2011 年 3 月 のアーカイブ

2011 年 3 月 29 日

正確な情報

本間慶子

東北地方太平洋沖地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

先日の甲子園での選手宣誓の言葉は、素晴らしかった。そして彼らがあの阪神大震災の時に生まれた子たちであることにビックリし、時の流れの速さを感じずにはいられません。

確かあの時災害用避難袋を作りました。中身の確認をしようしようと思いつつ今日まで手付かずになっています。ひとり暮らしの母もベッドの傍に避難グッズを置いて寝ているようです。

札幌にいる私たちは、電気、ガス、水道が当たり前のように毎日使えています。それが突然使えなくなるなんて想像すらできません。

被災地の方々は、どんな思いで過ごされているのでしょう。TVや新聞報道で毎日目に入ることはできますが、実態はどうなんだろうという気持ちが起きます。

原発による野菜や水の被害にしても、あの数値は何が正しいことなのか、人体に影響がないとはどういうことなのか、数字の羅列で不安を掻き立てられます。

私は、レントゲン5回CT2回3日間で受けました。この状態とどこが違うのか?1000万倍や10万倍だと言われても訳が、分からない数字です。

ホウレンソウも洗って食べるといいとか、水は汲み置きしておけばいいとか、言われますが、出荷停止状態になったり、国民は振り回されています。

いろいろな色の制服の人達も、一同に会して発表したらどうですか?大臣さん意見統一して発表してくださいよ。

がんばろう!がんばろうといいますが、みんな頑張っています。

でも励ましたり、応援している言葉が見つからない、もっといい心にしみる、負担に感じない言葉はないものでしょうか。

今私にできること、私ができること、考えています。

2011 年 3 月 22 日

「新しい旅立ちを祝う集い」を終えて

高村さとみ

 3月20日(日)、フリースクールの卒業式にあたる「新しい旅立ちを祝う集い」を行いました。今年は10人の生徒がフリースクールを旅立っていきました。

 もうお別れなんだと本当に実感したのは18日(金)のこと。その日は旅立ちに向けて一日中、ステージ発表の練習や当日の式の流れの確認をしていました。放課後も練習をするため普段使っているテーブルは端に寄せ、帰りの会は椅子を円形に並べて行いました。いつもはフリースクールが一つのクラスであるという認識はなく、各々が仲の良い子と好きな遊びをしている、小グループがたくさんあるという印象でした。ですが、そうして円形に並んだ生徒たちを見渡していると、例え直接的に関わり合わなくてもこのメンバーは同じ空間・同じ時間を共有する「仲間たち」なんだということを強く感じました。「このメンバーで過ごすのはあと2日しかないんだ」と想うととてもさみしく、やっと別れの時がきたということを実感できたのでした。

 卒業生の中には三和高校へと進学する子もいますが、同じ建物内であってもフリースクールと高校はやはり別空間です。もう同じメンバーが同じ時間・同じ空間を共有することはできませんが、在校生は新たな仲間を加え新たな共有を、卒業生はそれぞれの進む道の中で出会う人たちと共有をしながら経験を積み重ねてゆくのでしょう。卒業生がこの先どんな仲間づくりをしていくのか、在校生がどんなフリースクールをつくっていくのかとても楽しみにしています。

2011 年 3 月 18 日

震災と戦災

                                                              亀貝 一義   

東日本大震災の惨害は日をおって拡大してくるような気がする。そして原子力発電所の倒壊にともなう問題が重なっている。
この震災の状況は、私の子どものころすべての日本人が直面した戦争と重なる。東北各地の惨状は東京大空襲や広島・長崎への原爆投下後の状況とそっくりだ。食べ物や住むところもなくただひたすらガマンを強いられる。子どもたちはどうしているのだろうか、とかまだ行方の知れない人たちは、とか考えてもどうにもならない問題が次つぎに頭をかすめる。

もちろん、あの戦争の直接の影響は全国に及び例外はなかった。しかし今は被害を受けていない地域は広範囲だ。戦争は「敵」がいるが、震災にはにくき敵はいない。自衛隊や米軍も敵から狙われる恐れはないから、心をあわせて救援に頑張って欲しい。諸外国からの支援も大きい。

東京の知人と電話で話した。スーパーからもコンビニからも、ガソリンスタンドからも物がなくなっているという。東京地区では主として買い占めによることらしい。食べ物は、当面心配はないというのに、我さきにと買い占めに走る。これが被災地の人たちに悪い影響を与えないわけはない。
妙な流言飛語が飛び交う可能性がある。買い占めが展開されるウラには、これに類する根も葉もないうわさがきっかけかも知れない。
政府の強いリーダーシップがますます必要になっている。しかし「原発から30キロは要注意」などと言ったから物資輸送トラックも行かないという。その一方で「微量な放射能など人体に影響はない」という。

その昔「銃後の守り」と言われた。節約してカネを出す、戦地の兵隊さんは、食することがないだろう甘い物を樹液をためて供出したり、タバコの代用品(イタドリの葉)などを子どもたちは集めた。
今これに類する物はただ募金をすることかも知れない。

戦争が終わって何年もたってから「死んだことになっていた父が帰ってきた」などがいくつもあった。その話を聞くたびに「ウチの父も帰ってくるかも」と遺骨が届いていたにもかかわらず私たち兄弟はあわい期待をし続けた。この震災の犠牲になったと思った肉親が一人でも多く生還できるように祈るだけだ。

あの戦災の後、日本は新しい憲法による「再生」を進めた。今の震災を経て、日本はどういうものをつくり出すだろうか。多分これは「高齢者、子ども、病弱な人、ハンディキャップのある人、そういう人たちが大切にされる世の中」への道筋がより大きくなっていくのではないだろうか。その人たちが幸福にならない限り日本の幸福はあり得ないからと、日本人が知りつつあるからである。

 

2011 年 3 月 15 日

旅立ちの日

                                                                          田房絢子 

  先日、担任をしていたクラスの卒業式があった。この日をどのくらい待ちわびていただろう。でも、いざその日を迎えてみるとなんだか不思議な感じがした。それは今もまだ続いている。

 私にとっては3期目のクラス。これまでで一番、打っても響かないクラスだった。個人個人を見れば元気だけど、クラスになった途端、反応が返ってこない。なんだろう・・・いったい何なんだ!なんでも人ごとだと思うなよ!そんな説教をしたこともあった。そんなヤツらが変わってきたのは3年生。これぞ3年生マジック。それぞれの心に「焦り」とか「自立」とかいう生々しい現実が突きつけられてきてからだと思う。

 そんなクラスが最後にやってくれた。なんだか人ごとなクラスが、最後にみんなを楽しませようと、担任を務めた2人にプレゼントをと、卒業式でのパーティーでパロディ + 合唱を披露。担任には内緒で動いていたので、どんなことをやるかと思ったら・・・まあまあ3年生らしい(笑)。楽しませてもらって、心をあたたかくしてもらって、とても幸せな気持ちになった。

   どんなことをするにしても、彼らにとっては時間が必要だったのだろう。私がせっかち過ぎたんだなぁと反省をしている。でも、旅立つことができたのだから・・・うん、結果オーライ。不安がありながらも、自分の将来をしっかり見つめて、納得のいく道筋を決めることができたのだから。

私の心にぽっかりと空いた風穴は、最後に見せてくれた彼らの笑顔でなんとか埋めていけそうだ。

2011 年 3 月 9 日

札幌市長をめざす二人のマニフェスト

                                               亀貝 一義
今、4月の一斉地方選挙で札幌市長をめざしているのは現職の上田文雄さんと新人の本間奈々さんのお二人。
昨日8日午後上田さんのマニフェストが発表され、二つの札幌市の未来をどう考えるかに関する方向の骨子が明らかになった。
私たちに直接かかわることについてコメントしておきたいのだが、まず「ななの政策」として発表されている本間さん(新しい札幌を創る会)は、教育や子育てに関しては(それ以外のテーマも同じだが)ごく基本しか触れていない。
「学力・体力の向上」「学力テストをすべての学校で行う」などである。これから補足されていくのだろうか。
こちらを参照。
http://honmanana.net/policy/index.html

これに対して上田さんはさすが現職だけあって総合的具体的だ。「うえだの約束。Manifesto」として6つのテーマをあげるのだが、そのトップが「子どもの笑顔があふれる街」として8項目を約束する。
詳細は、実際を参照してもらいたい。
http://www.uedafumio.jp/yakusoku2011.html#yakusoku03
8項目の第4番目に「不登校の子どもの育ちとひきこもりの若者の社会参加をサポートします」とあり、具体的な実施目標として「不登校」については「フリースクールと積極的に連携し、子どもの育ちや学びを支える環境を整え、財政的な支援の仕組みを新たに創設」として、2012年度から支援開始とする。また「ひきこもり」についても2011年度をメドとする目標をかかげている。そしてそれぞれについて金額も明示している。

この上田マニフェストについては、私たちが昨年11月に対市長提言をしているのだが、この「提言」の具体化を想定しているといえるのではないか、と想像する。
もちろん選挙後の事態、どういうことになるかは楽観できないのだが、長年取り組んできた私たちのテーマが大きく前進する可能性が出てきた。

3月18日(金)私たちはさらに目標を確かなものにするための「フォーラム」を企画している。ぜひ多くの方がたのご参加を期待したい。
くわしくは 
http://www13.ocn.ne.jp/~fs_net/pg53.html

2011 年 3 月 9 日

笑顔の「旅立ち」へ

  フリースクール担任  新藤 理

 気づけばあっという間に卒業シーズンが訪れていました。高校三年生は、先週・今週と二度の卒業式を札幌と和寒で迎えます。そして、「入学式」は無かったフリースクールの生徒たちにも卒業の日はやって来ます。正式には「新しい旅立ちを祝う集い」と呼ばれるその日は、スクールにとっても、私にとっても特別な一日です。  証書授与のほか、生徒たちがステージで様々な出し物をくり出すこの日。ふり返れば、ハンドベル・ギターの弾き語り・朗読・詩吟(?)など、その年ごとの生徒のカラーが目一杯に発揮された内容ばかりでした。私たちもスタッフも一緒にステージに立ったり、逆に「スタッフには頼らない!」と生徒が私たちを閉め出して演劇の練習に励む年もあったり…。毎年の思い出語りは尽きません。  今年は生徒の数が多く、ステージ発表の内容も多彩です。バンド発表・演劇・ダンス・ピアノ独奏に手品などなど。すべて生徒たちの希望で決まった内容なので、練習でも自分たちで進めようという意志が強く表れています。授業の時間以上に「学んで」いる生徒たちを見守っていると、ちょっとハラハラしながらもしみじみと幸せな気持ちが広がってきます。  毎年「旅立ち」の日が近づいてくると、卒業していくあの子やこの子の顔が思い浮かび、彼らが席上で感動の涙を流す場面を想像(妄想?)してはひとりで胸を熱くする…いつからかそんな妙なクセが身についてしまいました。しかし、とくに卒業生の大部分が三和高校に進学するようになった近年では、しんみりと感動するよりも晴れ晴れしい笑顔を見せる卒業生のほうがずっと多いようです。それは新たな日々への希望からか、はたまたステージ発表が成功に終わったことへの嬉しさからか。何はともあれ、いましばらくは生徒もスタッフも「旅立ち」に向けて、ひたすら駆け抜ける毎日が続きます。3月20日、よろしければぜひ、りんゆうホールに足をお運びください!