実際は校長だったようです。

「やってきた」といっても当時は船の旅行だったからアメリカから札幌まで1か月半以上かかりました。日本語を知らないクラーク先生は、それでも熱心な札幌農学校の学生たちと勉強しました。当時の学生たちも英語を理解することは容易ではなかったと思います。

それでも9か月たった1877年(明治10年)の4月に札幌を離れます。この9か月間にクラーク先生が学生たちに訴えたことは、フロンティアスピリッツとヒューマニズムだったと言われています。フロンティアスピリッツというのはいわばステップアップを不断にやり通そうということだったし、ヒューマニズムはまたジョインハンズ、人と人との結びつき、人間を大切にしようという札幌自由が丘学園の精神でもあります。

札幌を離れたときのクラーク先生は52歳でした。見送りに来た20名前後の学生たちに、今の北広島市で別れの言葉を贈ります。これが世に言う「Boys,be ambitious!」です。

しかしクラーク先生が呼びかけた言葉は、実はこれだけでなく「Boys,be ambitious like this old man」という言葉だったと言います。

これはわかりやすく私的に翻訳して言えば「若い諸君、皆さんはしっかり夢と希望をもって生きてほしい、この年をとった私でさえ夢と希望をもってアメリカからこの遠く離れた北海道にきたではないか。まして若い皆さんは」という意味だったと思います。

私が、20数年前ある私立高校を離れてこの札幌自由が丘学園の運動を始めたのはクラーク先生が北海道を離れた時の年齢と同じ52歳の年でした。

今一度、クラーク先生に代わって皆さんに言います。Boys and girls, be ambitious like this old man と。

言いたいこと、皆さんが理解できないはずがありません。私のような高齢の者が希望をもって頑張ってきたのだから若い皆さんもぜひ希望をもって進んでほしいということです。皆さんはいい心を持っている若者といいました。問題はこのスピリッツを貫こうという意志の力、意欲をどこまで堅持するかということです。

皆さんに訴えたいことの二つ目は、今年から18歳で選挙権が始まります。日本の未来を真剣に考えることのできる皆さんであってほしいということです。いくつかの物差しをもつことです。例えば、戦後70年間の日本を指し示してきた憲法をどう考えたらいいか、あるいは消費税が8%から10%になりそうです。これをどう評価したらいいか、など。自分と日本の未来を考えることのできる高校の卒業生であってください。

最後に、父母の皆さんに一言お話したいと思います。皆さんが愛してやまない息子や娘たちは本当に立派に育ちつつあります。そしてどの子どももみんな「高校を卒業することができたのはお父さんお母さんのおかげです」と父母への限りない感謝の気持ちをもっているのです。「自己文集」という卒業記念文集を作っていますが、これを読む機会がありました。「学校に行けないで悩んでいた自分を、また最初の高校をやめて札幌自由が丘学園三和高等学校に転校することを決めることになった自分を、ささえ励ましてくれました」と、父母への感謝の気持ちをみんなが持っていることを、私は知りました。

自分の苦しみや悩みを、これからに生かすことのできる立派な若者に育っています。

お父さんお母さん、家族の皆さん、子どもたちの卒業を祝い励ましてください。そしてまた「よく頑張ったね」と褒めてあげてください。

皆さん、私のお話は以上です。ぜひ自分一人の幸福だけでなく、世の中のためにもなる生き方を、希望をしっかりもって、高校卒業してからの新しい人生のステージで頑張ってください。卒業おめでとう。

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通信制高校、ピンキリがあるよ

札幌自由が丘学園三和高校 亀貝一義

ここ1週間ほどの間に、三重県に本部のあるWA学園高校という特区立(広域・通信制)高校のデタラメな教育内容と運営、そして生徒をエサにして修学支援金を得させて学校の収益にするというサギまがいのことが話題になり、「特区立の通信制高校などは要注意だ」といわんばかりのコメントがテレビの解説者などからなされている。

ニュースで知る範囲だからその問題点の具体的なかみはわからない部分もあるし、こういったいわば三面記事的なニュースについては十分に注意して認識しなければならないことは重々わかっているのだが、しかしだからこそ、私たちも言っておかなければならないのではと思っている。

いくつかの報道事項をいうと、たとえば日本映画を観て「国語」の授業に当て、洋画を見て「英語」の授業に当てる、つまりそれぞれの単位取得と認定するとか、USJに行って買い物をする際、おつり計算で「数学」の授業、夜景を鑑賞して「芸術」の授業、スクーリング行動中ドライブインで食事をして「家庭科」、等など。

それぞれの行為(教育活動)の中でなにがしかの生徒指導をともなわれていたのだろうが、どうも解せない。

全国40カ所以上のサポート校、1200人の生徒を擁する学校である。これを運営する会社は塾系の会社だという。教員免許状をもたない「教師」もサポート校などにはいたという。

この学校を認可した市の教育委員会は来年度新入生を入れることはダメ、また単位取得者も再履修が必要といっているようだ。

義家文科副大臣は「広域通信制高校の信頼性を失うことになる」と懸念を表明している。

私たちもまた広域・通信制高校を運営している。上に記したようなデタラメなことはあり得ないのだが、義家副大臣が心配するように「特区立学校など信頼できないのでは」という疑念が生まれることが心配である。「通信制高校、ピンからキリまで」と言いたい。

有名スポーツ選手が所属している通信制高校も本当に単位を取得できるような教育環境を保障しているのか、疑問を感じさせる学校もあるし、逆に生徒の実際に合わない授業をやっていて「高校教育を進めています」といいながら生徒の単位取得を困難にして中退に追い込んでいるような学校もあるかも知れない。

単に特区立とか通信制の学校に限らないテキトーな学校が(残念ながら)あることを、私たちは「他山の石」にしなければならない。

ピンキリのピンは1,キリは10を意味する。だから、ピンキリとは最低から最高までいろいろあるよ、という意味。ちなみに私たちの三和高校はキリに近い学校であると自負しているのだがどうだろうか。

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トレンディもいいけれど

フリースクールスタッフ 新藤理

 高村さんがお笑い芸人のことを少し前のスタッフエッセイに書いていたので、私も思い切って書いてみよう。
 初めに申しあげておくと、このエッセイは現在お笑い芸人として活動している弟についての文章です。恥も外聞も捨て、なんと今から職場のHPのコンテンツを利用して身内のコマーシャルを書きます。

 弟は東京で芸人をやっている。「ガリベンズ」というお笑いコンビだ。結成は2005年だというから、もう十年以上のキャリアである。ものまねバラエティ番組などを見ると、弟の相方である矢野さんがくりぃむしちゅーの上田さんの真似をしていることがあるので、もしかしたらご覧になった方もいるかもしれない。弟をテレビで見かけることはそうそうない。
 ......「2005年だという」などとずいぶん遠い他人のように書いてしまったが、正直なところ2005年の時点では本当に弟を遠い他人としか感じていなかった。東京の大学を卒業してすぐに芸人養成所に入った話、お笑いコンビ結成の話、どちらも一応知ってはいたが、弟から直接聞いたわけではない。母親からの電話で(しかもどちらも録音メッセージの中で)知ったことだ。「あのねえ、ミツルのことなんだけども、あの子お笑いの事務所に入ってねえ、ガリベンズっていうお笑いコンビ組んだから! お兄ちゃんからもなんか励ましたりとか、とにかく連絡してやって! あとたまには実家に帰ってきなさいよ! じゃあね!」
 お笑い芸人かー、あの弟が......と、携帯電話を片手に遠い目になった。記憶にある限り、昔から弟はクラスをギャグで沸かせるようなムードメーカーといったタイプではなかったはずだ(実際のところはよく知らないが)。お笑いを見るのが好きらしいということはうっすらと知っていたが、それこそ本当にうっすらとした認識である。まして自らステージに立って人を笑わせる仕事に就きたいという夢があるなど、微塵も想像しなかった。はっきり言ってそういう仕事ならまだ私のほうが近いタイプなのではないかとすら思う。お笑い芸人、ねえ。
 しかし、あくまで「遠い目」だけでおしまいである。励ましの連絡なんてことはしなかった。理由を聞かれても説明は難しい。とにかくそういう距離感だったのだ。だいいち、芸人の仕事なんていつまで続くかわからない話ではないか。「遠い目」に込められた形容しがたい気持ちは自分の中で放置したまま、私は始めて一年になる独り暮らしを謳歌していた。そういえば、そもそも弟の連絡先を私は知らなかったのだ。

 それでも、生徒と接していれば、「新藤さんってきょうだいいるのー?」と聞かれることはままある。
「いるよ。弟が一人」「えー、学生? 働いてるの?」「働いてるというか...東京でお笑い芸人やってる」「え!!?? 芸人さん!? マジで!? コンビ? ピン芸人?」
 生徒たちの反応はなかなか劇的だった。ガリベンズの名は瞬く間に(学園の中でだけ)有名になり、生徒たちは「動画見つけたよー」「弟さんのブログあったよ!」「コメントしたらお返事くれた!」などと逐一報告をくれた。意外だったのは「やっぱ兄弟だね、新藤さんに似てるわー」という声が多かったこと。それまで私は、やせ形でスポーツ好きの弟を自分に似ていると思ったことは一度としてなかった。しかし生徒たちは言う。「立ち方とかそっくりだよね」「あと腕ね! おんなじ!」...う、腕?
 不思議なもので、生徒たちにそう言われるとお笑い芸人の弟がいるというのはなんだかいいことのように思えてくる。みんなでガリベンズのネタ動画を見てみると、...たしかに似ていないこともない、ような気がしないでもない(話すときに首を前に出すところとか...)。何だかんだ言っても、「やっぱ兄弟」なのかなーという思いがほんのり胸をよぎる。そして驚くべきことに、爆笑を巻き起こすには至らないまでも、そのネタはちゃんと漫才になっていた。相方の矢野さんの力に助けられている面は多々あるが、何はともあれ弟がお笑いの舞台に上がっている光景は不思議とまぶしかった。

 生徒たちとガリベンズの話をすると、必ず最後には「会うことないの? 今度サインもらってきて~!」というリクエストが飛ぶ。まあ、遠くに住んでるからなかなかねえ...とごまかし続けていたが、それもだんだん申し訳なくなり、ある年ついに兄弟で日を合わせて帰省することとなった。ずっと生徒たちからサインをねだられてて...ということを口実に、かれこれ数年ぶりの再会を兄弟は果たした。家族に会うために一緒に来てもらった女性(いまの奥さん)も、「うん、腕の形だね。そっくりだわ」と感心していた。
 ひさびさの時間は、あっさりと、口数少なに過ぎていった。ガリベンズ新藤のサインは、なかなかこなれていた。

 それからさらに数年後。今でもそう頻繁に会うことはないが、時々あるガリベンズのテレビ出演情報は一応チェックするようになった。たいていは相方の矢野さんのピンでの出演だ。
 昨年末、はじめてガリベンズが所属する事務所のお笑いライブを観に行った。終わった後、弟と軽く食事をするつもりだったが、なぜか流れに乗って厚かましくも事務所の打ち上げに同席させてもらってしまった。
 まだまだ若い人、かつては歌手として活躍したけど今は笑いの道に進んだ人、中年まっただなかの年齢で頑張っている人。初めて会うお笑い芸人のみなさんは、それぞれに抱える屈託や不安をちらりと覗かせながら、それでもとても明るく気さくな方々だった。

 彼らは数ある職業の中から選択肢の一つとしてお笑いの道に進んだのだろうか。勝手な推測だが、きっとそうではないと思う。何かはわからないけど、「(たとえ生業としてはリスキーであっても)お笑いを、お笑いだけをどうしても選びたい」と願うだけの理由を持った人たちなのだと思う。そうでなくては、この仕事、あまりに割に合わないだろう。
 そんな道を選ぶセンスというのは、語弊を覚悟で言えばある種の生きづらさだ。どんなにお笑いブームだろうと、ほとんどの芸人が送るのは決して洗練されたトレンディな生活ではない。でも、私はそういう人たちに、なんだかたまらない愛着とまぶしさを覚える。ガリベンズに、そして芸人のみなさんに、さらなる希望と大きな笑いがもたらされますように。

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重い腰

桑名 八重

昨年9月に復帰しましたが、私事でお休みに入らせていただく前に書いた原稿をようやくブログにしてみます。                    今となってはちょっと前のではない話ですが、2014年の9月にSLに乗ってきました。

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秋の紅葉シーズンに2000年から土日祝日で運行されていた臨時列車ですが、2014年で運行がなくなるとのニュースを聞き(今後道内で走るSLは釧路号だけらしいです)乗っておかなくては!!
と、そのうちいつか乗りたいな~と思いつつ十数年、ようやく重い腰を上げました。

ニセコ号は札幌~蘭越(らんこし)間を走るのですが、札幌から倶知安(くっちゃん)までは指定席。しかも団体等によりまずはチケットが取れないのがいつものこと。
混んでてもいいからとにかく乗ろう!と普通乗車券で乗れる倶知安~蘭越間を往復することにしました。

当日の駅は家族連れでいっぱいでした。みんな考えることは同じなんだな~と思いながら、私も家族で往復約1時間ちょっとのSLの旅を楽しみました。
私にとっては初のSL。しかし同行した母や叔母は「昔は夜行もずっとこれだったよね~」「懐かしい~」と昔話に花が咲いてました・・・。

さて、今回ようやく乗車したSLですが、じつは以前住んでいた場所では年中週末にSLが走ってました。
週末の目ざましは汽笛・・・みたいな生活がしばらく続いたのですが、結局そこに住んでいる時は一度も乗らずに引っ越してしまいました。

何事もそうですが、日常に当たり前にあると人って「いつでもできるさ」「そのうちでいいよ」ってかなりのことを後回しにしています。
私も本当にそのタイプで、これまでも「後でいい」と後回しにしてきたことがたくさんあります。
けれど、今できることは今やっておかないと二度と機会がないこともたくさんあり、今になってどうしてやらなかったんだろう・・・って後悔がたまっています。

最近とくに「後で」「いつでも」って結局チャンスを逃すことだと感じることが多くなってきました。
だからこそ、思い立ったらできるだけ実行しようと思い、行動するようにしています。

あれやろう!これやろう!という気持ちも大事。「有言(思い?)実行」する実行力も必要だと思う。
ようやく乗車した念願のニセコ号で「重い腰」をもっと軽くしていきたいとつくづく考えたプチ旅行でした。

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お兄さん、トレンディだね

高村さとみ

 今、北海道新聞に「オトナ以上大人未満」という記事が連載されています。先日の記事はLINEの利用に関するもの。LINEのメッセージにすぐ反応しないと仲間外れにされそうで怖い、なので夜眠るまで携帯が手放せないといった高校生の話が載っていました。先生方がSNSトラブルの対応に追われている、というのもよく聞く話です。

 私はLINEが苦手です。

 自分に向けたメッセージが次々と届く、しかもすばやい反応を求められる、というところが苦手です。TwitterやFacebookは人の反応を求めない流しっぱなしのもの、メールは読んだことがわかる機能(既読通知機能)がないのでLINEほどに即時性を感じません。LINEで知らない間にメッセージが数十件たまっている...などとなると「うっ...」と引いてしまいます。そんなわけで最近はLINEを見ないように見ないように...と避けてしまいがちです。

 私はお笑いが好きです。

 えっ?さっきの話と全然関係ないじゃないかって?安心してください、つなげますよ。

 年末年始はほとんど家で過ごしていたのですが、本当にたくさんのお笑い番組がやっていました。おそらくここ数年の傾向だと思うのですが、たくさんの芸人さんが短い時間でどんどんネタを披露していく、という番組が多かったです。私はこのことに先ほどのLINEに近い「うっ...」とした感じを持ってしまうのです。

 このお笑い番組の形式はLINEでこちらが返事をする間もなくどんどんメッセージが届く様に似ていると感じます。おそらく、時間に対する情報量が私の許容を超えているのです。情報量/時間で算出した値が大きいイメージ。

 とはいえ家族もお笑いが好きなので、結局お笑い番組が居間ではかかっているのですが、笑って見ながらも何となく「情報化社会」「大量消費社会」という言葉が頭の片隅をちらついていました。あとはいわゆる一発屋といわれるような「最近全然見ないなぁ」という芸人さんを思い出したりすると、芸人さん自体を大量消費しているような妙な罪悪感も感じます。まぁ実際は芸人さんからしたら、テレビにでるチャンスが多くなってうれしいのかもしれないですけどね。

 時間に対する情報量の許容範囲、は人それぞれでしょうが、私はこのように「情報化」「大量消費」への慣れが中高生でよく言われるSNSトラブルにつながっているような気がしてなりません。相手に即時反応を求める・熟考させない、一面的な情報(文)だけで相手を判断する。これでトラブルが起きないわけありません。

 こうしたことを意識して、というわけではありませんが今の私の関心は「時間をゆっくり使うこと」にあるようです。野菜作りに燻製に着物、最近は手挽きミルでコーヒー豆を挽き、友人宅でコーヒー豆の焙煎も体験させてもらいました。時間や手間のかかることに魅かれるのは「情報化社会」「大量消費社会」への反抗ともいえるのかもしれません。

 2016年、本当の豊かさを追い求めて。というとかっこつけすぎですが、自分も相手も急かさず、忙しなくならぬよう、ゆるゆると過ごしていこうと思います。手間ひまが私のトレンディ。

 あけましておめでとうございます。

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