2013 年 1 月 のアーカイブ

2013 年 1 月 30 日

1月29日という一日。

                                                               3学年担任:安齊 裕香

  3年生が最後の登校日。最後な実感はない。まだまだ終わってないこともちらほら。でも前からずっと、今日のこの日はみんなで終わるんだなぁ~なんて想像していた。最後だし、真面目な言葉を贈ったらいいか、何を伝えようかぼんやり考えていた。

そう思っていた矢先、1名インフルエンザ。全員揃わない。16人いない。このタイミングでの出席停止。やっぱりなんかある。まぁ仕方がない。と思った朝は、なぜか8名で朝の会。なんで!?みんなインフルエンザなのか、交通機関の影響なのか・・・でも天気悪くないし・・・。全然。ただの授業変更を忘れていたみんな。こらこら。

 そんなちょっとのんきなところがある、相変わらずの天然ぷりな3年生。

でもそれがなんか懐かしい気持ちにさせられた。『3年間を思い出して!!』と言われているような気がした。2年生の途中まで朝は全然揃わなかった。でも修学旅行があけたくらいから、毎日朝から登校するのが当たり前のクラスになった。

なかなか登校できなかった子が毎日来ている。遅刻常習犯だった子が朝から毎日いる。授業に出席できなかった子が全ての授業に出席している。自分の考えを表現するのが苦手だった子が、しっかり発言する。

 みんな変わった3年生。

よく笑う3年生。

みんな上出来◎

 そんなこんなで素敵なクラスは2月に集合の予定となる。今度こそ揃うかな?インフルエンザ大丈夫かな?集合する日忘れてないかな?・・・なんて考えているうちに寂しさも忘れ、あっという間に終わった1月29日。

 

これから3年生を送り出す準備が始まる。

2013 年 1 月 15 日

札幌自由が丘学園の新たな展望を!

 亀貝一義

 最近、いつも頭をよぎるのは「札幌自由が丘学園創立20周年」である。それは、端的に言えば『来し方行く末」である。1993年11月1日のフリースクールスタートのシーンがありありと脳裏に浮かぶ。当時、この新しい学校をすすめる担当者たちの共通の思いは「フリースクールを一つのステップとして新しい学校を生みだそう」ということだった。だからその時の私などの問題意識は、フリースクールスタートは「認可学校」創設のためのいわば手段だった。  しかしその後のフリースクール札幌自由が丘学園の展開は、「手段」などでなく教育理念を展開するという目的そのものであった。  フリースクールという現在もまだ「アブノーマル」(「普通の学校でない位置にある)学校をノーマルな位置に引き上げることが今の私の基本目標になっている。

 立脚点の第一は、フリースクールが受けいれる「不登校」の子どもをどう見るか、ということである。単に「一般の子どものようには学校に行けない」という見方ではなく、今日の教育と学校の画一的なしくみを拒否し、「子どもの育ちが多様であるのだからこれにふさわしい教育と学校のシステムであるべきではないか」と訴えている子どもたちである。
 立脚点の第二は、豊かな感性をもって育った子どもたちは一時的に人とのふれ合いや「学校」そのものに対してなじめない点があるだろうが、それはあくまでも「通過点」であって、豊かな個性をもった大人(スタッフ)や生徒たちとの交流の中で多少のジグザグがあっても元気を取りもどし、「不登校の子ども?」と疑問を持たせるようなごく普通の子どもになるのである。すなわち、私たちの人間観生徒観の修正を求められる。
 立脚点の第三は、学校の在り方の多様性を追求し続ける立場である。近代的な学校が制度面でも内容面でも受けいれる子どもについても、画一的統一的なしくみをもってその水準などを維持発展させてきた。しかし、今上のように、中学校でいえば一クラスに1名以上の「不登校」の生徒がアピールしているが故に、学校の在り方を根本的に見直していかなければならないことを、多くの心ある人たちは自覚し出している。

 スタート以来、私たちは上の3つの点を、すなわち子ども観、子どもの成長観、学校観を育んできた。この上で、次の展望は、フリースクールという主として中学校と、創設5年になる札幌自由が丘学園三和高等学校を総合的に展開するいわば中高一貫の教育しくみを確立させていくことである。その展開から人としての自立(進路)を支援していくことができると確信している。教育制度の改変にまで思いをいたさなければならないから道は非常に遠いのだが、冒頭記した「来し方」と共に「行く末」を実のあるものとして多くの人に提示することができるだろう。

2013 年 1 月 11 日

目標設定

久井 貴之

 新年早々、珍しくある男から電話がかかってきた。

 それは、自分が北海道立高校にて3年前に1年間だけ期限付教諭をしていた時に道東で出会った当時高校1年生だった男である。身長はそれほど高くはないが極めて体格がよく、正直高校生とは思えない風貌で、体格からは考えにくいほどバスケットボールのテクニックや知識を持っていた男だ。さらに彼は周囲を惹きつけるようなオーラも持ち合わせていた。

 教科担任ではなかったため授業で接することなかったが、毎日の放課後は違う。バスケットボール部監督・部員として濃密な時間を過ごした(勉強させてもらった。)。

 当時の部員が今どう過ごしているか、のような話も交えながら彼の今を聞いた。彼は北海道を離れ、ある職業に就くための大学に通っているということだった。高校に入学し、早い段階から進路を決定でき大学も自ら決めたようだ。

 目標のためにしっかりと計画を立て、それに向かって歩んでいるということは実に素晴らしい。本当に久々の会話でお互い少々ぎこちないような感じの10分弱ではあったが、非常に嬉しい電話であった。

“何か目標を持って生活してください。”

     数年前にある高校で勤務していた時の校長先生がいつも言っていた言葉

 “1年の計は元旦にあり”

     古くからあることわざ

 人は目標があるとそれを達成するための行動をとる。目標を達成することができると新しい環境に身を置きさらに成長していく。

 本校両コースの3年生があと数えられるくらいの登校日数で卒業を迎える。それぞれの目標をキチンと再確認しながら冬休みを過ごしているだろう。