2011 年 8 月 のアーカイブ

2011 年 8 月 31 日

夏休み

                                                   本間慶子

 夏休みというと、海水浴・虫捕り・ラジオ体操・絵日記・盆踊り・お墓参りなどを連想します。

私は小中学校時代、休みになると父の実家のある小樽へ一人で出かけます。初日は怖い怖い祖父の家にいますが、すぐに従姉妹の家へ逃げ出します。

何故かというと、朝起きると部屋を掃除してから正座をし無言で食事をするのです。従姉妹のところは、夜更かしもでき、海水浴に行き、テレビを観ながら食事ができる天と地の差があったからです。

NHKニュースだったと思いますが、小樽運河商店街で子供達が「ろうそくちょうだいちょうだいな♪くれなきゃ○○かっちゃくぞ~♪」と歌いながらお菓子をもらって歩く姿が写し出されました。

『なつかし~い』と声を上げました。空き缶にろうそくを立ててご近所を回りました。ろうそくでなくお菓子をもらうために。いま思うとこれは先祖供養の風習なのですね。

お菓子をもらうためというと、盆踊りもそうでした。夕食を早く済ませ、浴衣に着替えて妹達と出かけます。北海道だけの「子供盆踊り・・・そろた揃ったよ・・・・」の曲が何回も何回も繰り返し流れます。8時頃になると子供の時間は終わり、お菓子や花火などをもらってきました。(きちんと座って待っていましたね)

でも盆踊りが終わると言うことは、夏休みがもうすぐ終わる合図です。やり残した宿題を片付ける地獄が待っていました。一日でも先延ばしにならないかと思っていました。

今年の夏休みは残念ながら大雨で行動する気力を失ってしまいました。

2011 年 8 月 29 日

安心ひきこもりライフ

高村 さとみ

 二日続けてひきこもり名人・勝山実さんの講演会に行ってきた。

 そもそもの勝山実さんとの出会いは高知県。不登校・登校拒否を考える全国ネットワーク主催の「夏の全国合宿2011 in高知」での講演を聞き、その穏やかな語り口調にファンになってしまった。いつか札幌自由が丘学園のフォーラムでお話してもらいたい…と思っていたのだが、今回江別のもぐらの会と漂流教室の講演にでるということで、二日連続で講演を聞きに行ってきた。

 高知での話を聞き、勝山さんの本「安心ひきこもりライフ」も読んだのだが、今回の二日連続の講演を聞いて勘違いが判明。私はてっきり勝山さんはひきこもりバンザイ、引きこもりは就労せず如何に家で快適に過ごすかを考えよう…という考えかと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。安心して引きこもることのできる環境の土台があって初めて社会参加ができる、ということらしい。社会参加がうまくいかなくともいつでも戻ってこられる、安心して引きこもることのできる環境があることが重要ということ。

 普段はフリースクールスタッフとして不登校問題に関わっているが、不登校と引きこもりはまた別のもの。25年間の人生を振り返り、一番ひきこもりに近しくなったのはおそらく前回の仕事を辞めたときだろう。といっても仕事を辞めてから動き出すまでわずか2週間ほど。仕事を辞めたときには「しばらく休んで次のことをゆっくり考えよう」と思っていたのだが、2週間でそれは限界だった。「何かしたい」とか「何かしなきゃ」とかいろいろな気持ちがあったと思う。あとはどこかに所属していない状態が落ち着かない、という気持ち。学校や職場など常にどこかに所属して生きてきた私には、どこにも入っていないという状態はとてもむずがゆかった。私の場合は働いていたい、忙しくしていたいという性分なのでそれはそれでよかったと思うのだが、安心して引きこもっていられない世の中だというのはきっとそうなのだろう。働くことが善な世の中。

 おそらく「働きたくないけど働かなくちゃいけない」という気持ちは大半の人がもっているのではないだろうか。例え経済的な問題がクリアされたとしても、周囲の目とか「働かなくちゃいけない」という自分の価値観からやはり働いてしまう気もする。働かなかったとして経済的にどうしていったらよいのか、という問題はさておいて。働きたくない、休みたいと思ったときに「そういう生き方もありだよね」と周囲が多少寛容になってくれたら生きやすいのではないだろうかと思う。自分が自分の生き方を決めるときに、周囲の考えが入ることなく純粋に自分の気持ちを優先できる。「それもありだよね」という考え方は、引きこもりに限らずあらゆるマイノリティに優しい言葉だと思う。

何だかまとまらないが、この二日間そんなことを考えてみた。

2011 年 8 月 10 日

年に1度の里帰り

                                                                                                                                                                               杉野 建史  

私は札幌に生まれ育ってきた。西区の山の麓で30年以上生活しているので故郷と呼べるのは西区○○だ。山と川が家のすぐ前にあるので、幼少時の遊び場所はそこだった。クワガタなどの昆虫はたくさんいたし、サカナや水性生物も身近にたくさんいた。札幌市内でも自然豊かな土地だった。 

 10年ほど前からもう一つの故郷ができた。南の小さな島で自然がいっぱいだ。というか、テーマパークやショッピングセンター、洒落たレストランは一つもない。周りを珊瑚礁に囲まれ透き通る海とそこにすむ様々な生物。お帰りなさいと迎えてくれるユンヌ人(「ゆんぬんちゅ」と言う)。宝ものだとしみじみ思う。なぜだろうか、南の島が大好きで「前世は南の島人だったに違いない」と本気で思ってしまうほどだ。

 

 

里帰りしてすることは二つ。迎えてくれる人とともに時間を過ごすことと、生命の母である海に身をゆだねること。人とのつながりに感謝し、自然に対して改めて敬意を払う。「地球環境の危機」と言われて久しいが、その海だけをみるとそれを感じることは難しい。しかし、地球は間違いなく壊れ始めていて、大気・海洋・森林の破壊は加速度を失っていない。ヒトは自然によって癒される。自然からあまり遠く離れてはいけない。 

ユンヌ人が私に「この島をPRするのに何が売りになるのか、目玉が何かをはっきりさせられない」と話してくれた。無責任かもしれないが「何もない」ことが売りではないかと思ってしまった。何もないからこそ、そこにあるモノが大切だし、特別なことをしない時間が流れるし、その時間の流れで一時を過ごすことができる。でも、年に一度しか里帰りしない人間の勝手な戯言なのかもしれないと…

2011 年 8 月 2 日

自由が丘のお母さん

新藤 理

 長い間、学園の事務を担当してくださった田村洋子さんの退職の日が近づいている。

 先日、ある卒業生から電話があった。洋子さんの退職の前に、連絡のつく卒業生たちで感謝の集いを開きたいとのことだった。声をかけやすい5~6人くらいの集まりかと思ったら、卒業年をまたいであちこちに声がかかり、総勢20人ほどにもなるという。びっくりしたけど、納得でもある。何しろ、学年や所属に関係なく、洋子さんには本当にどの生徒もお世話になってきたのだ。

 身体の調子が悪いとき、生徒たちは学園のベッドで安静にして回復をはかる。でも、心の調子が悪いときは横になっても治らない。そんなとき彼らは一人になって心を落ち着けたり、友人やスタッフに悩みを打ちあけたりする。そして洋子さんは忙しい事務作業のかたわら、いつでも生徒たちの声に耳をかたむけてくれるカウンセラーのような存在…いや、お母さんのような存在だった。どんなときも相談に乗ってくれた洋子さんにもう一度「ありがとう」を、そして「お疲れさま」を言いたい…そんな想いを抱いてくる卒業生がこれだけたくさん集まったのは、すごいけれどとても自然なことだったのだろう。

 1枚では収まりきらなかった寄せ書きや花束、歌手を目指す卒業生からの歌のプレゼント、そして直前にみんなで練習してきたというコーラス。洋子さんも、プレゼントを手渡すほうも涙ぐんでいた。これだけの人数ならゆっくり洋子さんとは話せなかったかもしれない。それでも、その場に集まっていることだけで十分に「洋子さんに会えてよかった。ありがとう」という気持ちは伝えられたはず。ちょっと寂しいけど、幸せな時間が流れていた。

 参加していたある女の子が「だんだん知ってるスタッフも少なくなってきちゃうなぁ…」と呟いた。それって一般の学校などの事情に照らせば当たり前のことなのかもしれないけど、やっぱり卒業生にとっては「自由が丘はずっと変わらない場所でいてほしい」という気持ちがあるんだろうな。それでも、時は動いている。スタッフもそれぞれの人生を歩んでいく。久しぶりに訪れた卒業生たちが「人が替わったけど、自由が丘は自由が丘だね」と感じてくれるような場所であり続けなくては、と思う。

 もちろん、現役生からも洋子さんへの寄せ書きや贈りものがたくさん届いていた。言葉をつづるのが得意ではないフリースクールの生徒たちだって、洋子さんへの寄せ書きの時にはあっという間にたくさんのメッセージを寄せていた。いつかは私もこんなふうに、たくさんの人の心を照らせる存在になりたい。洋子さん、本当にありがとうございました!