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1杯の味噌汁

                                        三和高校 渡辺 莉卯

10月に入ってからすっかり肌寒くなったのもあり、最近では温かいものが食べたくてたまらない日が多くなった。おでんにラーメン、コンビニの肉まんなど帰り道は誘惑に溢れているという風に感じるのは、きっと生徒たちも同じだろう。たまに誘惑に負けてしまうのは私だけではないはずだ、と思いたい。

さて、寒い季節になると特に、我が家では毎日のように味噌汁が食卓に並ぶ。ワカメや豆腐、大根や人参といった野菜などその日によって様々な具材を味わうのが、私の密かな楽しみにもなっている。

「味噌汁」に、私はこんなエピソードがある。

高校時代のちょうどこの時期、私は3週間カナダのバンクーバーに留学していた。街の飾り付けはハロウィン一色で、ジャック・オウ・ランタンや魔女などお化けをモチーフにした色とりどりのお菓子やグッズが店頭に並び、見ているだけで楽しい気分にさせられた。ホームステイ先でカナダの家庭料理や、サーモンなどの海の味覚も味わえたことも、私にとって大切な思い出である。

そして帰国後、家に帰ると「お腹がすいたでしょ。」と母がおにぎりと1杯の味噌汁を用意してくれていた。久しぶりの日本食に、私はこの時ひどく感動したのを覚えている。
お味噌が香る湯気が鼻の先をかすり、お出しがきいた温かい味が喉を通る。疲れた身体に染み渡るような温かいジンワリとした感覚がとても心地よく、「帰ってきたんだなぁ・・。」としみじみと実感できた。大人になった今でも、味噌汁は私の大好物の1つだ。

昨日、札幌では初雪が観測された。
早くも冬の気配が見え隠れしていると感じ、今後もますますあの誘惑に負けることが増えてくる予感がする。でもあの誘惑に耐えながら早く家に帰れば、あの1杯の味噌汁が待っている。そう思えば、この寒さもなんとか乗り越えられるような気がするのだ。

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教育実習の思い出

札幌自由が丘学園三和高等学校 亀貝一義

毎年、本校(札幌自由が丘学園三和高校)に主として卒業生なのだが、教育実習生が来て授業をしてくれる。実習生の皆さんが卒業後、学校の教師になるかどうかは別として、一人ひとりにとってこの実習は大きな意義を持っているのではないか。

私の時代(1950年代終わり頃)、学校の先生が足りなくて、高校卒業生も臨時の教師をやるという時代だった。

私は、大学2年目の秋に、寮生活の中で、ある先生の講演を聴く機会があり、大いに感動して学校の教師になろうという目標をたてた。そして教育学部に進んだのだが、4年目の春だったと思うのだが、教師の資格を取るには教育実習というプロセスが必要、ということで、札幌北高校に2,3週間行くことになった(多分「日本史」を担当していたと思う)。その時のことはあまり覚えていないのだが、教育実習の終わりに必ず「教育研究授業」を行うことになっていた。

今の記憶でいえば、私は日本の軍国主義が勢力を持ってきた昭和初期のあたりをテーマにした授業をしたと思う。
今でも記憶にあるのは、当時の右翼や軍部の一部がファッショ的行為を行った際の理屈に「君側の奸を斬る」というのがあった。私はこの語を板書して、「キミガワのカンをきる」と読んだ。「君側」という語の読み方を間違った。本当は「クンソクのカンを斬る」と読む。意味は天皇の側で威張っている悪者を切って排除すれば天皇の光が自然と輝く、というような意味だ。どういう読み方でも意味は違わないのだが、キミガワと読んで、後で「反省会」で指導してくれた先生方から指摘されて恥ずかしい思いをした記憶がある。

あれから50年以上たつ。教育実習の体験があったから教育の仕事をし続けてきたのか、と述懐する昨今。

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プロ野球のことなど ... ニッポンハムファイターズ優勝!!

亀 貝 一 義

子どもの頃、誰もがそうだったように巨人が好きだった。その後、長年プロ野球には興味がなくなったが、1980年代に急に阪神タイガースのファンになった。その理由は、昔のことを知っている人には通じるだろうが、江川問題だった。何度か阪神を応援するために円山球場に行った(当時はまだ札幌ドームはできていない)。
セントラルチームしか眼中になかった。しかし、北海道にニッポンハムファイターズがやってきた。北海道人としてこれを応援しないわけにはいかないという気持ちになった。

以前のファイターズの成績がどうだったか、詳しくは知らないが、北海道のチームになってからは何度かのパリーグ優勝と日本一の結果をもたらした。そして今年はご承知のとおりだ。

特に今年のファイターズの成績は面白い。ナマで試合を見ることはなかったが、一喜一憂の一年だったように思う。

今期の出だしはパッとしなかった。「よくこんな成績で『日本一が目標』だなんて言えるものだ」と内心嘆いていた。しかし9月、残り2ゲームになってついにパリーグ優勝を勝ち取った。しかもたった1点で。しかし大谷投手がこの1点を死守した。「1点あれば充分だ」と言ったとか?

優勝を決めたとき、監督も選手も口々に「必ず優勝をする気持ちをもっていた 」「決してあきらめない」という意味の言葉を言っていた。

だから私は今年のニッポンハムファイターズについては、いろいろな場面で応用できると思っている。つまり、「目標をしっかりもとう」と言うことが第一。ついで「決めた目標を決してあきらめない。最後まで実現のために頑張る」ということが第二。

このことはファイターズに限ったことではないが、今年は特に身近なテーマとして再確認することができたと言えるのではないだろうか。

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結婚ウラ話

高村さとみ 

 結婚しました。

 結婚って何なんでしょう。インターネットで調べてみると「夫婦となること。特に、男女の間で夫婦関係を生じさせる法律行為。」という定義が一番に出てきました。実は私は籍を入れない、いわゆる事実婚という状態なので、厳密にいえば結婚してないことになるのかもしれません。
 生徒たちに「結婚するよ」と伝えたときも、「いつ結婚するの?」と聞かれて困ってしまいました。結婚の日というのは(入れる予定はないけど)籍を入れる日なのか、一緒に住む日なのか、それとも結婚式を挙げる日なのか。なので聞かれても「いつ?うーん...結婚って何を以てして結婚だと思う?」という質問返しに。その後結婚祝賀会を行うことになったので、「結婚はわかんないけど、結婚祝賀会は○月△日だよ。」と答えるようになりました。
 2015年12月に最高裁判所で夫婦同姓は憲法に違反しない、夫婦別姓は認められないという判決が出されました。私はそれまで籍を入れる入れないについて特に考えを持っていませんでしたが、この判決には疑問があります。夫婦別姓が良いと考える人たちは「全員別姓にすべき」と言っているわけではなく、「同姓でも別姓でも望む方を選べるようにしよう」という主張です。一方、夫婦同姓が良いという人たちが「全員同姓にすべき」と言うのは、別姓にしたいというマイノリティを蔑ろにしていると思うのです。そんなわけで「同姓しか認めないというなら、あえて別姓でいきましょう」という心境のまま今に至ります。「今時でいいですね」と言われることもあれば、「書類上の姓が変わるだけで実生活には何も影響ない」と言われることもあります。さらに、結婚のことが周りに広まると「高村さんをこれからなんて呼べば...」とよく言われるようになり、改めて一般常識を覆す難しさを感じました。
 実は不登校も同じなのではないでしょうか。学校に行くことが一般常識で、不登校があるなんて思ってもいない。不登校の子どもが「今日学校は?」と声をかけられるのと、このシチュエーションは同じなんじゃないかと思います。相手に他意はなくともこちらには思うところがあるというか。他意がないからこそ強く主張しづらいというか。


 そんなわけで私の気のすむまでは別姓のままでしょう。夫婦同姓レジスタンス。マイノリティが認められるために、ささやかな抵抗を。

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台風と修学旅行

三和高校 2学年担任 桑名八重

前回、修学旅行出発前に書きました。今回は修学旅行帰宅後に書いています。

さて、2016年度三和高等学校修学旅行。9月1日~6日の6日間。

台風に振り回された旅行となりました。どんだけ日頃の行い悪いのか・・・。と私は何度もつぶやきました。

詳しい行程はおいおい三和高校ブログに書いていきたいと思います。

なにがあったか簡単にいうと・・・
一番のメイン、与論島に渡れませんでした!!
衝撃です。
那覇に到着し、添乗員の前田さんに入った連絡はフェリーの「欠航」です。台風10号の影響で海が荒れたため。です。しかし、沖縄も与論も快晴でした。

何とか与論島に渡れないかを検討して頂きましたが、移動手段が確保できず最終的に断念となりました。

さて、次に考えなくてはいけなかったことは、沖縄本島での過ごし方です。
添乗員さん、スタッフで頭を寄せてあ~でもないこ~でもない・・・。
こちらも何とかプランを立て、沖縄6日間の旅を進めていきました。

DSC01991.JPG

美ら海水族館ではジンベイザメの優雅さに驚く

しかし、最後の衝撃は台風10号の発生と急成長。

6日目、もう帰るだけと空港に向かう途中から突風と大雨。結局、飛行機は2時間遅れで那覇を出発、羽田でドタバタと乗継便の変更の手続きを行い新千歳着は22時。
生徒もスタッフもぐったりです。

なんだか波乱万丈の修学旅行。
でも、旅行の中すごいな~とつくづく思ったのが、生徒たちの順応力。
毎日日程がはっきりするのが、前日の夕方か夜。
突然の予定変更にもしっかり対応して行動してくれる生徒たち。

成長したな~。何度もそう思いました。
「疲れたー」「どうなんのー」「帰れんのー」
まあ、色々言ってはきましたが、それぞれ頑張ってくれました。

5泊6日、高校生にとっては長い旅行です。
やりたかったダイビングも、白い砂浜もサンゴ礁もお預けとなってしまいましたが、
友だちと延々とおしゃべりしたり、相手の意外な一面に気づいたり。自然の厳しさを感じたり。色々な思い出ができた旅だと思います。

珍道中となった修学旅行も卒業したら笑い話になるでしょう。

北海道旅行企画の前田さん、東陽バスの城間さん・砂川さん、大変お世話になりました。ありがとうございます。

最後になりますが、今回の台風で被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

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先をつなぐ物語

三和高校 渡辺莉卯

今年3月、まだ私が三和高校に来る前のこと、ある朗読のコンテストに出場する機会があり学生最後の思い出に何かがしたいという,またいつもの私の「なんとなく」で参加した。高校生以上であれば自由に参加できるこのコンテストでは、約60名もの参加者でのテープ審査を経て20名が選出され、その後本選へと駒を進める。私は高校時代放送局に所属していた経験のおかげもあり、なんとか本選に進み入選することができた。

さて、この時私が読んだ原稿の一つが、サン・テグジュペリ作の「星の王子さま」である。

読んだことはなくても、題名を聞いたことがある人も多いだろう。私がこの小説を初めて読んだのはまだ小学生の頃だった。その時の感想を一言でいうと、「静かなお話だな。」だったように思う。

王子さまはある時、幸福そして愛とは何かという答えを探しに、自分の星とずっと大切に育ててきたバラに別れを告げて旅に出る。色々な星での様々な個性的な人たちとの出会いを通して、生きること、愛し愛されることについて考えていく物語だ。

1943年に初版が発行されて以来、今でも200以上の国と地域で読まれ続けているこの物語は、児童書でありながら、子供の心を失った大人に向けての作者のメッセージが多く詰まっている作品だ。当たり前なこととはわかっているつもりでも、改めて言葉で言われると思わずドキッとしてしまうような台詞も多くある。生徒にも、ぜひ一度読んでほしい一冊だ。

「人生に解決方法なんてものはない。あるとしたら、前に進んでいくことだけだ。前に進めば、解決法はあとからついてくる。」

自分がやっていることが本当に正しいのか自信がなかったり、そもそも何が正しくて何が間違っているのかわからなかったり、もしかしたらはっきりとした答えが欲しいというわけでもないのかもしれない。毎日色々なことをぐるぐると考えて悩んだりすることが多くても、とにかく今できることを少しずつ頑張っていく。そうすればいつか先の自分につながってくるのだろうと、そんな風に感じられた。

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「お盆」という伝統行事

「お盆」という伝統行事

亀 貝 一 義

昔からお盆行事がある。この基本になっているのはお寺参りとお墓参りだ。私のウチには墓はない。しかし半世紀以上つきあっているお寺がある。先祖伝来、わが家は「浄土真宗」の信徒。これもお西(おにし・西本願寺系)とお東(おひがし・東本願寺系)の二つがあるのだが、今のお寺(これをその昔「檀家寺」と言った)はお西みたいだ。こまかいことはどうでもいいと思っている。

今年も子どもや孫たちもいっしょにお寺参りをした。妻の方のお寺もあるから、このふたつに仁義をつくそうとするから大体一日かかる。それでも、お寺の仏壇をきれいにして花をかざり、心ばかりのお供えをして合掌するとなんとなく亡き先祖(さし当たりは私の父と母)に対してご無沙汰を謝り、これからも一家の無事を天から見守っていてくれるのではという気持ちになってほっとする。

お盆はそういういわば宗教的な意味をもつ行事の他に、日頃つきあう機会がない親戚と一年ぶりに会って、お互いの無事を祝いこれからの一年を約束する行事でもある。
このような機会をつくってくれたお盆という行事にささやかな感謝をする。また、一年ぶりに会った坊さんにお経をあげてもらうのだが、あいかわらずお経の意味が分からない。お寺としては一番忙しい時だから、短いお経だ。それでもお布施を5,000円包む。駐車場が満タン。

記念写真を撮って「じゃまた一年後」、といって別れる。そういう出会いと元気を確認しあうことのできるお盆が今年も終わった。一年後のこの機会にも誰ひとり欠けることのないことを心の中で祈りつつ。

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新しいことを習う

本間 香菜 

 先日、友人と和菓子制作体験をしてきました。

 職人さんが用意してくれていた、色がついた'ぎゅうひ'の入りの餡の中心に餡玉を入れて丸くし、形を作ります。今回は3つの花の練りきりを作りました。

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 最初に作ったのは、梅の花(赤)。色のついた餡に餡玉を上手に入れること、道具の使い方など、練りきりづくりの基本を教わりました。次に作ったのが菊の花(黄)。この時は、梅で習ったことを応用し丁寧に作りました。制作の間にも職人さんは、関西と関東の練りきりの違いや和菓子作りの道具の話などのお話をしてくれ、私たちの知らない和菓子の世界を教えてくれました。
 3つ目の紫陽花(青)では、花びらの色が白とのグラデーションとなるように作る方法を習いました。これは、少し難しく、苦戦しながらもなんとか職人さんの作るような形に似たものをつくる事ができました。

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 自分で作った和菓子たちは、ちょっと偏った形になりましたが、我ながらとても愛おしい素敵な花になったように感じました。この約1時間程度で、3つものお菓子を作り、最後には少し難しい花を作ることができたことで、まるで職人さんの長年の技を手に入れたような気分でした。笑


 職人さんのお話を聞いていると、この制作体験も、修学旅行の学生などを相手に長くされているそうで、長年の経験からできた職人の技の1つであるのかな、と感じました。「短い時間で、和菓子を作る楽しさを習い、達成感を得る事ができる」私もこんな楽しい授業をしたいなぁ・・・私の職人への道もまだまだだな・・・!!

 と、ふと考えた1日でした。

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はぁ~るばる振り返る旅

フリースクールスタッフ 新藤理

夏休みが始まった。
イベント盛りだくさんで駆け抜けた一学期を振り返りながら、少しゆったりした気持ちで新たな日々に向かおう...そう思いつつ、気持ちはすでに次の大イベントに向けて忙しい。夏休みが明けてすぐに出発する、フリースクールの修学旅行のことだ。
今年は函館で三泊四日の旅行を行うことになった。函館で三泊すればかなりじっくりと時間をかけて名所をめぐることができる。グループごとの自主行動にも時間を多く割いて計画が進められている。彼らが函館市内を試行錯誤しながら(?)動き回っている時、スタッフはどうやって彼らにちょっかいを出そうか。そんなことを考えながらウラ計画を立てるのは実に楽しい。私たちだけ、気持ちはすでに「♪はぁ~るばる」来ている感がある。

函館での修学旅行は二回目となる。前回の函館旅行はかれこれ四年前のこと。

当時のフリースクールは現在に比べて在籍する生徒がかなり多かった。中学生集団なのに出で立ちは妙に大人っぽく、男子と女子は常にホレタハレタで泣き笑い、それなりの頻度で悪さをはたらき、でもそんな中で無邪気な小学生たちが可愛がられている、不思議な集団だった。
はっきり言ってそんな彼らを修学旅行に連れて行くのはかなりの重労働だ。当時の資料をひもとくと「誓約書」なる書類が出てくる。
・飲酒、喫煙、暴力行為、その他の非行を行いません。
・夜中にホテルから無断で外出しません。
・夜の就寝時間以降、とくに異性の部屋との行き来をしません。
交わすまでもないと思われそうなこれらの約束を、あえて書面にして誓わせる必要がこの頃はどうしてもあった。
今年の修学旅行に向けては、そのような「誓約書」は用意していない。きっと生徒たちに中身を見せれば「え、こんなの守るのが当たり前だよね...?」とびっくりするだろう。四年前と現在では、端的に言えばそういう違いがある。

そんな四年前の修学旅行中に起きた、今でも忘れられない場面。
ある男子生徒の言動に、何人かの友人たちが腹を立てていた。自己中心的で、話すことの真偽も疑わしいというのだ。「ちょっともう我慢できねえ。部屋にあいつ呼びだすべ」と漏れ聞こえてきた声に、私は待ったをかけた。そんなふうに頭に血が上った状態では解決にはならない、どうしても話したければスタッフを立ち会わせるように、と指導した。納得いかない様子の彼らがその後集まってどんな話をしたのかはわからない。一時間後、血を上らせていた彼らがあらためて私の所にやってきた。さっきとは表情が違う。
「新藤さんの言うこともわかる。さっきのオレたちは確かにちょっとまずかった。でも、なんであいつと話したいかって考えたら、苦情を言いたいとかこらしめたいとかじゃなくて、この先仲良くやっていきたいからなんだよね。そしてできればオレたちの中で始まったことだからオレたちで解決したいっていうのもあるし...それでも新藤さんが任せられないって言うんならあきらめるけど、もしよかったらオレたちを信じて、やっぱりあいつと話させてくれないかな」
さすがに真っ正面からこう来られては、私も彼らを信用するしかない。ありがとうございます!と安心した様子の彼らは、あらためて件の男子と話し合ってきた。後で聞くと、途中から冗談も飛び交うような、それでもお互いの気持ちを正直に確かめ合える、いい時間だったという。「オレがそんなふうにみんなにイヤな思いさせていたなんて気づいてなかった。これからは気をつける」と、ひとまずその場は丸く収まったらしい。
もちろん、それだけですべてがいい方に転がるような甘い現場ではない。激動の一年はまだまだ続く。その後もいろいろな事件が起きた。「旅立ちのつどい」の前日まで事件は起き続けた。ああ、思い出すと今でも頭が痛い。でも、不思議となつかしい。

しばらく前、当時一番いろいろとやらかしてくれた男子に偶然会った。高校でも平穏無事な日々ではなかったけど、何だかんだで大学に合格し、新生活を迎えようとしているという。
「あの頃のこと考えたら、スタッフのみなさんにホント頭上がんないです。なんか恩返しっていうか、これから学園のために何か役に立てたらいいなーって思いますね」
殊勝な言葉を贈ってくれる彼は、函館で語り合ったあれやこれやを今でも覚えているだろうか。

さあ、またまた行くぜ函館~。今年は何が起こるかな。誓約書はないけど、とにかくお互いを思いやりながら楽しい旅行にしようねとだけ強く約束して、手作りの「旅行のしおり」とにらめっこする時間がもうほんの少し続く。

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答えは風に舞ってる

高村さとみ

 ここ数年、学校の先生の実践発表を聞く機会が多く、フリースクールでもそれができないかと考えている。実際、授業を一つ取り上げての実践レポートは書いてみたことがある。授業のねらいと詳細、そしてそれに対する子どもたちの様子や変化。札幌自由が丘学園は五教科や体験的な活動を授業として行っているので、それに対する実践は書けはするのだ。
 しかし、フリースクールの実践といえば「なぜ学校に行けなかった(行かなかった)子がフリースクールで生き生きとしているのか」が肝になるだろう。事例はいくらでもある。いくらでもあるが、それを事例でしか紹介できないところが悩みどころなのである。一つの例を取り出すだけでは、「その子だから」で終わってしまう。「なぜ子どもたちが元気になるか」の共通項を見いだせなければ、誰も真似できない。何か良いことをしていたのだとしても、そのやり方は広まらない。外に証明できないのだ。
 なぜ実践として書けないかは何となくわかってはいる。フリースクールの性質自体が不登校の子どもに対応する、対処的なところなのだ。実践とするにはねらいが必要だ。子どもにこうあってほしい、が先にあって、そうなるために活動として何を仕掛けるか、という順序がある。しかし、子どもからスタートするのがフリースクールの特徴でもある。札幌自由が丘学園ではやっていないが、フリースクールの「ミーティング」がその例である。何かを提案・決定するときは全てミーティングで話し合う。大人と子どもはミーティングの場において平等である。むしろ札幌自由が丘学園のように教科学習など授業時間を確保している(そしてそれに必ずでるようにしている)ことは稀で、多くのフリースクールはそういった活動への参加も含めて子どもの自主性に任せている。実践・ねらいとなるとそこには大人側の意図が必要になるが、子どもの自主性を信じることが実践という形を取りにくくしているのではないか。これがフリースクールの活動を外部に知られにくく、評価されにくくしているのではないか。
 しかし、目の前で子どもたちを見ていると個々の事例では済まない変化や成長がある。フリースクールも子どもが集まって生活している以上、一緒の活動をしていなくたって互いに影響しあっている。集団としての成長を感じるのだ。それを何とか言葉にできないか。型にはまっていなくてもいい、フリースクールなりのやり方で子どもたちの成長を伝えられないか。そんなことを悶々と考えた1学期だった。夏休みに入り多少時間の余裕もできたので考えるのはこのあたりで終わりにして、次は書きながら言葉にする難しさに悶々としたいと思う。

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