フリースクールと親の会

高村さとみ

 6月中旬から7月にかけて、恵庭未来の会のフォーラムin恵庭→登校拒否・不登校問題 全国のつどい実行委員会in帯広→函館アカシヤ会20周年記念フォーラムin函館→フリースクール修学旅行in定山渓といろいろなところに出向く機会がありました。修学旅行についてはさておいて、他の3つはいずれも親の会に関するものです。親の会の方々はとてもエネルギッシュでこういったものに参加をするといつも元気をいただいて帰ってきます。せっかくなのでそれぞれの感想を。

「恵庭未来の会フォーラム」

 当日は何と80名もの参加があったそうです。このフォーラムのおもしろいところは恵庭未来の会と恵庭教育委員会が協力して開催したところです。私が知る限りでは公の機関(しかも教育委員会)と民間が協力してイベントを開催するケースは非常に珍しいことだと思います。さらに良かったのは未来の会の方々と教育委員会の方々がとても良い雰囲気でお話をされていることでした。形式としての共催ではなく、共に不登校問題に取り組んでいこうという姿勢が見え、手本としたい関係性だと感じました。札幌でもこのようなおもしろい企画を仕掛けていきたいです。

「登校拒否・不登校問題 全国のつどい」

 昨年度は「登校拒否・不登校を考える夏の全国大会」を定山渓で開催しましたが、今年も全国規模の大会が北海道帯広で開催されます。昨年度全国大会の実行委員を経験し、多くの方々に助けていただいたので今回は私が何かお手伝いをできればと考えています。まだ2回の実行委員会にしか参加していませんが(帯広での委員会なのでなかなか行けずにいます)、この大会や委員会のカラーとして「今正につらい思いをしている親を大切にする」ということがあげられると思います。そうした方の話をじっくり聞けるよう分科会の時間を長くとり、参加された方の気持ちに寄り添うことができるよう綿密に打ち合わせをしています。後にも記述しますが、こうした姿勢は手本としたいところです。

「函館アカシヤ会20周年記念フォーラム」

 この記念フォーラムに参加して驚いたのは函館の親の会の多さです。取りまとめている方がとても意欲的に活動しているということももちろんありますが、それだけ不登校や教育問題について悩みを抱えている保護者の方々がいることを実感しました。それに比べて子どもの居場所となる支援機関が少ないのも気になるところでした。札幌市だけではなく北海道全体の支援状況にも目を向けていかなければと思いました。また、次の日には函館アカシヤ会の例会にも参加しました。実はこうした親の会の例会に参加するのは初めての経験でした。普段「フリースクールを利用している保護者の話」は聞くことがありますが、不登校で現在進行形で悩んでいる・困っている保護者の話を聞く機会はなかなかないものです。こうした保護者の方々にフリースクールやほかの支援機関の情報がきちんと行き届くようこれからもがんばっていかなければという思いが一つ。そして、フリースクールが始まったそもそもの原点はこうした悩みを抱えている当事者・保護者に寄り添いたいというところだったと思うので、常にこうした声を心にとどめておくようにしなければいけないと思いました。

 先日、昨年度の全国大会で共に実行委員をした札幌近郊の親の会の方々、フリースクールスタッフと会う機会がありました。あれからもう一年経ったのかと月日の移り変わりの早さを感じています。しかし一年経っても変わらず楽しくおしゃべりをできる関係性がそこにはありました。フリースクールと親の会。フリースクールが今後どのような活動をしていこうとも常に原点は当事者と保護者の声にあるのだと改めて感じる機会となりました。

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元気になる方法

田房絢子

元気になれるとか、心を穏やかにする方法って人それぞれですよね。美味しいケーキをご褒美に買うとか、遠くにドライブに行くとか。人によってはユニークな方法を実践している人もいるのではないでしょうか?

 先日、保護者の方とお話をしていた時のことです。その方はお花屋さんを経営していて、あるお客さんの話を教えてくれました。高校生の男の子がふらっとお店にひとりでやってきて、部屋の片付けを機に「緑のものを部屋に置きたいんだけど・・・」と相談したそうです。高校生の男の子が!!と男性スタッフは驚きの声。たしかに食欲旺盛な時期ですから、カレーやカツ丼にお金をかけてしまう高校生の方が多いかもしれません。でもふらっとお花屋さんに足を踏み入れたその男の子。一人きりで勇気も必要だったと思います。「心が豊かな生き方ですよね」とお母さんがおっしゃっていました。私も同感で、小さな緑を心の片隅に持った穏やかな子じゃないのかなと勝手に想像しています。

 実は私も高校生の頃、元気がなくて弱っている時にチューリップを買って帰っていました。一輪飾られたチューリップを見て、ささやかでも心が穏やかになったのを覚えています。なぜその方法を思いついたのか覚えていませんが、チューリップは私にとって元気の象徴だったのでしょう。ただそれと同時に、チューリップを買わなくても済むようになる日が一日も早く来ることを願っていたのを覚えています。あの頃の自分はなんだか切なくなる思い出でもあります。青春ですね!!

 さて、今現在の私にとって元気になれる方法はなんだろう?と考えてみました。うーん・・・なんだろう?まず元気がなくならないようにすることかな(笑)。自分なりの方法を手にすることももちろんですが、お母さんの話を聞いて、私も心豊かに穏やかに心の片隅に緑を持てる人になりたいなぁと思った今日この頃です。

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無駄なこと

フリースクールスタッフ 鶴間 明

私が住んでいる江別市は「風と煉瓦の街」と呼ばれて、あまりうれしくないことに風が強い。
今年は気象状況が安定しないこともあり、ますます風が強い。
この風、自転車に乗るときは抵抗となり、外で焼き肉しようとしても落ち着かず、どうも私の予定を常に狂わせてくれる。
この風と仲良くする方法はないものか。

そんなことから、私はまた、無駄なことを考えてしまった。
風力発電の実用化である。
業者に見積もりを立ててもらったところ、数百万もする上に、発電量は使用電力の12分の1。
とても採算が合わない。
しかも、自然エネルギーの北電への買電価格は、太陽光については高額だが、他は採算がとれない状況になっている。
風はいつ吹くかわからない。
しかも、発電量は風力の3乗に比例するためにますます安定した供給がされない。
発電するときはとてつもない量になり、暴風となると風車が壊れることも心配になる。
これを個人のレベルで実用化するのは難しいのだ。

しかし、難しいとなるとますますやってみたくなる。
業者には頼らず、自分で組んでみることにした。
風力発電機はインターネットで極力安い物を2機購入。
ホーマックで単管とツーバイフォーの木材を買ってきて、何とか2機を固定させる。
おお、風でまわるぞー。(ひとまず感動)
さらに、2機の風車から電線を這わせて家の中にもってくる。(苦労&苦労)
それぞれを合体させて並列にカーバッテリーにつなぐ。
その間にはチャージコントローラーもつける。(実験&実験)
直流電源を交流電源に変換させるコンバーターを介して家電を動かす。(なまら感動)

という訳で、業者が見積もった金額よりも恐ろしく安価で独立式の風力発電装置を自作してしまった。
おかげで、風が吹くのが楽しみになった。
精一杯蓄電しても、できることは携帯電話を充電したり、調子の良い時でiPadを充電したりする程度であるが、一応、実用化の範囲である。

今日も家に帰るとブンブン回る双子の風車が私を迎えてくれる。
ペットの様で、かわいがっている。
風車はいい。見ていて飽きない。
道行く人も風車を見る。
小さな子も指さしていく。

しかし、私よ、これは本当に無駄ではなかったか?
そう問い返して見たくなることが多いのは、気のせいだろうか。

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『宝くじ』

安齊裕香

宝くじが当選したら何を買うか。という話をよく家でも学校でもする。
今回のドリームジャンボは1等1億円が161本。2等100万円が2300本。この数字を見て「当たるんじゃないか・・・」と期待する人はたくさんいるでしょう。

購入者の中で何人が高額当選をするか?・・・と緻密な計算した人によると(いろいろな考え方があるのでこればかりではないが・・・)、約6万9803分の1の確率。そんな記事が以前出ていた。でも、一般的な当選確率と言われているのが1000万分の1。これはくじの販売数のうち高額当選数がどのくらいあるかという計算からきている。ジャンボくじの場合には、1ユニット1000万枚の中に1等が1枚あるという計算となるらしい。

当たるかな・・・?

さらに言われているのは、イニシャルで当たりやすい人。男性は「T.K」で女性が「M.K」。さらに「K.K」も。これは宝くじ協会の当選者アンケート結果によるものだ。

「K.K」・・・?

星座で言うと男性はみずがめ座、女性はうお座。
そして有名なのが、高額当選した売り場で買うこと。確かに。当たる場所は不思議と続けて当たるものだ。

私も買った。今回は15枚。イニシャルも星座も当たりそうな条件からは外れているけど、いつもなんとなく当たる気はして買っている。
当たったら何を買うか。家かな~。1億円ならとりあえず半分は貯金してみる。残りの半分のうち、500万くらいは何も考えずに遊びに使っちゃおうと思う。

当たるかなぁ~。
そーだ。亀貝校長がイニシャル『K.K』だ。

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変化

田房絢子

 先日、久しぶりに友人と会いました。子どもを産んで数ヶ月経ってからの再会。前回会ったのは臨月で大きなおなかをしていました。無事に一仕事終えた彼女はどんな様子なのか、ちょっと心配だったのですが元気な様子。あの頃からは想像もできない立派な母の姿でした。

 彼女とは中学校が一緒で、同じグループに属していました。「グループに属する」と銘打ってしまうとなんだか変な感じがしますが(笑)。あの時にしかできないことを共有し、悩んでは笑い、喜んでは落ち込んでいた、ジェットコースターのような時代を一緒に過ごした友人たち。そんな密な時間を過ごしたにも関わらず、卒業後には会うことなく二十代半ばを迎えました。そのほかの友人も同じです。高校に進学したり、大学に進んだりと環境が変わっていく中で、少しずつ疎遠になっていきました。

 ある日一本の電話が実家にかかってきました。聞くと卒業アルバムに載っている仲が良かった友だちの電話に片っ端からかけているとのこと。その時は遠方に住んでいたのですが、たまたま実家に帰っていて、それこそ奇跡というか運命というか私のその後を大きく変える一本の電話になりました。すぐに会いにいき、感動の再会を果たし、その後も突然の電話を鳴り響かせながら、彼女を含めた懐かしい仲間を増やしていきました。

 それからおっきなグループになった私たちは月に1度くらいのペースで会っては朝まで大騒ぎでした。懐かしい友人に会えたこと、あの頃に戻ったかのような感覚、そしてジェットコースターのような楽しさを共有できたこと。本当に本当にすばらしい時間を過ごしました。大人になった私たちが、ほんのつかの間でも少年少女の気持ちを取り戻せたような感覚がきっと新鮮だったのだと思います。今でもあの楽しさは私を元気づけてくれます。

 それからはまたグループが形を変え、少しずつ小さくなりながら今の形になりました。彼女はその今の形の友人のひとりです。母になることなんて想像もしなかった中学生の頃。母になることを望みながらもまだその時でなかった二十代。そして今、私たちは三十代も半ばになりました。考え方や気持ちの動き、自分がいる状況、いろんなことが変化してきました。変化は時に自分を苦しめますが、その変化があるからこそ楽しめることのほうが多いと思います。変化に対応する力をつけていくことが、大人になっていくことなのだとも思います。そしてその変化を振り返り共有できる友人がいることは、本当に大切なものだと思いました。母になった友人を見て、改めて気付きました。

 これからまた10年20年と、様々なことが私のまわりで起こっていきます。友人たちともその形や距離を変化させながら、また新しい形になっていくのだと思います。だって「人間はいきもの」ですから。そして、その変化をいつまでも楽しめるような大人でありたいと思います。

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だんしゃりと思い出

桑名八重

「断捨離」とのことばがちらほらと流行って久しく。 あんまり自分には関係ないと思ってきた。 しかし、突如自分にも関係のあることばになってしまった。

家庭の事情により、家の中の不用品を整理しよう!となり、
家を出ている兄弟たちも時間を作っては納戸から押入れから大捜索。

それぞれに「もうだいぶ処分したし、実家にはのこってないはずなんだよな~」
と言いながらも色々なものが発掘されました・・・。

高校時代の制服にジャージ。小学校時代からの教科書にノート、成績表、お土産でもらった雑貨・・・。
「よくこんなの取っておいたなぁ。」というよりも、
「人生ずいぶん色々なものにお世話になっているなぁ」
という実感。

ゆっくり見始めたらきりが無いので、思い出話に突入してしまう前に
「捨てる」「残す」を決断。
私たち兄弟は結構簡単に決めていくけれど、親はなんだかんだと云いながら残そうとする。

「そんなもん、とっといてどうすんの・・・」
兄弟全員でそんなつぶやきを飲み込みながら、一応親の意向に沿いながら作業。

結局残したものは、アルバムの一部や成績表の一部など。
あとは、思い切りよく持ち主が責任を持って処分の決断をすることで決着した。

久々に兄弟で作業をして、沢山の「モノ」を廃棄という結果に(一部はリサイクル)。
けれど、随分いろいろな思い出話に花が咲いた。
共通の思い出がたくさんあるのっていいなと改めて思う。

自分の部屋にはまだ整理途中のものがたくさんあるけれど、
結局必要なものはあまりないということも再認識した。

家族の思い出、自分の歴史。
どんな形で残すにしろ、シンプルに自分を見直すよいきっかけだった。

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ショートショートの物語

高村さとみ

 新学期が始まって早半月。4月の慌ただしさも段々と落ち着き、フリースクールの生徒たちもようやく日常を楽しむ余裕がでてきました。

新学期最初の国語の授業で私がよく取り上げる本があります。それは星新一さんのショートショートの作品です。星新一さんは「ショートショートの神様」と呼ばれるSF作家です。先日授業で取り上げたのは「おーい でてこーい」というわずか6ページの作品。突然現れたふかーい穴。人間はその穴を有効に使おうと都会のゴミをどんどん捨てて街を発展させていきますが、ある日最初に捨てたはずの石ころが空からふってきて…。物語はここで終わってしまいます。生産するばかりで後の地球環境のことを考えない人間のことを皮肉った作品です。他にも全てをロボットに任せるようになった街の話や不思議な新薬を開発した博士の話など、私が生まれる前に書かれた作品とは思えないほど今の社会を鋭く風刺しています。一つ一つの文が短く読みやすいのも魅力的です。

 スマートフォンやタブレットなど最近は本当に便利になったなぁと感じています。私は方向音痴なので、スマートフォンで地図を見ながら歩くことは日常茶飯事です。ちょっとした文章を書きたいときにタブレットを利用することもあります。そんな便利な社会の恩恵を受ける一方で、ふと考えることがあります。TwitterやFacebook、LINEなど手軽に世の中とつながりを持ててしまう現代ですが、人と直接会ってつながるということをこれまで以上に大切にしたいということです。SNSを通じて知り合うことができた方たちがたくさんいますが、その便利さに甘えず人との出会いを大切に、顔を合わせて笑いあえるような関係を築いていきたいと改めて思うのです。今年度もあるであろうたくさんの人たちとの出会いを今から楽しみにしています。

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弱点は-・・・

田房絢子

 私は小さい頃、何もないところでバッタンバッタン転んだり、フラフラヨチヨチ歩いたりすることが多かったそうだ。ちゃんと歩けるようになるまで、他の子どもよりかなり遅かったそう。すごくおっきな病院でほんのちっちゃな私が精密検査をしなければならないことに辛い思いをしたと後に聞いた。たしかに小学校や中学校、さらには高校でもすぐに躓いて捻挫や骨折をすることが多かった。大人になった今でも、あまり足回りには自信がない・・・。

 これは私の弱点が引き起こした二次障害らしい。私の弱点は左耳。おそらく生まれた頃から三半規管がうまく機能していなかったために起こったことだと今では推測できる。幸いにも右耳は元気なので日常生活には支障はない。多少の不便さは残るけど、なんせ物心ついた頃からなのでこれが当たり前だと思っているし、ふつうに両耳健康だったらどれだけおっきく聞こえるんだ?と未知なる世界に不思議な気持ちになる。

 というわけで、長年にわたり私の右耳はとてもよく働いてくれている。左耳を補うかのように視力は抜群に良い。遠くも良く見えるというのが遠視というカテゴリーに分類されることを知り、自分もそのひとりだったという発見は、まぁご愛敬程度に思っている。鼻も結構きくので、勘違いでなければ他の人には感じない匂いなんかにも反応することがある。ともあれ、私は弱点を抱えながらも、その分普通以上に仕事をしてくれている仲間たちに支えられながら、今日も元気に過ごしている。

 人間の身体や心は信じられないくらいの能力を秘めている。知らないことだらけが当たり前なんだから、どんな奇跡が起こるかもわからない。弱点だって、もしかしたらもしかする。補ってくれるところが絶対にあるという事実と信念と希望、そして「だって人間だもの」って思うくらいの余裕がきっと楽にしてくれるはずだ・・・よ?

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『色気か食い気か』

安齊 裕香

辞書で『食い気』と調べると、その言葉の‘使い方’の例文に『色気より食い気』と出ていた。まさしく自分のことではないか!!と感じた瞬間。

先日誕生日だった私に、校長先生が朝一「誕生日おめでとう」と声をかけてくれた。嬉しい一日の始まり。
そんな話から、アラサーの私に色気がない話に発展。(私が自ら言い出した。)
30代になってから周りからも旦那からもよく言われてきたのが‘色気がない’ということ。自分が中学生とか高校生の時は、30代40代の女性はとても大人っぽくて‘綺麗な女性’に見えていた。だから色気がぷんぷんのイメージだった。
しかしどうだろう。自分の30代。あれれ・・・?30代ってこんなんだっけ?って思う。もっと色気のある女性になるんじゃなかったのか・・・!?と思う。

なにがダメなのか、なにが足りないのか。
体育会系だからか。誕生日ディナーが焼肉だからか。ごはんが山盛りだからか。欲しいものがマンガの本全巻だからか。ジャージを着るからか。濃いめの化粧ではないからか。パジャマをinするからか。普段ヒールを履かないからか。落ち着きが足りないからか。

思い当たることはたくさんあるが、食べたいものは焼肉だし、おしゃれなお店も嫌いじゃないけど、昔ながらのラーメン屋さんとか好きだし、お米が好きだし、腹巻とか冷え症にいいし、その辺で遊ぶのとか好きだし・・・。

考えるほど、そもそも色気ってなんだろなって思ってきた。そもそも必要か?とか。でもないよりあった方がいいなぁとか。
色気を求めるのがおかしいのか。
振り返ると食い気ばっかりだし。
食べている時『幸せ~』って思うし。

そんな今年も色気ある綺麗なおねいさんにはまだまだです。
校長先生が「色気じゃない魅力がある」って言ってくれたから今年はそれで乗り切ろう。

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道中小企業家同友会の大久保尚孝さん

                                                        亀貝 一義

大久保さんが先月19日に亡くなられた。今日大久保さんとの「お別れの会」が札幌市民ホール(大ホール)で行われ、わが学園から杉野さんと二人で参加した。
大久保尚孝さんは、北海道の中小企業家のいわばリーダーだった。同友会を実際上うみだした最大の功労者であったろう。「共育」をキーワードとした同友会の理念はまさに大久保さんとともにあったといってよい。

大久保さんは昭和4年に神奈川県で生まれ、昭和45年に第一銀行を退職して札幌で活動の主要な場をつくりだした。北海道中小企業家同友会の初代事務局長の役割であった。
大久保さんはほとんど最初から教育を重要な関心事にしていた。

正確ではないが、私が大久保さんに初めて会ったのは80年代初期だったのではないか、と思う。その際、銀行をやめて北海道での仕事をするようになった自分の役割を語ってくれた。「中小企業家のネットワークをつくるための仕事をすることになった」という意味のことを言っていたと記憶している。
「教育」を重要な課題として意識されていた証拠のひとつに、80年代の後半のある時期に、私も、同友会の何かの集まりで「講演」らしいことをさせてもらった。
私が、1990年に今の仕事(学校づくり)を始めると、何かの節目のイベントに必ず参加されてメッセージを寄せてくれた。また「パーティ」などでもスピーチや乾杯の音頭をとってもらったこともある。
90年にはじめた最初のことは、ささやかな学習塾(進学のためというよりはいわば学習に遅れをもつ子どもたちのための「補習塾」)を開くことだった。この報告と相談に伺って塾の名称を考えているのですが何かアイディアがあれば、というようなことを言ったら大久保さんがこの塾の名称を「いきいき教室」としたらいいのでは、と提案してくれた。
そしてしばらくこの「いきい教室」が北区で機能した。

5年ほど前に、高校を開くことになった旨報告にいったとき「ようやくスタートしますね。がんばってよ」との激励をいただいた。

大久保さんは家庭の事情で大学進学はしなかったが、大学の講師の仕事などもしていたようだから、ヘタな大卒よりも優れた知識人だった。

今日の「お別れ会」、知事からの弔文、主な銀行の頭取などの出席もあった。北海道の経済の面でも重要な功績をあげられた人であった。いろいろなことを思い出して涙を押さえることができなかった。

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