「なぜ勉強するの?」

高村さとみ

「なぜ勉強するの?」

子どもと関わる機会のある方だったら一度はこの質問を耳にしたことがあるのではないでしょうか。また、自身が子どものころはこう思っていた、という方もいるはずです。

私自身が中高生のころは、決して勉強は好きではありませんでしたが、「高校や大学へ行くためには仕方ないよね」といくらか割り切って勉強していたと記憶しています。そして大人になった今。フリースクールの子どもたちからこの質問があると「私は大人になってから勉強の楽しさがわかったけど、中学生のあなたが勉強をおもしろくないと思う気持ちもわかる。高校や専門学校、大学に進むときにある試験は、苦手なことにも一生懸命取り組む力を見ている、今はそう考えてみたらいいんじゃないかな。」と、こんなことを話していました。これまでは。

最近はこの質問について、子どもたちに何かを解答しようと思わなくていいのではないだろうか、ということを考えているので、今回はそのことについて書きたいと思います。

子どもと話しをしていると「なぜ勉強するの?」に類似した話がいくつかでてきます。

「仕事に使う勉強だけしていればいいんじゃない?」「この勉強は将来何の役に立つの?」「将来外国には行かないから英語は必要ない!」などなど。

子どもは本当に必要な勉強だけを望んでいるのでしょうか。必要な勉強とは何なのでしょうか。そもそも人は仕事をするために勉強をしているのでしょうか。

必要な勉強など誰にもわからない、必要だから勉強するのではない、というのが私の結論です。例えば誰もが日常で使う足し算・引き算。足し算・引き算は必要な勉強だ、ということに異議を唱える人はいないと思いますが、小学1年生の時点で「足し算・引き算は大人になっても必要なものだから勉強しなくちゃ」と思って勉強している人はいないでしょう。この勉強は必要だ、とは案外勉強し終わってから気づくものなのではないでしょうか。

また、「必要な勉強をすればいい」と言っている子も、好きなこと・得意なこと・興味があることは(「必要だ」という条件がなくたって)「楽しいから」という理由で勉強しています。質問をしてくる子どもだって本当に必要な勉強だけを望んでいるわけではないということです。

これらの話題のときに思い出す話があります。私が好きな漫画「高杉さん家のおべんとう」は、女の子を引き取ることになった社会学者がお弁当づくりを通してその女の子と心を通わせていく、というのが基本のストーリーなのですが、ある回にラオスへ二人で研究調査に行く話があるのです。その時ラオスの人の生活のことを「米作りが中心の村だけど、天気がヘソを曲げたらすぐに台無しになる。でもそんな時は水に浸かればそこで魚を捕る、水がなくなればそこで虫を捕る。自然の都合に合わせてできることをたくさん持っている」という言葉で表していました。また、「こういう暮らし方は大儲けはできなくても、何もなくなって破綻することはない」とも。

日本もすでに、いい高校に入ればいい大学に行ける、いい大学に入ればいい就職ができる、いい職に就けば一生安泰なんて時代ではなくなっています。だとすれば勉強は(例えば高校に行くため、のように)一つの目的に向かってするのではなく、何かがダメになったときに次の選択をするため、という幹から枝葉をたくさん伸ばしていくためのものであっていいのではないか。そんなことを考えるようになりました。

というわけで最初の話題に戻ると、「なぜ勉強するの?」に誰かが、私が、答えをだそうとなんてしてはいけません。一緒に考えるかあるいは「何でだろうねえ」とニヤニヤするのが正解です。

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「新しい年」と自分なりのこれから

亀貝 一義
1月よりも4月が「新年」に思える。
3月、これまで何年かつきあっていた人たちと「卒業」や「離任」「引っ越し」などで別離を余儀なくされる。そして4月、新しい出会いがたくさん生まれる。新らしい生徒たち、その他いろいろなところでの新しい出会いなど。3月の寂しさは忘れ、新しい出会いによって心が高まる。
(わが学園では今年は今のところ、スタッフの大きな入れ替えはない。)
年々子どもの数が減っていく。新入生も減ってくるかも知れない。しかし今のところわが学園は、中学生のフリースクールと、高校合わせて140人ちかい生徒を擁する。着実に「発展」形をたどっていると言える。フリースクールが20年、高校は5年の歩みを重ねている。
新しい年の始まりを確認することは同時に自分の未来が着実に減少していくことを確認することでもあろう。若干寂しさを感じさせる文になるのだが…。
今日の朝日新聞の「天声人語」は、アメリカの詩人ウルマンの「青春」を引用した思いを載せている。
「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる」と続く。
若さと元気は、手っ取り早くいえばまず「歩く」ことが土台、仕事などでの「目標」(上でいう理想)が灯火か、家族を含めてそしていろいろな人とのふれ合い、そういったもろもろが生きがいにつながっていくのだろう。
今日高齢者の割合がどんどん高くなっていくと報道されている。いわれなくとも分かっているが、じゃあどうするのか、自分なりに元気で、自分の役割を積極的にすすめることだろう、かと思ったりしている。
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机周り

桑名八重
以前、このエッセイで「断舎離」について書いた。
その続きを少し。
モノを「片付ける」っていうことが正直苦手でした。
なんで苦手なのか、よくわかっていなかったのですが最近、自分なりに分析してみた。
①貧乏症・・・いつか使うだろうってとりあえず取っておく(使うことはまずない)。
②ものを捨てることへの罪悪感
大きくこの2点だと思う。
ただ、いつまでもモノを貯めこむための膨大なスペースなんてあるわけもなく、なんとかしなきゃ!
という状況になり、思いっきりモノを処分すること半年。
この「片付かない」状況にも変化がおきた。
とにかく、不要なものを増やさない。
一つ買ったら、ひとつ処分。← かなり徹底してます。
悩んで処分できないモノは、目につくところに置いておく。← 周りが片付いていると、この処分できないモノが邪魔に感じてきて、最後に「もういいや!」となって片付きました。(自分の部屋は・・・)
これまでの人生「収集癖」には基本的に無縁だと思っていたのですが、
やはりいろんなモノ(大抵仕舞っているだけの)に囲まれていると実感しました。
本当に必要なものだけ所有する。
これが理想なんだけど、いかんせん、貧乏症はそう簡単には消えず色々なところで顔を出す。
こころ安らぐ雑貨に一目ぼれしてしまうし、頂き物は無下にできない。
必要なモノと不要なモノの線引きがまだまだ私には大変なのかもしれない。
以前にくらべモノとの付き合い方が変わってきたとはいえ、まだまだ道半ば。
今年度の目標は『職場の机周りの現状維持』。
レイアウト変更を機にかなり一生懸命片付けました!(片付いたかどうかは人によって判断が違うでしょうが・・・)
これを維持しつつ、もう少しモノを減らしていきたいと思う今日この頃です。
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バレンタイン

安齊 裕香
恋をしている子はドキドキなのかな・・・?
近頃のバレンタインは友チョコが流行り?本命とかはあまりない様子。うちの生徒もチョコやクッキー、ケーキまで手作りしてきてくれます。ありがたい。
私が初めてきちんとしたチョコを作ったのは小学校6年生で、友だちと作ってみた。結局自分たちで食べたけど・・・。その時まで作るなんて考えもしなくて、友だちが作るから一緒に作った感じ。知らなかったし、チョコを溶かすなんて。わからなくてなんとなくやってみようと思ったいつだかの時なんて、水を入れてみたし。全然固まらなかったし。
そんなこともあって、中学高校では買ったものを彼氏や親に渡すのが続く。作る気にもならなかったし、そんな時間があるならあそばなきゃ~と思っていた。だから手作りする人はスゴイな~って思っていた。
大人になって、料理をするようになって感じるのは、お菓子作りは難しい。おおざっぱな自分には買った方が平和に思える。
ここ何年かで節約しようと思ってクリスマスケーキを数回作ってみたけど、こんなもんか~くらいな感じ。旦那さんもホワイトデーかなんかにケーキを作ってくれたけど、そっちの方が美味しかった。それでもっと作る気は失せる。
バレンタインデーは、ここ何年かは生チョコを作って旦那さんに渡している。これだけは上手くできる。
手作りの愛情で美味しさは増すとは思うし、実際貰うと本当に美味しい。
でも思うのは、自分で食べるときはケーキやお菓子は買った方が美味しい。
だから私は・・・無理はしないようにしよッ。
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徒然なるまま・・・1月

桑名八重
2013年度の年末年始はとっても長かった・・・。世間的にも9連休。有休などを使えばもっと。
私たち札幌自由が丘学園の職員も9連休。
年明けの6日。お仕事はじめは辛かった。
休み癖ってすぐにつくんだなぁと再度実感した。
さて、「仕事はじめ」について親戚が集まった時話題になった。
60代の母や叔母がいうには、「仕事はじめ=振り袖」だそうだ。
30代の姉や私は「何それ?」。
叔母「私たちがOLやってたころは、年始は振り袖で出社して、お屠蘇と年始の挨拶まわりなの!」
姉・私「は~。経験ないわ、そんなの」
叔父「丸の内とかじゃ、まだそういうの見るけど?」
全員「え~!」
時代と世代の差を感じる会話だと思った。
とりあえず、私のこれまでの社会人経験のなかでは「仕事はじめ=仕事ONLY」
どちらがよいかは、判らないけれど日本の文化風習がまだまだ残されていたんだなと思う。
仕事はじめ=振り袖。おおらかでいいなと思う。
ところで、もう少しで成人式である。
日々のなかで着物を着ることは少ないが、私は一応着付けはできる。
しかし、私も姉も振り袖を着たことはない。
成人式にも参加していない(なんせ、二人とも受験直前だったから・・・)。
今になって思うと、せめて貸衣装で写真だけでも撮っとけばよかったなぁ。
あの頃はまったく重要に感じなかったけど、年を追うごとに季節の変わり目、節目の行事の大切さがわかってきた。
生徒たちに、「とにかく節目として何かやっときな」と伝えている。
今年のお正月の心残りがひとつ。
バタバタしてて、着物着てない!!
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「趣味はカメラと写真」

亀貝 一 義
「趣味はカメラと写真」などとかつて言っていた。
以前勤めていた高校では写真部の顧問などもしていて、部員の生徒たちと夏休みに撮影旅行に行ったりもしたことがある。生徒たちが高文連の写真展に入選していっしょに喜んだこともあった。
暗室の小さい赤色灯のもとで浮かび上がる映像に心を躍らせたりした記憶が今は遠い。最近はパソコン処理なのでそういう手工業の楽しさはないが…。
しかしここ数年、あまり「趣味は写真」などというような気持ちが後退していた。必要な時にカメラを手にする程度だったのだが、今年の秋に何度か「紅葉」を見る機会があった。
あらためて秋の、自然の美に触れ大いなる感動を味わった。この美をカメラで写し撮ろうと思ったのが「趣味はカメラと写真」の復活のきっかけだった。
紅葉は、一つひとつの場所、一本一本の木、空の色合い、周りの状況によって実に多彩で、多様で、感じる「温度差」もまた異なる。これらの気持ちも含めて一枚の写真に写し撮ることは多分不可能だろう。色が最も映えるのは秋ではないだろうか。
「錦(にしき)織なす長堤に 暮るればのぼるおぼろ月 げに一刻も千金の 眺めを何に喩うべき」
これは「花」・春の歌の一連であるが、紅葉の美を詠う歌詞にも当てはまるだろう。錦織なす山々、そして水に映るこの天然の錦織を写真に写し撮りたいというのが「趣味は…」のきっかけだったのだが、これからは冬、冬の空を飛ぶタンチョウの美しさもまた「眺めを何に喩うべき」の感嘆である。ただこれは紅葉の多様さ多彩さを写すよりも容易ではないか、と自分では思っているのだが。
年末、数年ぶりに鶴居村に行く。
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秋の味覚と先人の知恵

桑名 八重

また秋です。もうすぐ冬です。 雪かきのシーズンです。 なぜか私は「雪かきが好きな人」と学園内で思われているけれど、けして好きなわけではありません。 生活上必要不可欠なのだから、少しでも楽しみを見つけようと「冬の運動不足解消」としてせっせとやるだけなのです。

話を戻します。
雪かきの話がメインではないので・・・。

学生の頃は、あまり季節を気にかけてはいませんでした。
しかし、ここ数年は季節の移り変わりが楽しいと思うようになってきました。

秋はやっぱり味覚。
いろいろなイベントや旬のものに興味がわきます。

その中で、この2~3年、田舎の山の中で散歩がてらきのこを採ったり、山ブドウを採ったり・・・。
ちょっとした山の味覚を手に入れます。
以前はまったく見向きもしなかったのですが。

きのこはむかし祖父がしていたように、下処理をしてその日のご飯に。
祖父が亡くなり、たくさん山菜の塩漬けを送ってくれた伯父も亡くなりしばらくご無沙汰していた味でした。
冬に向けて保存食を蓄える。
昔の人の知恵が詰まっていたなぁとつくづく思います。

温暖化とか、環境汚染とか、開発とか。
私が子どもだったころと比べても随分風景が変わりました。
生活も変わりました。

けれど、生活の中で培われた知恵を少しでも引き継げたらいいなぁと思う今日この頃。
山の自然の恵みを頂きながら、北海道の自然の豊かさを改めて感じます。

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秋といえば・・・

高村さとみ

みなさん、秋といえば食欲の秋ですね。というわけで、今回は食に関する話です。が、食欲増進ではなく減退の話。ご注意ください。

打ち上げや親睦会に参加するとあまりごはんを食べないので驚かれることがあります。何かと話題にあがるので、なぜこのようになったかを自分でも考察してみたいと思い、このテーマでエッセイを書いてみることにしました。

まずは高村の食に関する特性について。

・好きな食べ物:漬物全般、とろろ昆布、あっさりしたもの、酸っぱいもの、味噌汁やスープ、野菜、きのこ、甘いもの

・嫌いな食べ物:ポテトサラダ、マカロニサラダ、スパゲティサラダ、脂っこいもの

・少食

・食べるのはゆっくり

・満腹の苦しさが嫌い、空腹は平気

・外食が苦手

こってりよりもあっさりが、主食・主菜よりも副菜や汁物が、肉・魚よりも野菜が好きです。こうしてよく考えてみると好きな食べ物はたくさんあるのですが、いざ人に「好きな食べ物は?」と聞かれるとなかなか答えられないのは、「好きな食べ物=食べたい食べ物」ではないからです。好きな食べ物は食べるとおいしいと感じるものですが、自分の中では「満腹の苦しさが嫌い」という思考の方が優位にあるので好きな食べ物と食べたいものはイコールではないのです。

上記のようにいろいろと書きましたが、自宅では割と普通に食事をしていたりします。むしろ食べ物を残すのは嫌なので、満腹感を感じたとしても一人前は食べ切ります。しかし人には食べないところを目撃されているのはひとえに「外食が苦手」という特性が理由でしょう。「外食が苦手」と書きましたが実は「人と一緒に食事をするのが苦手」なのです。この理由は子どものころの育ちに関係があると自分では思っています。食事に関する子どものころの思い出を振り返ると、一番に思い出すのが学校給食です。元々小柄だった私は今と変わらず少食・食べるのが遅い、加えて好き嫌いの多い子どもでした。そんな私にとって時間内に食べ終わらなければならない、残してはいけない給食はとても苦痛な時間だったのです。みんなが休み時間を過ごしている中一人で食べ続け、そんな私をかわいそうに思った友達が付き添ってくれる、そんな状況を子どもながらにとても恥ずかしく思っていました。(ひょっとしたらこの感覚をわかってくれる人は多いのでは?今同じ思いを抱えている子もいるかもしれません…)

現在好き嫌いはほとんどありませんが、少食と食べるのに時間がかかることは相変わらずです。なので、人と外食をする機会があると「自分がゆっくり食べることで相手に迷惑をかけていないだろうか」「もし残してしまったら相手はどう思うだろう」ということがとても気になり、一生懸命食べることが目的になってしまって味などどうでもよくなってしまうのです。

というわけで、もしも高村から食事に誘うようなことがあれば、それはよっぽどその人と仲良くなりたいか心を許しているかのどちらかです。温かく接してやってください。久しぶりに給食のことを思い出して気持ちがブルーになりましたが、こうしたちょっとしたマイノリティはそこかしこに隠れているものかもしれません。子どもは大人の思いもよらないところで繊細に傷ついているものです。私も子どもと関わる一人の大人として気を付けなければなりませんね。

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スタッフ西田の生態~その①~

安齊 裕香

「いつかこの題材を論文にしようと考えている」と本人に言ったのはここに入って1年くらい経った時だったと思う。なぜか。見ていると不思議なことがいっぱいで、観察するのに値する人だったから。見ているだけでもとても面白い人なのです。だから書いちゃいます。

西田さんと私が出会ったのは4年以上前。
西田さんは先に三和高校で働いていて、私は数カ月後に入社した。お互い違う人生を歩んできて、同い年の同期となった。小さな職場で同い年の同期ができるとは思わなかった。

まずは西田さんのポイント。

スタッフ西田は関西人だ。
4人家族の長男。2人兄弟で、家族全員が西田さんの顔をしている。(写真を見せてもらった)(※西田註:言い過ぎです。結構顔は違います)。お正月に西田一族が集合するらしいが、グランドピアノがあるお家を見ると素敵な人たちに囲まれてスクスク育ったのがわかる(※西田註:グランドピアノがあるお家は自分家ではなく親戚のお家です)
学校では関西弁が響き渡っている。それがとっつきやすい。よく生徒が関西弁を真似し、イントネーションの違いを私と争っている。

スタッフ西田さんは薄い。
何が薄いか。カラダが薄い。体重が増えないらしい。みんなから体重を増やすように言われている。体質改善をしていると言い張るが、運動はよくしているのはまずよし。問題は食べ物だ。食生活の見直しが必要。スイッチが入ればお昼はお弁当を作って来る。ほとんど、チャーハンかケチャップライス(オムライスではない)(※西田註:「俺のオムライス卵抜き」です。ケチャップライスではありません)、カレーのどれか。ときどきからあげが入っている。夜はせいきょうで買うか、給料日は一人でご飯を食べに行く(※西田註:スイッチが入れば夜も作ることがあります。あとここ最近は給料日に食べに行くのは行ってません。)。でも好き嫌いが多いし、野菜をあまり食べないので将来奥さんになる人は大変だろう。

と、一つ一つ取っていっても興味深い所がたくさんあるわけで、この一回では書ききれない。これを書くにあたり、西田さんはおもしろがっているし、決して嫌がっていない。とうとう論文としてまとめ始めたら楽しみにしてくれている。だから続編をまた書こう。

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僚友鶴丈治さんの急逝にあたって

札幌自由が丘学園三和高校校長 亀貝 一義

非常勤講師の鶴丈治先生が、先日(9月23日)文字どおり急逝された。翌日の朝、同じ講師である梅田木さんからの電話「鶴さんが死んだ」と。梅田さんの口調から「これは冗談ではないぞ」と感じ取ったのだが、驚きというか落胆というか、形容のしようがない。すぐ杉野さんとともに鶴さん宅を訪問した。

鶴さんの奥さんも10数年前に亡くなっている。お二人の子どもさんはもちろん立派な社会人でそれぞれ札幌から離れた地で活躍されていることは鶴さんから聞いていた。しかしお二人とも在宅で涙ながらに事情を説明してくれた。しかし、なにぶん「急逝」であったため、知人宅で倒れ救急車で市立病院に運ばれたがすでに手遅れ、という程度のことしか分からない。

そして昨日25日のお通夜(鶴さんはキリスト教徒なので「前夜式」というのが正式な言い方)に続いて今日の告別式だった。

本校からも全員の職員が前夜式か告別式に参列し、鶴さんを偲び、別れの見送りをした。生徒たちも多くが参列したし、卒業生もまた参列していた。
私も在りし日の彼、そして鶴さんとのさまざまなふれ合いの数々を思い出して涙を禁じ得なかった。

現役の教師(スタッフ)とこのような形で別れ、野辺の送りをしたのは柴田宏樹さんに続いて二人目である。(柴田さんは札幌自由が丘学園創立者のお一人。2002年12月26日に逝去された)。

私が札幌自由が丘学園の高校スタッフとしてぜひ参画して欲しいと希望して彼に会ったのは2007年2月だった。この年の4月、札幌自由が丘学園高等部(当時まだ「高等学校」ではなかった)の第6期入学式が行われ、鶴丈治教諭が初めて本校に登場することになる。

もっとも私は彼が北星大附属高校(かつてこの高校は「北星男子高校」「北星新札幌高校」と言っていた)のほとんど開校当時からのつきあいだった。そして日本古代史学のいわば「亜流」であったがきわめてユニークな学説を称えていた古田武彦さんのグループでもいっしょだったから、札幌自由が丘学園開校よりも古いつきあいになる。

鶴さんが本校のスタッフになって「これで札幌自由が丘学園にツルカメがそろったね」などと笑い合ったことも今では懐かしい。
国語の教師であるが、実に博学だった。旅行もよくしていたから世界の事情、あちこちの港町のことも詳しく教えてもらったことがある。                

人生いろいろ。出会いもあるが、最近ではむしろ悲しい別れの方が多いのでは、という気持ちがする。与えられた命を大切にしながら、札幌自由が丘学園への夢を持ち続けて頑張らねば、という気持ちを強く持った今日の「鶴丈治兄の葬儀」だった。(2013.9.26)。

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