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「多様な教育機会確保法」の成立を期待したい

- 不登校の子どもたちの多様な学びを認めフリースクールへの公的支援体制を-

NPO法人フリースクール札幌自由が丘学園理事長 亀貝一義

先の通常国会で成立を期待されていたのですが、審議未了になりました。次の国会(臨時国会?)で可決成立が見込まれています。

これは「義務教育の段階に相当する普通教育の多様な機会の確保に関する法律(案)」というのが正式名称です。

これについて、私は10年間以上前から(1997年に札幌自由が丘が全道的に推進した署名運動が最初)「フリースクールで学ぶ多くの子どもたちの学び方を公認し、同時にこの学びをサポートしているフリースクールへの公的支援体制を確立すべき」と要求してきましたから、その経緯から言って、できるだけ早く成立されるように要望し期待しています。

国会では、フリースクールネットワークなどによって、超党派のフリースクール議員連盟が2008年に結成されて上記の趣旨を制度化するように取り組んできました。

この確保法案は、12万人にのぼる不登校の小中生のために、国と地方自治体の責任(地方教育委員会)で、学校以外の学び、居場所を確保しようという趣旨です。教育委員会などがこの方法を検討する際に、今不登校の子どもたちをサポートしている「民間の団体その他の関係者の相互の密接な連携の下に行われるようにすること」(第2条)という前提をもっています。

10月27日、文科省は昨年のいじめ件数が19万件、過去最多と発表しました。学校に行けない、行かない子どもたちはますます増えていくでしょう。この子どもたちにとって必要な居場所、学びの場としてのフリースクールの意味はさらに大きくなっていきます。

私は、明治以来の学校教育のしくみをもっと柔軟にすること、つまり公教育の微調整が必要と訴えてきました。すなわち「多様な学びの場、多様な教育機会」が準備されて当然ということです。この法案は、そのためにプラスになるものだと思います。

教育委員会が不登校の子どもの保護者に対する助言など、ある種の介入の面が生まれるかも知れません。そういう批判もあるようです。

しかしこれも例えば営利目的の「業者」の参入を抑えるという意味もあると思います。

法案の趣旨として「子どもの権利条約」の理念をうたっています。

私はこの法案はこれまでの私たちの取り組みの成果の面が大きいと思っています。

法案が成立してから、現実対応を具体化するために行政機関はフリースクールなどと緊密な連携を行うことも行っています。

今ある問題を一歩でも二歩でも改善できるようなしくみを考え、そのために可能な方策を考えていこうというこの法案に賛同するものです。

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ご自由にお読み下さい

高村さとみ

フリースクールは果たしてどうあるべきか。プログラムはある方が良いか。ない方が良いか。先日、双方の視点からの意見を聞く機会がありました。あまり詳しく書くことはできないのですが、「完全に自由、好きなことをやっていいと言われても困る」という意見がおもしろかったです。

えー。好きなゲームでもして、音楽聴いて。絵を描いたり料理したり、私だったらやりたいことがたくさんあるけどなぁ。などと私は思ったりするのですが、どうやらそういうわけにもいかないそうです。「やることをやった上での自由時間だから楽しめる」とも言っていました。なるほど。私も毎日毎時間毎分毎秒を好きにしていいといわれたら、今ほど自由時間を楽しめないのかもしれません。特別な楽しみである自由時間が日常化平凡化してしまうというか。でも自由時間もっと欲しい。

フリースクールでは「創造活動」という時間が週に2回あります。これは何をするかを自分で決める、という時間です。これまでには卓球、ギター、ねこ研究会やコント研究会などバラエティに富んだ活動がされてきました。しかし、確かに子どもたちが楽しみにしている時間ではあるのですが、「やりたいことがない」「何をしていいかわからない」という声もちらほらと出るようになりました。自分のやりたいことが特にないので他の子に合わせる、という子もいます。

今年、ある研究大会でキャンプ事業を行っている団体のお話を聞きました。もう20数年夏休みキャンプを企画していて、キャンプのスケジュールが数例資料に載っていました。それがとても極端なのです。昔のキャンプは分刻みのスケジュールです。○時○分にキャンプ場に到着→○時○分に荷物を置く→○時○分にテント設営の仕方を説明...等々。内容も子ども通貨を発行して、テントや料理の材料を競り方式で購入させるなど、とても凝っていました。しかし今年予定しているプログラムを見てみると、○時キャンプ場到着→自由時間、以上。とてもシンプルというかそれ以上に何もないというか。その団体の方のお話によると、「こんなプログラムをしたい」「あんな経験をさせたい」というのは全て大人のエゴなのではないかと思うようになったそうです。子どもはこちらが何も意図しなくても勝手に動き、勝手に学ぶのだと。テントを張る時間も料理のやり方も、子どもたちがそれぞれ考え話し合って決めればいい。信じていれば子どもは力を発揮する。とのことでした。なるほどと思ったのはそんなフリーダムな中に「キャンプ図書館」なるものが設置されているところ。テーブルに「サバイバル術」「野草図鑑」等々の本が並べてあるのです。全くのゼロの状態から発想していくのは難しいので、知りたいことを調べられるようにしているのだそうです。

自由に過ごすためには、その前段階の学びがいるのかもしれません。ちょっとお堅いかな。先ほど私が自由時間にしたいと書いたゲーム、音楽、絵、料理も「自分のやりたいことであると学ぶ」経験が過去のいつかにあったはず。恐らくプログラムのあるフリースクールは興味を持つものも持たないものもあるけれど、いろいろな経験をする中で自分のやりたいことを見つけ出す。プログラムのないフリースクールは何もしなくとも安心していられる空間の中で、人と関わりながら自身に向き合いながら自分のやりたいことを見つけ出す。

そう考えるとプログラムがあろうとなかろうと結局は同じところに行き着いているのかもしれません。

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本校の町「和寒町」が開村100周年を迎えた

札幌自由が丘学園三和高等学校校長 亀貝一義

三和高校の本校のある町、そして認可権をもつ和寒町が「開村」して100周年を迎えた。
この7月29日、同町開村100周年の記念行事があり、高校を代表してこの行事に参加し、お祝いの集いにも参加する機会を得た。
和寒に関係するたくさんの人たちの中には、札幌自由が丘学園三和高校と縁のある人も少なくなかった。スクーリングでお世話になるかたがた、役場や教育委員会のかたがた。お礼と挨拶を交わしながらこれからもまたよろしくとお願いと、語り合うことができた。そして和寒町では、「三和高校を応援する会」(三和校後援会)を企画してくれているとのこと。

和寒町の今の人口は4千人を切っている。ところで、資料によると開村した1915(大正4)年当時には7,700余人を数えていた。隣村の剣淵村からの独立だった。

90年前、開村10周年の記念式典(1925(大正14)年)の時、和寒村の人口は8,800余人で今の2倍を超えていた。特に除虫菊は蚊取り線香の原料であるが、和寒はこの重要な産地の役割を果たしていた。私が子どもの頃、この菊の白い花が畑一面に咲き誇っていたことを思い出す。

今、日本全体で人口減が進む。中央も地方も「再生」とか「人口増」を目標とした政策をもっているが、効果はいずれも芳しくない。どうしたらいいのか。

単純なことは、子どもを産めば産めばほど暮らしがよくなるようにすればいいのだ。子ども一人当たりの「手当」を、大人一人の初任給程度まで増やす。そういう政策はなくただ「少子化対策担当大臣」などをおいても「一人の大臣」ポストを用意してあるだけの話だ。

和寒村開村100周年記念行事に参加して気になったことである。

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沖縄に修学旅行中

亀貝 一義

昨日6日に発って11日に帰る日程の高2修学旅行は、今日は与論島泊まり。昨日、那覇についてひめゆりの塔に向かった。今でも、当時ひめゆり部隊として戦場にかり出された女学生たちの中で生きて頑張っている人たちが「語り部」として生徒たちの前で話をしてくれる。引率の田房さんのお話によれば、生徒たちは彼女たちの話を聞いて非常に感じ入っていたという。

1945年4月1日から始まる沖縄戦争を、映像でも文字資料を通じても事前学習を行った。

「らゆる地獄を集めた」沖縄戦争の悲惨さは、戦争というのはどこでも同じであったにしても、特にひどい状況だったとされる。4月から6月末までの約3か月間の戦争は、多くの住民をまきこみ20万人の犠牲を生んだ。

男子生徒・学生たちは「鉄血勤皇隊」として、女子たちは「ひめゆり部隊」として戦争部隊に組織された。沖縄は、当時の日本政府の考えによると本土決戦の「捨て石」の意味を持たされていた。つまり迫り来る本土決戦にそなえて少しでも時間をかせぐ(襲来を遅らせる)、また米兵を殺害することによる勢力を削ぐという意味だった。

修学旅行は、もちろん戦争の追体験ではなく、北海道にはない南国の風土を体験してもらうことも意味としてある。しかし若い人たちが少しでも十五年戦争を実感できるようにするなら沖縄は重要な意味をもっている。今年は「戦後70年」。若者たちが沖縄を体験することが、自分たちの人生の中のどこかに「戦後」を記してもらえればいいのではないか、と思っている。

来週修学旅行を終えた生徒たちがどういう感想を語るか、種々の意味で楽しみでもある。

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やめないよ

フリースクール札幌自由が丘学園

スタッフ 新藤理

 演奏が終わった。kitaraの天井から降る明かりはいつもまぶしい。そして、熱い。照明ひとつにつき電子レンジ一台分の熱を放つと聞いたこともあるから、相当なものなのだろう。夏場はいつも、吹奏楽コンクールに出場してこの熱さを味わっている。

 中学生のときに始めたトロンボーンをいまだに吹いている。初めて出会ってから、なんだかんだでもう四半世紀になるのだから驚いてしまう。中・高・大、そして社会人になってもしぶとく吹き続けているうちに、トロンボーンの演奏は自分の名刺代わりのようなものになっていた。聞く人によって好みは分かれるだろうけど、とにかくそこには自分の個性が詰まっている...そんな音を出せている気がしていた。つい数年前までは。
 実は今、まったくもってそんな楽しい音は出せなくなってしまった。所属していた吹奏楽団で8年ほどトロンボーンの席から離れて指揮台に上がっていた、その影響もあるとは思う。金管楽器の奏者にとって、ブランクは容赦ない障壁だ。でも、それにしたって、この2年ほどは自分も周りもびっくりするくらい、劇的に腕が落ちている。練習が終わるたびにため息をついて楽器を片づける私の姿は、端から見ればずいぶんと老け込んでいることだろう。
 2014年の2月にそれまでずっと続けてきた指揮の活動にピリオドを打ち、トロンボーン吹きに戻った。理由は書き出せばきりがないし、いくら書いたって全然うまく言い表せない気もする。ともあれ、指揮の活動を支えてくれた仲間たちには感謝しかない。でも、正直なところ、指揮者をやめるときにいっそ音楽活動自体もやめてしまおうかと思ったりもした。我ながらわかりやすい「燃え尽き症候群」だ。実際、2月の定期演奏会を終えて、次に練習所に顔を出したのは6月に入ってからだったと思う。つまり、うだうだしたけれど、やめなかった。

 2月の定期演奏会にはたくさんの学園関係者が足を運んでくれていた。とくに現役の生徒たちは、kitaraの大ホールで燕尾服を着て指揮棒を振る私の姿に大いに面食らったことだろう。普段のしまりのない新藤とは何かが違う。週が明けて日常の学園生活が戻ってきても、生徒たちはあれやこれやと感想を口にしてくれた。一人の男の子が「ねえ、あれ来年もまたやるんですよね!?」とうれしそうに聞いてくる。「いやあ、実はもうやめよっかなーと思っててさ」とは、言えなかった。
 
「そう、また来年の2月! 今度は指揮じゃなくてトロンボーンだけどね。次も来てくれな!」
 
ああー、またそうやって軽い約束を。でも、思えば結局この会話がずっと心に引っかかって、それで辞める決心がつかなかったフシはたしかにある。あの舞台の上で、どんなにヘタでもスランプでも、精いっぱい演奏する自分の姿をやっぱり生徒たちには見てほしいのだ。あれ、思ったより大したことないなあ、と思われてもいい。あきらめずに熱中できる何かを持つということを、形にして見せたいのだ。その後もことあるごとに「またコンサートあるんですよね!?」と念を押すように聞く彼の声に背中を押され、調子はまるで上がらないままに、それでもトロンボーンを手放すことはなかった。

 2015年2月。指揮台を降りてから一年。トロンボーン奏者として定期演奏会の舞台に立つ日が近づいてきた。
真っ先に彼に知らせた。
 「S介、今年の演奏会、もうすぐだよ!」
 
「......うわー、モンハンフェス(彼が大好きなゲームのイベント)とかぶってる!!」
 
...え?
 
「ほんっとごめん、今年は行けません」

 がちょーーーーん。

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自分と他人と

田房 絢子

先日、東京の生徒達が来て和寒でのスクーリングを行いました。

北海道に到着して和寒に向かうバスの中で、東京のスタッフがこんなことを言いました。

「自分と同じぐらい他の人を大切にしよう」

普段は顔をあわせないメンバー。心配も多々あるようです。

そんな中、旅の冒頭で頭に入れておいてほしいことの1つでした。

「他の人をたいせつにしよう」だけだったらこんなに心には残りませんでした。

自分を大切に思うこと、まず自分のことを考えてしまうのは人間の性です。

自己中心的ということでなくても、自分を基本にものを考えるのは当たり前のことですよね。

物事を主観的に考える、意識を持っているというのは人間に与えられた能力のひとつです。

自分をまず定位置に置くから、他の人のことや距離が見えるようになってきます。

自分を見ないと、他の人のことも見えなくなる気がします。

自分しか見えないようだと、他の人だけでなく、

この世の中のことがいろいろ見えなくなる気がします。

そして、大人に傷つけられたひとに出会いました。

どうしてそういうことが起こるのだろうと、不思議でしかない。

受け取り方が千差万別であったとしても、

客観的に考えて、あってはならないことってありますよね。

どうして同じ人間なのに、気持ちをわかってあげられないのだろう。

どうして、その言動の先にある、相手がどう感じるかって考えてあげられないのだろう。

どうして、「ごめんね」っていう真剣な一言で相手の傷を癒やしてあげられないのだろう。

他の人にどのように接したら理解できるか、

どのように接したら傷つけてしまうか、

どのように接したら受け入れてもらえるか。

どのようにしたら一緒に笑っていられるのか。

ちょっと考えてみたら、わかることも多いはずなのに。

自分だって、傷つけられたくなんかないはずなのに。

でも、自分だって傷つけているかもしれない。

自分と同じぐらい、他の人も大切にしなくちゃならないのに。

絶対に忘れてはいけないことなのに。

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スタッフにしだの生態②

安齊 裕香

2013年の10月にスタッフ西田の生態①をエッセイに載せました。それをおぼえていた生徒に、連載を!とのリクエストがあったのでまた書いてみます。

以前は西田家のこと、食生活の話などを書きました。西田家は全員顔が似ていると、要はこんな感じでした。

今回は最近の話を載せてみます。

西田さんは正直です。彼女の話、元彼女の話、聞かれたことはなんでも答えます。答え過ぎていて、同じ大人としてたまに心配になります。それは前からですが、最近は特にのろけています。何か質問をされると、ニヤニヤして答えてくれます。生徒たちはのろけている西田さんを見てそれだけで盛り上がれています。生徒の期待を裏切らない先生だと思います。

今年に入り、引越しをしています。引越し嫌いの引越し下手です。以前その引越しを冷かしに行きましたが、まさかの引っ越せる状態ではない中での引越し作業。仰天です。荷物が小分けで細かすぎる。手伝う身からしたらもっとまとめておけよッ!となります。いつもとても細かくきちんとしている人なのに・・・と思うばかりでした。

最近しいたけをなんとか食べています。好き嫌いが多い話は前にも載せましたが、最近は一番苦手なしいたけを食べました!!まだまだ大きめのものは難しいようですが、小さいしいたけを食べました。本気で拒否していたものを食べているのを見て、大人になってきたのかなぁと思います。33歳ですが・・・。

突然が多いのも西田です。突然引越しを決めたり、突然拒否していたスマホに替えたり、一度みんなの前で拒否したものを少し経ったら考え直しています。その後の西田さんは少し照れ笑いをしています。

それが最近の西田です。

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フリースクールのつくりかた

高村さとみ

 2年前に漂流教室の相馬さんが「フリースクールのスターターキットをつくりたい」と話していたことがある。先日、苫小牧フリースクール検討委員会が主催する「不登校について語りませんか」に参加して、いろんな参加者の声を聞くうちにスターターキットのあるべき姿が浮かんできたので、今回はその話を。

 苫小牧フリースクール検討委員会は、若者支援を仕事にしている人、不登校の元当事者や保護者が集い、苫小牧にもフリースクールをつくれないかと1年程前から話し合いを重ねている。苫小牧には市が運営する適応指導教室はあるもののフリースクールや親の会はない。適応指導教室が合わなくて...という子どもの選択肢のためにはやはりフリースクールはあった方が良いとは思う。実は最近、苫小牧だけでなく道内の数地域からも「フリースクールをつくりたい」という声があがっているのだ。

 しかしいざフリースクールをつくりたいと思っても、リスクの方が先に頭に浮かぶ。利用者は本当に来るのか。家賃や人件費をどう工面するのか。特に経済的なリスクは大きい。今現在フリースクールを運営している団体でも、経済的余裕のあるところなどないのだから。また、不登校といっても適応指導教室やフリースクールを利用していない子どもの方が圧倒的に多い。どのようなプログラムや形態が不登校の子どもにとって利用しやすいかなんてわからないのだ。強いていえばいろいろなプログラム・形態のフリースクールがあればあるほど子どもの選択肢が増えて良い。

 結論から言うとフリースクールのスターターキットはつくれない。運営がまわるような計画をつくるには家賃がいらない・人件費を削るなどの「特別条件」が必要であって、どこでも誰でも当てはまるようなキットとはいかないのだ。フリースクールをつくるには上記のリスクを超えるぐらいの思い切りが必要なのである。

 しかし、親の会であればどうか。というのが今回の苫小牧で見えてきたことである。親の会は、不登校の子どもを持つ保護者、保護者OBOG、不登校について話したい人等々がいれば成り立つ。場所は誰かの自宅でもいいし、月に一度どこかのカフェに集まってもいい。親が楽しそうにしていると、子どもが一緒についてくるときがあるかもしれない。焼肉やカラオケなんかの子どもが好きそうなプログラムを入れたっていい。定期的に行えば、子どもも親の会の時間が楽しみになるかもしれない。そこで友人を見つけるかもしれない。これはもう「フリースクール」といえるものである。ある程度の人数が集まり、子どもからの要望があれば会の回数を増やし、プログラムを考え...と発展させていける。実際にこのようにやっている親の会はあるのだ。このような考えを元に親の会のスターターキットをつくるとしたら...

・賛同する人が2人以上いる
・定期的な開催
・場所は自宅やカフェ、市民会館などを利用
・(大人にとっても)楽しいことをする

 こんなところだろうか。欲をいえば場所に関してはもっと地域の協力者がいてもよいと思う。店や施設で、使っていない時間帯に場所を無料で貸してくれるところ。例えば土日休みの福祉施設。例えば夜だけお客さんが入るごはん屋。そんなところが協力してくれるとよい。フリースクールをメインでやっていくのは難しいが、何かの片手間に子どもや親が集まれる場所をつくる、そんなところは地域に増えていってほしいところだ。

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「多様な学び保障法」を実現するための集会に参加して

亀貝 一義

6月16日(火)16時から16時45分まで、衆議院議員会館で、「多様な教育機会確保法(仮称)制定を目指すフリースクール等院内集会」が開催され、定員いっぱいの200名を超える参加者(「北海道から九州まで」)、16名の国会議員(顧問の河村建夫、座長の馳浩のお二人を含め)も来場されました。大きな盛り上がりだったと言えます。

私はNPO法人フリースクール札幌自由が丘学園の理事長の立場で、この会の趣旨である「多様な学び保障法案(仮称」の立法化促進を求める視点で参加しました。

法案の趣旨について、座長の馳議員は次のように発言しています。

「議員立法で、学習支援計画、理念的なもの、多様な教育を確保するための根拠法をまずは今国会で成立、来年の国会で文部科学省より各法として学校教育法を書き換え、経済的な支援に具体的に踏み込んでもらう」。

議員立法で想定されるものはあくまでも基本線だから、問題は成立以降どういうかたちで具体化できる執行条件をつくるかであり、参加者も皆口々に「皆さんのご意見を」といい、また「議論はこれから」とも強調されていました。

しかしいずれにしても、今後、「学校教育法第一条校」(一般の学校)だけでなく、フリースクールや外国人学校などで学んだ子どもたちも、これまでのように二重学籍でなく、正規の卒業扱いをする、ということになりそうです。ただ「フリースクール」であればどれであってもすべてOKということにはなりません。そこでフリースクールに関する基準をどうするか、はこれからの課題になります。

文科省の担当官も言っていましたが、「これからの作業」がまだまだ残っています、しかし一定のメヤスができつつあります。つまり、「多様な学びかた、多様な学校を前提として考えていこう」ということです。日本の学校教育の大きな転換のきっかけになることでしょう。

当日の簡単な報告、資料等はホームページにも掲載しております。

http://aejapan.org/wp/?p=474

ただこの法案に懸念を表現するグループもいてその発言もありましたが、私には大筋においてこの法案は歓迎されるものと思います。

私も札幌でのフリースクール運動の経験と札幌市のFS補助制度について短時間でしたが発言する機会をもつことができました。

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「フリースクールを容認」の動き

NPO法人フリースクール札幌自由が丘学園理事長 亀貝一義

5月28日、各新聞がかなり大きなスペースを割いて、超党派の議員連盟が「不登校の子どもの学びを支援するため、フリースクールなど学校以外の教育機会を義務教育制度に位置づける『多様な教育機会確保法案』を、議員立法で今国会に提出することを決めた」と報じた。

この「議連」というのは、自民・民主・維新・公明・共産などの議員約50名で構成されていて、「フリースクールへの公的支援を拡充する」として昨年6月に発足した。

これまで「フリースクール」というのは、いわば教育機関という意味でもなく、きわめてあいまいな存在だった。しかし、私たちの長年のフリースクールからの取り組み、そして各議会(道や市など)への公的支援の要請などによって、この存在がようやく認められてきたといってもいい。

もっともこれまでも不登校であっても、中学校の卒業は認定されてきたし、高校進学も「基準点」というハードルをもっていない高校であれば、進学は可能であった。しかし、中学校時代は不登校でした、という子どもにとって、これは口にすることは容易なことではなかっただろう。 だから、上にしたような「フリースクールを容認」という方向がはっきりすれば、「自分は一般の学校ではなく、フリースクールの札幌自由が丘学園に行っていた」と抵抗なく言うことができるようになるだろう。

なによりも、フリースクールへの公的支援の制度がつくられる重要な前提になるに違いない。今、札幌市が200万円以下のフリースクール補助金を支給するしくみを平成24年につくったが、この額もきわめて不十分であり、また札幌市が条例で決めた制度でもない(市長の「政策予算」のひとつ)。

私たちが1990年代後半から粘り強く道や国や市に要望してきた「フリースクールへの公的支援を」という目標がようやく陽の目を見ることができるようになるのだろうか。 あまり楽観はできないが、薄日を感じることができつつある。

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