だんしゃりと思い出

桑名八重

「断捨離」とのことばがちらほらと流行って久しく。 あんまり自分には関係ないと思ってきた。 しかし、突如自分にも関係のあることばになってしまった。

家庭の事情により、家の中の不用品を整理しよう!となり、
家を出ている兄弟たちも時間を作っては納戸から押入れから大捜索。

それぞれに「もうだいぶ処分したし、実家にはのこってないはずなんだよな~」
と言いながらも色々なものが発掘されました・・・。

高校時代の制服にジャージ。小学校時代からの教科書にノート、成績表、お土産でもらった雑貨・・・。
「よくこんなの取っておいたなぁ。」というよりも、
「人生ずいぶん色々なものにお世話になっているなぁ」
という実感。

ゆっくり見始めたらきりが無いので、思い出話に突入してしまう前に
「捨てる」「残す」を決断。
私たち兄弟は結構簡単に決めていくけれど、親はなんだかんだと云いながら残そうとする。

「そんなもん、とっといてどうすんの・・・」
兄弟全員でそんなつぶやきを飲み込みながら、一応親の意向に沿いながら作業。

結局残したものは、アルバムの一部や成績表の一部など。
あとは、思い切りよく持ち主が責任を持って処分の決断をすることで決着した。

久々に兄弟で作業をして、沢山の「モノ」を廃棄という結果に(一部はリサイクル)。
けれど、随分いろいろな思い出話に花が咲いた。
共通の思い出がたくさんあるのっていいなと改めて思う。

自分の部屋にはまだ整理途中のものがたくさんあるけれど、
結局必要なものはあまりないということも再認識した。

家族の思い出、自分の歴史。
どんな形で残すにしろ、シンプルに自分を見直すよいきっかけだった。

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ショートショートの物語

高村さとみ

 新学期が始まって早半月。4月の慌ただしさも段々と落ち着き、フリースクールの生徒たちもようやく日常を楽しむ余裕がでてきました。

新学期最初の国語の授業で私がよく取り上げる本があります。それは星新一さんのショートショートの作品です。星新一さんは「ショートショートの神様」と呼ばれるSF作家です。先日授業で取り上げたのは「おーい でてこーい」というわずか6ページの作品。突然現れたふかーい穴。人間はその穴を有効に使おうと都会のゴミをどんどん捨てて街を発展させていきますが、ある日最初に捨てたはずの石ころが空からふってきて…。物語はここで終わってしまいます。生産するばかりで後の地球環境のことを考えない人間のことを皮肉った作品です。他にも全てをロボットに任せるようになった街の話や不思議な新薬を開発した博士の話など、私が生まれる前に書かれた作品とは思えないほど今の社会を鋭く風刺しています。一つ一つの文が短く読みやすいのも魅力的です。

 スマートフォンやタブレットなど最近は本当に便利になったなぁと感じています。私は方向音痴なので、スマートフォンで地図を見ながら歩くことは日常茶飯事です。ちょっとした文章を書きたいときにタブレットを利用することもあります。そんな便利な社会の恩恵を受ける一方で、ふと考えることがあります。TwitterやFacebook、LINEなど手軽に世の中とつながりを持ててしまう現代ですが、人と直接会ってつながるということをこれまで以上に大切にしたいということです。SNSを通じて知り合うことができた方たちがたくさんいますが、その便利さに甘えず人との出会いを大切に、顔を合わせて笑いあえるような関係を築いていきたいと改めて思うのです。今年度もあるであろうたくさんの人たちとの出会いを今から楽しみにしています。

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弱点は-・・・

田房絢子

 私は小さい頃、何もないところでバッタンバッタン転んだり、フラフラヨチヨチ歩いたりすることが多かったそうだ。ちゃんと歩けるようになるまで、他の子どもよりかなり遅かったそう。すごくおっきな病院でほんのちっちゃな私が精密検査をしなければならないことに辛い思いをしたと後に聞いた。たしかに小学校や中学校、さらには高校でもすぐに躓いて捻挫や骨折をすることが多かった。大人になった今でも、あまり足回りには自信がない・・・。

 これは私の弱点が引き起こした二次障害らしい。私の弱点は左耳。おそらく生まれた頃から三半規管がうまく機能していなかったために起こったことだと今では推測できる。幸いにも右耳は元気なので日常生活には支障はない。多少の不便さは残るけど、なんせ物心ついた頃からなのでこれが当たり前だと思っているし、ふつうに両耳健康だったらどれだけおっきく聞こえるんだ?と未知なる世界に不思議な気持ちになる。

 というわけで、長年にわたり私の右耳はとてもよく働いてくれている。左耳を補うかのように視力は抜群に良い。遠くも良く見えるというのが遠視というカテゴリーに分類されることを知り、自分もそのひとりだったという発見は、まぁご愛敬程度に思っている。鼻も結構きくので、勘違いでなければ他の人には感じない匂いなんかにも反応することがある。ともあれ、私は弱点を抱えながらも、その分普通以上に仕事をしてくれている仲間たちに支えられながら、今日も元気に過ごしている。

 人間の身体や心は信じられないくらいの能力を秘めている。知らないことだらけが当たり前なんだから、どんな奇跡が起こるかもわからない。弱点だって、もしかしたらもしかする。補ってくれるところが絶対にあるという事実と信念と希望、そして「だって人間だもの」って思うくらいの余裕がきっと楽にしてくれるはずだ・・・よ?

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『色気か食い気か』

安齊 裕香

辞書で『食い気』と調べると、その言葉の‘使い方’の例文に『色気より食い気』と出ていた。まさしく自分のことではないか!!と感じた瞬間。

先日誕生日だった私に、校長先生が朝一「誕生日おめでとう」と声をかけてくれた。嬉しい一日の始まり。
そんな話から、アラサーの私に色気がない話に発展。(私が自ら言い出した。)
30代になってから周りからも旦那からもよく言われてきたのが‘色気がない’ということ。自分が中学生とか高校生の時は、30代40代の女性はとても大人っぽくて‘綺麗な女性’に見えていた。だから色気がぷんぷんのイメージだった。
しかしどうだろう。自分の30代。あれれ・・・?30代ってこんなんだっけ?って思う。もっと色気のある女性になるんじゃなかったのか・・・!?と思う。

なにがダメなのか、なにが足りないのか。
体育会系だからか。誕生日ディナーが焼肉だからか。ごはんが山盛りだからか。欲しいものがマンガの本全巻だからか。ジャージを着るからか。濃いめの化粧ではないからか。パジャマをinするからか。普段ヒールを履かないからか。落ち着きが足りないからか。

思い当たることはたくさんあるが、食べたいものは焼肉だし、おしゃれなお店も嫌いじゃないけど、昔ながらのラーメン屋さんとか好きだし、お米が好きだし、腹巻とか冷え症にいいし、その辺で遊ぶのとか好きだし・・・。

考えるほど、そもそも色気ってなんだろなって思ってきた。そもそも必要か?とか。でもないよりあった方がいいなぁとか。
色気を求めるのがおかしいのか。
振り返ると食い気ばっかりだし。
食べている時『幸せ~』って思うし。

そんな今年も色気ある綺麗なおねいさんにはまだまだです。
校長先生が「色気じゃない魅力がある」って言ってくれたから今年はそれで乗り切ろう。

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道中小企業家同友会の大久保尚孝さん

                                                        亀貝 一義

大久保さんが先月19日に亡くなられた。今日大久保さんとの「お別れの会」が札幌市民ホール(大ホール)で行われ、わが学園から杉野さんと二人で参加した。
大久保尚孝さんは、北海道の中小企業家のいわばリーダーだった。同友会を実際上うみだした最大の功労者であったろう。「共育」をキーワードとした同友会の理念はまさに大久保さんとともにあったといってよい。

大久保さんは昭和4年に神奈川県で生まれ、昭和45年に第一銀行を退職して札幌で活動の主要な場をつくりだした。北海道中小企業家同友会の初代事務局長の役割であった。
大久保さんはほとんど最初から教育を重要な関心事にしていた。

正確ではないが、私が大久保さんに初めて会ったのは80年代初期だったのではないか、と思う。その際、銀行をやめて北海道での仕事をするようになった自分の役割を語ってくれた。「中小企業家のネットワークをつくるための仕事をすることになった」という意味のことを言っていたと記憶している。
「教育」を重要な課題として意識されていた証拠のひとつに、80年代の後半のある時期に、私も、同友会の何かの集まりで「講演」らしいことをさせてもらった。
私が、1990年に今の仕事(学校づくり)を始めると、何かの節目のイベントに必ず参加されてメッセージを寄せてくれた。また「パーティ」などでもスピーチや乾杯の音頭をとってもらったこともある。
90年にはじめた最初のことは、ささやかな学習塾(進学のためというよりはいわば学習に遅れをもつ子どもたちのための「補習塾」)を開くことだった。この報告と相談に伺って塾の名称を考えているのですが何かアイディアがあれば、というようなことを言ったら大久保さんがこの塾の名称を「いきいき教室」としたらいいのでは、と提案してくれた。
そしてしばらくこの「いきい教室」が北区で機能した。

5年ほど前に、高校を開くことになった旨報告にいったとき「ようやくスタートしますね。がんばってよ」との激励をいただいた。

大久保さんは家庭の事情で大学進学はしなかったが、大学の講師の仕事などもしていたようだから、ヘタな大卒よりも優れた知識人だった。

今日の「お別れ会」、知事からの弔文、主な銀行の頭取などの出席もあった。北海道の経済の面でも重要な功績をあげられた人であった。いろいろなことを思い出して涙を押さえることができなかった。

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卒業式

桑名八重

今年も卒業の季節がやってきました。 卒業する3年生はもちろん色々な思いがよぎったことでしょう。 新しい生活に向けての期待や不安。 3年間の思い出と友達との別れ・・・。 みんなそれぞれの思いがあります。

さて、送り出すほうも沢山のことを考えています。

2年生の担任としては、

「来年の今頃はこの子たちが卒業するんだなぁ。」
「あと1年で卒業させていいのかなぁ。」
「来年はこんなにしっかりしてるかなぁ。」
「やっぱり後2年くらい三和高校にいてもらおうかなぁ。」・・・etc

3年間って、長いようで短い日々です。
これまでの2年間の毎日を振り返っても、
あんなこともできたはずだ。ああすればよかった。
担任は後悔と反省の日々の連続でした。

残りの高校生活を彼らがどういう日々を過ごしていくのか。
スタッフとして何をしていけるのか。
まだまだ試行錯誤の日々が続くでしょう。

2年生が卒業式の送辞で
「先輩達の後を継ぎ色々なことに挑戦することで、今以上に活気のある学園にしていきたい」
と挨拶しました。

春から最上級生になる2年生。不安と期待の1年間がスタートします。
後輩たちとと一緒に小さな学校を盛り上げていってね。

3年生。卒業おめでとう。
新しいスタートです。
たまには遊びにきてね!(要手土産)

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多様な学びを考える

高村さとみ

 2月10日(土)、11日(日)の二日間、東京代々木で開催された「第5回日本フリースクール大会(JDEC)」に参加してきました。JDECでは全国のフリースクール関係者・関心のある学生が集まり、講演会・分科会への参加や交流を行っています。私は第2回から参加しているので、これで4回目になります。

 その年によってJDECの内容にはカラーがあります。特にフリースクール全国ネットワークが中心となって取り組んでいる「子どもの多様な学びの機会を保障するための法律」の動きはJDECの核とも言えるものです。2010年、第2回のJDECでフリースクールやホームエデュケーション家庭が公に認知され、支援を受けるための法律「オルタナティブ教育法(仮称)」法案骨子が出されました。そして2012年、第4回のJDECではフリースクールだけではなくシュタイナースクールやインターナショナルスクールなど学校以外の様々な学びの場をオルタナティブな教育の場として捉えることに変化しています。「多様な学び保障法を実現する会」が発足し、今年は「子どもの多様な学びの機会を保障するための法律」と名称を変更しての初めてのJDECとなりました。内容の詳細についてはまた別な機会に触れたいと思います。

 私自身、特にフリースクール以外の教育機関を多様な学び保障法の対象に含んだことで、「多様な学びとは何か」ということをよく考えるようになりました。私はフリースクールの良い点の一つとして、各フリースクールによって活動内容がバラバラであるということが挙げられると思っています。子どもがその意志によって自分に合った学びの場を選択できることは理想です。ですから、フリースクールは特に同じ地域にあるのであればそれぞれの特色を持ったものであると良いと思っています。例えばAくんが住んでいる地域に活動の内容の違うフリースクールがいくつかあり、シュタイナースクールやインターナショナルスクールがあり、家庭で学ぶホームエデュケーションも認められているとしたら。そして、その中からAくんが自分に合った学びの場を選択できるとしたら。それはとてもすばらしいことのように思えます。一方、○○スクールという形にこだわらずとも塾や習い事など様々な場所が多様な学びの場といえるのではないかとも思います。実際に現在不登校の児童生徒でフリースクールや市の相談指導学級とつながっている子はわずかです。大半の子は家で過ごしているか、学校には行っていないが塾に通っている、児童会館に行っているなど他機関を利用していることが予想されます。いわゆる教科学習に限らず、子どもが興味をもって取り組んだこと全てに学びがあるというのが多様な学び保障法の前提なのでこの考え方は沿っていると思うのですが、なおさら多様な学びに法案という枠組みをつくることがいかに難しいかということを感じます。多様な学びというとありとあらゆる学びが想定されるのに、それを推進するための法律がむしろ多様な学びの範囲を狭めてしまうことになるからです。

 今回は「多様な学び」という言葉をクローズアップしましたが、多様な学び保障法はまだまだ検討の余地がある法案です。様々な立場の方、たくさんの方に意見をいただきながら修正していくことで本当に今必要な「多様な学び」が何か研ぎ澄まされていくはずです。そのためにはまずこの多様な学び保障法を多くの方に見ていただくこと。少しでも多くの方が多様な学び保障法に関心を持っていただけるとうれしいです。

(多様な学び保障法骨子案はこちらからhttp://aejapan.org/wp

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うれしい知らせ

田房絢子 

 最近、うれしい知らせが多い。高校生活をやり直す選択をして、まずは福祉の勉強をしたいと連絡をくれた卒業生。大学を中退したけど、また新たに進学を考えているという卒業生。そして、今日来てくれたのは大学を卒業見込みで、4月からは専門学校に進学予定という卒業生。私が担任をしていたときには、頭を抱えることも多かった。「ちゃんと来れなければどうなるでしょうか・・・」とか「これからどうしますか・・・」といったようなFAXを送ったこともしばしば。お母さん達と共にLove FAXと銘打ったこの方法が彼の心に響いたかどうかは定かではない・・・が、そんな彼らが何とか卒業の日を迎えた3月。その4年後にこんな形で次々と報告が聞けるとは思いもしなかった。

 あの頃のクラスは、毎日が生きることに精一杯で余裕が持てる状態じゃなかった。でも徐々にお互いに心を寄せ合い、支え合うことを学び、そうして自分の足で立つことを覚えた。とても越えられないような壁に何度も何度もぶつかりながら、あの2年間で私もたくさんのことを学ばせてもらった。あのクラスがなかったら今の私は存在しなかったと思う。子どもに対する気持ちや接し方、愛情、自分の在り方、教師であるということ、生きているということ。子どもたち、そして保護者の方々からもたくさんの愛をもらって、そして、卒業式を迎える頃にはひとつの頼もしいクラスになってくれた。ひとり一人が自分を大切に思うことのできる、そして他人も大切に思うことのできる人に育ってくれた。最初は頼りなかったみんなだけど、今ではどの子も逞しく生き残ってくれるに違いないと思える。紆余曲折したって、自分らしく生きられる道を見つけてくれるに違いない。

 ふとした時に、こうして幸せを運んできてくれる卒業生たち。教師という職業は本当に本当に幸せなものだ。

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1月29日という一日。

                                                               3学年担任:安齊 裕香

  3年生が最後の登校日。最後な実感はない。まだまだ終わってないこともちらほら。でも前からずっと、今日のこの日はみんなで終わるんだなぁ~なんて想像していた。最後だし、真面目な言葉を贈ったらいいか、何を伝えようかぼんやり考えていた。

そう思っていた矢先、1名インフルエンザ。全員揃わない。16人いない。このタイミングでの出席停止。やっぱりなんかある。まぁ仕方がない。と思った朝は、なぜか8名で朝の会。なんで!?みんなインフルエンザなのか、交通機関の影響なのか・・・でも天気悪くないし・・・。全然。ただの授業変更を忘れていたみんな。こらこら。

 そんなちょっとのんきなところがある、相変わらずの天然ぷりな3年生。

でもそれがなんか懐かしい気持ちにさせられた。『3年間を思い出して!!』と言われているような気がした。2年生の途中まで朝は全然揃わなかった。でも修学旅行があけたくらいから、毎日朝から登校するのが当たり前のクラスになった。

なかなか登校できなかった子が毎日来ている。遅刻常習犯だった子が朝から毎日いる。授業に出席できなかった子が全ての授業に出席している。自分の考えを表現するのが苦手だった子が、しっかり発言する。

 みんな変わった3年生。

よく笑う3年生。

みんな上出来◎

 そんなこんなで素敵なクラスは2月に集合の予定となる。今度こそ揃うかな?インフルエンザ大丈夫かな?集合する日忘れてないかな?・・・なんて考えているうちに寂しさも忘れ、あっという間に終わった1月29日。

 

これから3年生を送り出す準備が始まる。

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札幌自由が丘学園の新たな展望を!

 亀貝一義

 最近、いつも頭をよぎるのは「札幌自由が丘学園創立20周年」である。それは、端的に言えば『来し方行く末」である。1993年11月1日のフリースクールスタートのシーンがありありと脳裏に浮かぶ。当時、この新しい学校をすすめる担当者たちの共通の思いは「フリースクールを一つのステップとして新しい学校を生みだそう」ということだった。だからその時の私などの問題意識は、フリースクールスタートは「認可学校」創設のためのいわば手段だった。  しかしその後のフリースクール札幌自由が丘学園の展開は、「手段」などでなく教育理念を展開するという目的そのものであった。  フリースクールという現在もまだ「アブノーマル」(「普通の学校でない位置にある)学校をノーマルな位置に引き上げることが今の私の基本目標になっている。

 立脚点の第一は、フリースクールが受けいれる「不登校」の子どもをどう見るか、ということである。単に「一般の子どものようには学校に行けない」という見方ではなく、今日の教育と学校の画一的なしくみを拒否し、「子どもの育ちが多様であるのだからこれにふさわしい教育と学校のシステムであるべきではないか」と訴えている子どもたちである。
 立脚点の第二は、豊かな感性をもって育った子どもたちは一時的に人とのふれ合いや「学校」そのものに対してなじめない点があるだろうが、それはあくまでも「通過点」であって、豊かな個性をもった大人(スタッフ)や生徒たちとの交流の中で多少のジグザグがあっても元気を取りもどし、「不登校の子ども?」と疑問を持たせるようなごく普通の子どもになるのである。すなわち、私たちの人間観生徒観の修正を求められる。
 立脚点の第三は、学校の在り方の多様性を追求し続ける立場である。近代的な学校が制度面でも内容面でも受けいれる子どもについても、画一的統一的なしくみをもってその水準などを維持発展させてきた。しかし、今上のように、中学校でいえば一クラスに1名以上の「不登校」の生徒がアピールしているが故に、学校の在り方を根本的に見直していかなければならないことを、多くの心ある人たちは自覚し出している。

 スタート以来、私たちは上の3つの点を、すなわち子ども観、子どもの成長観、学校観を育んできた。この上で、次の展望は、フリースクールという主として中学校と、創設5年になる札幌自由が丘学園三和高等学校を総合的に展開するいわば中高一貫の教育しくみを確立させていくことである。その展開から人としての自立(進路)を支援していくことができると確信している。教育制度の改変にまで思いをいたさなければならないから道は非常に遠いのだが、冒頭記した「来し方」と共に「行く末」を実のあるものとして多くの人に提示することができるだろう。

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