2009 年 10 月 のアーカイブ

2009 年 10 月 29 日

無心になる

小田将弘

8か月ほど前からジャズピアノを習っている。
楽譜を見ながらピアノを弾いたりする分には、どうにかこうにかできるが、ジャズピアノのように即興的に弾く(アドリブというやつです)のは全くできないという状態からスタート。

最近になって、ようやく少しアドリブができるようになってきたのだが、まだできる時とできない時のバラつきがある。

「自分はリズムをとるのが苦手だ」とか、「リズムからはずれるな」とか、「休符を意識しろ」とか、そういった余計なことを少しでも考えてしまっている時は、ほとんどの場合うまく弾けない。
逆に、比較的何も考えていない時は、うまく弾ける。
ということで、今後の課題はいかに無心になるかである。

テニスの教則本で「新インナーゲーム―心で勝つ!集中の科学」(W.ティモシー・ガルウェイ著)というのがあり、これはテニスに限らず、あらゆるスポーツや楽器の習得に参考になる書だと言われている。
ポイントは「自分にダメ出しをしない」とか「無心にやる」ということ。「うまくできている状態をイメージする」というのもある。
頭の中の雑念を取り払うのはなかなか難しいことではあるが、そのようにした方がテニスが上達するというのは、ジャズピアノでの私の体験とも合致する。

「自分にダメ出しをしない」とか「無心にやる」というのは、テニスやジャズピアノだけの話ではないのではないか。何かをやろうとした時に、必要以上に考えすぎてしまったり、意識しすぎると、うまくいかないことが多いのではないか。思いこみ、不安、恐れ、自分の中での論理的思考などを頭の中から排除して、「ポーン」と何も考えずにやってしまった方が、うまくいくことがあると思う。

ちなみにこのスタッフエッセイだが、15分で書きあげるつもりだったのが、1週間もかかってしまった。書き始めの時から、この文章を書いている今まで、普段のブログを書く時のように無心になることができなかったのが敗因だと思われる。

次回はなるべく無心になることを心がけて、短時間で書き終えることができればと思う。

2009 年 10 月 25 日

映画鑑賞

hachi.jpg

本間 慶子

HACHIを観てきました。ストーリーは、皆さんがよくご存じの渋谷の「忠犬ハチ公」がモデルです。

プロデューサーの日系アメリカ人三世ヴィキー・シゲタが秋田犬と人間の美しい絆の物語を世界中に広げたいと脚本化しそれに感動した、リチャード・ギアが主演と制作に加わり、名匠ラッセ・ハルストレムが監督しました。

展開は主人公の孫が、学校の授業の中で、自分の尊敬する人(おじいちゃんの飼っていた犬)を発表するところから始まります。

山梨県のとあるお寺から荷札を着け籠に入れられた秋田犬の子犬がアメリカへ送られます。輸送途中東海岸郊外ベッドリッチ駅で荷物の山から落ちて迷子に。受取人が現れず、パーカー(リチャード・ギア)が飼うこととなります。首に付けられたタグ(八)からHACHIと名付けられます。

パーカーが毎朝大学へ出勤するときは見送り、夕方五時には駅でお出迎えをします。幸せな毎日を送っていましたが、ある朝HACHIは見送りを拒みます。その日パーカーは大学の講義中突然倒れ帰らぬ人となります。亡くなったあともHACHIは雨の日も風の日も毎日駅のロータリーでご主人をひたすら待ち続けます。駅を利用する人達も、駅で働く人達もHACHIとは、顔見知りで、声をかけたり餌を与えたりし、HACHIを見守ります。

10年後パーカーの奥さんと友人が、お墓参りの帰り、HACHIを見つけ懐かしそうに抱き上げます。その夜HACHIはパーカーの夢を見、楽しかった日々を思い出しながら息を引き取っていきます。

子犬:成犬:老犬と三代の犬の、切なさや喜びを訴える名演技が心打たれます。

近頃失いかけていると言われている、無償の愛や信頼の美しさ温かさの大切さを教えてもらい、ホッとすると共に心が癒されました。

ズート昔、元祖「渋谷のハチ公」前で待ち合わせをしました。顔側としっぽ側でうまく出会えなかったことを思い出しました。携帯電話が今のように普及していなかった時代です。

リチャード・ギアは8月31日で60歳に(還暦)なりました。最近は、優しい紳士役が多くなりました。ファンは、どんな役でも幾つになってもかまいません。

2009 年 10 月 16 日

インフルエンザの思い出

 高村 さとみ

 インフォメーションでお知らせしている通り、インフルエンザの感染者増加のため今週の日曜日に行う予定だった学園祭はひとまず中止となりました。今回は、そのインフルエンザについて書こうと思います。

  

  私が初めてインフルエンザにかかったのは大学2年生の冬でした。風邪ぐらいしか病気をしたことのなかった私は、インフルエンザにかかるなんてとても珍しいことで、ましてや自分がかかるなんて思ってもみませんでした。

 その当時私は大学で児童ボランティアサークルに所属していて、江別スノーフェスティバルという子どものお祭りに参加する準備をしていました。具体的にはヒーローショーやダンスの練習をしていたのですが、その練習中に体がだるくて帰宅し、そのまま高熱という状態でした。その後2、3日でサークル内でのインフルエンザ感染者が4人、他にも風邪をひいている人が多数という状況になり、私もそのインフルエンザ患者の1人でした。今までにない高熱や体の痛みだったので、もしやインフルエンザでは??と思ったものの、その時一人暮らしをしていた私はベッドから動けず、何も食べられず、次の日の朝にやっとの思いで病院に行ったのを覚えています。

 今は実家暮らしなので、病気の時に誰かが側にいてくれることを本当にありがたく感じています。本来なら病気なんてしない方がいいに決まっているのですが、特別な状況だからこそ気づく感謝の気持ちもありますよね。

 でもみなさん、風邪やインフルエンザにはくれぐれも気をつけてくださいね! 

2009 年 10 月 14 日

幼いころの記憶と言えば

                                                                                           田房絢子

幼いころの記憶と言えば、おじいちゃんおばあちゃんの家の居間とお風呂、そして台所。テレビではドリフターズが騒いでいる。ソファーには若き日のおじいちゃんが。台所ではおばあちゃんが夕飯の支度をしている。そして、それらの記憶にはなぜかうっすらと黄色い靄がかかっている。うすーい黄色いフィルターを通したような記憶。すこし蛍光がかったきいろ。

両親は共働きだ。両親がお休みの日には子どもが学校へ行き、子どもがお休みの日には、両親は仕事へ行く。日曜日におでかけなんて、したことがない。その両親の代わりに、おじいちゃんとおばあちゃんは私を育ててくれた。幼稚園や小学校から帰ると、家におじいちゃんが迎えに来た。歩いて10分ほどのおじいちゃんの家。若いころからせっかちで短気なおじいちゃんは歩くのが早かった。ついて行くのが大変だったけど、だいすきな家に行くのは楽しみだった。

夕飯が近付くと、台所はおいしそうな匂いの、あったかい空気でいっぱいだった。煮物の中に入っている、巨大しいたけを除いたら、おばあちゃんの料理で嫌いなものはなかった。おばあちゃんと向かい合って食べる。おなかいっぱい食べたら、お風呂に入ろう。

うとうとしていると、迎えがやってくる。ちょっとの間、お姫様抱っこしていってほしいから、目はつぶったままにしておこう。ゴトゴトと車に揺られ、最後に自分のベッドに着地して、布団をかけてもらって、電気が消える。そぉっと目を開けてみる。なんだか嬉しくてまた目を閉じる。そうして一日は終わっていく。

大好きなおじいちゃんおばあちゃんの家。どうして黄色かって、今思い出した。あれは、きっと広くて深―いお風呂にたぷたぷ入っているバスクリンの色だ。蛍光がかったオレンジみたいなきいろ。だいすきな、思い出の色。

今はもうない、でも、いつまでも、だいすきな場所。

2009 年 10 月 13 日

大人も勉強

                                              杉野 建史 

日頃から生徒に「賢くなりなさい」と言っている。

三和高校には受験目前の3年生がいて、朝の会の前や帰りの会の後にスタッフスペースにある大きな机に向かい、今まで見たこともないような真剣な姿で勉強に取り組んでいる。わからないところをすぐに質問できるのでその場所を利用しているのだろう。自分の担当科目に関する質問は懇切丁寧に解説し肩を叩く。しかし、自分の苦手な科目に関して質問されると全く解説できない。開口一番「ごめん…」。
私はこれまで偏った勉強(学び)をしてきたと自分では思っていて、この仕事に携わってから日本語や社会科の面白さを感じるようになり、簡単な本を買って読んだりテレビの特番を見たりして勉強している。特に歴史に関しては自分の今までのいい加減な知識を恥ずかしく思うことが多い。中学校や高校時代の歴史の私の勉強方法は、教科書の「太字」を暗記するだけ。出来事の背景を全く理解しない、歴史を時系列で理解していない。だから年表はめちゃくちゃで、同時代の諸外国で何が起こっていたかは皆目検討がつかない有様だ。恥ずかしいことの極みは織田信長と豊臣秀吉、徳川家康が同時代を共有していたことを数年前に初めて知ったことだ。教科書をきちんと読まずに「太字」だけを追いかける勉強方法ではこの3人が同じ時間を共有していたことに気づかない。知識が点で、お互いに繋がらず線にならないから、関係性が全く見えない。何と情けない話だ。

色々な物事の「どこ」に面白さを感じ、興味を持つかは人それぞれだ。ポイントが違っていて良い。しかし、面白さを感じることができなかったり、興味を全く持つことができなかったりでは人生の損である。大人になっても面白さを感じ勉強できることに私はホッとしている。大人だって勉強が必要だし、日々勉強しているのだよ、生徒諸君。

2009 年 10 月 9 日

北海道中小企業家同友会

札幌自由が丘学園三和高等学校を経営する法人((株)札幌自由が丘教育センター)が、このたび道中小企業家同友会に入会することにしました。教育は共育という同会の取り組みの意義は私たちの教育理念とも共通しています。これをきっかけにこの意義をさらに具体的に展開できるよう考えていきます。