2009 年 6 月 のアーカイブ

2009 年 6 月 29 日

和寒町民大運動会

 昨日、スタッフ4人で和寒町民大運動会に参加してきた。年齢・性別を問わず一つの行事を盛り上げる「地域力」には驚かされた。札幌ではなかなか味わえないであろう地域住民とのつながりを、今後はぜひ生徒にも感じていってほしい。

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2009 年 6 月 27 日

北海道科

kaitaku 

26日(金)、高校は北海道科の実習を兼ねて、開拓記念館と開拓の村を見学。フリースクールもアウトドアの体験活動の一環として開拓の村を見学した。
事前の学習があったので、高1は記念館で、高2と高3は村で、それぞれの問題意識を深める学習を進めた。

2009 年 6 月 27 日

第2回スクーリング

今日は和寒の本校にて月1コースの第2回めのスクーリング。

午前中は家庭科・調理実習。

お好み焼きともんじゃ焼きの東西焼き物対決+かぼちゃ餅。

かぼちゃは残念ながら地元和寒産のものは時期外れでありませんでしたが、この先和寒のものをどんどん取り入れたいものです。

午後は理科。その後半はペットボトルで簡単に作れる飛行体の実験。時間が来ても夢中で飛ばし続ける生徒もいました。(西)

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2009 年 6 月 26 日

ほんの~小~さな出来事に

                                                                       田房 絢子

明日は友人の結婚式。彼女とは高校ではずっと同じクラス。今や日本やアメリカを飛び回って、精力的に夢を追いかけ続けている。なかなかフランクな彼女。昔からの調子で「結婚はしないよ」と言っていたけど、「いざ決めてみると気持ちが落ち着いた」と笑っていた。16歳から今や31歳。形を変化させながら、私たちはこれまで幾度も同じ時間を共有してきた。

入学式。ピッカピカの女子高生あやこは1年10組。席順、五十音順。たぶさの「た」はたくさんの仲間を生み出す。そんな中、運命に翻弄されて、彼女は「たぶさ」のまん前の席。・・・出会いは最悪だった。「うわっ、この人なんか苦手・・・こわっ・・・。」そんな思いがあって、あやこは彼女に話しかけることもできず、隣と後ろの女の子と仲良くなっていく。しかし気がつくと、いつのまにか横には彼女。一番仲の良い友人となり、一緒に遊んだり、飽きもせずにずーっと彼氏の話なんかしていた高校1年生。聞くと彼女も、「うわっ、この人なんか苦手・・・こわっ・・・。」と後ろを振り向けずにいたそうで。仲良くなったきっかけは覚えていない。でも、それから彼女はずーっと友人。

これまで人生でいろんな転機が訪れたけど、きっかけというのは「ほんの小さな出来事」でしかないことが多い。しかも覚えていられないほどの。「今まさに、大チャンスをつかみました、私!」と言って、変化を起こしたことなど一度もない。そんなチャンスを待つのもいいけど、「ほんの小さな出来事」は日常に溢れている。そんな「出来事」はいつだって予期せずやってきて、すぅーっと後ろに消えていく。それをどれだけ拾えるかが勝負。いつだって両手を広げて、たくさんひっかかるようにしてやろう。

大大大大大前提、それは毎日動けること。毎日誰かと関わっていくこと。毎日を大切にすること。家にいることがあってもいい。でも少し楽になったら出ておいで。省エネでもいい。ちょっとだけでも毎日動けるようになろう。辛いこともうまくいかないこともあるけどさ、絶対に「ほんの小さな出来事」もひっかかるようになるんだよ。それにさ、拾えるチャンスは多いに越したことはないからね。

落ち込むこともたくさんあるけど、毎日を大切に思える人になってほしいな。・・・うーん、私ってば、こんなこといつも言ってるよね。耳にタコー・・・。

2009 年 6 月 23 日

ピッカピッカの1年生

                                                                                            杉野建史

入学式から2ヵ月が経とうとしている。緊張の面持ちで入学式に望んだ1年生も、少しずつ緊張が解け笑顔が見られる。

初めはお互いにほんの一部しか見えなかったことが、色々と見えてくる。そうすると様々な事が起こり始める。集団で生活していれば当然のことであるが…、本人達にとっては毎日のストレスになる。いや、正しくはストレスにしてしまっているのである。生徒自身も理屈では「人間関係を築く」ことはそう簡単なことではないし、時間がかかる事でもあるとわかっているはずなのだが、目の当たりにすると感情が先行してしまう。
毎朝毎休み時間に担任の所へ来て、「疲れた~」と連呼している。それでも休む1年生は非常に少なく、昼休みや放課後には教室から元気な声や笑いが聞こえてくる。頑張っている。家の遠い生徒はJRに1時間以上ゆられて登校する。それでも元気に笑い、担任に愚痴をこぼしながらもクラスを何とか楽しい集団にしようと、日々悩みながら笑顔で頑張っている。たいしたもんだ。「疲れた~」が多いので少々気になるが、慣れない環境で生活することは大人でも疲れるので、もう少し時間が経てばその言葉も少なくなるのではないかとじっと見ている。
何度かこのエッセイに書いているのだが、ストレスの発散の方法を早く見つけて欲しい。しかし、10代半ばの子どもから「精神的ストレス」の言葉を聞くと違和感を抱かざるを得ない。色々な事に悩むこと、人間関係がぎくしゃくすること、親との関係、などなど自我の成長に伴い当たり前のように感じること(感じるべきこと)がストレスとして感じてしまっている。私の感想としては「ストレスを自ら抱え込む場合が多いのでは…」である。短絡的な言い方ではあるが「単純に行こう!」と言いたい。

ピッカピッカの1年生諸君の高校生活はこれから本番を向かえる。これからが青春ど真ん中である。山あり谷ありの曲がるくねった道なのだ。その道をピッカピッカのあなた達があなた達の足跡を残していく

2009 年 6 月 20 日

強歩、天候不順のため20キロで中止

スタートです

スタート地点は、薄日がさし最高のコンディションと思われていたのですが、10キロ地点を過ぎたころから、小雨が降り続き、特に気温がどんどん低下して、肌寒い状態になりました。体調その他を考慮して「中止」ということになりました。第二地点で20キロの所まではほとんど全員が完歩しました。
残念がる生徒がたくさんいましたが、天候のためなのでしかたがありません。父母たちのクルマでゴール地点に行き、用意されていたアゲイモを食し、また父母たちのクルマに分乗して帰宅ということになりました。それにしても実にたくさんの父母がお手伝いや送迎のために「出動」してくれたことにあらためて感じ入りました(亀)。

2009 年 6 月 18 日

嬉しいこと

                                                                                                             杉野建史

6月13日の土曜日に『空の記憶』という演劇を見に行った。鈴木喜三夫さんが座長を務める「座・れら」の旗揚げ公演だった。出演者が知り合いだった。

アンネ・フランクの父を演じた澤口謙氏である。澤口氏と知り合ったのは今から10数年前、私が今の職場に関わりだした時である。彼が大先輩で常勤職員として働いていた。演劇人である彼の活躍により、本学園の演劇の歴史が始まったのである。私たちは以前から「表現科」という教科(科目)について討論してきた。表現する手段には色々あるが、演劇、音楽、美術などについて機会がある毎に話し合った。勿論、文書など文字で表現する方法もあるし、話す事で表現する方法もあるので「表現」を上記に限った訳ではない。
今でも覚えている澤口氏の言葉がある。「人間は表現する生きもの」である。この言葉の後はこう続いた。「表現の方法はどうであれ、表現しない人間はいない。存在そのものが一つの表現であるし、そこから発せられる全てのものが表現そのものである」と。この言葉に彼の表現に対する思いの深さや広がりを感じ、とても感動した。

その彼とは色々なことがあり、この数年は全く会いもしなかったし、連絡さえ取っていなかった。ところが、8月に学園の演劇部がお世話になる“やまびこ座”に部の顧問が伺った時に『空の記憶』のチラシを持ってきた。そこに彼の写真が大きく載っていて、無性に声が聞きたくなり電話をした。電話口の声は依然と変わらずとても柔らかい声であった。声を聞いたら今度は無性に会いたくなり演劇を見に行った。さすが演劇人、依然と変わらぬ凛々しい姿で舞台に立つ澤口氏を見て感動した。
終演後、楽屋におじゃまして数年ぶりの再開を果たすことができた。嬉しかった。もう一度、澤口氏に会えたことが嬉しかった。ここからまた色々なことを語り合いたいと思った。「澤口さん、これからまた宜しくお願いします。」

2009 年 6 月 16 日

進路を考えるために(ゲスト授業)

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高校3年生は、高卒後「どう生きるか、何をめざすか」の進路を考える時期です。その一助としてゲスト授業を行っています。今回は、かつてフリースクールでボランティア活動を4年間行い、大卒後保険会社で働いている佐藤さんを招き、心理学を志して山形から札幌の大学に進学することになったいきさつや働くことによる喜びなど、を楽しく聞くことができました。「いきあたりばったり」と謙虚にふり返っていましたが、なんのなんのしっかりと自己の適性や生き方考えた行動について、生徒たちは得るところ大であったようです。

2009 年 6 月 14 日

札幌さぽーとほっと基金

札幌市が行っている今年度前期「さぽーとほっと基金」応募団体に対して、13日に一次選考通過団体の「公開プレゼンテーション」が行われました。

札幌自由が丘学園として「フリースクール活動の成果としての表現活動」を取り組むための助成を希望しているのですが、この分野での「第一次選考」に通ったのは本学園ただ一つだとのことです。公開プレゼンテーションに、新藤さんが短時間に要領よく趣旨を説明し、審査委員たちに好印象を与えたようです。

2009 年 6 月 10 日

友達について

                                                                  椎名 結実

最近周りに多い話題。「結婚、出産、離職」。ときどき、「親知らず」。

もう数年で30歳。まあ、だからといって20台に固執する気持ちはないけれど
それでもそれなりに節目の年が近づいているそんな気持ち。
いわゆる「アラサー」です。

友人が結婚したり、子どもを産んだり、
いったん就職した職場を辞めたり、次のところでしっかりと根付き始めたり。
学生の頃には、想像もつかなかったような人生を送っている友人も何人もいます。
もう何年も会っていないのに、いざ声をかけると集まってくれる友人もいれば、
あんなに仲良く遊んでいたのに、すっかりお互い連絡先も分からなくなっていて、
どこで何をしているかも分からない人もいます。

当たり前のように毎日会っていた日々が過ぎて、それから何年も経って、最近、
何年も会っていない友達から人生の節目の報告が届いたり、
ふとした時に「元気?何だか気になってメールしてみた」なんて連絡が来ることがあって、
「友達」の存在を改めて考えました。

毎日会っていて、楽しい。それも友達。
なんとなく相手の存在が自分の居場所を作ってくれているような、安心。それもきっと友達。
だけど、そんなものが一切なくても、ずっとずっと離れていても
なんだか次に会った時にまた一緒に遊べるような気がしている。
それが、私にとっての友達です。

子どもの頃の友達って、貴重です。
その頃の自分のことを知っているのは、昔はいやだったけれど、
それでも付き合っていてくれる相手がいることが、今は嬉しい。

携帯のアドレス変更で簡単に人間関係を入れ替える人が増えているという話しを聞いたことがあるけれど、ちょっと待って。
一時の感情で人間関係を切らないで。だまされたと思ってそれから10年間続けてごらんよ、と思います。
きっと、想像もしなかった人間関係がそこから作られてくる。
それがかけがえのない宝にだってなるんだということを、実感し始めた毎日です。