バレンタイン

安齊 裕香
恋をしている子はドキドキなのかな・・・?
近頃のバレンタインは友チョコが流行り?本命とかはあまりない様子。うちの生徒もチョコやクッキー、ケーキまで手作りしてきてくれます。ありがたい。
私が初めてきちんとしたチョコを作ったのは小学校6年生で、友だちと作ってみた。結局自分たちで食べたけど・・・。その時まで作るなんて考えもしなくて、友だちが作るから一緒に作った感じ。知らなかったし、チョコを溶かすなんて。わからなくてなんとなくやってみようと思ったいつだかの時なんて、水を入れてみたし。全然固まらなかったし。
そんなこともあって、中学高校では買ったものを彼氏や親に渡すのが続く。作る気にもならなかったし、そんな時間があるならあそばなきゃ~と思っていた。だから手作りする人はスゴイな~って思っていた。
大人になって、料理をするようになって感じるのは、お菓子作りは難しい。おおざっぱな自分には買った方が平和に思える。
ここ何年かで節約しようと思ってクリスマスケーキを数回作ってみたけど、こんなもんか~くらいな感じ。旦那さんもホワイトデーかなんかにケーキを作ってくれたけど、そっちの方が美味しかった。それでもっと作る気は失せる。
バレンタインデーは、ここ何年かは生チョコを作って旦那さんに渡している。これだけは上手くできる。
手作りの愛情で美味しさは増すとは思うし、実際貰うと本当に美味しい。
でも思うのは、自分で食べるときはケーキやお菓子は買った方が美味しい。
だから私は・・・無理はしないようにしよッ。
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徒然なるまま・・・1月

桑名八重
2013年度の年末年始はとっても長かった・・・。世間的にも9連休。有休などを使えばもっと。
私たち札幌自由が丘学園の職員も9連休。
年明けの6日。お仕事はじめは辛かった。
休み癖ってすぐにつくんだなぁと再度実感した。
さて、「仕事はじめ」について親戚が集まった時話題になった。
60代の母や叔母がいうには、「仕事はじめ=振り袖」だそうだ。
30代の姉や私は「何それ?」。
叔母「私たちがOLやってたころは、年始は振り袖で出社して、お屠蘇と年始の挨拶まわりなの!」
姉・私「は~。経験ないわ、そんなの」
叔父「丸の内とかじゃ、まだそういうの見るけど?」
全員「え~!」
時代と世代の差を感じる会話だと思った。
とりあえず、私のこれまでの社会人経験のなかでは「仕事はじめ=仕事ONLY」
どちらがよいかは、判らないけれど日本の文化風習がまだまだ残されていたんだなと思う。
仕事はじめ=振り袖。おおらかでいいなと思う。
ところで、もう少しで成人式である。
日々のなかで着物を着ることは少ないが、私は一応着付けはできる。
しかし、私も姉も振り袖を着たことはない。
成人式にも参加していない(なんせ、二人とも受験直前だったから・・・)。
今になって思うと、せめて貸衣装で写真だけでも撮っとけばよかったなぁ。
あの頃はまったく重要に感じなかったけど、年を追うごとに季節の変わり目、節目の行事の大切さがわかってきた。
生徒たちに、「とにかく節目として何かやっときな」と伝えている。
今年のお正月の心残りがひとつ。
バタバタしてて、着物着てない!!
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「趣味はカメラと写真」

亀貝 一 義
「趣味はカメラと写真」などとかつて言っていた。
以前勤めていた高校では写真部の顧問などもしていて、部員の生徒たちと夏休みに撮影旅行に行ったりもしたことがある。生徒たちが高文連の写真展に入選していっしょに喜んだこともあった。
暗室の小さい赤色灯のもとで浮かび上がる映像に心を躍らせたりした記憶が今は遠い。最近はパソコン処理なのでそういう手工業の楽しさはないが…。
しかしここ数年、あまり「趣味は写真」などというような気持ちが後退していた。必要な時にカメラを手にする程度だったのだが、今年の秋に何度か「紅葉」を見る機会があった。
あらためて秋の、自然の美に触れ大いなる感動を味わった。この美をカメラで写し撮ろうと思ったのが「趣味はカメラと写真」の復活のきっかけだった。
紅葉は、一つひとつの場所、一本一本の木、空の色合い、周りの状況によって実に多彩で、多様で、感じる「温度差」もまた異なる。これらの気持ちも含めて一枚の写真に写し撮ることは多分不可能だろう。色が最も映えるのは秋ではないだろうか。
「錦(にしき)織なす長堤に 暮るればのぼるおぼろ月 げに一刻も千金の 眺めを何に喩うべき」
これは「花」・春の歌の一連であるが、紅葉の美を詠う歌詞にも当てはまるだろう。錦織なす山々、そして水に映るこの天然の錦織を写真に写し撮りたいというのが「趣味は…」のきっかけだったのだが、これからは冬、冬の空を飛ぶタンチョウの美しさもまた「眺めを何に喩うべき」の感嘆である。ただこれは紅葉の多様さ多彩さを写すよりも容易ではないか、と自分では思っているのだが。
年末、数年ぶりに鶴居村に行く。
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秋の味覚と先人の知恵

桑名 八重

また秋です。もうすぐ冬です。 雪かきのシーズンです。 なぜか私は「雪かきが好きな人」と学園内で思われているけれど、けして好きなわけではありません。 生活上必要不可欠なのだから、少しでも楽しみを見つけようと「冬の運動不足解消」としてせっせとやるだけなのです。

話を戻します。
雪かきの話がメインではないので・・・。

学生の頃は、あまり季節を気にかけてはいませんでした。
しかし、ここ数年は季節の移り変わりが楽しいと思うようになってきました。

秋はやっぱり味覚。
いろいろなイベントや旬のものに興味がわきます。

その中で、この2~3年、田舎の山の中で散歩がてらきのこを採ったり、山ブドウを採ったり・・・。
ちょっとした山の味覚を手に入れます。
以前はまったく見向きもしなかったのですが。

きのこはむかし祖父がしていたように、下処理をしてその日のご飯に。
祖父が亡くなり、たくさん山菜の塩漬けを送ってくれた伯父も亡くなりしばらくご無沙汰していた味でした。
冬に向けて保存食を蓄える。
昔の人の知恵が詰まっていたなぁとつくづく思います。

温暖化とか、環境汚染とか、開発とか。
私が子どもだったころと比べても随分風景が変わりました。
生活も変わりました。

けれど、生活の中で培われた知恵を少しでも引き継げたらいいなぁと思う今日この頃。
山の自然の恵みを頂きながら、北海道の自然の豊かさを改めて感じます。

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秋といえば・・・

高村さとみ

みなさん、秋といえば食欲の秋ですね。というわけで、今回は食に関する話です。が、食欲増進ではなく減退の話。ご注意ください。

打ち上げや親睦会に参加するとあまりごはんを食べないので驚かれることがあります。何かと話題にあがるので、なぜこのようになったかを自分でも考察してみたいと思い、このテーマでエッセイを書いてみることにしました。

まずは高村の食に関する特性について。

・好きな食べ物:漬物全般、とろろ昆布、あっさりしたもの、酸っぱいもの、味噌汁やスープ、野菜、きのこ、甘いもの

・嫌いな食べ物:ポテトサラダ、マカロニサラダ、スパゲティサラダ、脂っこいもの

・少食

・食べるのはゆっくり

・満腹の苦しさが嫌い、空腹は平気

・外食が苦手

こってりよりもあっさりが、主食・主菜よりも副菜や汁物が、肉・魚よりも野菜が好きです。こうしてよく考えてみると好きな食べ物はたくさんあるのですが、いざ人に「好きな食べ物は?」と聞かれるとなかなか答えられないのは、「好きな食べ物=食べたい食べ物」ではないからです。好きな食べ物は食べるとおいしいと感じるものですが、自分の中では「満腹の苦しさが嫌い」という思考の方が優位にあるので好きな食べ物と食べたいものはイコールではないのです。

上記のようにいろいろと書きましたが、自宅では割と普通に食事をしていたりします。むしろ食べ物を残すのは嫌なので、満腹感を感じたとしても一人前は食べ切ります。しかし人には食べないところを目撃されているのはひとえに「外食が苦手」という特性が理由でしょう。「外食が苦手」と書きましたが実は「人と一緒に食事をするのが苦手」なのです。この理由は子どものころの育ちに関係があると自分では思っています。食事に関する子どものころの思い出を振り返ると、一番に思い出すのが学校給食です。元々小柄だった私は今と変わらず少食・食べるのが遅い、加えて好き嫌いの多い子どもでした。そんな私にとって時間内に食べ終わらなければならない、残してはいけない給食はとても苦痛な時間だったのです。みんなが休み時間を過ごしている中一人で食べ続け、そんな私をかわいそうに思った友達が付き添ってくれる、そんな状況を子どもながらにとても恥ずかしく思っていました。(ひょっとしたらこの感覚をわかってくれる人は多いのでは?今同じ思いを抱えている子もいるかもしれません…)

現在好き嫌いはほとんどありませんが、少食と食べるのに時間がかかることは相変わらずです。なので、人と外食をする機会があると「自分がゆっくり食べることで相手に迷惑をかけていないだろうか」「もし残してしまったら相手はどう思うだろう」ということがとても気になり、一生懸命食べることが目的になってしまって味などどうでもよくなってしまうのです。

というわけで、もしも高村から食事に誘うようなことがあれば、それはよっぽどその人と仲良くなりたいか心を許しているかのどちらかです。温かく接してやってください。久しぶりに給食のことを思い出して気持ちがブルーになりましたが、こうしたちょっとしたマイノリティはそこかしこに隠れているものかもしれません。子どもは大人の思いもよらないところで繊細に傷ついているものです。私も子どもと関わる一人の大人として気を付けなければなりませんね。

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スタッフ西田の生態~その①~

安齊 裕香

「いつかこの題材を論文にしようと考えている」と本人に言ったのはここに入って1年くらい経った時だったと思う。なぜか。見ていると不思議なことがいっぱいで、観察するのに値する人だったから。見ているだけでもとても面白い人なのです。だから書いちゃいます。

西田さんと私が出会ったのは4年以上前。
西田さんは先に三和高校で働いていて、私は数カ月後に入社した。お互い違う人生を歩んできて、同い年の同期となった。小さな職場で同い年の同期ができるとは思わなかった。

まずは西田さんのポイント。

スタッフ西田は関西人だ。
4人家族の長男。2人兄弟で、家族全員が西田さんの顔をしている。(写真を見せてもらった)(※西田註:言い過ぎです。結構顔は違います)。お正月に西田一族が集合するらしいが、グランドピアノがあるお家を見ると素敵な人たちに囲まれてスクスク育ったのがわかる(※西田註:グランドピアノがあるお家は自分家ではなく親戚のお家です)
学校では関西弁が響き渡っている。それがとっつきやすい。よく生徒が関西弁を真似し、イントネーションの違いを私と争っている。

スタッフ西田さんは薄い。
何が薄いか。カラダが薄い。体重が増えないらしい。みんなから体重を増やすように言われている。体質改善をしていると言い張るが、運動はよくしているのはまずよし。問題は食べ物だ。食生活の見直しが必要。スイッチが入ればお昼はお弁当を作って来る。ほとんど、チャーハンかケチャップライス(オムライスではない)(※西田註:「俺のオムライス卵抜き」です。ケチャップライスではありません)、カレーのどれか。ときどきからあげが入っている。夜はせいきょうで買うか、給料日は一人でご飯を食べに行く(※西田註:スイッチが入れば夜も作ることがあります。あとここ最近は給料日に食べに行くのは行ってません。)。でも好き嫌いが多いし、野菜をあまり食べないので将来奥さんになる人は大変だろう。

と、一つ一つ取っていっても興味深い所がたくさんあるわけで、この一回では書ききれない。これを書くにあたり、西田さんはおもしろがっているし、決して嫌がっていない。とうとう論文としてまとめ始めたら楽しみにしてくれている。だから続編をまた書こう。

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僚友鶴丈治さんの急逝にあたって

札幌自由が丘学園三和高校校長 亀貝 一義

非常勤講師の鶴丈治先生が、先日(9月23日)文字どおり急逝された。翌日の朝、同じ講師である梅田木さんからの電話「鶴さんが死んだ」と。梅田さんの口調から「これは冗談ではないぞ」と感じ取ったのだが、驚きというか落胆というか、形容のしようがない。すぐ杉野さんとともに鶴さん宅を訪問した。

鶴さんの奥さんも10数年前に亡くなっている。お二人の子どもさんはもちろん立派な社会人でそれぞれ札幌から離れた地で活躍されていることは鶴さんから聞いていた。しかしお二人とも在宅で涙ながらに事情を説明してくれた。しかし、なにぶん「急逝」であったため、知人宅で倒れ救急車で市立病院に運ばれたがすでに手遅れ、という程度のことしか分からない。

そして昨日25日のお通夜(鶴さんはキリスト教徒なので「前夜式」というのが正式な言い方)に続いて今日の告別式だった。

本校からも全員の職員が前夜式か告別式に参列し、鶴さんを偲び、別れの見送りをした。生徒たちも多くが参列したし、卒業生もまた参列していた。
私も在りし日の彼、そして鶴さんとのさまざまなふれ合いの数々を思い出して涙を禁じ得なかった。

現役の教師(スタッフ)とこのような形で別れ、野辺の送りをしたのは柴田宏樹さんに続いて二人目である。(柴田さんは札幌自由が丘学園創立者のお一人。2002年12月26日に逝去された)。

私が札幌自由が丘学園の高校スタッフとしてぜひ参画して欲しいと希望して彼に会ったのは2007年2月だった。この年の4月、札幌自由が丘学園高等部(当時まだ「高等学校」ではなかった)の第6期入学式が行われ、鶴丈治教諭が初めて本校に登場することになる。

もっとも私は彼が北星大附属高校(かつてこの高校は「北星男子高校」「北星新札幌高校」と言っていた)のほとんど開校当時からのつきあいだった。そして日本古代史学のいわば「亜流」であったがきわめてユニークな学説を称えていた古田武彦さんのグループでもいっしょだったから、札幌自由が丘学園開校よりも古いつきあいになる。

鶴さんが本校のスタッフになって「これで札幌自由が丘学園にツルカメがそろったね」などと笑い合ったことも今では懐かしい。
国語の教師であるが、実に博学だった。旅行もよくしていたから世界の事情、あちこちの港町のことも詳しく教えてもらったことがある。                

人生いろいろ。出会いもあるが、最近ではむしろ悲しい別れの方が多いのでは、という気持ちがする。与えられた命を大切にしながら、札幌自由が丘学園への夢を持ち続けて頑張らねば、という気持ちを強く持った今日の「鶴丈治兄の葬儀」だった。(2013.9.26)。

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「自由であること」

フリースクールスタッフ 鶴間 明

不自由な世の中になってしまった。
先日、生徒たちとサイクリングに行った際に、立ち寄った公園でつくづく思った。
私が育てた子たちを連れて、かつてその公園に来た時にはあった遊具が取り去られていたり、使用禁止になっていたりした。
使えなかったのは、とても高い位置からつり下げられているブランコや、螺旋状に降りてくる滑り台等で、いずれも私の子どもたちが好んで遊んでいたものだった。
私も、生徒たちと童心にかえってそれらの遊具で遊んでみようと思ったのだが、すっかり興ざめしてしまった。
生徒たちも「この遊具、小さい時に、ハマっていたのに、、、」と残念そうにしていた。
危険な遊具は取り去って、安全な遊具だけにしてしまう。
危険な物はないので、これで子どもたちは安心して自由に遊んでくれるだろうと大人は思う。
しかし、ここにこそ大きな落とし穴が潜んでいる。

取り去られていった公園の遊具でとても思い出深かったのは、箱ブランコだ。
4人で向かい合わせになりながら力を合わせて揺らすことのできるブランコは他にはない遊びだった。
しかしこの箱ブランコ、外側から押すと、手を滑らせて転んで、頭がブランコの下敷きになってしまって命を落とす危険なケースがあり、次々と撤去されるようになってしまった。
跡地には箱ブランコが地面に埋める様に設置され、ただのベンチになってしまっていた。
撤去はこれだけに留まらず、衛生面の問題で砂場が、箱ブランコと同様に安全性の問題でジャングルジムが撤去されてしまってきている。
先日行った公園では高い部分の鉄棒や振幅の長いブランコ、そして一部の滑り台も使用禁止になっていた。

これらの事故で怪我や命を落とした方は本当に残念なことであると思う。
しかし、一度事故があると、その責任の全てを設置した側、設計した者が負うことになり、結局は次からは担いきれないので撤去してしまうという流れで、私たちは幸せになれるのだろうか。
旧約聖書の冒頭にはエデンの園の話がある。
エデンの園の中心には食べてはいけない木の実をわざわざ神は設置している。
これを食べると死んでしまうと言われた木の実だが、他の木の実は食べても良かった。
善悪を判断できる状況になっていることが自由であるという事である。
神は人間を想像するときに自分のペットのようにではなく、自由を与えるほどに大切な存在として扱ったという話だ。
「自由」というと好き勝手にできるイメージがあるが、規則を破る自由もあれば、自分の意志で守っていく自由もある。
本当に自由な人間は、誘惑を振り払ってより善く生きることを選択しようと努力するはずである。
ただ、人間は不完全で、時に失敗をすることもある。(アダムとエバも禁断の実を食べた)
しかし、だからといって、食べも良い木の実だけしかない世の中にしたとしたら、それは人間が自分の意志で選んでいるのではなく、まるでペットのように扱われて、檻に入れられ、良い物だけ選ばされている状態と変わらない。そのような状態では、人間の心が育つはずがないのである。
人間には良いことと悪いことを選んで生きる権利がある。
そして、若者には、失敗する権利もあると私は思っている。
小さい頃から、やってよいことと、いけないこと、これ以上やってしまうと危険なことと、ここまでであれば安全であることを、失敗を繰り返しながら、泣きながら、体感しながら覚えていくことが必要な時期がある。
その過程においては、まれに大きな事故につながることもあるが、他の動物が自然界の中で危険を冒しながら成長するのと同様に、人間が成長するために避けて通れない道筋でもあると私は思う。

さて、これから日本の公園はどうなっていくのだろうか。
これから箱ブランコが復活するとは思えない。
ブランコも危険、トイレは不衛生、芝生も除草剤があるからだめ、その内、転んだら危ないからと地面まで撤去するのではないだろうか。

札幌自由が丘学園では生徒たちは昼休みに自分たちでヤカンでお湯を沸かしてカップラーメンを作っていたりする。
管理教育が徹底している公教育から転勤してきた私にとっては驚異的なことだったが、この学園ではガスレンジを生徒たちが日常的に自由に使って良いのである。
本当の教育というのは最新式のプログラムの中にあるのではなく、人間としてごくごく当たり前のことを当たり前に行える中に、賢い者にとっては非常にわかりにくく隠されている気がする。
だから、この「小さな学園」の「大きな自由の風」を社会に発信していくことの意義は、今日もとてつもなく大きいと感じているのである。

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これも生涯スポーツ?

桑名 八重

先日、オリンピックの東京開催も決まったが、今月は甥っ子、姪っ子がそれぞれ運動会である。 来年小学生になるから、少なくてもまだ6回は運動会があるわけだ。 毎年にこにこ笑いながら走るかけっこの写真が届く。(はじめは泣いて親のところへかけこんでいたが・・・)

けして運動が得意ではない私だが、運動会に辛い思い出や嫌な思い出はない。
・・・覚えていないだけだろうか?
私の通った小中学校では当時、春には保育所から中学生、地域の人まで参加の大運動会、冬には小中学校で雪中運動会が恒例。
今考えると先生たちの苦労はすごい。
運動会は、生徒数が少ないために生徒から父兄までみんな参加。生徒はほぼ出ずっぱり。お昼どきには、ジンギスカンを囲むご家庭もありでかなり自由な状況だった。
競技の辛さよりも笑いの絶えない運動会だったと思う。

高校生になったらけっこう体育は苦痛になった。水泳、スキー、マラソン、ダンス、球技。かなり色々な種目をやった。
大学生になったら、必修体育以外ではスポーツと疎遠に。

今、生徒たちと年15回程度の体育にいそしむ。
「10代のあんたたちと体育やるの、辛いんだよ~」
と言いつつ、気持のよい疲労感を感じつつ、かなり楽しく参加している。
プライベートでもスキーやカヤック、なぜかゴルフ。本当にすこーしずつではあるが、普通にやっている。
大学時代の友人に「あんた、いつのまにそんなにアウトドア人間になったの?」と驚かれる。

やっぱり、根本的に楽しかった運動会の記憶があるのか。
楽しい記憶はいつまでも残る。
大人になってスポーツを始めるきっかけは「健康」「ダイエット」だけでなく、こんな記憶にもよるのかな。
いつまで続くか自分でも判らないが「体を動かすのが楽しい=生涯スポーツ」なのかな。と思う今日この頃。

とりあえず、
オリンピックも運動会もたくさんの子どもの楽しい思い出になってほしい。

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不登校相談会

高村さとみ


先日、フリースクールと不登校の子どもを持つ親の会合同の不登校相談会を行いました。相談会は2006年以来、実に7年ぶりの開催です。それも前回はフリースクールによる相談会だったので、親の会も合同で行うのは初めてのことでした。

このような相談会を行った背景には昨年度の「登校拒否・不登校を考える夏の全国大会in北海道」の実施があります。初めての北海道開催。道内フリースクールの協力はもちろん、親の会にも協力を仰がなければ成功し得ない状況でした。この全国大会の実行委員を募った際に親の会の方々が快く引き受けてくださり、さらには広報活動なども熱心に行ってくださったことで、無事に成功を収めたのでした。

昨年度にそのような出来事があったばかりだったので、不登校相談会を開催しようと決まった時には自然と「親の会も合同で」という声があがりました。当日参加したフリースクールは8団体、親の会は6団体。広報やパンフレットの設置に協力していただいた団体はさらに数団体あります。全国大会を実施する前までの私はこのように多くの団体が協力し合って(しかもフリースクールと親の会が合同で)一つの事業を行うようになるなど考えてもみませんでした。当日は団体の枠を超えて、テーブル席に各フリースクールスタッフ・親の会メンバーが散らばり来場者の相談をほぼマンツーマンで受ける、必要に応じて他団体の紹介をするというスタイルで行いました。このやり方は互いの団体の活動内容を知らなければできないことです。20名近くの来場者の相談を各自が受けている様子を見た時は胸が熱くなるのを感じました。

先に述べた通り、全国大会の実施がなければこの相談会の成功はありえませんでした。しかし、さらにさかのぼると札幌市への公的助成を求める運動を共に行ってきたこと、さらには私が札幌自由が丘学園で勤める前からのフリースクール同士の交流や親の会とのつながり。そうしたものが全てつながって今に至っているのだと、そう感じるのです。私もうかうかしてはいられません。私が今やっていることもきっと未来につながっているのですから。

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