2011 年 9 月 のアーカイブ

2011 年 9 月 27 日

アンチスピリチュアル、アンチオカルトですが、、

小田将弘

私はスピリチュアルなこととか、オカルトっぽい事は基本的にあまり信用していない。 占い、霊視、精神衛生的なセラピーなどはあまり信用していないし、過度の宗教心(墓参りぐらいはします)も持っていない。宇宙と交信したり、宇宙人を呼んだり、というのもしませんし、心霊現象も何かの偶然とかトリックじゃないかと思っている。

私の性格なのでご容赦いただきたいです。別に否定はしないですが、どうも興味が持てないというだけなんです。目に見えなかったり、科学で証明できないから信用できないというところでしょうか。


世の中の人はどうなのでしょうか。

一般的に、例えば会社のことに関する決定・判断をそういったスピリチュアルとかオカルト的な観点から決めているようなこと(例えば、経営方針や新商品の発売を「タロットカード」「水晶玉」「お告げ」などで決めるなど)があると、ちょっと「この経営者おかしい」とか「この会社やばい」と思う人が多いのではないだろうか。

そういった決定については、現実や事実に即した具体的な「情報」や「データ」、「数値情報」などから「論理的思考」によって推測して判断するのが、普通と思っている人が多いと思う。

つまりどちらかというと、アンチ・スピリチュアルとかアンチ・オカルトの人が多いんじゃないかということですね。


しかし、何でもかんでも「データ」とか「論理的思考」で正解が出るわけではないとも思っています。
人間の生活には、「感覚的なこと」、「目に見えないもの」、「形の無いもの」、「直感」、「ヤマ勘」、「観念的な思考」というのも必要なのではないでしょうか。

アメリカ型成果主義は破たんし、(様々な要因がありますが)いつ終わるかわからない不況が続いている状況です。
「効率性」を重視し、成果の少ない無駄な部門、商品、人材、などを徹底的に排除し、逆に効率の良い人、コミュニケーション能力が高く、商品の売り込みや部署間の調整を円滑に処理できる人材を重用することによって、どういう問題が起きているか、おそらくご存じだと思います。
成果主義とか資本主義は人間の曖昧な感覚を極力排除して、「なんぼ儲かるんや」的なところを突き詰め、無駄を排除して行ったところで、結局破たんしたのではないでしょうか。

非効率なこととか、感覚的なこととか、目に見えないことなど、そういう「スピリチュアル」なことも、結構大事だったのではないか。ということです。


スピリチュアルやオカルト的なことが嫌いと言いましたが、そうは言っても、私たちの心の中には日々様々な「感情」が生まれており、それらは実体のないもので「スピリチュアル」ともいえます。

もっと言うと、普段「音楽」などを聴いている人も多いと思いますが、音楽も形の無いものです。
それでも人はそれを聴くのに時間を費やし、聴いて楽しいなと思い、場合によってはお金を出したりもします。

テレビや映画やアニメも、一秒間に数十コマの静止した絵が、表示され、次の瞬間には消えているのですが、私たちの頭の中に残り、面白いとか怖いとか、感動的だとか、かっこいいとかという感情を引き起こしているのです。

つまり、スピリチュアルとか、オカルト的なことが全て悪いわけではなく、「形の無いもの」や、「見えないもの」や、「科学的に証明されていないこと」と共に私たちは普段生活しているわけです。そういうものは悪ではなく、必要なものなのです。

最近読んだ内田樹「最終講義」に影響されていますが、ご了承くださいw。


う~ん。なぜこのようなことを学園ブログに書いているかというと、、、

YOUスペース利用者も基本的にはアンチ・スピリチュアル、アンチ・オカルト人が多いようなんですが、先日、内田樹のこの本が面白いとか、勝山実さんの「安心ひきこもりライフ」めちゃくちゃ面白いよ、と話した時、

「いやぁ、こういうスピリチュアル系苦手なんですよね、、」とか、
「自己啓発系は興味ないんですよね、、」と
突っぱねられてしまいました。

スピリチュアル??
自己啓発??

なんかこのやり取りのあと、ちょっと私も考えたんですが、もしかして
「哲学」も「現代思想」も「社会学」も「心理学」も、君たちにとっては全部「自己啓発」なの!? 「スピリチュアル」なの!?

と思って、う~ん、、、と考え込んでしまった。


最悪その辺はまぁ、いいとしても、
普段の生活の中でも「感覚的なこと」とか、「科学的じゃないこと」、「目に見えないもの」を全て『悪』と思ってないかな?と思って心配になってしまったのです。

さっき言ったように、生活の中にはそういうことは多いわけです。割り切れない事や不条理なこと、論理的につじつまの合わないことは多いのです。

世の中には「目に見えないけど存在するもの」、「科学や論理で説明できないけど成り立つもの」、「考えてもわからないこと」っていうのがあって、そういうものと日々生活しているわけで、それらは決して「悪」ではないと思っていただきたいなと。

でも、これはどうなのかな?っていうスピリチュアルもあるので、気をつけて。

2011 年 9 月 7 日

ハローワーク

桑名八重

私とハローワークのお付き合いは長く、そして深い。

高校3年生の就職活動の終わりに始めてその敷居をまたぎ、転職の度に幾度もお世話になった。 18歳の高校生に“職安”はとても敷居が高かった。 ここで何ができるのか?どうやって利用するのか?もう右も左もわからない…。誰に何を聞けばいいのかも判らない。 ああ、なんて就職って難しいのだろう…。と考えたのを覚えている。

次に本格的にお世話になったのは、転居先のとある地方。
縁もゆかりもない、土地勘ゼロの場所での職探し。
求人票をみても、地名もバス停もわからん!!家から遠いのか?どれくらい通勤時間がかかるのか?まったく検討もつかないなか、正直困った。
わからないことを窓口で聞けばいいのだが、なかなか質問できず、ここでも敷居は高かった…。
結局このときは派遣会社を利用し、不安なことを担当の営業さんに一つ一つ確認しながら、仕事を始めた。

一番、お世話になったのは、Uターンを決意したとき。
いつの間にか“職安”は“ハローワーク”に衣替えし、インターネット検索で全国どこからでも仕事が探せる!!本州にいながら北海道の求人がこんなに簡単にわかるんだと、感動した。
この頃になると世間に揉まれ、私は自分が何とかしなくちゃ、という意識が染みついていた。(18歳の何も聞けずにいた自分が信じられない…)
「わからないことはどんどん聞く」を実践し、色々な情報を集めた。
ハローワークの窓口では常に同じ人に担当していただき、書類の添削から愚痴まで、何から何までお世話になった。ハローワークってここまでやってくれるんだ~と感心した。

私にとって、今やハローワークは身近な行政機関だ。
就職活動って厳しいし、はっきり言って落ち込む方が多い。私の存在意義って…何度考えたことか。けれど、どんな仕事につきたいのか。どんな将来を考えているのか。自分を見つめ直し、人生を豊かにする作業だと思う。

私の紆余曲折の社会人生活の中で、ハローワークは世の中のしくみを勉強した場所だ。