2009 年 2 月 のアーカイブ

2009 年 2 月 17 日

和寒日記1

4月から開校する札幌自由が丘学園三和高等学校は、これまでも何度か話題となっているとおり株式会社立の学校である。なので、1条校の教職員としては恐らく全国でも初めてなのではないかと思われるが、開校後は和寒町商工会青年部の賛助会員として加入させてもらう予定でいる。

商工会とは、地域の事業者が業種に関わりなく会員となって、お互いの事業の発展や地域の発展のために総合的な活動を行う団体である。その中でも、年齢満40歳以下の男性によって構成されているのが青年部であり(女性は年齢に関係なく婦人部を構成)、町内の青年農業者たちが参加している「JA北ひびき青年部和寒支部」と並んで、いわば和寒町の将来を担っていく若者たちの集まりであるということができよう。

商工会青年部がどんな活動を行っているのか、商工会に加入してどんなことを展開していきたいと考えているのかを語るよりもまず、こちらのサイトを是非一度ご覧いただきたい。

和寒町商工会青年部が発信しているブログであり、「地域のイベント」「見どころ(観光情報)」「和寒美味しいお店探訪」「特産品(旬のもの)」など内容の豊富さと、ハンドルネーム「リーゼント副部長(来年度からはリーゼント部長になるとのこと)」の献身的な更新作業によって今、和寒発の情報リソースとしては最もアクセス数が多いサイトである。

ちなみに、ページの左側「わっさむ地域情報カテゴリ」の一番上にある「地域のイベント」をクリックしていただくと、来年度から冬季スクーリングとして参加を予定している「わっさむ極寒フェスティバル」の情報が出てくるのだが、見覚えのある後ろ姿が2枚ほど…

「和寒に何をしに行ってるの?」と突っ込まれそうな気がしないでもないが、本人はいたってマジメに「学校づくり」を行っているつもりである。

金澤拓紀 (和寒町担当)

2009 年 2 月 16 日

もうすぐ3月

もうすぐ3月。自分にとっても、生徒にとっても節目の時期がやってくる。卒業式の舞台に晴れ晴れと参加するために、これまでの責任を取るために、日々3年生たちがわらわらと自宅学習期間にも関わらずやってくる。「もう少しあの頃から元気を取り戻していたら・・・」「サボらずにいれば、こんなことには・・・」などとたくさんの思いが頭を駆けめぐるが、とりあえずは目標が一致しているので、黙っていよう。

私にとって2回目の担任。今の 5期生は2年生から担当した。とても難しいクラスだった。とても悩んだクラスだった。そして、とてもたくさんの涙を流したクラスだった。でも、今はとても笑顔に溢れている。卒業を目の前に不安や心配は尽きないものの、自然と笑顔でいられる。みんなの視線はもう未来に向かっているのだろう。だからきっと笑顔なんだろう。私にはそう見える。そう信じている。

3月1日。みんなは何を思うのだろう。どんな涙を流すのだろう。どんな笑顔を見せてくれるのだろう。

3月2日。みんなはどんな夢をみたのだろう。私はひとり、どんな気持ちでいるのかな・・・

田房絢子

2009 年 2 月 13 日

スノーフェスティバル

札幌学院大学児童ボランティアサークルどろんこの会。これは、私が大学生の時に所属していたサークルの名前だ。公園で小学生と遊ぶことや、ゲーム大会などのイベント企画が主な活動で、冬には毎年、江別スノーフェスティバルというお祭りに参加することになっている。2月8日、私も後輩たちの顔を見に会場まで足を運んだ。

どろんこの会は毎年このお祭りでステージ発表を担当していて、今年は嵐や羞恥心などのダンスショー、動物戦隊ライオレンジャーというヒーローショーを行っていた。他にも、ゲームの企画をしたり、着ぐるみに入ったりと、毎年のことではあるが、みんな実に忙しそうだった。単に後輩たちの顔を見る目的で行ったのだが、会場ではサークル活動を通して知り合った子と出会ったり、初めて顔を合わせる子もたくさん話しかけてきてくれた。つい大学時代のように楽しくなって、男の子と雪中相撲をしたり、雪の上に座り込んで女の子たちとおしゃべりをして、すっかり大学時代のようにはしゃいでしまった。

そんなに子どもたちと仲良くなれるとは思っていなかったので、予想外のうれしい出来事となった。いつだって、こんなふうに子どもと思い切り遊んだり、楽しくおしゃべりをしたり、子どもの笑顔や元気が私にパワーをくれるのだ。かわいい後輩たちの気合の入ったステージ発表に勇気をもらい、出会った子どもたちに元気をもらい、誰よりもスノーフェスティバルを満喫して会場を後にした。

高村さとみ (フリースクール部ボランティアスタッフ)

2009 年 2 月 11 日

フリースクールの父母の声を聞く

2月7日、札幌エルプラザで「教育フォーラム」を開催した。主催は北海道フリースクール等ネットワークと札幌自由が丘学園。共催の事業としてこの1年間では3回目に当たる。そのうち2回のコーディネーターを務めてくれたのは北海道新聞社編集委員の安宍一夫さんである。
今回も参加者が定員をオーバーするほど多く、用意した資料では間に合わなくあわてて増刷(コピー)したほどである。
今回のテーマも「教育と学校はどう変わるべきか」であったが、特にその基軸は父母の声、要求である。つまるところ子どもの気持ちにマッチした教育と学校をどうつくるか、というである。今回、3つのフリースクール(そら、札幌自由が丘学園、漂流教室)に子どもを通わせている3人の母親の声を聞くことができた。ご三人とも、よくぞ自身の気持ちと要求をまとめて明確にした、という感想である。
それぞれの方が、自分の子どものかつての姿にとまどい、困り、学校の関係者に問題提起し、訴えてきたが、先生方も皆一生懸命に考えてくれたが、どうも「どこか違う」という印象から離れることはできなかった、フリースクールと関わることによって、初めて「子どもの居場所、子どもが大切にされる場所」を実感できたという。

私たちも常々「子どもの学ぶ場所」を単純に学校に限定すべきでない、と言ってきた。それを先日のフォーラムで親たちの声として聞くことができたのは感無量という感想である。その親たちが皆「自分の気持ちを言うことができて感謝します」と言ってくれたのもうれしかった。

今回、最後まで小林郁子道議と札幌の長谷川衛市議が参加して意見を言ってくれたし、これまでにない現場の先生も参加してくれた。また道教委のしかるべき立場の人も参加いただいたことも意味のあるフォーラムであった。後援してくれた北海道私教組の書記長も同席していただいたことも印象的である。

問題はまた新しい側面をつくりだす。いろいろ微妙な問題を持ちながら「子どもの最善の利益」にかなう取り組みの方向を追求しなければと思う。なかなかヒマになることは難しいという今の心境である。

亀貝一義

2009 年 2 月 7 日

天国と地獄・120分

1月31日
kitaraのステージに立つ。指揮者としてこのステージに上がるのは数えること4回目。
客席にはフリースクールの生徒たち、ブラスアンサンブル部の部員たち。そして引率も兼ねて応援に来てくださったスタッフや父母のみなさん。
1100名あまりの観客に見守られるなか、コンサートは始まった。予定時間はおよそ120分。長丁場だと思っていたけど、指揮をしている間はずっと笑みのこぼれるようなサウンドに包まれ、アンコール曲の最後の残響が消えるまであっという間だった。
拍手を背に楽屋に戻ったあとは、裏口で待ちかまえるブル部の部員たちに会いに行く。「いつも上手だけど、今年は何か…すごかった。何かが違った」とみんなが言ってくれる。
人生の至福のとき。

2月2日
喜びも感動もさめやらぬ…はずのその日、私がのぼったのは指揮台ではなく歯医者さんの診察台だった。前々から親知らずの周りの調子が悪く、炎症を抑える処置をしていたが、とうとうその日は親知らずを抜くことになった。それも上下合わせて一挙に2本。
麻酔注射を上限ギリギリの9回も打って、歯ぐきを切開し骨までけずり、激闘が終わるまではちょうど120分であった。治療中はもちろんのこと、縫合の糸が入ったままの現在も右側だけは自分の口のような気がしない。何より痛い。ぽっこり腫れた右頬がみじめだ。とほほ。
でも、まぎれもなくこれが人生だ。コツコツと準備をして、時にはつらい思いをして、ためたツケは精算して、たまにはまぶしい光も浴びる。生きてるなぁという実感が持てる日々は、痛いけど気持ちがいい。
さあ、次は生徒たちの受験、そして旅立ちの集い。生徒たちを目一杯輝かせるときだ。

新藤 理