2012 年 5 月 のアーカイブ

2012 年 5 月 30 日

家電家族引退

安齊裕香

 先日スタッフ内の雑談の中で、電気代は毎月いくらかという話になった。

我が家は2人暮らしで毎月5000円~6000円くらい。2人暮らしでの平均は総務省調査で8298円という記述があった。しかし、私の周囲からすれば、我が家の電気代は高いらしい。確かに「電気代かかるなぁ・・・」とずっと思っていて、それは家でも話していた。

そんな流れもあり、家で普段コンセントをつけっぱなしの箇所はどのくらいあるか気になったので数えてみることにした。冷蔵庫・洗濯機・ケトル・炊飯器・浄水器・テレビ・PCなど20か所ほど。多い。たいして使わない電化製品もある。

我が家は家電が好きなのである。私が少しの間家を空けると家電が増えていることもある。

家電が好きなのは夫婦共に変わらないので、話題の節電をしてみることにした。

まずは休みの日しかほぼ使用しない音楽機器やゲームのコンセント抜いてみることから始めた。冷蔵庫の冷気を逃がしにくくするシートも貼った。

次に、他のスタッフが分析をしてくれた電気代が高いかもしれない原因の一つ、炊飯器の保温をやめた。育った環境もあるのかもしれないが、旦那も私も、常に炊飯器にご飯がある家だったらしい。2人とも運動をしていたのでいつでも食べられるようにとの心遣いだったのか、レンジで温めるごはんが苦手だった私への気遣いだったのか・・・。その辺の真相はわからないが、小さい頃は保温が日常だった気がする。だからあまり気にしてはいなかった炊飯器。最近、家にいない間は保温をやめて、なるべく帰る時間に合わせたり、レンジで温め直すことを心がけている。

いろいろ調べていると4000円台の人もいれば何万もかかっているという人もいる。それを考えるとまだまだ節電できることはあると思う。

今後はLEDにしたり、早く寝たり、できることはやっていこうと思う。その浮いたお金で旅に出よう。そんな目標があるから次の電気代も節電も楽しくなってきた♪

2012 年 5 月 23 日

英語版

久井 貴之

  広い年齢層に支持され、ある種社会現象にもなっているマンガがある。ジャパニメーションという言葉がある通り、これは海外でも知名度のあるものだ。

 せっかくなので英語に翻訳されているバージョンを集めることにした。会話ばかりの英文を読み解くことは意外と難しい。学生時代に習う単語や文法もしばしば登場するが、授業で習わないような表現も登場する。いわゆる口語表現である。内容はだいたい頭に入っているので、ページをめくる度になるほどなるほどとうなずきながら文章を読んでいる。アルファベットに変換された擬音語も登場する度に新鮮に見えてくる。学生時代に苦労して英文学を読んでいた頃が懐かしい。

 いつ以来だろうか?マンガを読んでいるのに楽しく勉強している自分がいる。英語は世界の人々と話すことができるコミュニケーションツール。やはり生徒は使える表現を覚えたいはず。苦手な英語でもわかった時は楽しいという生徒がいる。最近英語学習に意欲を見せている生徒はやはり話せるようになりたいという。

 ”いかに楽しく英語を学ぶか?” 洋楽・洋画・本屋さんの一部を埋め尽くす英語教材・英会話教室など手段はさまざまであるが、それに負けないように授業の工夫を心がけようと思う。英語学習への意欲をできるだけ促進してあげることができたら最高だ。

2012 年 5 月 16 日

また「旅ネタ」・・・

桑名 八重

「あーどこか行きたいな~」としょっちゅう言っている。 疲れたり、ストレスが溜まるとどこか行きたくなる・・・と言いたいところだが、そうでもない。 年がら年じゅう口にして、新しいことに接したいと思っている。

はじめての一人旅は高校3年生の頃。
もともと一人であちこち出かける方ではあった。
卒業間近の2月の家庭学習期間、10日ほどかけて京都に行った。

修学旅行で京都をはじめて訪れた。
あちこち行きたい場所があったけれど、班行動ではほぼ行けず・・・
(私が行きたいところに、友人たちは一切興味をもたなかったから・・・数で負けた)

高校3年間のアルバイト代から、自動車学校の費用を引いて「何日行けるかな~」と計算。
安く・長く・色んな交通機関で!と計画。往復フェリーで宿はドミトリーの相部屋で・・・
貧乏旅行を決行した。

今考えてみると、もっと安く行く方法もあったし、もっと楽にできたこともあったと思う。
しかし、自分で全てを調べて決めて行ったことは今でもすごく楽しい思い出だ。
色々な人に会って、親切にしてもらって・・・きっと周りからはすごく危なっかしく見えたのだと思う。

あれからかなりの時間が経って、色々なノウハウを詰め込み、あの頃より少しはスマートな一人旅が出来るようになった(と、思いたい)。
インターネットで予約も簡単になったけど、一生懸命電話をして準備した日が懐かしい。

2012 年 5 月 11 日

「幸せ」

                                               学園長 杉野建史

東日本大震災発生から1年が過ぎ、被災地が復興に向けて力強く歩き出している。マスコミを通じて伝えられる被災地の様子に心が痛くなる。復興までにはまだまだ時間がかかる。改めてこの震災でなくなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災され復興に尽力されている方々に敬意を表する。

世間で起こる様々なことを見聞きし「幸せ」について考える事がこの頃多い。地球上で争い(戦争や紛争)が絶えることはないし、生物の絶滅に歯止めがかからない。日本でも経済的格差が拡大の一途を辿っている。そんな中でも人は時に「幸せ」を感じて生きていく。

私は旅行が好きで時間とわずかな貯金ができると旅に出る。旅で非日常の「幸せ」を感じることが多かった。この頃はその機会がめっきり減ってしまい、安齊さんが先日このスタッフエッセイに書いていたような「妄想旅行」に止まっている。しかし、それでも旅行雑誌やエッセイなどをみて楽しめるし、この頃はテレビの旅番組で妄想的に楽しんでいる。

海外を特集した番組を見て、その国がどこの国であっても感じることは「食に非常に喜び(幸せ)を感じているだろう」ということである。日本で流行っている“グルメ”ではなく、日常の食生活に大きな価値をおいている様に感じる。お国柄と言ってしまえばそれまでかもしれないが、お茶を飲む時間や食事をする時間を大切にしているように思うのだ。私はこれまでに数カ国に行っただけであるが、食にむかう現地の人の表情はだれもが幸せに満ちているように見えた。経済的先進国であっても、発展途上国であっても変わらないように思う。食べることは生きることに直結しているので、医学的な面から見ても「食」は重要で、日本では「食育」という言葉まで出現した。違った面から見ると食は「食文化」といわれるように文化的な面も持っている。私が感じる食の幸せは文化的な面が大きい。

自分がどれだけ日常の中で「幸せ」を感じているのだろう。鈍感になってしまい幸せが当たり前になってしまっていないだろうか。1日3回の食事に感謝するとともに幸せをかみしめる。「幸せ」が身のまわりにある自分の生活のように、世界中の人たちの周りに「幸せ」がある生活をと心から願う。

2012 年 5 月 9 日

全国大会・出会い

 高村さとみ

 ホームページでもお知らせしていますが、7月28日(土)、29日(日)に「登校拒否・不登校を考える夏の全国大会」「全国子ども交流合宿」が定山渓で開催されます。23回目にして北海道では初開催なので、手探りながらバタバタと忙しく準備をしているところです。さて、この全国大会・交流合宿の主催は登校拒否・不登校を考える全国ネットワークとフリースクール全国ネットワークなのですが、北海道の現地実行委員会として道内のフリースクールスタッフや不登校に関する親の会メンバーが準備に携わっています。せっかくの初開催であるなら少しでも多くの方にこの全国大会・交流合宿のことを知ってほしい、サポート機関とつながることができず不登校のことで悩んでいる方に少しでも情報を届けたいと実行委員一同は考えています。

 先日、札幌市内の小中学校の教職員に配布するため、全部で1万枚のちらしの折り込み作業をするという日がありました。フリースクールスタッフ、ボランティア、親の会、大学生など総勢20名で4時間半ひたすらちらしを折ったり組んだり…。作業をしながら考えたのは、札幌自由が丘学園で働き始めたときのこと。そして、北海道フリースクール等ネットワーク事務局に入った時のことでした。右も左も何もわからなかったあの頃から比べ、こうしてたくさんの人と知り合うことができたんだとしみじみ感じた時間でした。現在進行形で未熟な私も、こうして見ると少しずつ前へ進めているのでしょうか。少しずつ世界を広げられているのでしょうか。前へ進んでる、世界は広がっていると自信をもってもいいかな、そんなことを思ったのでした。

さあ、7月にたくさんの人と出会うためにもがんばるぞー!

2012 年 5 月 8 日

便利だということ

                                                      田房絢子

最近、物騒な事件が多い。毎日ニュースを見るたび、新聞を開くたび、???が頭を駆け巡り、心が痛くなる。なぜこんな事件や事故がたくさん起こるんだろう。車には気をつけなさいとは言うけれど、後ろから突っ込んでくる車にはどう気をつければいいのだ。自家用車に乗るよりもずっと便利でお得!なんていう高速バスの謳い文句にはもう安心できない世の中なのだろうか。

でもそもそもの原因は「相手」がいるということを軽視し始めている世の中にもあるのではないかと思う。運転するとき、同乗者がいる。周りの車がいる。歩行者がいる。仕事をするとき、時には命を預かる相手もいる。自分の目の前には無数の命があるのだ。どんな形であれ決して失ってはいけない命が。多忙な生活に追われ、もしくは時間をもてあまし愛想が尽きて色を失ってしまったこの世であっても、間違いなく「命」は色濃く存在していることを忘れてはならないし、軽視してもならない。便利な世の中になればなるほど、命の重みも変化していないだろうか。車という鉄の塊は武器ではなく、人を安全に運び人を守る鎧でなければならない。安いお金でさらに便利まで手に入れることを当たり前と考える消費者の意識が、そこで働く人達の労働条件を過酷にし、「相手」よりも値段を優先する仕組みになっていることに気がつかなければならない。

便利すぎる世の中の仕組みをもう一度振り返り、世に起こる出来事を他人事で終わらせてはいけない。最近の悲しい出来事は、この世の中を見つめ直すべきだとの警鐘に思えてならない。個人にも、企業にも、自治体にも、国にとっても。