’未分類’ のアーカイブ

2021 年 1 月 14 日

世界の感染症

                                                 亀貝一義
 

第一次世界大戦のさなか(191819)、世界中に広がった感染症があった。いわゆる「スペイン風邪」と言われた。スペインから広がったからのようだが(はっきりしない)、その後世界中に広がり、死者は5千万から1億人というすさまじい拡大を見せた。

 

日本でも40万人近い死者数があったという。大戦の終結がこの症状と関係があったとも言われている。当時の世界の人口は18億人というから1億人近い死者数というのがいかにひどいものか想像を超える。日本でマスクがはやるきっかけになったのはこの風邪(インフルエンザという言い方の方が正しいようだが)のすさまじい流行によるという。

 

なお、第一次大戦の死者数は連合国側(イギリス、フランス、ロシアなど。日本もはいる)が約514万人、同盟国側(ドイツなど)が338万人だった。いかにこの「風邪」がスゴイ物だったかが分かるだろう。大戦の継続を不能にさせた大きな要因だった。

 

今まだ感染拡大途上の新型コロナウイルスは世界中で9000万人を超える感染者、193万人を超える死者を出している。これをいかに早く止めるか、世界の科学と協力の度合にかかっているだろう。

 

2020 年 5 月 26 日

日本に合っている4月入学

                 札幌自由が丘学園三和高等学校校長  亀貝一義

                 

 19日の本紙朝刊の記事「9月入学 検討加速」によると、新型コロナウイルスの感染拡大による休校の長期化を受け、入学や始業の時期をずらす「9月入学」検討の動きが加速しているという。秋入学が主流の欧米などに合わせることで、留学などの面で好都合になるということらしい。

 

 私は新学期はやはり4月がいいと思う。日本では明治19年(1886年)、会計年度が4月始まりになったことから、学校年度も次第に41日開始となった。花が咲き新しい季節とともに子どもたちも新しい世界へと旅立つのである。「4月入学」は日本人の暮らしと季節感にごく自然に溶け込んでいる。

 9月入学制としたら、日本では「年」、「会計年度」、「学校年度」の始まりが、異なることになる。「年度」は各国で独自の制度をとっているというのだから、日本で100年以上も続いてきた4月入学制を、あえて他の国に合わせなければならない理由などない。

                                
2020年5月26日の北海道新聞の「読者の声」に載った文章です。

2020 年 5 月 21 日

マスク・コーヒーの寄付をいただきました。

株式会社ゼタセグメント様(代表取締役社長 赤倉広樹 様)よりマスクの寄付をいただきました。
会社で備蓄していたマスクを、子どもたちのためにと送ってくださったそうです。

また、職員あてにコーヒーも同梱してくださいました。
緊張や不安が続く日々の中、ほっと一息できるお心遣いにとてもあたたかな気持ちになりました。

株式会社ゼタセグメントの皆様、どうもありがとうございました!


2020 年 5 月 19 日

卒業生からのマスク寄付

卒業生のたかや君から、マスクの寄付をいただきました!

彼はもう15年も前の卒業生です。
今もこうして学園のことを気にかけ、時には仕事の合間に行事を手伝ってくれることもあります。


先日お伝えしたマルサン塗料株式会社様と同じく、新聞での報道を見てフリースクールへのマスク寄付を思い立ってくれたとのこと。
ありがたい気持ちでいっぱいです。

陣中見舞いにと、コーヒーやお菓子の差し入れも添えてくれました!

2020 年 5 月 11 日

マスク・消毒用アルコールの寄付をいただきました

マルサン塗料株式会社様より、マスクと消毒用アルコールの寄付をいただきました。

先日、「市で購入予定のコロナ対策のマスク・消毒液の配布先として、学校や福祉施設は対象だがフリースクールは対象外」と報道されたことを受け、濱信一(代表取締役社長)様が「これでは不公平だ」と寄付を決めてくださったそうです。

全国的にマスク・消毒液の不足が心配される中、温かいご配慮をいただいたことに心から感謝したします。
マルサン塗料株式会社の皆様、ありがとうございました。





2019 年 12 月 19 日

カード社会がやってくるとか?

亀貝一義

                                                        
キャッシュレスが言われる。カード社会の到来だとか。私たちは長年財布に現金を入れて暮らしていた。もちろん最近10年ほどは財布に何枚かのカードをいれている。
 
この数か月か、妙にキャシュレスが叫ばれ出した。ようするにカードサインだけで済ますことが今風なのだとか、だからカネの出し入れはなしというわけだ。
 
私も10年以上前から何とかカードを2、3枚はもっていたし、現金払いがキツいときには月賦(げっぷ。この語もボチボチなくなるかな)払いにできるというわけだ。しかし、だからといってキャッシュレスのカード社会がOKという気持ちにはなれない。
 
カードも1,2か月後には必ず預金から差し引かれる。当たり前だ。カード社会がなじめないのは、こまかい計算なしにカネは後払いだ、欲しいものは買おうという気持ちが大きくなることが怖いのだ。
 
常にマイサイフを頭にいれて買い物をする、という旧い習慣から抜けきれない。この習慣は捨てなくてもいいのだ、と自分で確認している。ケチな考え休むに似たり、と言われるかも知れないが。

2019 年 7 月 10 日

修学旅行と旅

三和高校 桑名

私は旅行、というよりふらふらと出歩くことが好きです。

旅行に行っても、今日は何しよう、どこを見ようというより街をふらふら歩き回るのが楽しい。
同行者は困ります。突然「あ、この路地行ってみよう!!」的にテキトーに歩くから。
なので、若いときは結構一人旅が多かったです。

はじめての一人旅は高校3年生の家庭学習期間。10日間くらい一人で京都、行きました。テキトーに今日はこの方面まで行ってバス降りよう。で一日がスタート。
今考えると、よく親は一人で行かせたなと思います。携帯もない時代。ほぼ私は連絡もせずふらふらしてました。親に言わせると「出先からのあんたの連絡は事故ったとか、帰れないとかの悪い連絡ばかりだからいらない!!」とのこと。

働くようになってからは同じような感覚で旅行好きな友人と2人が多かった。今はお互いに子ども連れで同じような「ふらふら日帰りドライブ」やってますが。

今、高校2年生は9月の修学旅行に向けて準備中。

じつは私の修学旅行の思い出は小・中・高、あんまりないです。なぜならふらふら歩き回るのが楽しいから団体旅行というものが非常に苦手なんです。
これは子どもの頃からそうだったと、今でも思います。
それに、自分で色々面白そうって調べてもほとんど行けない。なので、修学旅行=なんか連れ回されたなって印象です。昔は特にバスで観光地まわりが定番でしたし。(当時の先生方ごめんなさい・・・)

私が修学旅行を連れて行く側になってすごく気にしてるのが、生徒たちが「なにしたいか」「何に興味あるか」っていうこと。
今はネットがあるからみんなネットで簡単に調べるけど、ぜひガイドブックも買っていろんなページ眺めてね~と言ってます。本ってページを開いたら知らなかったことが書いてあるじゃないですか、そこから興味を持つこともあるから。ぜひ紙の本も開いてほしい。

プライベートの旅行ではほぼ、下調べなんかしない私ですが、
ある程度の行程が決まっている場合はいろいろ調べます。出発までのこの過程も含めて「旅」だと思う。

今回、私はひたすら生徒たちと準備してますが個人的理由で修学旅行には同行できません。(とても残念)
ただ、みんなが大人になって「高校の修学旅行楽しかったよね~」と思い出に残ってほしいなって願ってます。

夏休みがあけたらすぐ修学旅行です。
準備期間ももう少し。旅の準備も楽しもうね。

2019 年 5 月 9 日

徒然なるままに~連休

桑名

長いGWが終わり、はっきり言って疲れました・・・。
10日は長い。
海外にでも行く!って予定が入れられれば10日はありがたかったと思いますが、帰省がメインのお休みでは疲れた、どこも混んでる。お金が掛かる~ってだけです・・・。

学生の頃やフリーターをやっていた頃だったら、最大限にシフトを入れまくり稼ぎ時だ―!!と頑張った。
派遣社員をやっていた頃は、単発バイトを入れて収入の不足を補った。
今は、正社員だから単純に休みか・・・。予定どうしよう。

10日の超超GW。
あちこちで賛否両論あったように、色々な働き方、事情によってみんながみんな喜ぶわけではない。安易に決めないでほしい。
それぞれの立場、苦しい懐事情。かつての自分も色々な状況があったから、単純にうれしい!!とは感じれなかった。

みなさんはどうでしたか?

昔はお休みって無条件で楽しいものだった時もあります。

しかし、現在は「お仕事があるから、お休みが待ち遠しい。楽しみ」っていう心境です。
自分の思い通りにいかないことも、楽しいよりシンドイ・イヤなこともたくさんあるのが仕事。

だから次のお休み何しようかな~と計画を立てるのも楽しい。
何もしないお休みも楽しい。
ただ、それが続くとね・・・。だらけます。

オンとオフの切り替えが大事です。

今回、連休明けのオンへの切り替え、とっても大変でした。(実はまだ本格始動できていない)

連休は3連休が沢山あるほうがいいな、5連休くらいが理想だな。と実感した連休でした。

2019 年 3 月 19 日

1年が終わる

安齊

年度末になりました。

12月の年末とは違う、年度末のこの終わる気分。仕事が一区切りの気分ですが今年はそうもいかず・・・。

毎年「はやいなぁ」と思うスピードがアップしていって、「この1年は何やったっけ?」と思うことが多くなりました。記憶もどんどん上書き保存状態。こまめに手帳に書いておかないとわからなくなる始末。

特にプライベートなんて毎日上書き保存。子どもが風邪引いたのいつだっけ?予防接種いつにしたっけ?保育園で準備するものなんだっけ?・・・など、自分のことは後回しなので、予定をうまく入れていかなければ成り立たない日々。

忙しい忙しいとも思うけど、暇よりいいなぁとか、たまにはいつまででも寝たいなぁとか思うけど、子どもが小さいのも今のうちと思うと遊ばないともったいないなぁと考えてしまいます。

結局毎日忙しいけど楽しい日々です。

きっとバタバタしているのも嫌いじゃないんだと思います。

仕事も年度末だけど今年は震災や台風の影響でこれから修学旅行。

なんだか落ち着きません。

3月に卒業式と修学旅行を同時並行していた自分が笑えたり。

保育園も進級するのに私のいない年度末、うちの子大丈夫かな!?と笑えたり。

ひとまずもうすぐバタバタな1年を締めくくります。

まずは修学旅行に行けますように・・・。

2019 年 3 月 13 日

新聞記事

桑名

先日、新聞の投稿欄に作家の早乙女勝元さんの投稿があった。

昔から我が家に何冊かあり、小さいときから何気なく読んでいた。ベトナム戦争をあつかった『ベトナムのダーちゃん』。米軍機墜落事件の『パパママバイバイ』。
子どもの頃はよくわからなかったです。正直「怖い」という感情が先に出ていたと思います。同じように『はだしのゲン』もとっても怖かった・・・。

ただ、成長と共に歴史を学び少しづつ実際になにがあったか。知識として知っていく中で捉え方が変わってきたと思います。
若いときには大きな歴史のひとつ、こういう事実があった。で、完結していた。
「遠い過去のこと」「終わったこと」という意識がどこかしらにあったように思う。
「共感する」もっというと、想像する力が足りなかったと思う。この歳になってどう変わっただろう。

今、早乙女さんの本を思い返すと、普通の何気ない日常を送っていた人々が投げ込まれた現実がどのようなものであったか、とても淡々と綴られていると思う。
日常が壊れるとき、それは何時来るかわからない。

3月11日をむかえ、昨秋の地震とともに災害が人の力の及ばないところで突如起こると私たちは体験した。
人の力は自然に対抗できない。
しかし、人が起こす戦争・紛争はくい止められる。

早乙女さんの投稿は東京大空襲の直後、隅田川の橋に級友の安否を求めて向かった情景を描いていた。
桜並木の木々に犠牲者の衣類がからまり、一面の満艦飾だった・・・とあった。
その一枚一枚に人々の笑顔があり生活があったはず。
続いていた日々の生活。断ち切られた日常。避けられた可能性。何があったのか「継承」していく必要性。
それを感じる投稿だった。

なんで歴史って学ぶの?昔のことやってどうすんの?社会科の先生をしているとよく聞かれる質問です。
私は「壮大な人類の物語を読んでるんだよ」とはじめに答える。
そして、
「人間はいっぱい失敗する。面白いくらい同じ間違いを繰り返す。だから失敗が少しでも小さくなるように過去の失敗から学んでくんじゃない。それが歴史の勉強だと思っている」と答える。

東京大空襲も原爆投下もベトナム戦争も知らないと答える人が増えている。
あと10年もしたら東日本大震災も知らないと答えられてしまうのではないか。そんな心配がふとよぎる。

未来を切り開いていくことは大切なこと。
私たちは過去と向き合うこと、伝えることを怠ってはいけないと思った。そんな3月のはじめでした。