2011 年 4 月 のアーカイブ

2011 年 4 月 25 日

難しいことを考えると…

札幌自由が丘学園三和高等学校 副校長 杉野建史

 暖かい日があったかと思ったら、冬に逆戻りしたかのような寒い日がやってくる。北海道の春らしい気候である。

昨年度末から今年度初めにかけて、目が回るほどいろいろなことをたくさん考えた。考えることは好きなので最初のうちは自分の脳も対応できていたのだが、予期せぬことが多発しそれを短時間で考えることになり…。普段から頭の中の整理は得意ではなく、思いつくままに考え始めてしまう。それを整理するために手帳に項目別にメモをとる。目に見える形で整理すると少しすっきりする。すっきりしてしまい、頭から消えてしまい、忘れごとが多い。と、職員からお小言を頂くこと多少。

気分転換に考えるのは南国の海。第二のふるさと与論島の海を思い返す。温かく透明で、魚がたくさん泳いでいて、太陽の日が燦々と降り注いでいる。今年、修学旅行引率の安齊さんが「是非2年生全員に体験ダイビングをさせたいです!」と今から意気込んでいる。私も賛成だ。北海道ではなかなかダイビングをする機会がない。水族館でみる魚や海洋生物も十分に価値があるが、やはり目の前でみる生物たちはひと味違う。すべての生命の母である海に抱かれながらの海洋実習は最高である!

と、一瞬逃避して仕事に戻る。人は難しいことを考えると疲れる。脳に糖分補給とともに、休暇を与えなければ可哀想だ。

2011 年 4 月 20 日

古いアルバム

                                                                                                               亀貝 一義
 東北・関東大震災の復興作業が始まった。巨大なガレキを始末するところからこの作業が展開される。そしてガレキ撤去の作業の中で、その地で長年過ごしていた住民の方から、何か思い出の物が潜んでいるに違いない、これを見つけたいという切なる願いが寄せられているという。
写される画面は、アルバムその他がたくさん出てきて、思い出をよみがえらせてくれることを教えてくれる。

「涙そうそう」という歌の詩が思い出される。
  古いアルバムめぐり ありがとうってつぶやいた
  いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ
  晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
  想い出遠くあせても
  おもかげ探して よみがえる日は 涙そうそう

 歌われた背景も意味も、津波にさらわれたアルバムとは異なるが、共通するものは全く同じなのではないだろうか。
 ガレキの中からのアルバムが告げてくれるものがいかに悲しくあるいは感動を伴うものなのか、テレビの画面でしか知ることのできない私なども万感胸に迫る。

 しかしながら、この古いアルバムは単純ではない。自分自身のものとか夫婦の相手側のもの、などであれば、「おもかげ探して」たくさんの日々がよみがえるのだが、これが「遺産」として子どもの
管理責任の守備範囲になったら、たかだた何ページかはつきあってもらえるだろう。私たちもまたこの愛する子どもたちが大人になったらどれだけ懐かしい思いをいだいてくれることか、と微笑みをもって(アルバムを)つくるのだが、成長した子どもは、何かの時以外ほとんど「過去への思い」は琴線に残らない。
かくてたくさんの「過去人」がきずいたダイヤモンドのような大切なものは、文字どおり始末に困る遺品になっていく。こんなことを書く自分も年を重ねてきたことを述懐しているのである。

2011 年 4 月 14 日

一ヶ月

                                                                                                                                                           安齊裕香            

 地震から一ヶ月。

あの地震の時は卒業式の準備で和寒の本校にいた。和寒では震度2程度だったのであまり心配せずいたが、和寒から札幌に戻っている間にテレビを見ていると信じられない光景。

先日、津波で行方不明だった私の伯父が、遺体で発見された。仙台港のすぐ近くに住んでいて、私も数年前に遊びに行っていた家。津波が見えてすぐに車で逃げたが、伯父だけは逃げなかった。車体が高かったから伯母といとこは助かったが、水が引くまで動けなかった。家は全壊、父を捜すのに自転車を使って1日中走り回っていたという。数週間後、遺体安置所で発見された。今となっては発見されただけでもよかったと思える。

義兄は自衛隊で被災地に行っている。自分達のライフラインすら整わないことに苦戦したという。連絡が取れるようになった今は過酷な話を耳にすることが増えた。新聞にも雑誌にも涙が出るような話が掲載されている。

何度もの余震に対して、「もういいじゃん、いい加減にしてよ」って思う。本気で思う。

便利になった今の日本や世界に何か訴えているようなこの出来事。

原点に戻ればいいのか。知恵を使えばいいのか。協力すればいいのか。

被害が少ない地、北海道にはもっともっと活かせることがあると思う。大きな町にできること、小さな町だからできること、地域にもたくさんの活かせることがある。選挙も終わったばかり。今後に期待と不安の両方が入り交じる。

 

2011 年 4 月 5 日

飛行機の乗り方

小田将弘

東日本大震災の復旧はまだまだこれからというところであり、まだ安心できない状況ではありますが、少し息抜きに日常の話を。

わからなくて困惑してしていることは色々あるが、一番難儀しているのは飛行機の乗り方である。
先月・先々月と出張で東京へ行くのに飛行機に乗ったが、
都合4回飛行機に乗ったがどうもしっくりこない。
乗り降りできたのが不思議なくらいである。

実は前の職場にいた時に大阪へ月1で出張に行っていたが、その時点で既に全然よくわからなかった。
10年ぐらいブランクがあった間にすっかり様変わりしていて、最近のやり方がよくわかっていないのである。

あの「QRコードかざす」ってなんなんでしょうか。あれでどうやって認識しているのか。
以前は金属探知機のところで係員にチケットを見せていたのだが、今では当たり前のように、薄っぺらな紙に書かれた模様みたいなものをガラス窓にかざすだけである。
それも誰もそんなこと教えてくれなかったし、やり方も示されていないのに、みんな当たり前のようにあれをやる。
納得がいかない。ただ、一応やりますが。
紙じゃなくて携帯をかざす人もいるけど、そんなのはもはや神の領域である。

その前に、先月はチケットの発券の仕方がわからなくて、ロビーで悲鳴を上げた。
列車の時刻表を調べ間違えて、離陸15分前に新千歳に到着。あの変な機械のところに行けばいいんだなと思っていたのだが、ぱっと旅行会社から送られてきたものを見たら、発券用のQRコードが無い!どどど、どうしよう、、

あ!番号入力すればいいのか、どれだどれだ、、、
よく分からない数字が色々書いてある。
あー!!!わからない!!

「東京行きご出発のお客様にご連絡いたします。離陸の時間が迫っております。お急ぎください。」
ちょ、ちょ、ちょ、待て!どーすりゃいいんだぁっ!!

こんなに焦ったのは久しぶりである。時間が無かったので、長蛇の列ができている朝のカウンター前で係員を捕まえて聞こうとしたら「列の一番後ろにお並びください」と返されてしまった。そりゃそうだけど、時間が無いんですって!

結局、列をすっ飛ばして発券してもらい、金属探知機へダッシュ。そこでベルトの金具が反応。ベルトをはずし、金属探知機をなんとか通過し、カバンとコートとベルトを手に持って搭乗口まで走った。ベルトはずすのが当たり前みたいになってるけど、一歩間違えたら変態じゃないですか。昔はこんなんじゃなかったのに、、とほほ。

なんとか新千歳から羽田に飛んだが、降りてみたら今度は見たことも無い光景。
羽田空港は改装され以前とは全く違うものになっていた。歩く歩道が長すぎて途中で一回トイレ休憩。ここでも軽く困惑した。

そして、お約束だが、帰路、第1ターミナルと第2ターミナルを間違えてすったもんだ。
現代の人々はたいした説明もなく、こういうことがするっとできてしまうんですね。すごいですねぇ。
誰か私に飛行機の乗り方を教えて欲しいものです。