2017 年 6 月 のアーカイブ

2017 年 6 月 30 日

久しぶりの「ハゲ」という単語

亀貝 一義

頭髪が薄くなり出したのは今から40年ほど前からでした。そのころ、しばしば「ハゲてきましたね」とか、「あまりハゲないように今から毛生え薬を使った方がいいですよ」とかいうちょっとした冷やかしとか、またちょっとした忠告とか、耳にすることがありました。

その後「ハゲ」だけでなく、身体に関する昔からの気持ちを不快にさせるような語はどんどん消えていきました。聴覚、視覚などの不自由を表す語、歩く場合の障害を表す語、そして顔(容貌)関連の単語です。怪異の容貌をもつ「ノートルダムの○○○男」とか、視力はないがものすごい剣のウデをもつ座頭市など、多分これからはそのままの形では映像として流されることはないのではないでしょうか。

しかしながら(ここからが本文)つい最近、この「ハゲ」という私にとってはあまり気持ちのよくない単語がテレビから突然流れてきたことで少々驚いたり、懐かしい語として受け止めたりしました。
ご存じでしょうが、自分の年長の男性秘書を徹底的に罵倒し、あまつさえ傷まで負わせた自民党の(今は離党しているようですが)豊田真由子衆院議員のセリフでした。

週刊誌報道では豊田氏は後部座席から「このハゲーーーっ!」「ちーがーう(違う)だーろーーーっ!」などと運転中の秘書を罵倒し、頭や顔を数回殴り、ケガを負わせたとのこと。

この非常識きわまりない衆議院議員の豊田氏は、東大卒業でアメリカのハーバード大学大学院に入学してその大学の「修士」号を持っているというスゴイ学歴をもった女性議員ですが、人格はオソマツ女史というべきでしょうね。

彼女はあらためて、ハゲという懐かしい語を思い出させてくれて、同時に人はその学歴などで評価できないのだということを、身をもって教えてくれた「反面教師」議員でした。

2017 年 6 月 19 日

元ボラスタの中神さんの開いた「おうちごはん『野の』」

亀貝 一義

フリースクール札幌自由が丘学園のスタート以来20年以上、ボランティアスタッフとして「表現活動」を担当してくれていた中神治夫さんが、この6月に標記のお店を開きました。

開店の日に行くことはできなかったのですが、17日(土)に妻といっしょに伺うことができました。あまりなじみのない「定山渓街道」に出て、簾舞中学校を目印に左折。舗装道路ともお別れしての砂利道、行き交うクルマがいれば交差できるかなと心配しながらの山道を15分ほど。「道を間違ったかな」とブツブツいっていたら左側に案内状にあった建物にたどりつきました。

靴を脱いでおうちに入って、挨拶してメニューにある食事を頼みました。いつも行っている学園のとなりのお店にある定食メニューにあるごはんのようなメシ一膳。

自然農法を充分研究し、この立場からの料理とのこと。これがおいしいこと。誇張でなく「こんなにおいしい自然食品系のメシは初めて」という感想です。お代わりもしました。あるいはいわゆる自然農法で育てた素材を使うとそもそも(安倍首相的な用法?)おいしい物になるのか、とすら思ったものでした。「おふくろの味」の最高級品と言えば当たっているでしょうか。

これを食べて、ユネスコの「世界遺産」に「和食」が登録された理由も分かったような気がしました。

中神さんが人生の次のステージで、奥様と一緒にチャレンジしようとした事業の一端を垣間見る思いでした。
なお、私たちの行った時刻、ほぼ席がうまるほどのお客さんでした。また、このとき、私が30年以上前に北海道私学教祖の仕事をしていたころにいろいろご協力をいただいた人に偶然会うことができ「旧交を温める」「久闊を叙する」ことができたことも特記しておきたいと思います。なお中神さんはこれからも時間をつくって「ひとり芝居」などを演じていくとのことです。

「おうちごはん『野の』」のサイトはこちらです。 http://nonoikeda913.wixsite.com/nono

「和食が世界遺産に登録されました」のサイトはこちらです。
http://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/ich/

2017 年 6 月 13 日

学校行事に思うこと

三和高校 桑名八重

先日、札幌自由が丘学園では「豊平川河川敷 ウォーキング」を行いました。

札幌駅北口近くの学園を出発して豊平川河川敷に入り、ウォーターガーデンで折り返し。
往復約16キロの道のりです。

まあ、予想通り生徒たちは結構(かなり?)ぶーぶー文句の嵐。

歩くことに意味あんの? (・・・健康のため、ストレス発散。)
めんどくさい!(それ、何にでも言うじゃん!)
だるい!(そーだね~。やるしかないよ~)

かなりいろいろなことを聞きました。

欠席者はまあ、これも予想の範囲内かな。と

当日はとても晴天が続きの中てくてく。
午後になり帰り道の途中で風が強くなり、気温も下がって曇り空に。
なんとか雨に降られず、ほとんどの生徒が学園に帰りつきました。

在籍している生徒たちは知りませんが、学園はかつて「強歩遠足」を続けてきました。
真駒内~支笏湖畔までの34キロの山道。
アップダウンの厳しい道のりを私も黙々と歩きました。
卒業生にとって、在学中は嫌な行事のトップでしたが、思い出話で必ず出てくる思いで深い行事でもありました。

いろいろな事情でお休みしましたが、スタッフは強歩遠足を復活させたいとの気持ちがあります。
確かに辛い。体中痛い。
でも、確実に前に進めばゴールにつくし、ゴール後の達成感も気持ちいい。
歩いている途中の何気ない会話も、一人で黙々と歩きながら考える時間もなんか大事な時間です。
たくさんの保護者・卒業生の協力も得て実施していた強歩。つながりも深まっていたと感じています。

人生でわざわざ30何キロも歩くことなんてありません。
学校だからやる行事のひとつだと思います。

次はぜひ「強歩遠足」やりましょうね。

まずはみんな、16キロ完歩おめでとう!!

2017 年 6 月 13 日

ワーカーズ・コレクティブという働き方

高村さとみ

 先日、ワーカーズ・コレクティブについて話を聞く機会があった。ワーカーズ・コレクティブとは参加者が出資・経営・サービスの提供全てに関わるという働き方である。話を聞いていて、フリースクールに通じるものがあると感じた。
 ワーカーズは全員が経営者であり、運営については話し合いで決めるという。以前スタッフブログにも、フリースクールのミーティングについて書いた。多くのフリースクールが、フリースクールの活動や新たな提案についてスタッフ・利用者が同等の立場で話し合いをして決めている。札幌自由が丘学園も生活のルールを生徒との話し合いにより決めている。前年度のルールと比較して、修正したいことや追加したいことを話し合う。先日ワーカーズについて話をした人は、働き方への賛同というより働く場所を求めて勤め始めたので、そのやり方に戸惑うことが多かったそうだ。入ったばかりの自分に「何かやりたいことはあるか」と聞かれ驚いたり、長引く話し合いにトップの人が決めるやり方の方が楽だと思うこともあったという。前にも書いたが今の学校や会社では自分で意見を出せる範囲は限られている。校則は入学したときから守るものとして存在しているし、(規模にもよるが)一社員が経営方針に口を出せるものではないだろう。私はすっかりNPOやフリースクールのやり方に慣れてしまったが、「自分で変えることができる」という経験は今の社会ではあまりできない。
 だが、それでいいのだろうか。与えられることは確かに楽ではある。ワーカーズでは団体の収入が分配金としてそれぞれに分配される。団体の収入が少なければ当然、各自の収入も少なくなる。また、元々利益をあげることではなく地域に必要なことを地域で補うことを目的としている。それでもニーズを掘り起こして利益をあげる団体はあるが、ワーカーズの勤めで生活を成り立たせることは難しい。自然と主婦の参加が多くなるが、夫婦共働きが主流となりつつある現代では組織づくりが難しくなっていくだろう。ワーカーズの働き方は課題も多い。しかし、話をした人は最初はそのやり方に戸惑いつつも10数年続けているのである。「自分で変えることができる」ことにはそれだけの魅力があるにちがいない。私は話を聞いていて、もっと貪欲に地域のニーズに応えつつも利益を考え、ワーカーズの魅力をアピールしていく人がいてもいいのではと思った。
 経営の難しさについては他人事ではないと胃が痛みつつも、フリースクールに似ているからかワーカーズの働き方は私にとっても魅力的に映るのである。

2017 年 6 月 6 日

「スマホ狂」?時代

亀貝 一義

「狂」という字はあまりいい意味をもっていない。例えば「狂っている」などという言葉でいえば今は使ってはいけない語ではないだろうか。「プロ野球狂」などという語では、プロ野球に熱中している人の意味で、「野球マニア」と言ってもいい。

私はJR通勤なのだが、JRの中ではとにかくスマホを手にしている人が多い。ネコもシャクシもスマホだ。私はこういう現象をずっと昔、チャップリンの「黄金狂時代」などという映画があったことを思い出したが、この語を利用させてもらって「スマホ狂時代」と言いたくなる。

かくいう私も時にはスマホを手にして、メールを見たり、ネットで調べ物をすることもあるから他人ごとではないのだが。

乗り物の混んでいる時に、顔が目の前にあってもスマホをいじっている人がいる。後ろを向いていじればいいのにと思っていたが、後ろを向いてやれば、背中越しで何を打っているか、何を書いているか知られるかも知れないということでこういう姿勢でスマホをいじっているのだと分かる。「こんなに混んでいるときにバカでないのか」と心の中で思っても、それでことさら自分が困らされるわけでもないから「黙認」しているのだが。

車中スマホに熱中している人は男が多いか女が多いか、ざっと数えてみた。気持ちだけではあるが、どうも女性の方が多い感がする。

スマホが普及したり、PCが普及したりで、人びとの受け取る情報は計り知れず多くなっていく。だから自分の好きな分野で言えば、想像できないほどの知識量を持ち合わせている人が多いのではないか。

ずっと昔(1000年ほど昔の平安時代)、ある娘は「本を読みたい、小説を読みたい」と小さな仏像を創って毎日拝んでいた。そして願いが叶って京の都に行くことになって、たくさんの物語を読むことができて幸せを感じ取ったという「更級物語」を思い出したが、何と今は自分の希望が容易にかなえることができるようになったことに感謝したい。この物語の終わりはメデタシではないのだが。

ウチの生徒諸君も授業のないときはスマホを大いに役立てている。授業中、これをいじっている生徒はほとんど見ない。他の高校の先生から「何度注意してもスマホを離さないから、登校したらこれを強制的に先生が預かることにしている」などということを聞いた。こういう「苦労」をしなくてもいいからわが校の生徒はいい生徒だと思っているのだが。

願わくば、スマホ狂時代が多くの国民にとって政治や社会への認識の深まりと社会を少しでも暮らしやすくしていく発信の時代が広がることだが。