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「新教研」(自由が丘)運動をともに創った鈴木秀一さんの死

NPO法人フリースクール札幌自由が丘学園理事長 亀貝一義

多くの教育に関係する人にとっては忘れられない人だと思います、鈴木秀一さんという人は。
この鈴木さんが2月26日に逝去され(ガン系の病気だと聞いています。85歳)、家族葬等すべて終わってしまったところで私も知ることができました。そして「自分の死に関することがら(葬儀やその後の「偲ぶ会」的なもの)は無用」という意志を伝えていたそうです。

私にとっては忘れることができないお一人でした。札幌自由が丘学園運動を創設したいわばグループのリーダーであった人です。北大名誉教授の肩書きをもっていたことから分かるように元北大教育学部長だったし、私が学生時代に、北大に赴任してきた少壮気鋭の青年教師でした。

私が札幌自由が丘学園運動のきっかけを創ったのは、1986年4月4日、北大教育学部の鈴木秀一教授研究室で「今の教育状況に対してある種の問題提起ができないものでしょうか」と相談かたがた懇談しあったことでした。これをきっかけにして「新しい教育・学校をめざす研究会」を結成しました。鈴木さんが代表、私は事務局長に就任し、月1回の研究会(新教研)を行ってきました。この中で、「ただ議論するだけではなく実際に学校づくりをすすめよう」というグループの討議のもとで、「清水の舞台から...」の気持ちで私は高校教員の仕事を辞め札幌自由が丘学園づくりに進んだのは1990年のことです。そしてほぼ同時期、鈴木さんは北大から(多分行動しやすくしたいという理由だったと思いますが)私立大学に移籍されました。

1990年5月19日、北区のサンプラザで「鈴木秀一・亀貝一義 両先生を励ます会」を、当時の道中小企業家同友会の大久保尚孝さん、北大教育学部長の高村泰雄さんなどの呼びかけで開いていただきました。今となってはそういう過去のイベントを私たち二人のその後の意味の再確認として思いを深くするところです。144人もの方がたの参加をいただきました。

2013年11月1日の札幌自由が丘学園創設20周年記念行事で、ステージで語り合った菊地大さんや吉田弘さんが草創期の仲間でしたが、このトップが鈴木秀一さんでした。

(鈴木さんの功績はもちろん自由が丘運動への貢献だけではありません。いわば北海道の民間教育運動の総括的なリーダーでもあったことを特筆しておきます)。

札幌自由が丘学園の活動を展開していく中で、鈴木秀一さんが代表を務めていた「北海道自由が丘学園をつくる会」とは、種々の理由で事実上袂(たもと)を分かつことになっています。しかし鈴木秀一さんとの出会いがなければ今の札幌自由が丘学園は、多分なかったかも知れません。そういう意味では、鈴木さんの死に対して感慨無量のものがあります。

※ なおどこかの時期に「偲ぶ会」的な集いが鈴木さんの「教え子」諸兄たちによって企画されるかも知れないとのことです。

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三和国民學校の「六年間」の「精勤證」

札幌自由が丘学園三和高校 校長 亀貝一義

私の手許に小学校卒業時にもらった一枚の「精勤證」がある。「北海道上川郡和寒村立三和小学校」が証明してくれた賞状だ。

このひと月間、何度も和寒町の三和高校の本部に行く機会があった。先日も真冬の様子もつ本校に行ったときしみじみ思った。当時の言葉でいえば約半里の道を今のように除雪も行われていない雪深い道を歩いて通学したものだ、と。半里というのは約2キロである。

雪も今よりはるかに多かったのではないだろうか。腰までうまりながら雪を「漕いで」通った。大雪(おおゆき)の日は地域(当時「部落」と言っていた)の人たちが交代で馬に圧雪用の小道具(7~80センチほどの大きさの丸くて厚い板の固まり。これをタマと言っていたように記憶しているが)を引っ張らせて、子どもたちが歩くことができるように道をつくってくれた。馬たちは深い雪の中をおなかまで埋まりながらハーハー息をしながら道をつけてくれた。

そんな冬の通学を体験しながら、私は小学校卒業まで「精勤」だった。他にも何人もいただろうけれど、小さな「誇り」である。

この時の賞状がどういうわけか「三和國民學校」の賞状である。昭和25年だからとっくに「小学校」であったのだが、古い賞状用の紙がまだ残っていたから使ったのかも知れないが、今調べてみるとヘンな話である。しかししっかり学校印があるから偽物ではない。

(精勤證だけでなく「努力賞」ももらっていたが)。

「皆勤」でなく精勤であったから6年間に数日は欠席したはずである。しかしそれにしてもほとんど休まず文字通り雨の日も風の日も雪の日も休まず通った。

中学校3年間も「精勤」だった。中学校までは片道約3キロだった。

高校時代はそういう賞はもらえなかった。ひと月以上「登校拒否」したことがあったからだ。

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心新たに考えること

学園長 杉野建史

あっという間に2014年が終わり、年が明けました。また新しい年の始まりです。私がこの学園に関わり始めて20年目を迎えました。あっという間の20年でした。

昨年末、大学時代の先輩や後輩と会う機会がありました。なかには卒業後はじめて会う人もいて、なんだか20年前にタイムスリップしたように感じられた時間でした。卒業した大学柄、教育に携わる人が少なくなく子どもに関するいろいろな話ができたことがとても嬉しく感じられたのです。大学で教鞭をとっている後輩がいて、「いまどきの学生」についても聞くことが出来ました。とても若くて人生これからの大学生もじゅうぶん「子ども」で、その子どもを取り囲む環境の変化や、勿論時代の変化に起因する苦労話が聞けたことは私にとって大いに刺激となり、自分がなすべきこと(自分がやりたいこと)を改めて浮き彫りにしてくれた貴重な話でした。

今一度、義務教育と高校教育について深く考えようと思いました。

義務教育の機会を失いかけている子どもがいます。義務教育を十分に受けられず、それでもなんとか高校に入学し高校教育を受けている子どもがいます。「人が歩く道は人それぞれ...」で片付けられない現実が目の前にあります。もしかしたら、私がこの仕事に携わってからのおよそ20年で何も変わらないまま「不登校」という現象が起き続けているのかもしれません。後回しにされた義務教育を高校教育が何とか補っているのかもしれません。

自分の見聞を広める年にしたいと思います。これまでのものの見方や考え方を検証する必要があるかもしれません。また、自分のやりたいことを叶えるための方法をできるだけ多く見つける事が必要です。20年目を終えるとき、「やれたことリスト」にたくさんの✓印が付いているように出来ることを出来るだけやり抜くことを心新たに考えたのです。いつも心に言い聞かせている「自分でもできる」、「自分だからできる」ことを一生懸命やり抜く所存です。

本年もフリースクール札幌自由が丘学園、札幌自由が丘学園三和高等学校を宜しくお願致します。

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変わらないために人は変わる

高村さとみ

 年度終わりまであと3か月。フリースクールでも卒業を意識する時期となってきました。毎年この時期は卒業文集のために卒業生へのメッセージを送っています。「次のステージでもがんばって」「進学先でも...」「新しい環境でも...」と拙筆のため毎回似通った文章になってしまうのですが、このような転機は学生にばかり起こるものではありません。人生の転機について最近は考えています。

 もう少しで私も29歳。周りの友人たちは結婚・出産・転職と様々な転機を迎えています。私自身はどの予定もないのですが、もしもこのような転機があるとしたら...。想像するととても恐ろしく感じてしまうのです。特に女性は育児と仕事の両立など悩むところも多いはず。なのに友人たちはいとも容易く転機を受け入れているようにさえ見えてしまいます(実際はそんなことはないのでしょうが...)。今の生活が変わるということは、例えば誰かと別れること。例えば新しいことに挑むこと。例えば時間の使い方が変わること。私にはそのいずれもできそうにないように思えます。こんな思いでは転機など迎えられそうにない。むしろ恐ろしいものなのだから、変化などしたくない。そんな風にも思ってしまいます。ぬるま湯に浸かるようにこのまま変化なく過ごせたら。しかし、変化が恐怖なら変化しないことは苦しみです。私は変化したくないのではなく、変化したい気持ちもありながら動けずにいるだけなのですから。

 タイトルの「変わらないために人は変わる」とは。私が恐ろしく感じている「変化」をしないために、実は人は違った「変化」を受け入れているのではないか。という話です。例えば結婚は好きな人と生涯を共に過ごすということを変化させないため。例えば転職は仕事内容や労働条件を妥協しないため。人は人生における変化させたくないものを守るために、変化しているのかもしれません。それはきっと自分の中で譲れない、信念や志と呼ばれるもの。

「変わらないために人は変わる」

 私も変化を恐れるばかりでなく、信念や志を見つける1年としたいです。

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「選べなかった年」に

フリースクールスタッフ 新藤理

 今朝の道新に、社会学者の大澤真幸氏が小論を寄稿していた。「2014年という年は『日本人が自ら何も選択しなかった年』として振り返られるだろう」というその内容に、いつもこの人の論は明快ですごいなあという思いと、その「日本人」の中に間違いなく自分も含まれているのだという胸苦しさの両方が去来した。
 「何も選択しなかった」という状況を端的に表すのが先の衆院選だった、と大澤氏は書く。降ってわいたようなあの選挙は、たしかに国民に何をも運んでこなかったという感が強い。でも、私たちには自らの希望を(「ぜひこの人に」というより「まだこの人のほうがマシ」という選び方ではあっても)表明する権利がある。今よりほんの少し、私たちそれぞれが社会のありようについて踏み込んで考えてみればいろいろなことが変わっていくかもしれないのに...と、衆院選での投票率の低さを残念な思いで振り返りながら新聞を読んでいた。

 しかし、考えてみれば、そもそも自分はどうして選挙に行くのだろう。「国民の権利だから」「社会をよりよくするために」という理由はもちろん正しいけれど、なんとなく模範解答でありすぎるという気がしないでもない。以前このことをちょっとじっくり考えたことがあって、結局それは「家族がいて、家族のことを愛しているから」ということと「教育の仕事をしていて、生徒たちに選挙に参加する自分の姿を見てほしいから」という二つの理由に落ち着いた。まあこれはこれで無難な答えになっているかもしれないが、私にとってはそれなりに切実な命題だ。
 ならば、と逆に自らに問う。もし教育の仕事をしていなくて、家族も持たない孤独の身だったとしたら、それでもお前は投票所に行くのか、と。実は、この問いへの答えは未だに出せないでいる。たぶん私のことだ、どんな仕事をしていても経済的に裕福に暮らしているということはないだろう、でもその時に「経済を立て直してくれる人に一票入れに行こう」という気持ちになるだろうか。なんだかあまりならないような気がする。あるいは、「世界の平和に貢献するであろう人に一票を...」「福祉の充実に力を入れる人に...」どうだろう。やっぱりそれほどピンと来ないかもしれない。結局のところ、私が少しでも公民的な存在として社会をより良くしていきたいと思う願いは、家族や生徒たちなど私のそばにいる人たちの存在によって成り立っているものなのだと思う。
 現実には、そうした隣人たちを持たない人だってたくさんいる。そしてその中には(私がそうだったかもしれないように)選挙に対するモチベーションが湧かない人もいるだろう。彼らに向かって「投票率が低い! 意識が低い!」と大声で責め立てることは私にはできない。ただ、何かを変えられないだろうか、とは痛切に思う。私がこうして教育の仕事をしていることが潜在的に「何かを変える」ことにつながっていればいいのだけれど...と、ひとまず一縷の望みを託して日々を送り、気づけば2014年が終わろうとしている。

 そんなわけで、いつもつくづく感じていることだけど、新藤の今のありようは、大人も子どもも含めた周りの皆さんのおかげによってできているものです。皆さんがいなければ自分は何者にもなっていなかったんじゃないか、本気でそう思います。長くてしまりのないこんな文章を最後まで読んでくださったあなたであれば、その「皆さん」に含まれている可能性が十分にあります。今年も一年、お世話になりました。2015年もどうぞよろしく。

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うま

安齊 裕香

やってきたこの時期。

札幌もとうとう雪が積もりましたね。

今年が終わりますね~。

年末近くなっての楽しみの1つは競馬です。

最近のマイブームです。印象は良くないと感じる人もいるでしょうが・・・。

かわいいもんです。お友だちと『馬部』を作って土曜の夜に次の日のレースの会議。

その程度です。

大人になって、仕事して、結婚して、学生時代ほど友だちと遊ぶことがなくなってきて、なんか友だちと遊ぶのに飲みにばっか行くのもなぁと思ってきた矢先でした。なんとなく"G1のみ1000円だけ"のルールで始まったのです。

やってみると馬部の勝率はなかなか。わりと誰かは当たっているのです。

大学の頃にも少しやっていたけど、久々に真剣に考えているG1レース。

みんな毎回真剣なんです。毎回4人~6人くらい集まってみんなでスポーツ新聞みながら予想するという。いつもお酒は誰も飲もうとしないし。競馬というよりこの時間が好きです。あーだこーだ言いながらみんな真剣なのです。

なにかに向かって真剣になれている時間と、なんとなくみんなが集まっているこの時間が好きです。G1前の土曜の夜は集合です。

さぁ楽しみな年末の有馬記念。

投票もしました。

年末ジャンボも楽しみだけど・・・。

そんなことばかり言っていると、私ギャンブルしかやらない人みたい。

そんなことないです。

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冬が来れば~思い出す~

『冬が来れば~思い出す~』 学園長 杉野建史

この数日でやっと札幌らしい冬になりました。

本校がある和寒町も去年と比較して降雪量が少なく、冬本番とはまだなっていません。それでも気温は札幌よりも低く、月1コースのスクーリング日はいつもよりも厚着をして身構えて行きます。

本校舎は勿論暖房完備で築年数も札幌の施設よりも新しいので、外気温は札幌よりも低いのですが教室は札幌の教室よりも断然温かく感じます。授業をしていると汗ばむこともあります。教室から見える畑には和寒町名産のかぼちゃが植えられていて、夏には濃い緑色の立派なかぼちゃの葉を見ることができます。今は真っ白な雪が降り積もり、そこに正体不明の足跡がついている風景を見ることができます。

学生の時にスキーに熱中していたので冬はとても好きな季節なのですが、この十数年はヨットやスクーバーダイビングに熱中しているため、年中夏が恋しく夏が大好きなのです。そうしてこの時期、夏に後ろ髪をぐいぐいと引かれる思いがするのです。

和寒で生徒とカヌーをしたり、銭函の海でディンギー体験をしたり、小樽の海ではクルーザー体験をしたりする。そんな太陽ぎらぎらで、汗だらだらの夏が...と妄想してしまうのです。そして毎年お世話になっている鹿児島県の与論島の海。この海にどれだけ癒されていることか~。透きとおる水と潮風。何も言うことはありません。

冬が苦手な方がいらっしゃれば、どうぞこの写真で暖まってください。

1枚目はフェリーが着岸する与論港の浅瀬です。

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2枚目はウミガメが泳いでいる姿です。(見づらいかもしれませんが...)

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3枚目は毎年宿泊する施設の前にひろがるプライベートビーチです。毎年、ここで生徒達は与論の海を満喫します。

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オンラインな人たち

田房絢子

 めいっこたちが大きくなってから、よくLINEを使って連絡が来ます。遊びに来て、とか○○はどうなった?とかスタンプと一緒に送られて来ます。使っている漢字や言葉遣いを見る度にかわいいなぁとか、大きくなったなぁと叔母バカ炸裂ですが、このSNS、そしてスマホというものが当たり前のように身の回りにあふれている彼女たちに対して一抹の不安を覚えるのも確かです。

 今の子どもたちは文字でやり取りをすることに慣れすぎていて、直接顔を見て話しをする機会を減らしているように感じます。ケンカや仲直りをSNS上で繰り広げ、会ったときにはまるで何も無かったかのようにしているかと思えば、顔も知らないような相手が時に心のよりどころになったりします。ちょっと離れますが、あるオンラインゲームでは気に入らない対戦相手に対して罵倒のメッセージを送りながら戦うんだと、何人かの生徒に聞きました。インターネットが普及してからこのような事態はすでに始まっていたのかも知れませんが、ここまで当たり前に身の回りにあるとちょっと気後れしてしまうのは時代遅れでしょうか。

 確かに便利なツールです。何千㎞離れた所に友だちができます。知らない世界を垣間見ることができます。一人で寂しいときは話し相手を見つける事ができます。私もその恩恵を受けた事はありますが、やはり限度を知らないといけません。

 夜中メッセージを送り合っているとか、ゲームをしているとか、朝起きられないのは当たり前です。ちょっとでも返事が返ってこないから不安になるのも無理はありません。そりゃそうです。

 家に帰ってまでずっと友だちと繋がり続けているのはどうかと思います。スマホとはオフの時間やほどほどの距離感を持たないと、自分の神経がすり減っていく気がしてなりません。

 そういえば、この間外食をしたときに隣の席に座っていた夫婦と思われるお二人がいました。おそらく50代くらいかと思います。特におしゃべりをするわけでもなく、黙々と食事をしていたかと思ったら、旦那さんの方がスマホをいじり始めました。その後奥さんも同じように操作し始めました。二人で何も話さずに画面を一生懸命操作しています。・・・これってどうなんでしょう?(笑)

 最近の若い者は・・・ではなくなっています。どんな年代でも常にオンラインな人々が世の中にあふれかえっています。このままではスマホに世界を乗っ取られてしまいそうです。これってやっぱり時代遅れの発想なのでしょうか・・・。

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不安の正体をつきとめる

高村さとみ

先日、シンポジウム・不登校相談会・フリースクールフェスティバルという3つのイベントを開催しました。同日開催のため準備も並行して進めていかなければならず、多くの人の協力によって何とか無事に終えることができたのでした。

仕事をしていると、複数の仕事を同時並行に進めていくなんていうのは日常茶飯事です。日常茶飯事ですが、私はよくこれで頭を悩ませています。頭の中に「あれもやらなきゃこれもやらなきゃ」というのが蓄積されて、不安や焦りでいっぱいになるのです。そんな時は、例えばAさんに用件を伝える、教室にポスターを貼る、のようなごく些細な仕事でもどんどん頭の中に溜まっていき、容量がいっぱいになってしまいます。しかし、それらのやるべきことが頭の中から抜けてしまうことはあまりありません。その仕事が完成するまで記憶に留めておかなければならないと考えているのも、不安や焦りの一因なのでしょう。

同じ様なことはポジティブな場面でも起こります。それは新しいアイディアが浮かんだ時です。稀にイベント案が次々と頭の中に降りてきて溢れてしまいそうになることがあります。そんな時は「これは絶対におもしろい」「こうしたらもっと良い」というようなプラスの思考ながらも、頭の中がいっぱいで苦しい思いになることがあります。

そんな時にどうするか。月並みながらも紙に書きます。仕事リストをつくったり、イベントの企画書をつくったり。仕事リストではそれこそ「Aさんに用件を伝える」のようなどんなに小さなことでもとにかく書くようにします。そうすることによって初めて頭の中から消去できるようになります。いっぱいになっていたパソコンデータ(頭の中)を外付けハードディスク(紙)に移すイメージです。

しかし、頭の中いっぱい具合がさらに深刻になると、紙に書く余裕もなくなってしまいます。とにかく思いつくことを片っ端から片づけ、でも片づけた分新たな仕事がやってきて...とあまり良い事にはなりません。そんな時はお風呂でもお酒でも、とにかく外から体や頭がリラックスできるように操作して、やっぱり紙に残すようにします。

今でこそメモ書きなりパソコンなりで紙に残す作業をしていますが、昔はスケッチブックとクレヨンを使っていました。昔といっても私がフリースクールに勤める前、営業の仕事をしていた時のことです。営業成績が伸び悩むとそれなりのストレスになるのですが、営業トークの見直しや次回目標を考える際にはスケッチブックにクレヨンででかでかと、殴り書きをしたものです。大きく、カラーで書くことで自分の中により印象的に残るようにしたかったのと、クレヨンは雑に書くのにちょうどよくストレスをぶつけるのにも役立っていたと今振り返ると思います。

今流行っている「妖怪ウォッチ」は人々の悩みや問題が妖怪として具現化しているそうで(見たことはないのですが...)、主題歌でも「妖怪のせいなのね そうなのね♪」と歌われています。元々妖怪というのは、誰もいないのに声がした、のような不可解な出来事を説明できるように人がつくりだしたものと言えます。

不安は正体をつきとめない内はいつまでも不安のままです。前半で書いた仕事の内容のことであればつきとめるのは簡単ですが、これがもし人間関係や恋愛や人生のことであったなら。簡単に言葉にできない漠然とした、言いようのない不安は誰しも持っているものです。そんな時にはスケッチブックに思いつくままに殴り書きすることをおすすめします。それだけでも少しばかりのストレス解消になりますし、不安を解決する鍵は不安の正体をつきとめることにあるのかもしれませんから。

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妖怪のせいなのね!?

フリースクールスタッフ 新藤理

放送が終わって一年以上経った今も「あまちゃん」を観ることがよくある。ストーリーや役者の素晴らしさもさることながら、「あまちゃん」は劇中の音楽がどれもいい。絶妙な(いい意味での)乱雑さ、変テコさがクセになるのだ。学園でも「あまちゃんにハマった」という生徒は何人もいて、放送当時は誰かが持ってきたサウンドトラックCDがフリースクールを賑わせていた。
「あまちゃん」の音楽を担当したのは大友良英さん。映画・ドラマの音楽も作っているが、元々は即興でノイズミュージックを鳴らす実験音楽家だ。その大友さんがこの夏、札幌で大々的な盆踊り大会を開催した。札幌国際芸術祭の一環として、北3条広場に巨大な風呂敷とやぐらを登場させ、「あまちゃんバンド」のミュージシャンたちとともに演奏された音頭の数々。その生のサウンドは、集まった市民を思いきり踊らせていた。みんな汗だくで、無我夢中だった。
盆踊りは地域のつながりを確かめながらみんなで明るく祖先を偲ぶイベントとして日本人にはお馴染みのものだけど、実はとても個人的な営みなのではないか。実はその日ちょっと気が沈んでいた私は、盆踊りの果てしない反復の中で、思いきり身体を動かしているのに心はどんどんおだやかになっていくのを感じていた。なんだか、たくさんの失敗も後悔も、すべてが赦され、洗い流されていくような感覚があった。15時から始まった盆踊り、それがすべて終わる20時まで私は踊りきった。会場に高校時代からの友人がいたことを後で聞いたが、「あまりにも真剣にトランス状態で踊っていてとても声はかけられなかった」らしい...

先日の学園祭で、私は「発表部門」という新たな部門を担当することになった。中高生が一緒になって一つの出し物を制作するチームだ。
初めて集まった時から「自分たちだけじゃなく、会場みんなで楽しめる出し物をしたい」と言っていた彼らに、私は半ば本気で「みんなで盆踊りやったら楽しいぞ!」と提案をしてみた。残念ながら(?)その案は通らず、しかし踊りでみんなを巻き込んで盛り上がろうというコンセプトは生き残った。そして、客席全体で一緒に踊れるダンスとして選ばれたのは「ようかい体操第一」だった。
おもに小学生に大人気の「妖怪ウォッチ」から生まれたこの体操。夏にフリースクールの生徒たちとともに保育園を訪問した時も大人気だった(重ねて言うが、取り組むのは学園の中高生たちである)。いったいどうなることかと思ったが、演目が決まってからのチームの取り組みは、見事だった。練習の時から、みんな実に生き生きと楽しく、そして真剣に踊っている。私も一緒になって踊ってみると、なるほど、大ブームを巻き起こしただけのことはあって、実によくできた体操なのだ。身体のコントロールと解放、力をためるところと発散するところ、そのバランスが絶妙だ。振り付けは、かの有名振り付け師・ラッキィ池田さん。そして流れる音楽もなんだか変テコで、そこがクセになるといえなくもない。これは大人も子どももみんな楽しく踊れるだろう。私はいつの間にか生徒たちを凌ぐ勢いで(?)ようかい体操にのめり込んでいった。

学園祭の本番、もう一つの演目「銀河鉄道999」(こちらはスタイリッシュなダンス。これももちろんみんな真剣に練習していた)に続いてようかい体操が始まった。ざわめく会場、やけにマジメな顔つきで踊る発表部門のメンバーたち。しかし、舞台から「ジバニャン・ロボニャン」が登場するといよいよ観客たちも盛り上がり始めた。半ばむりやりに客席から生徒たちを引っ張りだし、ステージで一緒に踊らせるジバニャンとロボニャン。あやふやな振り付けで、照れながらも一緒に踊ってくれる学園の仲間たち。スピーカーから流れる割れ気味の音楽に合わせて踊りながら思う。これはいつかの盆踊りと同じ光景だ。みんながそれぞれに、自分なりの楽しみ方で、それでもゆるやかな結びつきを感じながら、思う存分輝いている。
三回もくり返されたようかい体操を終えて、発表部門のメンバーは汗だくだった。まさか思いもよらなかっただろう。あの変テコな体操と音楽が、自分たちのこの秋の思い出を決定的に彩るテーマソングになろうとは。そのあり方は、なんだか一年前の「あまちゃん」との出会いにもちょっと似ている気がする。音楽も踊りも、変わった形をしたものほど、心に刺さって抜けなかったりするものだ。今でもあの音楽が流れれば、生徒たちも私もすぐに踊り出すに違いない。「踊りたくなるのは妖怪のせい」と恥ずかしさを捨てて。

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