2012 年 7 月 のアーカイブ

2012 年 7 月 29 日

「登校拒否・不登校を考える夏の全国大会in北海道」終わる

                                                                                                                          亀貝 一義

28日と29日の両日、「世話人会」を含めると2泊3日の全国大会が終わった。これは1990年から数えて第23回目で、もちろん北海道では初めてだった。

全体の参加は350人というのが公表された数字だったが、当日参加も入れると400人近い参加だったと言える。一番南は宮崎県から、そして四国や中国地方からも参加者がいた。
この多くが父母だった。北海道からも100名以上が参加した。特に札幌自由が丘学園からは現父母やOB父母、そして卒業生や生徒たちもこの集会成功のために頑張った。
単にフリースクールだけでなく三和高校も職員は全員参加した。

札幌市上田市長も来賓として挨拶された。このように市長がこの大会にメッセージを寄せたのも初めてだった。

登校拒否・不登校をマイナスイメージで考えるのではなく、「不登校の権利」の確認という側面で考えるべきという決議も採択された。今、子どもが学校でいじめを受け自殺まで余儀なくされていることの背景に「何が何でも登校しなければ…」という意識がある。「学校にいくことが命がけ」という悲劇は1986年の鹿川君事件から変わっていない。

もっと楽しく過ごすことができる学校のあり方を、「多様性」をキーワードとして展開していくことが必要になっていくことをあらためて心に刻んだ。

来年は関西で開かれる。関西で再会を、と確認しあって多くの人たちと別れた。

2012 年 7 月 17 日

地デジに思うこと

桑名八重

テレビ放送が「地上デジタル」とやらになって1年とちょっと。 機械音痴の私としては、たいしてこれまでと変わらんだろう・・・とかなり気楽に考えていた。

しかし実は、地デジになって不便を感じる機会が増えた。

我が家のテレビがいけないのか、接続に問題があるのか、
よく映らないチャンネルがある。大体、某民間放送局と某国営放送。
風が強い日は特に「アンテナレベルをご確認ください」とテレビに言われてしまう。
そうなると、もういいや、テレビ見なくても。という生活になってきた(テレビ離れのきっかけ)。

もうひとつ、とみに不便さを感じるのが、録画。

昔、まだまだ『ビデオカセット』だったころ、
「あの番組、見損ねた!録画してたら貸して~」と友人と貸しあって録画番組を共有していた。
しかし、今はそれができない・・・。
録画した機器でしか再生できないなどの、機械音痴にはとんと解らない仕組みで録画・再生されるらしい。

私に理解できたのは、「お気に入りの番組を貸し借りできないのね」ってとこです。
詳しい人からすると何か方法はあるらしい・・・。

著作権などの権利の保護も理解しているつもりですが、
せっかくのいい番組は色々な機会に自由に見られるといいなとつくづく思う今日この頃。

「ネットの動画配信があるじゃない」という意見もあるでしょうが、
ネットって思うほど自由に使いこなせてないのです。機械音痴は。

どんどん、技術が進んで新しい商品サービスが増えるけど、
世の中、みんながみんな、その技術にリアルタイムについていけるわけじゃない。

今日も、我が家のテレビは「アンテナレベルをご確認ください」とメッセージを出し、
私はテレビを消す。

2012 年 7 月 13 日

懐かしい声

学園長 杉野建史

 人は人と係わりながら生きていく。係わる人の数に違いはあってもひとりぼっちで生きていく人はいない。

係わりには、頻度と距離がある。例えば、職場で係わる人との頻度は高いし、距離も近い。職場以外で係わる人との頻度は多分に違うし、距離もかなり違う。しかし、物理的な頻度や距離では計ることのできない「人との係わり」があると私は信じている。

この職場で働き始めた頃、今から15年ほど前、教育大学を卒業したての女性が1年間ボランティアスタッフとして学園で働いてくれた。ボランティアと言っても月曜日から金曜日まで毎日来校し、いろいろなことに尽力してくれた。彼女は教員採用試験に合格し、翌年小学校の教員になった。先日、数年ぶりに合うことができて昔話に花が咲き、お互いの現状報告で盛り上がった。普段は電話をすることもほとんどないし、手紙のやりとりをするわけでもない。が、お互いの動向を心のどこかで気にしている。物理的なものを超えた継続的な係わりがある。

「腐れ縁:離れようとしても離れられない関係。好ましくない関係を批判的・自嘲的にいう。」

ポジティブな腐れ縁を先日感じた。小学校時代からの友人としばらくぶりに話すことができた。知り合ったのは35年前。中学卒業まで同じ学校で過ごした。この十数年、繋がりがあったのは唯一年賀状だけ。10年以上もの間、年に一回の葉書のやりとりで係わりが続いていた。ひょんなことから連絡を取った。

先日、学園のボランティアを希望する人が来校し私の所に挨拶にきた際、「杉野先生、○○さんをご存じですか」としばらくぶりに聞く懐かしい名前が出てきた。ボランティア希望のその人と、幼なじみが結びつかないので「えっ?えっ!?」と驚くばかりだった。この機会にと思い電話をした。いろいろ話す中で学園のホームページを見てくれていること、今私が何をしているかなどを知っていてくれた。嬉しい気持ちでいっぱいだった。遠くないうちに合おうと約束をして終わった。

人の係わりはそう簡単に切れるものではない。簡単に切れる可能性がありながらも、係わりは自分の思いとは裏腹に続くものである。人との係わりに感謝して、係わりを大切にこれからも生活していこうと、強く思った。