2016 年 1 月 のアーカイブ

2016 年 1 月 26 日

トレンディもいいけれど

フリースクールスタッフ 新藤理

 高村さんがお笑い芸人のことを少し前のスタッフエッセイに書いていたので、私も思い切って書いてみよう。
 初めに申しあげておくと、このエッセイは現在お笑い芸人として活動している弟についての文章です。恥も外聞も捨て、なんと今から職場のHPのコンテンツを利用して身内のコマーシャルを書きます。

 弟は東京で芸人をやっている。「ガリベンズ」というお笑いコンビだ。結成は2005年だというから、もう十年以上のキャリアである。ものまねバラエティ番組などを見ると、弟の相方である矢野さんがくりぃむしちゅーの上田さんの真似をしていることがあるので、もしかしたらご覧になった方もいるかもしれない。弟をテレビで見かけることはそうそうない。
 ......「2005年だという」などとずいぶん遠い他人のように書いてしまったが、正直なところ2005年の時点では本当に弟を遠い他人としか感じていなかった。東京の大学を卒業してすぐに芸人養成所に入った話、お笑いコンビ結成の話、どちらも一応知ってはいたが、弟から直接聞いたわけではない。母親からの電話で(しかもどちらも録音メッセージの中で)知ったことだ。「あのねえ、ミツルのことなんだけども、あの子お笑いの事務所に入ってねえ、ガリベンズっていうお笑いコンビ組んだから! お兄ちゃんからもなんか励ましたりとか、とにかく連絡してやって! あとたまには実家に帰ってきなさいよ! じゃあね!」
 お笑い芸人かー、あの弟が......と、携帯電話を片手に遠い目になった。記憶にある限り、昔から弟はクラスをギャグで沸かせるようなムードメーカーといったタイプではなかったはずだ(実際のところはよく知らないが)。お笑いを見るのが好きらしいということはうっすらと知っていたが、それこそ本当にうっすらとした認識である。まして自らステージに立って人を笑わせる仕事に就きたいという夢があるなど、微塵も想像しなかった。はっきり言ってそういう仕事ならまだ私のほうが近いタイプなのではないかとすら思う。お笑い芸人、ねえ。
 しかし、あくまで「遠い目」だけでおしまいである。励ましの連絡なんてことはしなかった。理由を聞かれても説明は難しい。とにかくそういう距離感だったのだ。だいいち、芸人の仕事なんていつまで続くかわからない話ではないか。「遠い目」に込められた形容しがたい気持ちは自分の中で放置したまま、私は始めて一年になる独り暮らしを謳歌していた。そういえば、そもそも弟の連絡先を私は知らなかったのだ。

 それでも、生徒と接していれば、「新藤さんってきょうだいいるのー?」と聞かれることはままある。
「いるよ。弟が一人」「えー、学生? 働いてるの?」「働いてるというか...東京でお笑い芸人やってる」「え!!?? 芸人さん!? マジで!? コンビ? ピン芸人?」
 生徒たちの反応はなかなか劇的だった。ガリベンズの名は瞬く間に(学園の中でだけ)有名になり、生徒たちは「動画見つけたよー」「弟さんのブログあったよ!」「コメントしたらお返事くれた!」などと逐一報告をくれた。意外だったのは「やっぱ兄弟だね、新藤さんに似てるわー」という声が多かったこと。それまで私は、やせ形でスポーツ好きの弟を自分に似ていると思ったことは一度としてなかった。しかし生徒たちは言う。「立ち方とかそっくりだよね」「あと腕ね! おんなじ!」...う、腕?
 不思議なもので、生徒たちにそう言われるとお笑い芸人の弟がいるというのはなんだかいいことのように思えてくる。みんなでガリベンズのネタ動画を見てみると、...たしかに似ていないこともない、ような気がしないでもない(話すときに首を前に出すところとか...)。何だかんだ言っても、「やっぱ兄弟」なのかなーという思いがほんのり胸をよぎる。そして驚くべきことに、爆笑を巻き起こすには至らないまでも、そのネタはちゃんと漫才になっていた。相方の矢野さんの力に助けられている面は多々あるが、何はともあれ弟がお笑いの舞台に上がっている光景は不思議とまぶしかった。

 生徒たちとガリベンズの話をすると、必ず最後には「会うことないの? 今度サインもらってきて~!」というリクエストが飛ぶ。まあ、遠くに住んでるからなかなかねえ...とごまかし続けていたが、それもだんだん申し訳なくなり、ある年ついに兄弟で日を合わせて帰省することとなった。ずっと生徒たちからサインをねだられてて...ということを口実に、かれこれ数年ぶりの再会を兄弟は果たした。家族に会うために一緒に来てもらった女性(いまの奥さん)も、「うん、腕の形だね。そっくりだわ」と感心していた。
 ひさびさの時間は、あっさりと、口数少なに過ぎていった。ガリベンズ新藤のサインは、なかなかこなれていた。

 それからさらに数年後。今でもそう頻繁に会うことはないが、時々あるガリベンズのテレビ出演情報は一応チェックするようになった。たいていは相方の矢野さんのピンでの出演だ。
 昨年末、はじめてガリベンズが所属する事務所のお笑いライブを観に行った。終わった後、弟と軽く食事をするつもりだったが、なぜか流れに乗って厚かましくも事務所の打ち上げに同席させてもらってしまった。
 まだまだ若い人、かつては歌手として活躍したけど今は笑いの道に進んだ人、中年まっただなかの年齢で頑張っている人。初めて会うお笑い芸人のみなさんは、それぞれに抱える屈託や不安をちらりと覗かせながら、それでもとても明るく気さくな方々だった。

 彼らは数ある職業の中から選択肢の一つとしてお笑いの道に進んだのだろうか。勝手な推測だが、きっとそうではないと思う。何かはわからないけど、「(たとえ生業としてはリスキーであっても)お笑いを、お笑いだけをどうしても選びたい」と願うだけの理由を持った人たちなのだと思う。そうでなくては、この仕事、あまりに割に合わないだろう。
 そんな道を選ぶセンスというのは、語弊を覚悟で言えばある種の生きづらさだ。どんなにお笑いブームだろうと、ほとんどの芸人が送るのは決して洗練されたトレンディな生活ではない。でも、私はそういう人たちに、なんだかたまらない愛着とまぶしさを覚える。ガリベンズに、そして芸人のみなさんに、さらなる希望と大きな笑いがもたらされますように。

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2016 年 1 月 12 日

重い腰

桑名 八重

昨年9月に復帰しましたが、私事でお休みに入らせていただく前に書いた原稿をようやくブログにしてみます。                    今となってはちょっと前のではない話ですが、2014年の9月にSLに乗ってきました。

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秋の紅葉シーズンに2000年から土日祝日で運行されていた臨時列車ですが、2014年で運行がなくなるとのニュースを聞き(今後道内で走るSLは釧路号だけらしいです)乗っておかなくては!!
と、そのうちいつか乗りたいな~と思いつつ十数年、ようやく重い腰を上げました。

ニセコ号は札幌~蘭越(らんこし)間を走るのですが、札幌から倶知安(くっちゃん)までは指定席。しかも団体等によりまずはチケットが取れないのがいつものこと。
混んでてもいいからとにかく乗ろう!と普通乗車券で乗れる倶知安~蘭越間を往復することにしました。

当日の駅は家族連れでいっぱいでした。みんな考えることは同じなんだな~と思いながら、私も家族で往復約1時間ちょっとのSLの旅を楽しみました。
私にとっては初のSL。しかし同行した母や叔母は「昔は夜行もずっとこれだったよね~」「懐かしい~」と昔話に花が咲いてました・・・。

さて、今回ようやく乗車したSLですが、じつは以前住んでいた場所では年中週末にSLが走ってました。
週末の目ざましは汽笛・・・みたいな生活がしばらく続いたのですが、結局そこに住んでいる時は一度も乗らずに引っ越してしまいました。

何事もそうですが、日常に当たり前にあると人って「いつでもできるさ」「そのうちでいいよ」ってかなりのことを後回しにしています。
私も本当にそのタイプで、これまでも「後でいい」と後回しにしてきたことがたくさんあります。
けれど、今できることは今やっておかないと二度と機会がないこともたくさんあり、今になってどうしてやらなかったんだろう・・・って後悔がたまっています。

最近とくに「後で」「いつでも」って結局チャンスを逃すことだと感じることが多くなってきました。
だからこそ、思い立ったらできるだけ実行しようと思い、行動するようにしています。

あれやろう!これやろう!という気持ちも大事。「有言(思い?)実行」する実行力も必要だと思う。
ようやく乗車した念願のニセコ号で「重い腰」をもっと軽くしていきたいとつくづく考えたプチ旅行でした。

2016 年 1 月 5 日

お兄さん、トレンディだね

高村さとみ

 今、北海道新聞に「オトナ以上大人未満」という記事が連載されています。先日の記事はLINEの利用に関するもの。LINEのメッセージにすぐ反応しないと仲間外れにされそうで怖い、なので夜眠るまで携帯が手放せないといった高校生の話が載っていました。先生方がSNSトラブルの対応に追われている、というのもよく聞く話です。

 私はLINEが苦手です。

 自分に向けたメッセージが次々と届く、しかもすばやい反応を求められる、というところが苦手です。TwitterやFacebookは人の反応を求めない流しっぱなしのもの、メールは読んだことがわかる機能(既読通知機能)がないのでLINEほどに即時性を感じません。LINEで知らない間にメッセージが数十件たまっている...などとなると「うっ...」と引いてしまいます。そんなわけで最近はLINEを見ないように見ないように...と避けてしまいがちです。

 私はお笑いが好きです。

 えっ?さっきの話と全然関係ないじゃないかって?安心してください、つなげますよ。

 年末年始はほとんど家で過ごしていたのですが、本当にたくさんのお笑い番組がやっていました。おそらくここ数年の傾向だと思うのですが、たくさんの芸人さんが短い時間でどんどんネタを披露していく、という番組が多かったです。私はこのことに先ほどのLINEに近い「うっ...」とした感じを持ってしまうのです。

 このお笑い番組の形式はLINEでこちらが返事をする間もなくどんどんメッセージが届く様に似ていると感じます。おそらく、時間に対する情報量が私の許容を超えているのです。情報量/時間で算出した値が大きいイメージ。

 とはいえ家族もお笑いが好きなので、結局お笑い番組が居間ではかかっているのですが、笑って見ながらも何となく「情報化社会」「大量消費社会」という言葉が頭の片隅をちらついていました。あとはいわゆる一発屋といわれるような「最近全然見ないなぁ」という芸人さんを思い出したりすると、芸人さん自体を大量消費しているような妙な罪悪感も感じます。まぁ実際は芸人さんからしたら、テレビにでるチャンスが多くなってうれしいのかもしれないですけどね。

 時間に対する情報量の許容範囲、は人それぞれでしょうが、私はこのように「情報化」「大量消費」への慣れが中高生でよく言われるSNSトラブルにつながっているような気がしてなりません。相手に即時反応を求める・熟考させない、一面的な情報(文)だけで相手を判断する。これでトラブルが起きないわけありません。

 こうしたことを意識して、というわけではありませんが今の私の関心は「時間をゆっくり使うこと」にあるようです。野菜作りに燻製に着物、最近は手挽きミルでコーヒー豆を挽き、友人宅でコーヒー豆の焙煎も体験させてもらいました。時間や手間のかかることに魅かれるのは「情報化社会」「大量消費社会」への反抗ともいえるのかもしれません。

 2016年、本当の豊かさを追い求めて。というとかっこつけすぎですが、自分も相手も急かさず、忙しなくならぬよう、ゆるゆると過ごしていこうと思います。手間ひまが私のトレンディ。

 あけましておめでとうございます。