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振り返ることと新たに思うこと

私は「今までこうだったから」とか「こういうものだから」とか「普通は・・・」という考え方が好きではありません。しかし、そう考える大人は少なくなく私の周りにもその考えが染み付いた大人がいました。その様な考えでは進歩も発展もなく、新しいものを生み出せないと思います。新しいものを生み出すことは言うほど容易ではなく、綿密な計画と可能性を裏付ける根拠とが必要です。ひらめきも大切な要素のひとつですが、常に考える癖を身につけてかなければひらめくことさえありません。だから毎日、いつでも考えています。「考えてばかりいないでやることをやりなさい」と言う大人も少なくなくて、でも口癖のようにこう言っている大人に限って、考えようともせずどこからかコピペしたようなことを口にしているように思えてなりません。まるで評論家です。そういう人は発想力(創造力)が貧困なのでしょう。生み出そうとする物事に「完璧」や「絶対」はありませんから、ある程度のところで生み出すことが大切で育てながら悩み、若干の方向修正をしながら育て続けることが更に大切です。そして継続することが大切で、これを結構軽んじることが多いように感じます。何かを創っては潰し、潰しては創ることをクリエイティブと捉える風潮が昨今あるように感じるのは私だけでしょうか。

札幌自由が丘学園グループはフリースクールと通信制高校があります。この2つの学校(一方はオルタナティブでもう一方は認可校)も今まで通りには行かないし、今まで通りに行こうとも考えてはいません。「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」が成立しフリースクールがもつ意味をこれまで以上に大人が、社会が真剣に考える時期になりました。通信制高校の数が増える一方で「教育の質」を問われる機会が非常に増えています。いい加減なことをする高校があることは事実かもしれません。しかし、これは通信制高校だけのことではありません。要するに「高校教育のあり方」を見直す時期であると私は捉えています。高校教育の重要性を再認識し構築しなおす時期です。学ぶ主体である子どもをしっかりと中心に据えて、教育内容と教育方法の両面を吟味することの重要性が更に増したということでしょう。

頭を抱えながら、頭を突き合わせながら一緒に考えられる大人たちとこれからも仕事に取り組んでいきたいと切望します。2017年はこれまで以上に「考える年」にしようと決意を新たにしました。考え抜き行動する知力と体力を身につけよう。新しいこと1つとやり残したことの1つに取り組み成し遂げようと自分に言い聞かせる年始になりました。

学園にかかわってくださっている多くの方々、関係機関の皆様、本年もご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。

2017年1月5日  札幌自由が丘学園 学園長 杉野建史

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終業日

3学年担任  田房絢子

先週22日に無事、終業日を迎えました。体調不良に悩まされていた生徒も復活して一安心。幸いにもインフルエンザに倒れてしまう子が誰ひとりいない2016年の終わりです。

でも終業日を迎えたと言うことは、3年生は冬休み明けの試験ウィークを最後に家庭学習期間に入ります。補習があるかどうかはひとまず置いておいたにせよ、クラスとしてみんなで顔を合わせるのは片手で収まることになってしまいました。12月に入ってからカウントダウンの暦を作り、日ごとめくったページも残りわずか。一枚めくるごとに心に空いたぽっかり穴がどんどん広がっていくようです。

2016年は「とにかく忙しい」という言葉で覆い尽くされていました。校務はもちろんいつだって忙しいのですが、そうではない所でひとり忙しくしていました。気持ちがずーっとずーっと、とってもとっても落ち着かないのです。いや、正しく言えば気持ちが穏やかなのに落ち着かないといった所でしょうか。これは3年生を担任した日から始まっていました。担任が決まった日から、一緒にいられる喜びと、そして卒業を見送るだろうその日の悲しみが始まりました。

卒業しても1人ひとりには会えるけど、みんなには会えません。

これは最初からわかっていたことなので、覚悟はしています。

でもきっと想像以上に私にダメージを与えることになりそうで、ちょっと怖くもあります。

でも、みんなの新しい出発の2017年なら、私にとっても再出発です。

どれだけ悲しい思いをしたとしても、それを越えるような発見や喜びもあるでしょう。

そうやって年を重ねて、見送って、一つ一つ積み重ねていくのでしょう。

年末のこんな天気だから感傷的な気分になっているのかもしれませんね。

あーあ、卒業式後の教室が今から憂鬱です・・・。

ある生徒が言っていました。「田房さんは大丈夫大丈夫って言い過ぎだよ~。大丈夫じゃないから!」

「大丈夫」これは12年前に初めて担任を持ったときからの、私の座右の銘なのです。

そんな今こそ自分に言い聞かせます。「大丈夫。きっと大丈夫だから。」

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引越ウラ話

高村さとみ

 この年の瀬に引っ越しをしました。
 4月から住んでいた築60年の木造一軒家がオーナーが変わったことで取り壊されることに。マンションで日が遮られ、とっても寒い(本当に!)我が家でしたが、気に入っているところもたくさんありました。二人暮らしには十分な広さであること、昔ながらのつくり、備え付けの収納がたくさんあること、そしてたまに鳥や猫が遊びに来る庭。春には桜と梅を楽しめました。夏には野菜をいろいろ植えて、梅の実で梅ジャムや梅酒をつくることができました。日照不足で野菜の収穫は少なかったけれど、来年はどんな工夫をしようかと楽しみにしていました。
 8か月しか住んでいませんが、いざ引っ越しとなると何ともさみしい気持ちになるものです。家に足を踏み入れることがもうできない、それどころか家自体がなくなってしまうなんて。けれども水道凍結や雪かきの心配もあり、結果的には年内に引っ越しできてよかったです。先日の大雪で屋根雪が落ち、玄関へ行くための通路がふさがってしまったそう。一方、越してきたのは鉄筋コンクリートのマンションです。あまりにあたたかくて、木造一軒家のとの差に驚いています。ストーブをつけた状態の前の家より、ストーブを消している今の家の方があたたかいと思います。ベランダが南向きなので、今度はベランダ菜園に挑戦したいです。
 住めば都の言葉通り、今の家は今の家で快適に過ごしています。前の家は収納が多かった分家具をあまり持っていないので、2×4材で服かけラックや棚をつくったりもして、それはそれで楽しいです。時間の余裕があれば色塗りもしたかった。余談ですが、せっかく悩んで選んだカーテンが窓に合わなくて使えないなんて、何ともったいないことでしょう!8か月しか使ってないのに新たに購入するなんて意地でもしたくない!と、布用のりを駆使して現在の窓サイズに直しているところです。
 何のオチもありませんが、今年は最後の最後までこうしてバタバタしています。来年はもっとゆっくりのんびり過ごしたいなあ。

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教育機会確保法が成立しました

                           亀貝 一義

一般にいう「教育機会確保法」が昨日参議院で可決され、成立しました。二月間の期間を経て施行されます。
この法律は、おおよそ次の内容をもっています。

① 教育基本法と児童の権利条約の趣旨にのっとり... 。教育機会確保の施策を総合的に推進することを目的とする(1条)。
② 基本理念として、すべての児童生徒のために、学校環境の確保、不登校児童生徒の状況に応じた必要な支援、学校環境の整備、普通教育を十分に受けていない者の意思を十分に尊重し国籍等の事情にかかわりなく能力に応じて、そして国と自治体はこの種の活動を行う民間の団体その他関係者の相互の密接な連携の下に行われること、をあげる(3条)。
③ 国と自治体は教育機会確保のために協力しつつ当該地域に応じた施策を策定し実施する責務を負う(5条)。また、国と自治体はこの施策を実施するため必要な財政上の措置その他の措置を講ずるように努めると(6条)。

④ 文科大臣は教育機会確保の関する施策を総合的に推進するための「基本指針」を定めなければならない。(その4つの事項)。これを行う時に、あらかじめ自治体やこの活動を行う民間の団体その他関係者の意見を反映させるために必要な措置を講ずる(7条)。
⑤ 国と自治体は不登校児童生徒の教育機会確保のために学校への取り組み、関係者間での情報を共有しなければならない(9条)。
⑥ 国と自治体は、不登校の児童生徒のために特別に編成された教育課程に基づく教育を行う学校の整備とその教育充実のために必要な措置を講ずるように努める(10条)。
⑦ 国と自治体は、学校以外の場において行う多様で適切な学習活動の重要性を考慮し、不登校の子どもの休養の必要性を踏まえ、状況に応じた学習活動が行われるように、子どもや保護者に対して必要な支援を講ずる(13条)。(夜間中学校については略)
⑧ 政府は、教育機会確保等のために必要な経済的支援のあり方について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずる。
⑨ この法律施行後3年以内に、この法律施行の状況について検討を加え、必要な措置を講ずる(附則)。

国と地方公共団体は、不登校の子どもの教育機会を確保するためにフリースクールなどと協議して具体的な施策を進めなければならない、とあります。

問題はこれからです。道や市がこの法律の趣旨にもとづいて、不登校の子どもの気持ちや感情を重んじながら、必要な支援のあり方を、フリースクールなどと協議して、どう進めるように仕向けるか。まず、自治体の受けとめる担当窓口がどうなるか、誠実に対応できる担当者であるか、などを注目していかなければならないと思います。

衆議院の採決にあたって、付帯決議が満場一致行われています。この決議はこの施策と理念をより的確にしめしていることを重視したい。法律施行の基本のよりどころになる理念です。

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こころの味

三和高校 桑名八重

三和高校には「北海道科」という授業がある。生徒たちはこう言うと「え、なにそれ」と思うかもしれないが、授業名は「郷土の歴史」「郷土の文化」「郷土の産業」である。
各高校で学校の特徴に合わせて自由に設定できる「学校設定科目」のひとつである。

私は今年も「郷土の歴史」と「郷土の産業」を受け持っている。
じつはかなり内容には苦労している・・・。あんまりそう思われてないけど・・・。

なんせ、教科書が無いのでいつも「ど~しよ~」と唸りながら授業の準備である。

けっこう自分の好きなことを中心に授業をしているが、

生徒たちに北海道のこと、自分の住んでいる場所に興味を持って欲しい、「いいとこだよね」って再認識して欲しいというのが授業をする際の気持ち。

さて、毎年3年生のこの時期には映画を見て感想を書いてもらう。(これもレポート)
最後にいつも書いてもらう質問がある。

「あなたの記憶にのこる料理はなんですか」

おふくろの味、家族のエピソードにまつわる味、初めて作った料理の味・・・
それぞれが一生懸命書いてくれる。

なんとなく親との会話がなくて、ぎくしゃくする年頃の生徒たちも料理について書く中で家族への気持ちを素直に書いている。幼い頃の思い出や感謝の気持ち、様々な気持ちが溢れている。
食卓の大切さをつくづく感じる。

私にとって「こころに残る料理はなんだろう・・・」いつも生徒の文章を読みながら思い返す。

最近は「娘に思い出の味っていえるモノを伝えられるだろうか」と考える。自分に課した大きな課題だ。

今年もまた、このレポートを出す時期です。
今年はどんな思い出が出てくるのか楽しみです。

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救われる言葉

三和高校 渡辺莉卯

今年も早いもので12月に入った。
札幌では日によって雪が降ったり止んだりと忙しなくなってはきたが、窓から見る限りではまだ深く積もった様子はない。しかし、そろそろ本格的な冬の寒さに備えて準備をしていかなくてはいけないな、と思う今日このごろである。
進学や就職とこの時期は3年生にとっても忙しなく、本校でも進路が決まった生徒がちらほらと出てきた。数ヶ月後には皆それぞれ別の場所にいるのだと思うと、一緒にいられる残りの時間の少なさに驚いてしまう。

私は大学4年生のちょうどこの時期、卒論や就職などでいっぱいいっぱいで、先が見えない不安で押しつぶされそうになっていた。こういうことをしたいという憧れの気持ちを持っていても、それに伴う力がないのも自覚していて、それじゃあ今の自分には一体どこで何ができるのだろうと、自分の居場所を探しているような感覚だった。周りの友達がどんどん前に進んでいく中で、たった一人取り残されていくような気持ちだったのだと思う。

そんな時に、父の昔からの友人で、私も幼い頃からお世話になっている方が話してくれた内容が、今でもとても印象に残っている。

『自分の少し先を生きている先達の中に、仮に自分がしたい職業ではないとしても「あの人いいな」と感じる人がいたら、少しでも近くに行き、少しでも長い時間を一緒に過ごしてみるといいと思います。(中略)印象に残った大人たちは、自分の内側で内在化して、いつもその人と一緒に生きてゆくことになります。で、その人たちは、たとえばなにかめげてしまいそうなとき、自分をじっと見つめてくれます。眼差しが内在化されるというか。自分が「いい」と感じる大人との出会いを、大切にして下さい。』

そうか、と素直に思った。
周りを見れば親や先生や、これまで出会った様々な人達とのつながりがある。そのつながりを大切にしながら、色々な職業の人達の考え方や働き方、生き方を知って、自分のやれることや居場所をまた探していこうと思った。

今は12月上旬、まだ考える時間はたくさんある。
生徒にも今まで出会った人とのつながり、そしてこの先それぞれの道に進んだとしても、新しい場所で出会う人とのつながりはずっと大切にして欲しいなと思う。何かにいきづまった時は特に、色々な人の言葉を聞くことで、時にその言葉に救われることもあると強く感じるからである。

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準備もまた、文化祭

三和高校 本間 香菜  

 明日は、札幌自由が丘学園のフリースクールと三和高校の合同の文化祭です。約1ケ月の間、ステージ練習をしたり、作品の準備をしたり、各クラスや有志グループが活動していて、学校内は文化祭モード。

 私が担任を持つ月1クラス(在宅学習コース)は文化祭への参加がないので、私はちょっと淋しく思いつつ、月1クラスの生徒とだったらどんなことができるだろう、本校だったら...と、妄想を膨らませています。
 高校生の文化祭は、自分たちでやりたいことを考えたり、その方法を考えたり、特に有志発表では参加するしないも、すべてが発表者に任せられています。そのため、クラスメイトやグループメンバーと意見が合わないことや、うまくいかないこともたくさんあります。ただ、そういう思いをしながら進めていく準備期間が意外と心に残るものではないでしょうか。
 実際、準備に一生懸命時間をかけて、本番はあっとゆう間。時間にすると本番は準備の10分の1以下です。

 私の学生時代の文化祭を振り返ると、当時のクラスメイトには大変申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、私はどちらかというとクラスの作業に協力的ではなかったのだと思います。お化け屋敷をやったり、ドリンクゼリーという創作飲み物屋さんをやったり、クラス全体の記憶はあるのですが...自分が何を担当して、どんなことをしたか、全く記憶にありません。
 
そんな私の数少ない文化祭の思い出の中で、強く覚えているのが、教室の装飾のためにクラスメイトが買い出しに行った時に、その中の一人の男の子が自分のお小遣いでみんなにシュークリームを買ってきてくれたこと。そのシュークリームをクラスメイトみんなで、半分ずつ食べたこと。クラスメイトのために差し入れをする、みんなで分けあってなにかを食べるという発想がなかった私には衝撃的でした。決して仲の良いクラスではなかったのですが、この瞬間に、クラスがひとつになっているということを高校生ながらも感じた気がします。今思えば、たいした仕事をせずに、差し入れのシュークリームを美味しく頂いただけかもしれない。なんてひどい、当時の私...。それでもきっと、私も何かを担当して、少しは役に立っていたはず。。

 さて、明日は本番。彼らの文化祭は将来、どのような記憶になって残るのでしょうか。

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給食のヒミツ

高村さとみ

 給食のヒミツ。フリースクールは正式な学校ではないので、通常は給食がありません。ありませんが、札幌自由が丘学園では今年度からお隣の「ひかり亭」に力を貸していただき、週に1回の給食を始めました。
始まった当初の給食の時間は大混乱!登校している人数が日によってバラバラなこと、米を炊く・食器を洗う作業があることなどが理由でした。今でこそ配膳から片づけまでの手順が決まってきましたが、まだまだ学校の給食ほど効率的ではないだろうなぁと思います。でも、この非効率さが良いのです。非効率的な分、子どもたちは考えます。

「まず始めに人数を数えよう」
「給食係以外の人で机を元に戻して」
「給食係は給食がのっていた大きな皿を洗うから、流しは1つ開けておいて」
「このおかず、あとちょっとだから誰か食べちゃって」

 こうして誰かの呼びかけや話し合いにより、少しずつ手順が決まってきました。まだまだ改善の余地はあるでしょうが、それは子どもたちが工夫を考える余地があるということでもあります。
これと似ているのがルールづくりです。札幌自由が丘学園には細かな生活のルールがあります。携帯の使い方、荷物の置き方、授業の過ごし方等々。フリースクールのイメージとあまりそぐわないかもしれませんが、このルールは子どもたち自身が決めてきました。まずは年度初めに今年度の仮ルールとして昨年度のルールを提示する。それを見て、今年度変更したいところや追加したいところについて話し合います。年度途中でも、何か変更したいという意見があれば改めて話し合いの場を持ちます。
 給食とルールづくりに共通しているのは、自分たちでつくり、考えなければならないということです。これがもしも、大人が全てを用意し与えるだけになっていたら、子どもたちが一生懸命考えて話し合う様子は見られなかったでしょう。より良くするための工夫は生きる力でもあります。効率ばかり追い求めてはいけない、まわり道、アナログ、原始上等。なんだか、人の生き方にも通じそうな話ですね。

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ご先祖さまと白いメシ

札幌自由が丘学園三和高等学校校長 亀貝一義

かつてアレックス・ヘイリーという人が自分の先祖を探すという活動を行いました。ルーツ探しということで話題になりました。また彼はこの活動を「ルーツ」という本にまとめて(1976)かなり多くの人たちに読まれています。彼の先祖はアフリカで平和な暮らしをしていたのに、奴隷狩りに逢い、アメリカ大陸に若い奴隷として連れてこられました。

日本でも多くの人がこれを読んで自分の先祖に関心をもったことがあります。私もそのひとりでしたが、あまりヒマもカネもなかったので、ほとんど「先祖捜し」はしていません。しかし、わが遠い親戚の中で興味・関心のある人がいていろいろ調べてくれました。
先祖といっても、父の方をさぐるか、母の方に重点を置くかによって、全く異なった先祖が見つかります。私の場合には母方をメモしてみましょう。

母方の先祖(大瀬という氏)は新潟市の近くで暮らしていたのですが、明治29(1896)年からの水害(信濃川)のために、そこで農業をつづけることができなくなり、なけなしのカネを払って北海道にわたってきました。この時に必要とした金額は100円だったとのことです。今のカネになおすと300万円ぐらいになるといいます。
まずたどり着いたのは、今は札幌市北区の篠路でした。ここでやはり農業(藍をつくったりしたらしい)をやっていましたが、明治36(1903)年に和寒に移りました。今、和寒で農業を行っている主人の3代前です。明治32(1899)年に、鉄道(宗谷本線)が和寒まで通じたこともあって、遠国ではない感がしてきたのだと思います。ただそこですぐ米作りをしたのではないと思います。和寒でようやく米づくりに成功したのは明治40(1907)年だったとのこと。だからといってみんなが白いごはんを腹一杯食べることができたかと言えば全くそうではなかったと思います。私のおじいちゃんが昭和21年ごろだったと思いますが、「おまえたちが不自由なく白いメシを食べられたらいいのに」という意味のことを語っていたことをかすかに覚えています。だから「白いメシ」を腹一杯食べることができるようになったのはそんなに昔ではなかったのです。せいぜいこの70年前ころからだったと思います。

「先祖」がどういう歩みをして今の自分がここにいるのか、を知ることは人間の大きな活躍の足跡をたどることになりますし、たくさんの人たちとのつながりを確認することにもなります。
今、ここにいる皆さんがたも、父母や祖父母、さらにその前の先祖がどこから来てどういう苦労を経て今の自分に至っているのかを、ちょっとだけ興味をもって考えてみて欲しいな、と思いました。

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夫婦別姓・・・私のホンネ

             三和高校  桑名 八重

9月13日の「結婚ウラ話」に私も一言・・・いや、一文。

「夫婦別姓」
気になる人には非常に気になる。関係無いや~という人にはまったく別次元の話。
色々な人に聞いてみるとまったく捉え方が異なります。

社会科の先生として、結構色々な人に「夫婦別姓ってどう思う?」と聞いたことがある。
丁度、最高裁判決の前後のことです。

Aさん(男性)「え、男の姓に合わせるもんでしょ。そういう人としか結婚しません」
Bさん(男性)「聞かれるまで考えた事無かった・・・。相手が変えたくないって言ったら自分が変えて        もいいかな」
Cさん(女性)「本当は変えたくない。が、仕方ないって思って相手の姓に変えるかも」
Dさん(女性)「結婚したっ!って姓が変わって初めて実感した。姓が変わるの楽しみだったわ~」
Eさん(女性)「この姓で生きてきて、愛着もあるし仕事もこの名前で結果を出してきた。               変えたくない。変えるなら結婚しない!!」
Fさん(男性)「そんな問題があるなんて考えてもみなかった。今はわかんない・・・」

考え方も、受け取り方も人それぞれ。
けれど、その人の生き方考え方なのですからどれも間違いではないですよね。

かくいう私も夫婦別姓が希望。
今は旦那さんの姓を名乗ってますが、可能なら生まれたときからの姓に戻したい。

「仕事上は旧姓なんだから別にいいじゃん」という考え方もありますが、やっぱり違います。
どっちの姓も私だけどどっち付かず・・・そんな気分です。

高村さんが「夫婦別姓が良いと考える人たちは「全員別姓にすべき」と言っているわけではなく、「同姓でも別姓でも望む方を選べるようにしよう」という主張です。」と書いているように、私もこの意見に賛成なのです。

『選ぶ』ことを私たちは日常生活でも色々な場面で求められます。

『選ぶ』ためには自分なりの選択基準を持たなくては選べません。

学んで考えて、決断する。進路、就職、選挙 etc

私たちの社会はたくさんのことを自ら選ぶ事を求めている社会です。

そのうちのひとつに「姓を選ぶこと」が加わることを私は望みます。

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