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引越ウラ話

高村さとみ

 この年の瀬に引っ越しをしました。
 4月から住んでいた築60年の木造一軒家がオーナーが変わったことで取り壊されることに。マンションで日が遮られ、とっても寒い(本当に!)我が家でしたが、気に入っているところもたくさんありました。二人暮らしには十分な広さであること、昔ながらのつくり、備え付けの収納がたくさんあること、そしてたまに鳥や猫が遊びに来る庭。春には桜と梅を楽しめました。夏には野菜をいろいろ植えて、梅の実で梅ジャムや梅酒をつくることができました。日照不足で野菜の収穫は少なかったけれど、来年はどんな工夫をしようかと楽しみにしていました。
 8か月しか住んでいませんが、いざ引っ越しとなると何ともさみしい気持ちになるものです。家に足を踏み入れることがもうできない、それどころか家自体がなくなってしまうなんて。けれども水道凍結や雪かきの心配もあり、結果的には年内に引っ越しできてよかったです。先日の大雪で屋根雪が落ち、玄関へ行くための通路がふさがってしまったそう。一方、越してきたのは鉄筋コンクリートのマンションです。あまりにあたたかくて、木造一軒家のとの差に驚いています。ストーブをつけた状態の前の家より、ストーブを消している今の家の方があたたかいと思います。ベランダが南向きなので、今度はベランダ菜園に挑戦したいです。
 住めば都の言葉通り、今の家は今の家で快適に過ごしています。前の家は収納が多かった分家具をあまり持っていないので、2×4材で服かけラックや棚をつくったりもして、それはそれで楽しいです。時間の余裕があれば色塗りもしたかった。余談ですが、せっかく悩んで選んだカーテンが窓に合わなくて使えないなんて、何ともったいないことでしょう!8か月しか使ってないのに新たに購入するなんて意地でもしたくない!と、布用のりを駆使して現在の窓サイズに直しているところです。
 何のオチもありませんが、今年は最後の最後までこうしてバタバタしています。来年はもっとゆっくりのんびり過ごしたいなあ。

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教育機会確保法が成立しました

                           亀貝 一義

一般にいう「教育機会確保法」が昨日参議院で可決され、成立しました。二月間の期間を経て施行されます。
この法律は、おおよそ次の内容をもっています。

① 教育基本法と児童の権利条約の趣旨にのっとり... 。教育機会確保の施策を総合的に推進することを目的とする(1条)。
② 基本理念として、すべての児童生徒のために、学校環境の確保、不登校児童生徒の状況に応じた必要な支援、学校環境の整備、普通教育を十分に受けていない者の意思を十分に尊重し国籍等の事情にかかわりなく能力に応じて、そして国と自治体はこの種の活動を行う民間の団体その他関係者の相互の密接な連携の下に行われること、をあげる(3条)。
③ 国と自治体は教育機会確保のために協力しつつ当該地域に応じた施策を策定し実施する責務を負う(5条)。また、国と自治体はこの施策を実施するため必要な財政上の措置その他の措置を講ずるように努めると(6条)。

④ 文科大臣は教育機会確保の関する施策を総合的に推進するための「基本指針」を定めなければならない。(その4つの事項)。これを行う時に、あらかじめ自治体やこの活動を行う民間の団体その他関係者の意見を反映させるために必要な措置を講ずる(7条)。
⑤ 国と自治体は不登校児童生徒の教育機会確保のために学校への取り組み、関係者間での情報を共有しなければならない(9条)。
⑥ 国と自治体は、不登校の児童生徒のために特別に編成された教育課程に基づく教育を行う学校の整備とその教育充実のために必要な措置を講ずるように努める(10条)。
⑦ 国と自治体は、学校以外の場において行う多様で適切な学習活動の重要性を考慮し、不登校の子どもの休養の必要性を踏まえ、状況に応じた学習活動が行われるように、子どもや保護者に対して必要な支援を講ずる(13条)。(夜間中学校については略)
⑧ 政府は、教育機会確保等のために必要な経済的支援のあり方について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずる。
⑨ この法律施行後3年以内に、この法律施行の状況について検討を加え、必要な措置を講ずる(附則)。

国と地方公共団体は、不登校の子どもの教育機会を確保するためにフリースクールなどと協議して具体的な施策を進めなければならない、とあります。

問題はこれからです。道や市がこの法律の趣旨にもとづいて、不登校の子どもの気持ちや感情を重んじながら、必要な支援のあり方を、フリースクールなどと協議して、どう進めるように仕向けるか。まず、自治体の受けとめる担当窓口がどうなるか、誠実に対応できる担当者であるか、などを注目していかなければならないと思います。

衆議院の採決にあたって、付帯決議が満場一致行われています。この決議はこの施策と理念をより的確にしめしていることを重視したい。法律施行の基本のよりどころになる理念です。

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こころの味

三和高校 桑名八重

三和高校には「北海道科」という授業がある。生徒たちはこう言うと「え、なにそれ」と思うかもしれないが、授業名は「郷土の歴史」「郷土の文化」「郷土の産業」である。
各高校で学校の特徴に合わせて自由に設定できる「学校設定科目」のひとつである。

私は今年も「郷土の歴史」と「郷土の産業」を受け持っている。
じつはかなり内容には苦労している・・・。あんまりそう思われてないけど・・・。

なんせ、教科書が無いのでいつも「ど~しよ~」と唸りながら授業の準備である。

けっこう自分の好きなことを中心に授業をしているが、

生徒たちに北海道のこと、自分の住んでいる場所に興味を持って欲しい、「いいとこだよね」って再認識して欲しいというのが授業をする際の気持ち。

さて、毎年3年生のこの時期には映画を見て感想を書いてもらう。(これもレポート)
最後にいつも書いてもらう質問がある。

「あなたの記憶にのこる料理はなんですか」

おふくろの味、家族のエピソードにまつわる味、初めて作った料理の味・・・
それぞれが一生懸命書いてくれる。

なんとなく親との会話がなくて、ぎくしゃくする年頃の生徒たちも料理について書く中で家族への気持ちを素直に書いている。幼い頃の思い出や感謝の気持ち、様々な気持ちが溢れている。
食卓の大切さをつくづく感じる。

私にとって「こころに残る料理はなんだろう・・・」いつも生徒の文章を読みながら思い返す。

最近は「娘に思い出の味っていえるモノを伝えられるだろうか」と考える。自分に課した大きな課題だ。

今年もまた、このレポートを出す時期です。
今年はどんな思い出が出てくるのか楽しみです。

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救われる言葉

三和高校 渡辺莉卯

今年も早いもので12月に入った。
札幌では日によって雪が降ったり止んだりと忙しなくなってはきたが、窓から見る限りではまだ深く積もった様子はない。しかし、そろそろ本格的な冬の寒さに備えて準備をしていかなくてはいけないな、と思う今日このごろである。
進学や就職とこの時期は3年生にとっても忙しなく、本校でも進路が決まった生徒がちらほらと出てきた。数ヶ月後には皆それぞれ別の場所にいるのだと思うと、一緒にいられる残りの時間の少なさに驚いてしまう。

私は大学4年生のちょうどこの時期、卒論や就職などでいっぱいいっぱいで、先が見えない不安で押しつぶされそうになっていた。こういうことをしたいという憧れの気持ちを持っていても、それに伴う力がないのも自覚していて、それじゃあ今の自分には一体どこで何ができるのだろうと、自分の居場所を探しているような感覚だった。周りの友達がどんどん前に進んでいく中で、たった一人取り残されていくような気持ちだったのだと思う。

そんな時に、父の昔からの友人で、私も幼い頃からお世話になっている方が話してくれた内容が、今でもとても印象に残っている。

『自分の少し先を生きている先達の中に、仮に自分がしたい職業ではないとしても「あの人いいな」と感じる人がいたら、少しでも近くに行き、少しでも長い時間を一緒に過ごしてみるといいと思います。(中略)印象に残った大人たちは、自分の内側で内在化して、いつもその人と一緒に生きてゆくことになります。で、その人たちは、たとえばなにかめげてしまいそうなとき、自分をじっと見つめてくれます。眼差しが内在化されるというか。自分が「いい」と感じる大人との出会いを、大切にして下さい。』

そうか、と素直に思った。
周りを見れば親や先生や、これまで出会った様々な人達とのつながりがある。そのつながりを大切にしながら、色々な職業の人達の考え方や働き方、生き方を知って、自分のやれることや居場所をまた探していこうと思った。

今は12月上旬、まだ考える時間はたくさんある。
生徒にも今まで出会った人とのつながり、そしてこの先それぞれの道に進んだとしても、新しい場所で出会う人とのつながりはずっと大切にして欲しいなと思う。何かにいきづまった時は特に、色々な人の言葉を聞くことで、時にその言葉に救われることもあると強く感じるからである。

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準備もまた、文化祭

三和高校 本間 香菜  

 明日は、札幌自由が丘学園のフリースクールと三和高校の合同の文化祭です。約1ケ月の間、ステージ練習をしたり、作品の準備をしたり、各クラスや有志グループが活動していて、学校内は文化祭モード。

 私が担任を持つ月1クラス(在宅学習コース)は文化祭への参加がないので、私はちょっと淋しく思いつつ、月1クラスの生徒とだったらどんなことができるだろう、本校だったら...と、妄想を膨らませています。
 高校生の文化祭は、自分たちでやりたいことを考えたり、その方法を考えたり、特に有志発表では参加するしないも、すべてが発表者に任せられています。そのため、クラスメイトやグループメンバーと意見が合わないことや、うまくいかないこともたくさんあります。ただ、そういう思いをしながら進めていく準備期間が意外と心に残るものではないでしょうか。
 実際、準備に一生懸命時間をかけて、本番はあっとゆう間。時間にすると本番は準備の10分の1以下です。

 私の学生時代の文化祭を振り返ると、当時のクラスメイトには大変申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、私はどちらかというとクラスの作業に協力的ではなかったのだと思います。お化け屋敷をやったり、ドリンクゼリーという創作飲み物屋さんをやったり、クラス全体の記憶はあるのですが...自分が何を担当して、どんなことをしたか、全く記憶にありません。
 
そんな私の数少ない文化祭の思い出の中で、強く覚えているのが、教室の装飾のためにクラスメイトが買い出しに行った時に、その中の一人の男の子が自分のお小遣いでみんなにシュークリームを買ってきてくれたこと。そのシュークリームをクラスメイトみんなで、半分ずつ食べたこと。クラスメイトのために差し入れをする、みんなで分けあってなにかを食べるという発想がなかった私には衝撃的でした。決して仲の良いクラスではなかったのですが、この瞬間に、クラスがひとつになっているということを高校生ながらも感じた気がします。今思えば、たいした仕事をせずに、差し入れのシュークリームを美味しく頂いただけかもしれない。なんてひどい、当時の私...。それでもきっと、私も何かを担当して、少しは役に立っていたはず。。

 さて、明日は本番。彼らの文化祭は将来、どのような記憶になって残るのでしょうか。

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給食のヒミツ

高村さとみ

 給食のヒミツ。フリースクールは正式な学校ではないので、通常は給食がありません。ありませんが、札幌自由が丘学園では今年度からお隣の「ひかり亭」に力を貸していただき、週に1回の給食を始めました。
始まった当初の給食の時間は大混乱!登校している人数が日によってバラバラなこと、米を炊く・食器を洗う作業があることなどが理由でした。今でこそ配膳から片づけまでの手順が決まってきましたが、まだまだ学校の給食ほど効率的ではないだろうなぁと思います。でも、この非効率さが良いのです。非効率的な分、子どもたちは考えます。

「まず始めに人数を数えよう」
「給食係以外の人で机を元に戻して」
「給食係は給食がのっていた大きな皿を洗うから、流しは1つ開けておいて」
「このおかず、あとちょっとだから誰か食べちゃって」

 こうして誰かの呼びかけや話し合いにより、少しずつ手順が決まってきました。まだまだ改善の余地はあるでしょうが、それは子どもたちが工夫を考える余地があるということでもあります。
これと似ているのがルールづくりです。札幌自由が丘学園には細かな生活のルールがあります。携帯の使い方、荷物の置き方、授業の過ごし方等々。フリースクールのイメージとあまりそぐわないかもしれませんが、このルールは子どもたち自身が決めてきました。まずは年度初めに今年度の仮ルールとして昨年度のルールを提示する。それを見て、今年度変更したいところや追加したいところについて話し合います。年度途中でも、何か変更したいという意見があれば改めて話し合いの場を持ちます。
 給食とルールづくりに共通しているのは、自分たちでつくり、考えなければならないということです。これがもしも、大人が全てを用意し与えるだけになっていたら、子どもたちが一生懸命考えて話し合う様子は見られなかったでしょう。より良くするための工夫は生きる力でもあります。効率ばかり追い求めてはいけない、まわり道、アナログ、原始上等。なんだか、人の生き方にも通じそうな話ですね。

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ご先祖さまと白いメシ

札幌自由が丘学園三和高等学校校長 亀貝一義

かつてアレックス・ヘイリーという人が自分の先祖を探すという活動を行いました。ルーツ探しということで話題になりました。また彼はこの活動を「ルーツ」という本にまとめて(1976)かなり多くの人たちに読まれています。彼の先祖はアフリカで平和な暮らしをしていたのに、奴隷狩りに逢い、アメリカ大陸に若い奴隷として連れてこられました。

日本でも多くの人がこれを読んで自分の先祖に関心をもったことがあります。私もそのひとりでしたが、あまりヒマもカネもなかったので、ほとんど「先祖捜し」はしていません。しかし、わが遠い親戚の中で興味・関心のある人がいていろいろ調べてくれました。
先祖といっても、父の方をさぐるか、母の方に重点を置くかによって、全く異なった先祖が見つかります。私の場合には母方をメモしてみましょう。

母方の先祖(大瀬という氏)は新潟市の近くで暮らしていたのですが、明治29(1896)年からの水害(信濃川)のために、そこで農業をつづけることができなくなり、なけなしのカネを払って北海道にわたってきました。この時に必要とした金額は100円だったとのことです。今のカネになおすと300万円ぐらいになるといいます。
まずたどり着いたのは、今は札幌市北区の篠路でした。ここでやはり農業(藍をつくったりしたらしい)をやっていましたが、明治36(1903)年に和寒に移りました。今、和寒で農業を行っている主人の3代前です。明治32(1899)年に、鉄道(宗谷本線)が和寒まで通じたこともあって、遠国ではない感がしてきたのだと思います。ただそこですぐ米作りをしたのではないと思います。和寒でようやく米づくりに成功したのは明治40(1907)年だったとのこと。だからといってみんなが白いごはんを腹一杯食べることができたかと言えば全くそうではなかったと思います。私のおじいちゃんが昭和21年ごろだったと思いますが、「おまえたちが不自由なく白いメシを食べられたらいいのに」という意味のことを語っていたことをかすかに覚えています。だから「白いメシ」を腹一杯食べることができるようになったのはそんなに昔ではなかったのです。せいぜいこの70年前ころからだったと思います。

「先祖」がどういう歩みをして今の自分がここにいるのか、を知ることは人間の大きな活躍の足跡をたどることになりますし、たくさんの人たちとのつながりを確認することにもなります。
今、ここにいる皆さんがたも、父母や祖父母、さらにその前の先祖がどこから来てどういう苦労を経て今の自分に至っているのかを、ちょっとだけ興味をもって考えてみて欲しいな、と思いました。

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夫婦別姓・・・私のホンネ

             三和高校  桑名 八重

9月13日の「結婚ウラ話」に私も一言・・・いや、一文。

「夫婦別姓」
気になる人には非常に気になる。関係無いや~という人にはまったく別次元の話。
色々な人に聞いてみるとまったく捉え方が異なります。

社会科の先生として、結構色々な人に「夫婦別姓ってどう思う?」と聞いたことがある。
丁度、最高裁判決の前後のことです。

Aさん(男性)「え、男の姓に合わせるもんでしょ。そういう人としか結婚しません」
Bさん(男性)「聞かれるまで考えた事無かった・・・。相手が変えたくないって言ったら自分が変えて        もいいかな」
Cさん(女性)「本当は変えたくない。が、仕方ないって思って相手の姓に変えるかも」
Dさん(女性)「結婚したっ!って姓が変わって初めて実感した。姓が変わるの楽しみだったわ~」
Eさん(女性)「この姓で生きてきて、愛着もあるし仕事もこの名前で結果を出してきた。               変えたくない。変えるなら結婚しない!!」
Fさん(男性)「そんな問題があるなんて考えてもみなかった。今はわかんない・・・」

考え方も、受け取り方も人それぞれ。
けれど、その人の生き方考え方なのですからどれも間違いではないですよね。

かくいう私も夫婦別姓が希望。
今は旦那さんの姓を名乗ってますが、可能なら生まれたときからの姓に戻したい。

「仕事上は旧姓なんだから別にいいじゃん」という考え方もありますが、やっぱり違います。
どっちの姓も私だけどどっち付かず・・・そんな気分です。

高村さんが「夫婦別姓が良いと考える人たちは「全員別姓にすべき」と言っているわけではなく、「同姓でも別姓でも望む方を選べるようにしよう」という主張です。」と書いているように、私もこの意見に賛成なのです。

『選ぶ』ことを私たちは日常生活でも色々な場面で求められます。

『選ぶ』ためには自分なりの選択基準を持たなくては選べません。

学んで考えて、決断する。進路、就職、選挙 etc

私たちの社会はたくさんのことを自ら選ぶ事を求めている社会です。

そのうちのひとつに「姓を選ぶこと」が加わることを私は望みます。

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1杯の味噌汁

                                        三和高校 渡辺 莉卯

10月に入ってからすっかり肌寒くなったのもあり、最近では温かいものが食べたくてたまらない日が多くなった。おでんにラーメン、コンビニの肉まんなど帰り道は誘惑に溢れているという風に感じるのは、きっと生徒たちも同じだろう。たまに誘惑に負けてしまうのは私だけではないはずだ、と思いたい。

さて、寒い季節になると特に、我が家では毎日のように味噌汁が食卓に並ぶ。ワカメや豆腐、大根や人参といった野菜などその日によって様々な具材を味わうのが、私の密かな楽しみにもなっている。

「味噌汁」に、私はこんなエピソードがある。

高校時代のちょうどこの時期、私は3週間カナダのバンクーバーに留学していた。街の飾り付けはハロウィン一色で、ジャック・オウ・ランタンや魔女などお化けをモチーフにした色とりどりのお菓子やグッズが店頭に並び、見ているだけで楽しい気分にさせられた。ホームステイ先でカナダの家庭料理や、サーモンなどの海の味覚も味わえたことも、私にとって大切な思い出である。

そして帰国後、家に帰ると「お腹がすいたでしょ。」と母がおにぎりと1杯の味噌汁を用意してくれていた。久しぶりの日本食に、私はこの時ひどく感動したのを覚えている。
お味噌が香る湯気が鼻の先をかすり、お出しがきいた温かい味が喉を通る。疲れた身体に染み渡るような温かいジンワリとした感覚がとても心地よく、「帰ってきたんだなぁ・・。」としみじみと実感できた。大人になった今でも、味噌汁は私の大好物の1つだ。

昨日、札幌では初雪が観測された。
早くも冬の気配が見え隠れしていると感じ、今後もますますあの誘惑に負けることが増えてくる予感がする。でもあの誘惑に耐えながら早く家に帰れば、あの1杯の味噌汁が待っている。そう思えば、この寒さもなんとか乗り越えられるような気がするのだ。

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教育実習の思い出

札幌自由が丘学園三和高等学校 亀貝一義

毎年、本校(札幌自由が丘学園三和高校)に主として卒業生なのだが、教育実習生が来て授業をしてくれる。実習生の皆さんが卒業後、学校の教師になるかどうかは別として、一人ひとりにとってこの実習は大きな意義を持っているのではないか。

私の時代(1950年代終わり頃)、学校の先生が足りなくて、高校卒業生も臨時の教師をやるという時代だった。

私は、大学2年目の秋に、寮生活の中で、ある先生の講演を聴く機会があり、大いに感動して学校の教師になろうという目標をたてた。そして教育学部に進んだのだが、4年目の春だったと思うのだが、教師の資格を取るには教育実習というプロセスが必要、ということで、札幌北高校に2,3週間行くことになった(多分「日本史」を担当していたと思う)。その時のことはあまり覚えていないのだが、教育実習の終わりに必ず「教育研究授業」を行うことになっていた。

今の記憶でいえば、私は日本の軍国主義が勢力を持ってきた昭和初期のあたりをテーマにした授業をしたと思う。
今でも記憶にあるのは、当時の右翼や軍部の一部がファッショ的行為を行った際の理屈に「君側の奸を斬る」というのがあった。私はこの語を板書して、「キミガワのカンをきる」と読んだ。「君側」という語の読み方を間違った。本当は「クンソクのカンを斬る」と読む。意味は天皇の側で威張っている悪者を切って排除すれば天皇の光が自然と輝く、というような意味だ。どういう読み方でも意味は違わないのだが、キミガワと読んで、後で「反省会」で指導してくれた先生方から指摘されて恥ずかしい思いをした記憶がある。

あれから50年以上たつ。教育実習の体験があったから教育の仕事をし続けてきたのか、と述懐する昨今。

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