2012 年 8 月 のアーカイブ

2012 年 8 月 30 日

何気ない話から

                                                                                                               学園長 杉野建史

 「Nはどうして不登校になったの?」。高校3年生の生徒との何気ない会話の中、私から自然に出た質問だった。

放課後、担任との面談を笑顔で待っているNに声をかけたことから先のような話になった。生徒が自分の不登校の原因を話したがらない場合、無理に聞くことはしない。学校生活の中で元気になり本人が話すことができるようになった時に話す。

Nは進学を希望していて昨年秋から急成長している。授業をはじめとして、本校スクーリング、行事などに積極的に取り組み、アルバイトをしながらも学校生活をおろそかにすることなく自分の生活を律している。現在の元気な姿を見て「なぜこの子が不登校に…」とふと思い聞いてみた。

原因は「いじめ」だった。男子からのいじめにはじまり、集団から無視されたとのことだ。Nは笑顔で話してくれた。思い出すのが辛いのならば話さなくて良いと伝えたが、屈託のない笑顔で話を続けてくれた。「当時は辛かった。大勢の人から無視された。でも、今はいじめられて良かったと思う。いじめられて不登校になったから、この学校を知ることができたし、入学することができた。」終始笑顔で時には大きな声で笑いながら話してくれたNを見て、私は胸がいっぱいになった。何とも言い難い感情で胸が詰まった。「いじめられて良かった。」と言える心の寛容さ(今の自分に対する肯定感からなのか…)にわたしは胸が熱くなった。なぜこの様に思えたのか。なぜ笑顔で話せるようになったのか。いろいろな思いが頭の中を巡った。私たちの学校が誰かの救いに役に立っていると思えた瞬間でもあった。

Nは進学を考える中で、「人間関係が少し心配です。また同じようなことが起こらないかと…」とも言っていた。苦しい記憶が全て無くなったわけではない。心の奥底にその苦い記憶の欠片を抱きながらも、これからもNの輝く笑顔で生きていってほしい。いつまでも私たちはあなたの一番のサポーターである。

人間がいる限り「いじめ」は無くならないかもしれない。しかし、撲滅したい人間の悪の行為のひとつである。「いじめ」を回避することで新たな人生を送ることは、「逃げ」ではなく積極的な「選択」に他ならない。

Nがこれからも積極的な選択をしながら生きていってくれたらと思った一時だった。

2012 年 8 月 19 日

私の節目

亀貝一義

前回のエッセイで安齊さんが「節目」をテーマとして書いている。安齊さんに続いて「私の節目」を記してみたい。 私は大学を終えてからすぐ(1960年)札幌市内の私立高校の教員になった。それから30年経った1990年にこの高校を退職し、今の札幌自由が丘学園に通じる仕事を始めた。教員生活の一つの重要な節目だったと振り返ることができる。今日にいたるまで50年余の教育にかかわる仕事をしていることになる。早いもの、長い時間だったという感じがひとしおである。

この「退職」は、それまでの教育に関する仕事というか自分の役割の今一歩の挑戦を心がけることだった。「今ある学校とは違う学校をつくりたい」という気持ちが80年代最後の4年間にどんどん大きくなってきた。幻想に終わったが一定のサポーターたる人も出てきた。そういうこともあってそれまでの高校をやめて今につながる仕事を始めた。

不登校の子どもたちとの関わりが、高校退職後ただちに求められた。「新しい学校をつくるなどといったユメみたいなことを言って…」とあきれられたり、笑われたりしたのだが、ひとたび始めたらアトには引けない状況になった。フリースクールのスタートから15年目の2009年の三和高校のスタートと、節目をつくり出すことができてきた。

節目というのは、「後退」の節目もあるが、「前進」の節目の方がうれしい(当たり前!)。次のわが人生の「節目」は何だろう。それをボチボチ考えながら当面は来年の「フリースクール札幌自由が丘学園」開校20周年と「札幌自由が丘学園三和高等学校」開校5周年をどう学園の総合的な発展の節目にするか、が最大のテーマである。

2012 年 8 月 7 日

節目

安齊裕香

最近の話題はロンドンオリンピックでしょう。 私は水泳の競技生活が長かったので、今回も水泳はかなり注目して観ていた。おかげで最近寝不足。決勝種目がだいたい朝4時頃に始まるので、うまくいけばそれに合わせて起床。 水泳は過去最高のメダル数。それでもヘッドコーチ退任。任期満了とは報道されたが。北島を育ててきた人なのに・・・と思いながらも、オリンピックが1つの節目なのかと思い複雑な心境。

全体では金メダルは少ないが、史上初となる競技でメダルを獲り、入賞し、ということが今大会は多いから今回で引退する選手が多いのか・・・なんて勝手に思っている。
スポーツ選手が最大の目標にする最高の舞台のオリンピック。そこで金メダルを獲れたら一つの節目だろうな~なんて想像する。過去2連覇の北島はすごいモチベーションでやってきたんだろうなぁ~と考えると鳥肌が立つ。
水泳もそうだが、陸上など、スプリント的なスポーツはある程度の年齢になると引退。女子は特に引退の年齢は早い。どれも難しいけど、やっぱりピークを知っているから、ピークと比較できる年齢になるから引退するのかな。マイケルフェルプス(米国)もそう。金メダル18個も獲って引退。ピークの体力や、速くなる、上手になるのを実感できるのってオリンピック選手となればほとんどのスポーツは20代。オリンピック出場選手はだいたい25歳前後が平均。テクニックやメンタル重視の種目は年齢を重ねて強くなる。でも、環境含め、それらが上手く合わさった時に全てが発揮できるんだろうなぁと思う。

・・・なんて、今回のオリンピックはそんなことを考えながら観ている。オリンピックが将来の夢だって書いていた私の小学校の卒業文集。懐かしい。競技生活を辞めた時期が転機であり、節目でもあったな。人生が大きく変わり始めたのは水泳を辞めてから。

辞めることだけが節目ではないけど、仕事の節目、スポーツの節目、人生の節目など、みんな必死に考えて決断するのだ。

2012 年 8 月 1 日

全国大会を終えて

高村さとみ 

 先日、約1年にわたって準備をしてきた「登校拒否・不登校を考える夏の全国大会2012 in北海道」「全国子ども交流合宿2012 in北海道」が無事終了した。当初は赤字も覚悟したこの大会だが、7月から参加申込者が急激に増え当日は何と350名もの参加があった。  間違いなく「やってよかった!」と思えるのだが、具体的に何がよかったかというといろんな視点がありすぎて自分の中でも整理がつかない。

 例えば、札幌自由が丘学園生徒の視点から。
 フリースクールの生徒は当日多くのお客さんの前でバンド演奏を披露した。今年度初めてのステージである。昨年度場数を踏んだだけあって、技術的にもとても上手になっていたし、このように自分たちの練習を披露する機会は一人一人の自信につながる。また、全国の人たちといじめや不登校について考える時間も持つことができた。様々な考え方をもった同年代の人達と出会うことはとても刺激になっただろう。

 例えば、フリースクールや不登校の親の会の視点から。
 この全国大会を機にフリースクールや不登校についてメディアにでる機会が増えた。学校へ行くことが当たり前とされる世の中で、不登校の当事者や保護者がいかにつらい思いをしているかは常に発信しつづけていかなければならない。また、今現在つらい思いをしている方たちにフリースクールのような支援機関の情報を届けるためにも、メディアでの発信は不可欠である。このような発信の場をつくる機会として全国大会は非常に有効であった。

 例えば、現地実行委員会の視点から。
 この全国大会を準備するために、北海道内のフリースクールスタッフや不登校の親の会メンバー、学生などで北海道現地実行委員会を組織した。後半は週に一度打ち合わせの場をもち、広報・協賛金集め・当日の仕事分担などを行ってきた。同じ目標に向かって多くの時間を共有するので、自然と仲は深まる。私自身もこの大会を準備するまでは知り合うことのなかった方々とつながることができた。このようなつながりは、きっと本番の全国大会が終わった後も引き継いでいけるものだと思う。

 …というように、やはり書ききれない。もちろん反省点もあるのだが、そこを差し引いてもやはり「やってよかった」のだと思う。私が印象的だったのは、私が引率した子どもプログラムに参加した親子に「2日間本当に楽しく過ごせました!ありがとう!」と言ってもらったこと。非常に主観的ではあるが、これだけで準備に追われていた疲れなどふっとんでしまうのだ。
 この大会をこのまま終わらせてしまうのはもったいない。大切なのは、この大会をステップにしてこれからどう動くか。残りの夏休みはそんなことを考えながら過ごすことになりそうだ。