2020 年 5 月 11 日

マスク・消毒用アルコールの寄付をいただきました

マルサン塗料株式会社様より、マスクと消毒用アルコールの寄付をいただきました。

先日、「市で購入予定のコロナ対策のマスク・消毒液の配布先として、学校や福祉施設は対象だがフリースクールは対象外」と報道されたことを受け、濱信一(代表取締役社長)様が「これでは不公平だ」と寄付を決めてくださったそうです。

全国的にマスク・消毒液の不足が心配される中、温かいご配慮をいただいたことに心から感謝したします。
マルサン塗料株式会社の皆様、ありがとうございました。





2020 年 4 月 3 日

ルーツの旅

高村さとみ

 

 私には函館在住の、今年92歳になる祖父がいます。以前にも書きましたがこの数年、祖父は昔の話をいろいろとしてくれるようになりました。海軍予科練習生として茨城の土浦にいた話、5歳の時にあった函館大火の話、そして曾祖父母の話です。

 曾祖父母は群馬で海産物の卸売りをしていました(曾祖母の家が店をしていたところに曾祖父が婿入り)。しかし1923年の関東大震災で店は倒壊。商売か人間関係か、その両方かが嫌になった曾祖父は曾祖母を置いて、取引先を頼って函館へと行ってしまいます。曾祖母はそれを追いかけて函館にやってきた、というのが大筋の話です。祖父の家からは「高村フードセンター」と書かれた、後進であろう店のタオルが出てきました。店はもうないそうですが、その跡地や街並みを見てみたい、と群馬旅行を計画していたのがこの春休みでした。新型コロナウイルスの情報を注視しながら、行きたい気持ちと行くことへの不安がせめぎ合う日々。東京の感染者数が増加していくのを見て、ギリギリになってやはりキャンセルすることを決めました(羽田経由で群馬に入る計画だったので…)。祖父も「お墓の写真を撮ってきてほしい」と楽しみにしてくれていただけに、本当に残念です。なるべく早くリベンジが果たせるとよいのですが…。

 しかしこの話、ここで終わりではありません。北海道立図書館に店のあった群馬県大間々町の町史があることがわかりました。そこで早速、道立図書館へ。項目ごとに10冊ほどの厚い町史がそこにはありました。関連しそうな箇所に目を通していくと、明治37年の大間々町の店・店主名が書かれた地図を発見しました。そこには「高村寅吉」の名前が。私の高祖父(ひいひいおじいちゃん)です。海産物ではなく青物商となっていました。家に帰ってGoogleMapと地図を照らし合わせてみるとまだ続いているお店もあり、だいぶ高村の店の場所が絞り込めました。今は大間々町の古地図を取り寄せて、さらに調べてみようとしているところです。

 群馬に足を運ぶことができなかったのは非常に残念なのですが、地図を調べながら昔の大間々町を歩く気分を味わうことができました。今は下調べを楽しみつつ、実際に足を運べる日を待ち望んでいます。

2019 年 12 月 19 日

カード社会がやってくるとか?

亀貝一義

                                                        
キャッシュレスが言われる。カード社会の到来だとか。私たちは長年財布に現金を入れて暮らしていた。もちろん最近10年ほどは財布に何枚かのカードをいれている。
 
この数か月か、妙にキャシュレスが叫ばれ出した。ようするにカードサインだけで済ますことが今風なのだとか、だからカネの出し入れはなしというわけだ。
 
私も10年以上前から何とかカードを2、3枚はもっていたし、現金払いがキツいときには月賦(げっぷ。この語もボチボチなくなるかな)払いにできるというわけだ。しかし、だからといってキャッシュレスのカード社会がOKという気持ちにはなれない。
 
カードも1,2か月後には必ず預金から差し引かれる。当たり前だ。カード社会がなじめないのは、こまかい計算なしにカネは後払いだ、欲しいものは買おうという気持ちが大きくなることが怖いのだ。
 
常にマイサイフを頭にいれて買い物をする、という旧い習慣から抜けきれない。この習慣は捨てなくてもいいのだ、と自分で確認している。ケチな考え休むに似たり、と言われるかも知れないが。

2019 年 12 月 10 日

三和高校、創立10年がたちました

 札幌自由が丘学園三和高等学校校長 亀貝一義

今年は早いものです。わが三和高校は創立10年の節目の年です。この前身の札幌自由が丘学園高等部がスタートしたのは2002年でした。
フリースクールを経て高校に入りたいという子どもたちの進路を考えてまずある高校に在籍させ、しかし実際には札幌自由が丘学園でしっかり勉強してもらい、在籍校と確認した上で「高卒」の資格を取得する、という多少手の込んだ措置を数年間とり続けました。そして和寒町と協議し同町が申請し内閣総理大臣福田康夫認定(平成20(2008)年3月31日付け)の札幌自由が丘学園三和高等学校がスタートすることになったのは2009年4月26日でした。
なお三和の「開校記念日」は7月1日ですが、2008年7月1日に、当時の伊藤昭宣和寒町長が設立を認可した日ということになります。
 
以上のようにフリースクールの実績を高校教育の面でも一層発展させていこうというのが設立の趣旨でした。この10年間の歴史です。
私たちはこれからの10年間、さらに三和高校の教育の意義を広く訴えフリースクールともどもこれを必要とする子どもたちと、子どもを支える父母の期待に応えていこうと気持ちを新たにしています。

2019 年 11 月 22 日

人材じゃない

高村さとみ

 

先日、北海道大学の「教育制度論」で講義をした。今回で3回目なのだが、毎回「不登校の対応あるある」というのを入れている。学校の対応でいうと「家に訪問する」「まったく連絡をとらない」「朝迎えに行く」など。その対応が良い・悪いではなく対応の一例として出したつもりだったのだが、1回目の講義後の感想には「自分も先生になったときにそういった対応をしてしまいそうで不安」とあったので、2回目・3回目はどんな対応をするにしても、子どもの望まないことをしてはいけないということを丁寧に話すようにしている。例えば「家に訪問する」ことを「自分のことを考えてくれている熱心な先生」と捉える子もいれば、「家にまで押しかけてきてプレッシャーだ。心が休まらない」と感じる子もいる。どんな対応をするのでも子どもに了承をとるべきだ、ということを話している。

加えて今年は10月25日に文部科学省から各教育委員会に出された「不登校児童生徒への支援の在り方について」の話を入れた。これはこれまで出していた同通知のリニューアル版だ。支援の在り方として「学校復帰が前提」と書かれていた部分が削除されたため、この通知を歓迎する声もあるが、私からは否定的な捉え方を学生に伝えた。今回の通知が出る前からだが、ICTの学習により不登校の子どもの出席が認められるようになった。今後は一層、無理に学校に行かなくても良いという風潮は広まるだろう。しかし、ICTを活用できるかは環境にかなり左右される。機器があるか、インターネットが使える状態かという物理的な面はもちろん、私は日々子どもと接していて、ICTを活用しなおかつそれで学習ができる子というのはかなり少数だと感じている。例えば家に誰かがいて、学習を促したり、ICT学習の補足をしてくれるなら可能かもしれない。しかし今、そうした時間をとれる家庭がどれほどあるのか。ICTの活用というのはそうした環境により大きな格差があらわれる話だと思う。

こうした流れを見ていると、どうにもこの通知は学校に合わない子どもを学校外に出し、自己責任でICT学習を受けさせる、それもできない子どもは支えない、という切り捨てになっているようにとれる。本来変わるべきは学校であるのに、何か学校や社会に行くために求められている基準があって、それを満たさない子どもには向き合っていないような。

教育は人材育成ではない。教育とは、一人ひとりがこれからの人生を幸せに生きていくための力を育むことであると私は思っている。教員を目指す学生たちが実際に子どもの前に立つとき、人材育成を担うなんて思わないでほしい。子どもたちを一人の人間として尊重してほしい。そんな内容で私の話を締めた。

2019 年 11 月 1 日

「おうちごはん 野の」

                                                亀貝 一義
                                                
このタイトルは、中神治夫さんと奥さんの二人が南区簾舞に開いた食事屋さんの名前です。中神さんは、わがフリースクールの、いわば揺籃期から重要な役割を果たしてくれたお一人です。「一人芝居」、「自己表現」の意味とその方法をほとんど何も知らない子どもたちに身をもって示し教えてくれました。そして何度かの舞台をつくり一般の方々にも子どもたちの生き生きとした表現を見せて、その親たちも「わが子がこんな素晴らしいステージを創り出せたのか」と大きな感動をしたものです。それは今から20年ほど前のことでした。その後、フリースクールの表現科を週一で担ってくれました。

この中神さんが3年前定山渓国道から3.3キロも離れた「簾舞94-2」で標記の食事の店を開きました。私はそのときから毎年1、2回家族でお邪魔しています。
 
無低農薬の野菜・果物・米・雑穀、無添加の調味料などを素材にしたご飯、おかずなどいろいろなメニューがあります。これらを口に入れると「無低農薬の食材からつくる食べ物ってこんなにおいしいのか」と感嘆します。
 
この10月はじめに妻と行ったとき、お客さんは来ているのかな、と内心心配しながらドアを開けると、午後2時過ぎのアフター食事時でしたが、ほぼいっぱいのお客さんで賑わっていました。
 
「ご無沙汰しています」を前置きにした挨拶から始まってお互い元気でやっていることを確認しながら例の「定食」を注文して食しました。何か気のせいか味も一段とバージョンアップした感がしました。
 
「失礼ながらこんなに都心部からはなれた所で繁盛しているとは驚きですね」とバカみたいな感想を述べたりして、「しょっちゅう来れませんがまた忘れられないうちに来ますから」と言って別れました。
 
中神さんとお付き合いのあった方たち、話のタネとしても非常に楽しく、おいしく、また印象深い体験になると思います。
国道を通っていくと左前方に「簾舞中学校」の柱が見えたらそこを左折して15分前後走ると左側に見えるお店です。

2019 年 9 月 20 日

宿泊学習の裏側

高村さとみ

 2泊3日の宿泊学習が終了しました。今回の行き先は倶知安と小樽。どんな内容だったかは生徒の様子と共にアップしています。こちらではスタッフ側の準備という、宿泊学習の裏側について。
 フリースクールでは毎年、修学旅行もしくは宿泊学習を行っています。行き先はスタッフの意見も伝えつつ話し合いで決まるので、スタッフ側はそんなつもりは全くなかったのに、「どうしても道外に行きたい」という生徒がプランや費用を調べてきてフェリー宿泊で仙台に行った、なんてこともありました。ここ数年は授業料の減額をしていることもあり、家庭の負担にならない範囲でのプランにシフトしています。
 さて、今回はまずスタッフから、2年前・4年前にも利用した倶知安の冒険家族というところで自然体験、特に鶏を捌くことをメインにした宿泊学習にしたい、ということを提案しました。最初の反応はやや微妙で、もちろんそれを楽しみにする生徒もいましたが、虫や自然が多いところでの宿泊にハードルを感じている生徒もいるなぁという印象でした。そんな中で「みんなで小樽に行きたい」「自主研修やものづくりをしたい」という意見があり、最終的にはおうちの方の意見も含んだアンケートにより、倶知安に一泊・小樽に一泊するというプランになったのでした。
 冒険家族での薪割りや火おこし、山菜・きのこ採り、鶏を捌く体験は実際に体験していろいろなことを感じてくれれば...という思いでしたが、小樽は何か仕掛けなければと悩みました。生徒たちの小樽の自主研修は、お寿司を食べてガラス工芸をしてお土産を買って...というイメージで、ここに何かを「学ぶ」要素を持たせたいと思ったのでした。そこで、スタッフは夏休みに入ってすぐに小樽へ。小樽市総合博物館本館と運河館の二カ所を下見しました。小樽の歴史を学んでから自主研修に入るというイメージでいたのですが、本館は鉄道に特化した博物館になっており、運河館も見学しただけでは歴史を学び取ることは難しそうでした。困ったなぁ...とその日は帰路につき、次に助けを求めたのは「生活教育研究会」という学校の先生たちの学習会です。小樽での宿泊学習があること、小樽の歴史を学べるような仕掛けをしたいことを伝えると、小樽に詳しい小学校の先生がフィールドワークをしてくださることになりました。他にもフィールドワークに興味をもった先生たち数名と一緒に2回目の小樽へ。小樽運河沿いや南小樽を歩き、今回の宿泊学習の下地となる知識を教えてもらいました。
 こうして、2グループに分かれて運河沿いや旧手宮線、南小樽の古い建物を歩きながら、こちらのお題の答えを探してくる「小樽街歩き」の時間が完成したのでした。事後学習ではみんなで調べてきたことを出し合い、スタッフの解説も入れて小樽の歴史の全体像を捉えました。おもしろかったのが、グループで「手宮線は北海道で何番目にできたんだろう?ブツブツ...」と歩いていたところ、近くにいたおじいちゃんが「北海道では一番目で、日本でも三番目で...」と教えてくれたそうです。「他にもこんなことを教えてもらった!」と、そのおじいちゃんの話でひとしきり盛り上がりました。
 小樽街歩き直後には「いっぱい歩いて疲れた」という声もありましたが、事後学習では「街歩き楽しかったなー」という声が聞けて一安心。普段、何の気なしに遊びに行っている街にこんな歴史がある、と再発見をする(私も今回知ったことがたくさんありました)仕掛けができたなぁと、こちらもうれしくお疲れビールをいただきました。

2019 年 7 月 19 日

高村さとみ、家を買う

高村さとみ

 最近、引っ越しました。前回の引っ越しは借りていた家の取り壊しが決まって、時間のない中急いで新たな家を探して...とバタバタとした引っ越しでしたが、今回は「家を買う」と自分で決断しての引っ越しです。自分が家に求める条件と予算との妥協点を見つけながら候補を探しました。といっても実際に内覧したのは2件だけ。1件目は内覧した次の日に購入したい意思を伝えたものの、先に契約が決まってしまったとのこと。本当に購入したいときはタイミングを逃してはいけないのだと学びました。なので、2件目を内覧した際にはその場で即断即決。「この先さらに気に入る物件が出てきたら...」という思いもないわけではなかったのですが、思い切って決めてしまいました。


 いざ引っ越しとなると、急遽決めた前の家にもそれなりに愛着があったのだと気づかされます。引っ越し間際は「見晴らしはよかったんだよなぁ」「冬場は動物の足跡が見られておもしろかったなぁ」なんてことを考えてしんみりしていました。車で10分離れたところに引っ越すだけなんですけどね。それでも家はもちろん、近くの公園や通り道にもそれなりに愛着があったのだなぁとその時に気づきました。


 そして今は片づけ中です。生活はできるものの、まだまだ荷物を整理していかなければいけない状態。カーテンやクローゼット内に置く棚のサイズが合わないことにキィーッとなっています。悔しいので同じカーテンを発注してやりました。棚は段ボールにリメイクシートを貼って自作中です。


 いろいろと妥協もしつつ購入した家ですが、自分の理想の生活を想像しながら、それに合わせて家をカスタマイズしていく生活をまずは楽しみたいと思います。しばらくは引っ越さないつもりなので、これまでよりもさらに愛着のもてる家にしていきたいです。

2019 年 7 月 10 日

修学旅行と旅

三和高校 桑名

私は旅行、というよりふらふらと出歩くことが好きです。

旅行に行っても、今日は何しよう、どこを見ようというより街をふらふら歩き回るのが楽しい。
同行者は困ります。突然「あ、この路地行ってみよう!!」的にテキトーに歩くから。
なので、若いときは結構一人旅が多かったです。

はじめての一人旅は高校3年生の家庭学習期間。10日間くらい一人で京都、行きました。テキトーに今日はこの方面まで行ってバス降りよう。で一日がスタート。
今考えると、よく親は一人で行かせたなと思います。携帯もない時代。ほぼ私は連絡もせずふらふらしてました。親に言わせると「出先からのあんたの連絡は事故ったとか、帰れないとかの悪い連絡ばかりだからいらない!!」とのこと。

働くようになってからは同じような感覚で旅行好きな友人と2人が多かった。今はお互いに子ども連れで同じような「ふらふら日帰りドライブ」やってますが。

今、高校2年生は9月の修学旅行に向けて準備中。

じつは私の修学旅行の思い出は小・中・高、あんまりないです。なぜならふらふら歩き回るのが楽しいから団体旅行というものが非常に苦手なんです。
これは子どもの頃からそうだったと、今でも思います。
それに、自分で色々面白そうって調べてもほとんど行けない。なので、修学旅行=なんか連れ回されたなって印象です。昔は特にバスで観光地まわりが定番でしたし。(当時の先生方ごめんなさい・・・)

私が修学旅行を連れて行く側になってすごく気にしてるのが、生徒たちが「なにしたいか」「何に興味あるか」っていうこと。
今はネットがあるからみんなネットで簡単に調べるけど、ぜひガイドブックも買っていろんなページ眺めてね~と言ってます。本ってページを開いたら知らなかったことが書いてあるじゃないですか、そこから興味を持つこともあるから。ぜひ紙の本も開いてほしい。

プライベートの旅行ではほぼ、下調べなんかしない私ですが、
ある程度の行程が決まっている場合はいろいろ調べます。出発までのこの過程も含めて「旅」だと思う。

今回、私はひたすら生徒たちと準備してますが個人的理由で修学旅行には同行できません。(とても残念)
ただ、みんなが大人になって「高校の修学旅行楽しかったよね~」と思い出に残ってほしいなって願ってます。

夏休みがあけたらすぐ修学旅行です。
準備期間ももう少し。旅の準備も楽しもうね。

2019 年 5 月 14 日

三和高校設立記念の三本の桜

校長 亀貝一義

2009年4月25日、札幌自由が丘学園三和高等学校の開校式を行いました。これについては、このサイトの「三和高校・学校案内」に触れています(http://www.sapporo-jg.com/sanwa/about/)。

そしてこれを記念して、私たちは学校の前庭に三本の桜の苗木を植えました。そしてこの三本を「希望の樹」と呼ぶことにしています。今の札自丘の会報の名前でもあります。

190510 本校の桜.jpg植樹して5年後・2014年に初めて花を咲かせてくれました。残念だったのは、この記念樹を一緒に植えてくれた校務補だったAさんが14年の開花を見ることなく亡くなったのが今でも残念です。

その後毎年美しい花をひっそりと(あまり観賞する人もないですが)咲かせています。もちろん今年も。
三本の桜のうち一本が枯れかかっていました。しかしその枯れた木の幹から新しい芽が出てまた花を見せています。

皆さん、本校舎前の桜の木・札自丘の記念樹にちょっと注目してくださいね。

※ 毎年この時期同じような記事を書いています。念のためにですが...。