2010 年 2 月 のアーカイブ

2010 年 2 月 27 日

3年生を送る会 [三和高校]

26日金曜日、三和高校の「3年生を送る会」が開催されました。

ブラスアンサンブル部や演劇部の発表、○×ゲーム等をして楽しい時間を過ごしました。

3年生は卒業まであと1週間。残りの学園生活をどんな想いで過ごすのでしょうか。 (西)

 

3年生を送る会

 

2010 年 2 月 15 日

高校時代と10年後

 安齊裕香 (旧姓:上田)

自分が高校生だった卒業間近のこの時期をとても懐かしく思う。
大学が決まって、好きなことに好きなだけやっていた気がする。そして3年間を振り返る毎日だった。卒業したくない寂しさと、一人暮らしの大学生活への期待感、友だちと離れたくない思い、未来への楽しみ抱えながら毎日友だちと一緒にいた。
3年間何が楽しかったか。結局なんでも楽しかった。学校に行くのも放課後友だちと遊ぶのも自転車に乗っているのも河川敷で焼肉するのも、全て楽しかった。進路で悩んで苦しかったこともあったのだろうが、その時の心境まではあまり思い出せない。今はもう楽しかったことや嬉しかったことの印象しか強く残っていない。自分がめでたい奴に思える。
 今ここで3年生を見ていると、たまに自分と重ね合わせてしまうこともある。進路への不安や、将来への希望、卒業への淋しさ、全てを受け入れなければいけない現実を抱えている。実に高校生らしく見える。
 数年後には高校時代を懐かしく思う時がくるだろう。これからみんながどんな未来をつくっていくかがとても楽しみだ。
 そして私は高校卒業から10年経った今、高校時代からの仲間と結婚した。

 

*「安齊(あんざい)」になりました。
 結婚とは不思議な気持ちにさせられます。幸せや感謝、嬉しさはいっぱいですが、名字が変わるだけでとても不思議な気分になっています。戸籍から自分の名前が消えることがとても寂しくて、妙な心境にもなりました。紙切れ一枚出すだけで夫婦になれてしまうことにも不思議に感じます。
 なかなか味わえないこんな不思議な気持ちを、もうしばらく味わいたいと思います。

2010 年 2 月 7 日

冬期スクーリング4

schooling1.jpg最終日の今日、和寒町三和地区の大瀬さん宅で「越冬キャベツ」に関する勉強と体験をしました。「越冬キャベツ」という全国に名が広がっている和寒のキャベツが当初は何のことはない雪の中に捨てさった物であったこと、それがちょっとしたセンスで実に意味のある新鮮な野菜としてよみがえったことがわかりました。

今年は特に雪が多く、2メートル近い雪を掘ってその下からみずみずしいキャベツを掘り出しました。一人が一個、冬期スクーリングの貴重なお土産になったことでしょう。

2010 年 2 月 6 日

冬期スクーリング3

今日は和寒町のおこなっている「極寒フェスティバル」の日でした。このフェスタも今回は第21回目とのこと。文字どおり寒い寒い。
ビンつり競争(ビン玉選手権)に3チームが参加。生徒1人を含んだチームが決勝進出を果たし大声援の中みごと三位入賞を果たしました。
また一年生が奮闘した雪像づくりのコンクールで、ユウスケ‐ヨッチャン‐キンジローチームの制作した「コンサドーレエンブレム」が11位入賞を獲得しました。
その他、生徒たちはいろいろな出し物に参加し、「札幌自由が丘学園三和高等学校」というアナウンスが会場に何度もながれました。
明日はスクーリングの最終日。皆、元気です。

2010 年 2 月 4 日

冬期スクーリング2

今日もやはり寒い一日でした。一年生は午前は、華道教室と日舞教室。和寒で活躍されている人たちの協力によって日本の伝統的な芸能の一端を学ぶことができました。お花の活け方も個性が浮かび上がると語られましたがなる程の感でした。
午後は昨日に続く雪像づくり。

二年生は介護と保育の職業体験。老人ホームと保育園に行きました。初めての体験にみんな大きな感動を得たようでした。

今日、和寒の審議会の委員の方がたが視察に来ました。どういう感想をもたれたか知りたいです。

2010 年 2 月 3 日

冬期スクーリング1

札幌自由が丘学園三和高等学校の本校•和寒町での冬期スクーリングの第一日目。
この冬一番の寒い日になりました。2時過ぎから、一年生は雪像づくりに、二年生はスノーキャンドルづくりにがんばりました。
雪像づくりは明日と明後日に続きます.あらかじめ描いたイメージがどう雪の像になるか、期待されます。コンクール受賞も夢ではないのです。
キャンドル、暗くなって灯をつけると、まさに北国の幻想が浮かび上がってきました。
午後7時を過ぎて希望者はコンビニに行きました。

2010 年 2 月 1 日

故郷の車窓から

及川 かおり
実家がある旭川に帰る度、車窓からの景色をしみじみ眺めながら「いい所で育ったなぁ」と大げさに感動してしまう。大きな観光地でも産業都市でもない。でもどこか、流行り廃りにはびくともしない、本物の文化の香りがする。街を見守る大雪連邦や、石狩川の清流、豊かな自然に抱かれて人々の営みがある。
でも10代の頃はまだ、故郷の素晴らしさを見ることはできなかった。世の中に取り残されたような小さな街、新しい物も皆無に見えた。気候は厳しく、冬は零下20度、夏は無風で30度を越える。高校生になると、ここではない別の世界を見てみたいと毎日考えていた。もっと広い世界、もっと違う価値観、そこでは何ができるだろうと。
いざひとり広い世界に出てみると、沢山の出会いと新しい刺激の中で、素晴らしい体験も、失敗からの学びも、両方がひっきりなしに訪れた。大きな失敗をした時には、それまでどんなに家族や地域の温かい目に守られていたか、初めて気がつく。何か1つでもやり遂げられた時には、あんなに離れたかった両親にいつも電話していた。自由が欲しかった青年期、振り返って見れば、ひとりでは何ひとつできていない。
振り返って見れば、私が傷つくことを心配しながらも、平和で温かな故郷から送り出してくれた家族がいる。どんなにいい事も悪い事も、私が自ら自分の足で歩いて出会うように、離れて見守ってくれた両親がいる。
そして今札幌で暮らす私には、支えてくれる友人がいる。あきらめずに導いてくれる人たちがいる。そして毎日笑顔を見せてくれる、自由が丘の子どもたちがいる。広い世界での多くの出会いに、目に見えない心の絆が確かにあると日々教えられている。それをこの目で見させてもらえる毎日に、ありがとうの気持ちを忘れずにいたい。