『色気か食い気か』

安齊 裕香

辞書で『食い気』と調べると、その言葉の‘使い方’の例文に『色気より食い気』と出ていた。まさしく自分のことではないか!!と感じた瞬間。

先日誕生日だった私に、校長先生が朝一「誕生日おめでとう」と声をかけてくれた。嬉しい一日の始まり。
そんな話から、アラサーの私に色気がない話に発展。(私が自ら言い出した。)
30代になってから周りからも旦那からもよく言われてきたのが‘色気がない’ということ。自分が中学生とか高校生の時は、30代40代の女性はとても大人っぽくて‘綺麗な女性’に見えていた。だから色気がぷんぷんのイメージだった。
しかしどうだろう。自分の30代。あれれ・・・?30代ってこんなんだっけ?って思う。もっと色気のある女性になるんじゃなかったのか・・・!?と思う。

なにがダメなのか、なにが足りないのか。
体育会系だからか。誕生日ディナーが焼肉だからか。ごはんが山盛りだからか。欲しいものがマンガの本全巻だからか。ジャージを着るからか。濃いめの化粧ではないからか。パジャマをinするからか。普段ヒールを履かないからか。落ち着きが足りないからか。

思い当たることはたくさんあるが、食べたいものは焼肉だし、おしゃれなお店も嫌いじゃないけど、昔ながらのラーメン屋さんとか好きだし、お米が好きだし、腹巻とか冷え症にいいし、その辺で遊ぶのとか好きだし・・・。

考えるほど、そもそも色気ってなんだろなって思ってきた。そもそも必要か?とか。でもないよりあった方がいいなぁとか。
色気を求めるのがおかしいのか。
振り返ると食い気ばっかりだし。
食べている時『幸せ~』って思うし。

そんな今年も色気ある綺麗なおねいさんにはまだまだです。
校長先生が「色気じゃない魅力がある」って言ってくれたから今年はそれで乗り切ろう。

ブログ記事を読む

道中小企業家同友会の大久保尚孝さん

                                                        亀貝 一義

大久保さんが先月19日に亡くなられた。今日大久保さんとの「お別れの会」が札幌市民ホール(大ホール)で行われ、わが学園から杉野さんと二人で参加した。
大久保尚孝さんは、北海道の中小企業家のいわばリーダーだった。同友会を実際上うみだした最大の功労者であったろう。「共育」をキーワードとした同友会の理念はまさに大久保さんとともにあったといってよい。

大久保さんは昭和4年に神奈川県で生まれ、昭和45年に第一銀行を退職して札幌で活動の主要な場をつくりだした。北海道中小企業家同友会の初代事務局長の役割であった。
大久保さんはほとんど最初から教育を重要な関心事にしていた。

正確ではないが、私が大久保さんに初めて会ったのは80年代初期だったのではないか、と思う。その際、銀行をやめて北海道での仕事をするようになった自分の役割を語ってくれた。「中小企業家のネットワークをつくるための仕事をすることになった」という意味のことを言っていたと記憶している。
「教育」を重要な課題として意識されていた証拠のひとつに、80年代の後半のある時期に、私も、同友会の何かの集まりで「講演」らしいことをさせてもらった。
私が、1990年に今の仕事(学校づくり)を始めると、何かの節目のイベントに必ず参加されてメッセージを寄せてくれた。また「パーティ」などでもスピーチや乾杯の音頭をとってもらったこともある。
90年にはじめた最初のことは、ささやかな学習塾(進学のためというよりはいわば学習に遅れをもつ子どもたちのための「補習塾」)を開くことだった。この報告と相談に伺って塾の名称を考えているのですが何かアイディアがあれば、というようなことを言ったら大久保さんがこの塾の名称を「いきいき教室」としたらいいのでは、と提案してくれた。
そしてしばらくこの「いきい教室」が北区で機能した。

5年ほど前に、高校を開くことになった旨報告にいったとき「ようやくスタートしますね。がんばってよ」との激励をいただいた。

大久保さんは家庭の事情で大学進学はしなかったが、大学の講師の仕事などもしていたようだから、ヘタな大卒よりも優れた知識人だった。

今日の「お別れ会」、知事からの弔文、主な銀行の頭取などの出席もあった。北海道の経済の面でも重要な功績をあげられた人であった。いろいろなことを思い出して涙を押さえることができなかった。

ブログ記事を読む

卒業式

桑名八重

今年も卒業の季節がやってきました。 卒業する3年生はもちろん色々な思いがよぎったことでしょう。 新しい生活に向けての期待や不安。 3年間の思い出と友達との別れ・・・。 みんなそれぞれの思いがあります。

さて、送り出すほうも沢山のことを考えています。

2年生の担任としては、

「来年の今頃はこの子たちが卒業するんだなぁ。」
「あと1年で卒業させていいのかなぁ。」
「来年はこんなにしっかりしてるかなぁ。」
「やっぱり後2年くらい三和高校にいてもらおうかなぁ。」・・・etc

3年間って、長いようで短い日々です。
これまでの2年間の毎日を振り返っても、
あんなこともできたはずだ。ああすればよかった。
担任は後悔と反省の日々の連続でした。

残りの高校生活を彼らがどういう日々を過ごしていくのか。
スタッフとして何をしていけるのか。
まだまだ試行錯誤の日々が続くでしょう。

2年生が卒業式の送辞で
「先輩達の後を継ぎ色々なことに挑戦することで、今以上に活気のある学園にしていきたい」
と挨拶しました。

春から最上級生になる2年生。不安と期待の1年間がスタートします。
後輩たちとと一緒に小さな学校を盛り上げていってね。

3年生。卒業おめでとう。
新しいスタートです。
たまには遊びにきてね!(要手土産)

ブログ記事を読む

多様な学びを考える

高村さとみ

 2月10日(土)、11日(日)の二日間、東京代々木で開催された「第5回日本フリースクール大会(JDEC)」に参加してきました。JDECでは全国のフリースクール関係者・関心のある学生が集まり、講演会・分科会への参加や交流を行っています。私は第2回から参加しているので、これで4回目になります。

 その年によってJDECの内容にはカラーがあります。特にフリースクール全国ネットワークが中心となって取り組んでいる「子どもの多様な学びの機会を保障するための法律」の動きはJDECの核とも言えるものです。2010年、第2回のJDECでフリースクールやホームエデュケーション家庭が公に認知され、支援を受けるための法律「オルタナティブ教育法(仮称)」法案骨子が出されました。そして2012年、第4回のJDECではフリースクールだけではなくシュタイナースクールやインターナショナルスクールなど学校以外の様々な学びの場をオルタナティブな教育の場として捉えることに変化しています。「多様な学び保障法を実現する会」が発足し、今年は「子どもの多様な学びの機会を保障するための法律」と名称を変更しての初めてのJDECとなりました。内容の詳細についてはまた別な機会に触れたいと思います。

 私自身、特にフリースクール以外の教育機関を多様な学び保障法の対象に含んだことで、「多様な学びとは何か」ということをよく考えるようになりました。私はフリースクールの良い点の一つとして、各フリースクールによって活動内容がバラバラであるということが挙げられると思っています。子どもがその意志によって自分に合った学びの場を選択できることは理想です。ですから、フリースクールは特に同じ地域にあるのであればそれぞれの特色を持ったものであると良いと思っています。例えばAくんが住んでいる地域に活動の内容の違うフリースクールがいくつかあり、シュタイナースクールやインターナショナルスクールがあり、家庭で学ぶホームエデュケーションも認められているとしたら。そして、その中からAくんが自分に合った学びの場を選択できるとしたら。それはとてもすばらしいことのように思えます。一方、○○スクールという形にこだわらずとも塾や習い事など様々な場所が多様な学びの場といえるのではないかとも思います。実際に現在不登校の児童生徒でフリースクールや市の相談指導学級とつながっている子はわずかです。大半の子は家で過ごしているか、学校には行っていないが塾に通っている、児童会館に行っているなど他機関を利用していることが予想されます。いわゆる教科学習に限らず、子どもが興味をもって取り組んだこと全てに学びがあるというのが多様な学び保障法の前提なのでこの考え方は沿っていると思うのですが、なおさら多様な学びに法案という枠組みをつくることがいかに難しいかということを感じます。多様な学びというとありとあらゆる学びが想定されるのに、それを推進するための法律がむしろ多様な学びの範囲を狭めてしまうことになるからです。

 今回は「多様な学び」という言葉をクローズアップしましたが、多様な学び保障法はまだまだ検討の余地がある法案です。様々な立場の方、たくさんの方に意見をいただきながら修正していくことで本当に今必要な「多様な学び」が何か研ぎ澄まされていくはずです。そのためにはまずこの多様な学び保障法を多くの方に見ていただくこと。少しでも多くの方が多様な学び保障法に関心を持っていただけるとうれしいです。

(多様な学び保障法骨子案はこちらからhttp://aejapan.org/wp

ブログ記事を読む

うれしい知らせ

田房絢子 

 最近、うれしい知らせが多い。高校生活をやり直す選択をして、まずは福祉の勉強をしたいと連絡をくれた卒業生。大学を中退したけど、また新たに進学を考えているという卒業生。そして、今日来てくれたのは大学を卒業見込みで、4月からは専門学校に進学予定という卒業生。私が担任をしていたときには、頭を抱えることも多かった。「ちゃんと来れなければどうなるでしょうか・・・」とか「これからどうしますか・・・」といったようなFAXを送ったこともしばしば。お母さん達と共にLove FAXと銘打ったこの方法が彼の心に響いたかどうかは定かではない・・・が、そんな彼らが何とか卒業の日を迎えた3月。その4年後にこんな形で次々と報告が聞けるとは思いもしなかった。

 あの頃のクラスは、毎日が生きることに精一杯で余裕が持てる状態じゃなかった。でも徐々にお互いに心を寄せ合い、支え合うことを学び、そうして自分の足で立つことを覚えた。とても越えられないような壁に何度も何度もぶつかりながら、あの2年間で私もたくさんのことを学ばせてもらった。あのクラスがなかったら今の私は存在しなかったと思う。子どもに対する気持ちや接し方、愛情、自分の在り方、教師であるということ、生きているということ。子どもたち、そして保護者の方々からもたくさんの愛をもらって、そして、卒業式を迎える頃にはひとつの頼もしいクラスになってくれた。ひとり一人が自分を大切に思うことのできる、そして他人も大切に思うことのできる人に育ってくれた。最初は頼りなかったみんなだけど、今ではどの子も逞しく生き残ってくれるに違いないと思える。紆余曲折したって、自分らしく生きられる道を見つけてくれるに違いない。

 ふとした時に、こうして幸せを運んできてくれる卒業生たち。教師という職業は本当に本当に幸せなものだ。

ブログ記事を読む

1月29日という一日。

                                                               3学年担任:安齊 裕香

  3年生が最後の登校日。最後な実感はない。まだまだ終わってないこともちらほら。でも前からずっと、今日のこの日はみんなで終わるんだなぁ~なんて想像していた。最後だし、真面目な言葉を贈ったらいいか、何を伝えようかぼんやり考えていた。

そう思っていた矢先、1名インフルエンザ。全員揃わない。16人いない。このタイミングでの出席停止。やっぱりなんかある。まぁ仕方がない。と思った朝は、なぜか8名で朝の会。なんで!?みんなインフルエンザなのか、交通機関の影響なのか・・・でも天気悪くないし・・・。全然。ただの授業変更を忘れていたみんな。こらこら。

 そんなちょっとのんきなところがある、相変わらずの天然ぷりな3年生。

でもそれがなんか懐かしい気持ちにさせられた。『3年間を思い出して!!』と言われているような気がした。2年生の途中まで朝は全然揃わなかった。でも修学旅行があけたくらいから、毎日朝から登校するのが当たり前のクラスになった。

なかなか登校できなかった子が毎日来ている。遅刻常習犯だった子が朝から毎日いる。授業に出席できなかった子が全ての授業に出席している。自分の考えを表現するのが苦手だった子が、しっかり発言する。

 みんな変わった3年生。

よく笑う3年生。

みんな上出来◎

 そんなこんなで素敵なクラスは2月に集合の予定となる。今度こそ揃うかな?インフルエンザ大丈夫かな?集合する日忘れてないかな?・・・なんて考えているうちに寂しさも忘れ、あっという間に終わった1月29日。

 

これから3年生を送り出す準備が始まる。

ブログ記事を読む

札幌自由が丘学園の新たな展望を!

 亀貝一義

 最近、いつも頭をよぎるのは「札幌自由が丘学園創立20周年」である。それは、端的に言えば『来し方行く末」である。1993年11月1日のフリースクールスタートのシーンがありありと脳裏に浮かぶ。当時、この新しい学校をすすめる担当者たちの共通の思いは「フリースクールを一つのステップとして新しい学校を生みだそう」ということだった。だからその時の私などの問題意識は、フリースクールスタートは「認可学校」創設のためのいわば手段だった。  しかしその後のフリースクール札幌自由が丘学園の展開は、「手段」などでなく教育理念を展開するという目的そのものであった。  フリースクールという現在もまだ「アブノーマル」(「普通の学校でない位置にある)学校をノーマルな位置に引き上げることが今の私の基本目標になっている。

 立脚点の第一は、フリースクールが受けいれる「不登校」の子どもをどう見るか、ということである。単に「一般の子どものようには学校に行けない」という見方ではなく、今日の教育と学校の画一的なしくみを拒否し、「子どもの育ちが多様であるのだからこれにふさわしい教育と学校のシステムであるべきではないか」と訴えている子どもたちである。
 立脚点の第二は、豊かな感性をもって育った子どもたちは一時的に人とのふれ合いや「学校」そのものに対してなじめない点があるだろうが、それはあくまでも「通過点」であって、豊かな個性をもった大人(スタッフ)や生徒たちとの交流の中で多少のジグザグがあっても元気を取りもどし、「不登校の子ども?」と疑問を持たせるようなごく普通の子どもになるのである。すなわち、私たちの人間観生徒観の修正を求められる。
 立脚点の第三は、学校の在り方の多様性を追求し続ける立場である。近代的な学校が制度面でも内容面でも受けいれる子どもについても、画一的統一的なしくみをもってその水準などを維持発展させてきた。しかし、今上のように、中学校でいえば一クラスに1名以上の「不登校」の生徒がアピールしているが故に、学校の在り方を根本的に見直していかなければならないことを、多くの心ある人たちは自覚し出している。

 スタート以来、私たちは上の3つの点を、すなわち子ども観、子どもの成長観、学校観を育んできた。この上で、次の展望は、フリースクールという主として中学校と、創設5年になる札幌自由が丘学園三和高等学校を総合的に展開するいわば中高一貫の教育しくみを確立させていくことである。その展開から人としての自立(進路)を支援していくことができると確信している。教育制度の改変にまで思いをいたさなければならないから道は非常に遠いのだが、冒頭記した「来し方」と共に「行く末」を実のあるものとして多くの人に提示することができるだろう。

ブログ記事を読む

目標設定

久井 貴之

 新年早々、珍しくある男から電話がかかってきた。

 それは、自分が北海道立高校にて3年前に1年間だけ期限付教諭をしていた時に道東で出会った当時高校1年生だった男である。身長はそれほど高くはないが極めて体格がよく、正直高校生とは思えない風貌で、体格からは考えにくいほどバスケットボールのテクニックや知識を持っていた男だ。さらに彼は周囲を惹きつけるようなオーラも持ち合わせていた。

 教科担任ではなかったため授業で接することなかったが、毎日の放課後は違う。バスケットボール部監督・部員として濃密な時間を過ごした(勉強させてもらった。)。

 当時の部員が今どう過ごしているか、のような話も交えながら彼の今を聞いた。彼は北海道を離れ、ある職業に就くための大学に通っているということだった。高校に入学し、早い段階から進路を決定でき大学も自ら決めたようだ。

 目標のためにしっかりと計画を立て、それに向かって歩んでいるということは実に素晴らしい。本当に久々の会話でお互い少々ぎこちないような感じの10分弱ではあったが、非常に嬉しい電話であった。

“何か目標を持って生活してください。”

     数年前にある高校で勤務していた時の校長先生がいつも言っていた言葉

 “1年の計は元旦にあり”

     古くからあることわざ

 人は目標があるとそれを達成するための行動をとる。目標を達成することができると新しい環境に身を置きさらに成長していく。

 本校両コースの3年生があと数えられるくらいの登校日数で卒業を迎える。それぞれの目標をキチンと再確認しながら冬休みを過ごしているだろう。

ブログ記事を読む

「早いもので…」

学園長 杉野建史

 

今年が始まるとき、「2012年は大きなイベントが控えていたり、新しい仲間が東京にできたり、忙しくなるぞ」と頭の中をいろいろな思いが巡っていた。あっという間に366日が過ぎようとしている。あっという間に過ぎなかった年は、この数年記憶がない。

来年は、フリースクール札幌自由が丘学園が20周年を迎える。私がこの仕事にかかわり17年が経ちその間に学園は大きく変化した。この数年での一番の変化は正式な高等学校を開校したことである。その高校の仲間に東京シューレが加わった。フリースクールとしては大先輩の東京シューレと教育提携を結び、ともに高校教育を推進していくことができるようになった2012年は高校開校以来の大きな節目になった。新しい仲間を職員として迎えることができた年でもある。

早いもので2012年があと少しで幕を下ろす。本当にあっという間に1年が終わってしまう。時間は何もしなくても過ぎてゆくし、何かに熱中してもあっという間に過ぎてゆく。時間の概念は実に不思議で、「直線的に無限に続くもの」や「始まりと終わりがある有限で線分的なもの」などがある。皆が同じ時間の中で生活しているのだろうけれど、人によって感じ方は大きく違うのだろうなと思う。1日86400秒、2012年31,622,400秒。人に「目をつぶり1分経ったと思ったら教えてください」という実験をしても、それぞれの人で実に様々な60秒の結果が出る。時間の感覚はその人の生きる歩幅なのか。

12月としては異常とも言える寒い札幌。せめて心だけでもあたたかくなる写真(今年の修学旅行で体験ダイビングをしている2年生の男子生徒と、それ以上に楽しんだスタッフのH氏)を皆さんに披露して、少々早いが2012年の締めくくりとする。

ブログ記事を読む

「総合」

桑名八重

先日、「総合」の時間に生徒たちに履歴書を書いてもらった。

はじめて履歴書を書いた人もいたので、考えながら書いていた。
用紙とにらめっこしながら唸っていたひとりが聞いてきた。

「趣味って何書けばいいの? 先生の趣味って何?」

はて、私の趣味?

普段から好きなことをしているから「あまりこれが趣味です!!」と、
胸を張って自慢できること・・・はあまりない・・・。
しかし、「好き」でやっていることはいくつもある。

胸を張って答えました。
「えーとね、読書でしょ、ドライブでしょ、旅行でしょ、スキーでしょ、カヤックでしょ、音楽演奏・・・」

「ずいぶん、あるんですね~」
半分呆れたようにつぶやかれた。・・・そんなに多いほうではないと思うが・・・

「当り前でしょ、みんなより長く生きてんだから、楽しみ多いに決まってるしょ」
「・・・そうか、趣味ってそんなもんか」

趣味って、
自分の生活を豊かにするもの。
無理せず、長く続けられるもの。
なにより、自分が楽しいもの。
だと思う。

今、「自分の趣味ってなんだろう」って考えてる生徒たちも
本当はもう趣味って言えるものがあるはずだ。
ただ、それが趣味かどうかまだ気が付いていないだけだろう。

履歴書を通じて、自分を客観的に眺めている。
用紙とにらめっこしているクラスを見渡してそう思った。

自分も就活中は、何十枚も履歴書を書いた。
自己PRとか特技とか、職務経歴書とか・・・。
もう、はじめは嫌で嫌でたまらなかった(情けない自分ばかりが思い浮かぶから・・・)が、
今思うと、自分のことを改めて考える時間だったと思う。

生徒たちにも今の自分ともっと向き合ってほしい。
そんなことを強く思った午後の時間でした。

ちなみに、「特技」で悩む生徒には「資格じゃない、自分はこれ自慢です!を書いてみよう」とアドバイス。

ブログ記事を読む
前の10件 4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14

最近の記事

月別アーカイブ