2016 年 3 月 のアーカイブ

2016 年 3 月 24 日

3/5三和高校全日コース卒業式・学校長式辞

Boys and girls, be ambitious like this old man (第7期(毎日通学コース)卒業式式辞)

2016.3.5 札幌自由が丘学園三和高等学校校長 亀貝 一義

「式辞」というよりも、北海道科の最後の授業のつもりでお話をしたいと思います。

皆さん、卒業おめでとう。

3年前、全日コースとして私たちが迎えた人たちは14名でした。今、第7期卒業生として送り出そうとしている皆さんは20名です。3年前の4月、札幌自由が丘学園三和高等学校の生徒数は98名でした。今、東京の生徒数も含めて140名を超えています。

私自身で言えば、3年間皆さんの授業の担当をしたことから、非常にいい生徒だったという思いがします。優しく思いやりの心をもった皆さんでした。笑顔のすてきな皆さんでした。よく勉強をした皆さんでした。よい心、よい顔、よい頭、3拍子そろった生徒の皆さんと別れることは私にとって、非常にさびしい気持ちを抑えることができません。しかし、4月から皆さんは人生の新しいステージで活躍します。まさにそれぞれの翼で羽ばたこうとしている皆さんに、私からささやかなメッセージを送りたいと思います。

メッセージの第一は、「希望」についてです。札幌自由が丘学園の教育目標の第一は、「ステップアップ・『今一歩の挑戦』」です。これは、皆さんは前を向いて常に希望と目標ともって前進してほしいという願いです。これに関連するお話をしたいと思います。

今から140年ほど前のことです。当時北海道を動かしていたのは薩摩出身の黒田清隆(大通り公園10丁目のある2つの銅像のひとつ)は、北海道開拓のためにアメリカからすぐれた人たちを迎えようとしました。そのうちの一人がウイリアム・スミス・クラークでした。当時アメリカの大学の学長だったクラーク先生は、1年間の休暇をとって札幌にやってきました。札幌農学校の教頭の立場でした。実際は校長だったようです。

「やってきた」といっても当時は船の旅行だったからアメリカから札幌まで1か月半以上かかりました。日本語を知らないクラーク先生は、それでも熱心な札幌農学校の学生たちと勉強しました。当時の学生たちも英語を理解することは容易ではなかったと思います。

それでも9か月たった1877年(明治10年)の4月に札幌を離れます。この9か月間にクラーク先生が学生たちに訴えたことは、フロンティアスピリッツとヒューマニズムだったと言われています。フロンティアスピリッツというのはいわばステップアップを不断にやり通そうということだったし、ヒューマニズムはまたジョインハンズ、人と人との結びつき、人間を大切にしようという札幌自由が丘学園の精神でもあります。

札幌を離れたときのクラーク先生は52歳でした。見送りに来た20名前後の学生たちに、今の北広島市で別れの言葉を贈ります。これが世に言う「Boys,be ambitious!」です。

しかしクラーク先生が呼びかけた言葉は、実はこれだけでなく「Boys,be ambitious like this old man」という言葉だったと言います。

これはわかりやすく私的に翻訳して言えば「若い諸君、皆さんはしっかり夢と希望をもって生きてほしい、この年をとった私でさえ夢と希望をもってアメリカからこの遠く離れた北海道にきたではないか。まして若い皆さんは」という意味だったと思います。

私が、20数年前ある私立高校を離れてこの札幌自由が丘学園の運動を始めたのはクラーク先生が北海道を離れた時の年齢と同じ52歳の年でした。

今一度、クラーク先生に代わって皆さんに言います。Boys and girls, be ambitious like this old man と。

言いたいこと、皆さんが理解できないはずがありません。私のような高齢の者が希望をもって頑張ってきたのだから若い皆さんもぜひ希望をもって進んでほしいということです。皆さんはいい心を持っている若者といいました。問題はこのスピリッツを貫こうという意志の力、意欲をどこまで堅持するかということです。

皆さんに訴えたいことの二つ目は、今年から18歳で選挙権が始まります。日本の未来を真剣に考えることのできる皆さんであってほしいということです。いくつかの物差しをもつことです。例えば、戦後70年間の日本を指し示してきた憲法をどう考えたらいいか、あるいは消費税が8%から10%になりそうです。これをどう評価したらいいか、など。自分と日本の未来を考えることのできる高校の卒業生であってください。

最後に、父母の皆さんに一言お話したいと思います。皆さんが愛してやまない息子や娘たちは本当に立派に育ちつつあります。そしてどの子どももみんな「高校を卒業することができたのはお父さんお母さんのおかげです」と父母への限りない感謝の気持ちをもっているのです。「自己文集」という卒業記念文集を作っていますが、これを読む機会がありました。「学校に行けないで悩んでいた自分を、また最初の高校をやめて札幌自由が丘学園三和高等学校に転校することを決めることになった自分を、ささえ励ましてくれました」と、父母への感謝の気持ちをみんなが持っていることを、私は知りました。

自分の苦しみや悩みを、これからに生かすことのできる立派な若者に育っています。

お父さんお母さん、家族の皆さん、子どもたちの卒業を祝い励ましてください。そしてまた「よく頑張ったね」と褒めてあげてください。

皆さん、私のお話は以上です。ぜひ自分一人の幸福だけでなく、世の中のためにもなる生き方を、希望をしっかりもって、高校卒業してからの新しい人生のステージで頑張ってください。卒業おめでとう。

2016 年 3 月 8 日

通信制高校、ピンキリがあるよ

札幌自由が丘学園三和高校 亀貝一義

ここ1週間ほどの間に、三重県に本部のあるWA学園高校という特区立(広域・通信制)高校のデタラメな教育内容と運営、そして生徒をエサにして修学支援金を得させて学校の収益にするというサギまがいのことが話題になり、「特区立の通信制高校などは要注意だ」といわんばかりのコメントがテレビの解説者などからなされている。

ニュースで知る範囲だからその問題点の具体的なかみはわからない部分もあるし、こういったいわば三面記事的なニュースについては十分に注意して認識しなければならないことは重々わかっているのだが、しかしだからこそ、私たちも言っておかなければならないのではと思っている。

いくつかの報道事項をいうと、たとえば日本映画を観て「国語」の授業に当て、洋画を見て「英語」の授業に当てる、つまりそれぞれの単位取得と認定するとか、USJに行って買い物をする際、おつり計算で「数学」の授業、夜景を鑑賞して「芸術」の授業、スクーリング行動中ドライブインで食事をして「家庭科」、等など。

それぞれの行為(教育活動)の中でなにがしかの生徒指導をともなわれていたのだろうが、どうも解せない。

全国40カ所以上のサポート校、1200人の生徒を擁する学校である。これを運営する会社は塾系の会社だという。教員免許状をもたない「教師」もサポート校などにはいたという。

この学校を認可した市の教育委員会は来年度新入生を入れることはダメ、また単位取得者も再履修が必要といっているようだ。

義家文科副大臣は「広域通信制高校の信頼性を失うことになる」と懸念を表明している。

私たちもまた広域・通信制高校を運営している。上に記したようなデタラメなことはあり得ないのだが、義家副大臣が心配するように「特区立学校など信頼できないのでは」という疑念が生まれることが心配である。「通信制高校、ピンからキリまで」と言いたい。

有名スポーツ選手が所属している通信制高校も本当に単位を取得できるような教育環境を保障しているのか、疑問を感じさせる学校もあるし、逆に生徒の実際に合わない授業をやっていて「高校教育を進めています」といいながら生徒の単位取得を困難にして中退に追い込んでいるような学校もあるかも知れない。

単に特区立とか通信制の学校に限らないテキトーな学校が(残念ながら)あることを、私たちは「他山の石」にしなければならない。

ピンキリのピンは1,キリは10を意味する。だから、ピンキリとは最低から最高までいろいろあるよ、という意味。ちなみに私たちの三和高校はキリに近い学校であると自負しているのだがどうだろうか。