2009 年 3 月 のアーカイブ

2009 年 3 月 31 日

ホームページ全面リニューアルしました

札幌自由が丘学園の新しい展開の年になりました。これを期してホームページも全面改訂しました。移行にともなう不都合もありますが、できるだけ速やかに補正していきます。(亀)

2009 年 3 月 25 日

窓辺の花・ゴミ箱そばのできごと

                                                       新藤 理

 

今でもはっきりと覚えている。私は大学四年生で、教員採用試験の勉強にも卒論にもさっぱり身が入らないまま、何かもっと真剣に、自分にとって心から正しいと思って取り組めることを探して自由が丘に来た。多くの大先輩にあいさつをするなか、ひとりだけやけに若いお兄ちゃんが「新藤さんですね。話は聞いてますよ~」と声をかけてくれた。その前の年、教育実習させていただいた小学校で出会った先生のダンナ様だった。「杉野です!」と快活に自己紹介してくださったその方は、今と違って髪がふつうの長さだった。

二階に上がると、やたらにぎやかで自由気ままに過ごす生徒たち。どきどきする。ここで何か自分にできることってあるのかな…。その騒がしい部屋の隅に、やけに涼しげな顔で机に向かう美しい女性がいた。ご本人より先に、亀貝さんが「あのですね、この方は芳賀さんと言いまして、フリースクールを引っ張っている女性でありまして…」女性は至ってクールに「こんにちは、芳賀です」と言って、また机に向かった。

まだ大学生ではあったけど、生徒からのリクエストもあり、音楽の授業を担当することになった。今の生徒が聞けば、学生のボランティアスタッフが毎週の授業を担当するというのは新鮮な話に思えるかもしれない。でもまあ、要するに何でもアリの時代だったのだ。事実、ろくに準備をしないでどうにもしまらない授業をしたり、たまに念入りに準備してみたら参加する生徒は二人だったり、ひどい有様だった。でも、クールなだけじゃなくやたら面白い人だとわかってきた芳賀さんは、「いやー、参加してる子は喜んでますよ」とちょっと複雑な励ましをくださった。

楽しく日々は過ぎたけど、四月からの生活のことは何も決まっていない。週に一回しか会えない生徒たちのことを気にしながら、それでも何かぼんやりとしたままの毎日だった。自由が丘で正式に働ければ、そりゃきっと楽しいだろう。何かを変えられるだろう。でも、自分から「雇っていただけませんか」と言う勇気もなく、まして学園の状況もそれどころじゃないはずだった。

そんなある日。ボランティアの勤務も終わる夕方、もはやすっかり寒くなっていた台所にゴミを捨てに行くと先客がいた。芳賀さんがゴミをまとめていた。あ、 もうゴミ袋ないや。相変わらず気の利かない私がマヌケにそこに立っていると、芳賀さんが口を開いた。
「新藤さん、」少しは手伝ってくださいよ、と言われるかと思った。でも、ちがった。
「新藤さん、正スタッフになる気はありませんか?」

芳賀さんはちょっとニヤっとしていた。突然のできごとに、私はアウアウしながら、「あ、はい、え、あの、正、スタッフ、ですよね。は、はい、なりたいです」とかなんとか口走っていた。と思う。本当のところはよく覚えていない。喜びと緊張で、わけがわからなくなっていた。だって僕、こんなですよ? 気が利かなくて、ぼんやりしてて。いいんですか? そんな言葉をグッと飲み込んだような気がする。やっぱりよく覚えていない。自分の姿だけが、そこからぽっかり抜け落ちたみたいになっている。

でも、今でもはっきり覚えている。うす暗い台所。ゴミ袋のガサゴソいう音。芳賀さんがいたずらっぽく笑っている。

忘れられるわけがない。これからもずっとずっと、覚えているだろう。だってそれは、私にとって、ひとつの夢が叶った瞬間なんだから。そして、その芳賀さんのひと言から、「自由が丘のひと」としての私の人生が始まったのだから。あれから、近くて遠い芳賀さんの背中を追いかけて、それでもいっこうに追いつけないまま、いつのまにか九年が経ってしまった。

2009 年 3 月 19 日

お世話になりました

                                                      芳賀 慈

 

中央体育館でバスケットをする生徒を見ながら、あぁ、こんな光景ももう見られないとか、放課後頭の上から聞こえてくるブル部の「君の瞳に恋してる」が何だか切ないとか、チョークを持って人に何か説明するなんてもう一生ないだろうなどと、連日思ってきました。

自分で決めたこととはいえ、十何年も続けてきた生活を一新するのには、やはりかなりの勇気とエネルギーが必要です。どさくさに紛れて入り込んだような着任のころと、体制が整ってきた今とでは、同じ学園でも相当の違いがあります。最初はボランティアでチラシ折りや封筒の宛名書きをしていました。あまりの吹雪に「今日はすることありますか」と電話したら「無理して来なくて良いですよ」と言われるような勤務体制でした。でも電話案内やら掃除やら続けながら自由が丘学園を知っていくうちに、亀貝さんの人柄にも惹かれて私も一緒に学校をつくりたいと思うようになりました。一度離れた教育関係の仕事に、やっぱり戻ってきちゃった、そんな感じでした。

それから今まで、たくさんの生徒の笑顔、父母の協力、いろいろなワザを持ち寄って現れてくれた非常勤・ボランティアスタッフのおかげで充実した楽しい毎日を送ることができました。提案するイベントが着実に実現していくこと、そこに父母も集まってくれること、子どもたちが元気になっていくことで私自身自由が丘にどんどんのめりこんでいきました。

2008年度の旅立ちの集いも終了し、卒業生が主役のはずの食事会に私のための時間までつくっていただき、一生分の幸せを感じた一日でした。身に余る温かいことば、たくさんのお花等、本当にありがとうございました。2009年はついに高校が開校し、学校づくりの夢が実現します。今後とも発展し続ける札幌自由が丘学園を、どうぞよろしくお願い致します。

 

2009 年 3 月 19 日

芳賀慈さん、ありがとうございました

芳賀さんが退職するということを聞いたのは昨年秋だったろうか。それぞれの事情があるのだから、引き留めるということはできなかったが、本当に残念と思ったものである。
芳賀さんが、札幌自由が丘学園の活動に参加したのは95年の秋だった。まもなく杉野さんも加わったのだが、札幌自由が丘学園の体制ができたのはまさにこの時期だったといえるかも知れない。芳賀さんは、誰もが知っているように、フリースクールの土台をつくってくれた人であった。生徒との関係、学園行事の企画と実行、父母とのやりとり、どれもほとんどすべては彼女の力によるといって過言ではない。

たくさんの人に、計り知れない感化を与えた。このことは、先日の「新しい旅立ちを祝う集い」に参加した百人近い卒業生たちの顔から見て取ることができる。
私は、万感の思いを込めて芳賀慈さんに「14年ありがとうございました」というお礼を述べたい。そしてこれからも機会があれば札幌自由が丘学園を訪問してほしいと切に願う。芳賀さんたちと共に築いた札幌自由が丘学園は(何度も言ってきたが)この4月から新しいステージを展開する。この第三の舞台でまた想像を遙かに超える感動のストーリーがつくられることだろう。それを共有することができることを信じている。

亀貝一義

2009 年 3 月 5 日

旅立ちに向けて

旅立ちの集いで定番になっている生徒の音楽発表。全員合唱が入ったり、個人発表があったりと形は変わるけれど、毎年の風物詩になっている。今年度はどうするか話し合ったところ、何と音楽だけではなく演劇公演もしたいとの強い声。スタッフも予期しない提案にちょっとびっくりしたところへ、「ダンスも」と生徒が盛り上がる。

それから4ヶ月、演劇の脚本づくりも、衣裳決めも、大道具づくりも背景描きも、全て彼らの手で進めている。「スタッフは口を挟まないで!」という強く頼もしい要望があったので、私たちも喜んで任せている状態である。演出の方法や段取りでもっとすっきりさせられるのにと思う時もあるのだけれど、何せ楽しそうな彼らの会話とやわらかい創造力。当日は暗転の数や舞台設置の不手際に、ちょっと見苦しい場面もあるかもしれない。が、ほとんどを生徒(それも小中学生)の手でつくり上げているという点でご容赦いただければと思う。
ダンスをしたいという要望に、指導できるスタッフが現れたことも偶然の必然か。フリースクール初のレビューも近い。

芳賀 慈 (フリースクール部主任/保健担当)

2009 年 3 月 2 日

思い出に残る卒業式

5期生の卒業式を間近に控えたある日、スタッフどうしで、もっとも思い出に残る卒業式はいつだったかというおしゃべりをした。私のもっとも思い出に残る卒業式は大学だった。私の通った大学は父の職場でもあった。中学生の時から、父の研究室は私のもう一つの部屋のようで、困った時はいつも訪れることのできる居場所だった。あれから10年以上の時が経ち、私が大学を修了する年にはそこは父の逝去とともに後任の先生の研究室となった。私の居場所は公私ともにもはやこのキャンパスにはないのだと実感すると同時に、とうとう、自分の力で、自分の居場所を作らなくてはいけなくなったのだと悟った。10年間、どこか最後には甘えることのできる場所から、本当の意味で「卒業」した年だった気がする。

そんなゆっくりとしたペースで「卒業」の意味を知った私に比べると、先日の五期生の卒業式で見ることのできた表情は何と誇らしげなことか。今日一日でどれだけ大人になったのだろうと驚くほどの、しっかりとした姿に感動を覚える。卒業の手応えがあるのだろう。それを感じられるほど、頑張ってきた自分自身をいつも認め続けてほしい。5期生のみんな、本当に卒業おめでとう!

椎名結実