2011 年 11 月 のアーカイブ

2011 年 11 月 30 日

青春18きっぷ

桑名 八重

 もうすぐJRの青春18きっぷの発売が始まる。

 私の「18きっぷ」の思い出は、寒さと貧乏旅行。とにかく安く遠くへ向かう!!
 ある年、年末年始の初もうで列車を使い、お正月の長崎へ行った。大晦日の北九州、門司港でカウントダウン花火を見て、初もうで列車が出発。普段列車の走っていない時間に各駅停車を乗り継いでの夜の旅だ。
 夜中の2時に乗り換えのため1時間半の列車待ち。九州とはいえ、雪の降る中ひたすら時間をつぶした。明け方には停車中のホームから吉野ヶ里遺跡を眺め、ようやく朝の7時に朝もやの長崎に到着した。実はこの時点でかなり疲れきっている。
 が、もちろん観光もしっかりする。ガイドブック片手に観光名所はひととおり巡った。本当はもっとゆっくり滞在したいなぁと思いつつ翌日には次の目的地へ。
 
 そんなスケジュールの「18きっぷ」の旅はとにかく時刻表とにらめっこだ。あらかじめ予定を立て、何時の列車に乗るか決めてあるのだが、現地でどうしてもここに行きたい!! あれが食べたい!! となると予定変更も当たり前だ。とにかくあちこち動き回り、休み明けには逆にぐったりと疲れてしまうくらい。
 
 最近はなかなか時間も取れず、こんな貧乏旅行をすることは少なくなった。けれど機会があれば、いろいろな所に行きたい。
 
 実行に移すのは今では難しくなったが「18きっぷ」の発売が近づくと、ついついどこに行こうかな~。どこまで行けるかな~。とわくわくする。
 来年はどんどん増える計画を、少しでも実行しよう。
 唯一付き合ってくれていた友人は母になり、私の一人旅は続いていく…。

2011 年 11 月 24 日

女子会

本間慶子
女子会の言葉が賑やかの季節になってきましたが。最近ではスイ-ツ男子の男子会なるものも流行っているとか。
我が本間家では、数年前から女子会ならぬ熟女会を行っています。月1のランチバイキングも食べ尽くし、デパ地下料理を実家で食し、最近ではオーナーである母の希望で
旅行に移行してきました。第1弾先月登別へ温泉旅行、第2弾クリスマスファンタジーの函館へ来月実行、母の第一希望は『ハワイ』です。ハワイアンを習っているので是非とも本場の踊りを観てみたいそうです。みんなの休み調整したりパスポートをとる作業でなかなか進まないという現実です。
近頃の母は、目に見え足腰が弱ってきています。できるだけ早く実現したいとは思っています。
この歳になっても、親は何時も側にいて元気だと思っていたのが、昨年父が亡くなり現実を味わいました。
「国内も海外も行っていない所沢山ある」が口癖になっている母です。できる限り永くできる限り多く行きたいと思っています。
この女子会(熟女会)も永く続くようみんな元気にと願っています。

2011 年 11 月 17 日

イベントたくさん

高村さとみ

 最近のフリースクールは11月26日(土)に行われるフリースクールフェスティバルに向けて大忙しです。それというのも、ステージ発表としてバンド・ダンス・歌・ギター弾き語り・お笑いと5つも出し物を行うからです。バンドやダンスに参加する生徒はフリースクールを飛び出しスタジオで練習。昼休みや放課後はギターを弾きながら熱唱する姿もあります。お笑いは何とか脚本を書くことができました。そんなわけで、特に今週・来週はステージ発表の練習にスタッフも生徒も大忙しなのです。

 これから来年夏にかけて行事・イベントがたくさんあります。まずは11月26日(土)のフリースクールフェスティバル。このフェスティバルは道内フリースクールのネットワークである北海道フリースクール等ネットワーク主催で、11月19日(土)の高岡健さんのフォーラムも含めネットワーク10周年を記念してのイベントでもあります。それから札幌自由が丘学園の行事として1月にはライブハウスを借りてのライブを、3月には卒業式としての意味を持つ新しい旅立ちを祝う集い、そして来年7月には全国の不登校に関する親の会やフリースクールの子どもたちが集う全国大会が北海道で行われます。

 このように札幌自由が丘学園としての行事、フリースクールとしての行事がこれから盛りだくさんなのです。私は札幌自由が丘学園のスタッフとして、また、北海道フリースクール等ネットワークの事務局として運営に関わっているのですが、こうしたイベントの準備はなかなか大変なことも多いです。それでもこうしたイベントがあると「やりたい!」「楽しそう!」とワクワクしてしまうのは、子どもたちが楽しんでくれるイベントにしたいという気持ちや、絶体楽しいイベントになる、という確信があるから。札幌自由が丘学園の生徒たちだけでなく、北海道のフリースクールの子どもたち、そして来年は全国のフリースクールの子どもたちが集まるなんて今から考えただけで胸がドキドキします。子どもたちが楽しめるイベントとなるよう、今日も準備がんばるぞぉ。

2011 年 11 月 16 日

井戸を掘った人をサポートした人

                                                                                        亀貝一義

先日のSJGゼミで「札幌自由が丘学園のスタート」について触れたのだが、この補足でもある。

かつて、日中国交正常化することができた1972年、中国の要人から「水を飲むときには井戸を掘った人を忘れない」と、それまでの日中国交正常化のために努力した先人を評価しなければ、との発言があった。この言葉が時どき思い浮かぶ。

まだまだ発展途上にある札幌自由が丘学園であるが、私自身でいえば学園の土台になる部分をほぼ作り得たのか、という気持ちがある。そういうことを念頭において言えば、自分が「井戸を掘った」人であるといって言い過ぎではないと自負する。そういうことを前置きに、少々私的なことも含めて記しておきたいことがある。
1990年が明けた頃から、「口で学校づくりを言っているだけではダメだ。まず率先してこの仕事にあたる決意を示すべき」と、当時の「まわり」から言われた。私もそういう思いは言うまでもなかった。しかし、定年まで10年残っている。3人の子どもはまだ中高大に在学中。妻は当然にも、高校退職には反対。息子が「イザとなれば自分がサポートする」というようなことを言ってくれたこともあったし、学校づくりを支援してくれると言ったデベロッパーもいた(このデベロッパー氏はバブルが消えるとともに消えたのだが)こともあって、妻は反対を取り下げてくれた。

数年間の「札幌自由が丘教育センター」の運営は文字通り薄氷を踏む思い。時どき氷が割れて、水が噴き出す感じである。夜の学習塾の子どもも増えてはいたが人件費や物件費をまかなうには全く不十分だった。当時のセンターを運営していたのは私と今は亡き柴田宏樹さん。自分たちの給与を調節したりだけでは足りず、ついに退職した高校からの退職金や売り払った不動産の代金も注ぎ込んだ。
なんとかかんとか一息ついたのは学習塾とともにフリースクールの運営が軌道に乗った頃だっただろうか。そのころ、杉野さんや芳賀慈さんがはせ参じてくれた。

妻は、ほとんど大きな「小言」は言わなかったが、それでも言いたくなったことが何度もあるだろうことは想像に難くなかった。我が家の生活も、私自身のガマンはもとよりだったが、妻の無言の力によるところがどれほど大きかったか分からない。

札幌自由が丘学園で人生を賭けようという人は、大なり小なり他の職場(例えば普通の学校)と比べて問題になく不十分な条件下に置かれている。だから、そういう人たちも含めて、私は「共に井戸を掘る人たち」に思いを致す。
「井戸を掘った人」とともに、同時に井戸掘り人のサポーターが何人もいたことをあらためて思いながらのコメントである。

再来年(2013)は、フリースクール開校20周年、高校開校5周年の記念の年になる。

2011 年 11 月 8 日

「 ・・・。」

                                                 田房絢子

先週は芸術鑑賞。全日コースのみんなで「ライオンキング」を観てきた。劇団四季のミュージカルはキャッツ以来だったので行く前から楽しみだった。話自体はアニメでもおなじみだったけど、その演出が「ほぉ~さすがだなぁ」と何度思ったことか。また別の所から観てみたいと思わされてしまう。

 高校生の時からミュージカルが好きだった。海外から劇団が来て、高いお金をひねり出してウェストサイドストーリーを観にいったときには「感激!」とだけでは言い表せなかった。アメリカでオペラ座の怪人を観たときには、「・・・。」言葉がでなかった。なんだろう、なんともいいようのない「・・・。」映画やドラマでは表現できない臨場感のせいだろうか。ありきたりな表現・・・(苦笑)

 心が触れるという体験が、私の歴史には数多くあった気がする。言葉では表せない○○っていうのは人であったり、ものであったり、作品であったり、事柄であったり。心に触れたそれらの人やものは、私の人生に大きな何かを残している。どんなに昔になってしまったとしても、忘れてはならない大切な気持ちだと思う。今の私を創っている要素になっているに違いないから。さぁ、これからはどんなものに巡り逢うんだろう。ドキッとする?ハッとする?それとも、「・・・。」そう考えると、ものすごくいろんなことが楽しみになってきた、今回のエッセイでした(^^)