2014 年 7 月 のアーカイブ

2014 年 7 月 30 日

セール

桑名八重
巷では夏物セール真っ盛り。
買い物の好きな人には楽しみなシーズンですね。
私はあまりセールには行かない方です。
なぜなら、人の多さに疲れてしまうからです。
必需品がセールになっているときは重い腰を上げて出かけますが・・・。
セールに行かない私の洋服調達方法は、
1、おさがり(未だに姉から)
2、流行に左右されないものを定価から下がった時点で購入
って感じです。
先日、色々と事情があり服を買おう!と思い、ちょっと駅ビルなんか寄ってみました。
(やはり人が多くて疲れてしまいましたが)
いろいろ見ながら、ふと気がついたことがあります。
“夏物セール”ってほとんど半そで・・・。
今日は30℃越えで暑いけれど、もうほとんど半そでは必要ないんじゃないか・・・。
お盆過ぎたら着ないよなぁ。
そう思ったら、買い物をしよう!という決意は早くも崩れ、結局日用品の雑貨をちょろっと購入して終了。
長そでの商品がもう少し出てから、必要なものを買おうと決めました。
セールって基本的にその場で即決で決めていくもの。
どちらかと言うと、お買い物は「悩んで悩んで、本当に気に入ったものを高くても買う。そして長く使う。」タイプの私としては苦手なんだと思います。
セールが楽しい!って人の気持ちもわかるけど、セールは性に合わないんだなぁ・・・とつくづく思いました。
暑い中、生徒・スタッフとの洋服購入の話でふと思い出しました。

2014 年 7 月 30 日

特に実のない近況

安齊 裕香

スクーリングも終わり、夏休みに突入しています。
みなさまどうお過ごしでしょうか?
もうすぐお盆。
実家に帰って自分の部屋を片付けようと思いつつ、渋り続けて早5年。
いい加減服やらおもちゃやら片付けないと・・・。
年に3~4回のペースで実家に帰るが、やっぱりダラダラしてしまうし、親に甘えてしまうんですよね~。もうそろそろやってあげる立場でもあるのはわかってはいるが、まだまだ親が元気だと甘えます。ごはんは出てくる、洗濯もしてくれる、『なんて幸せなんだ』と感じます。いつも自分でやっていることがやってもらえるって素敵ですね。本当にありがたい。
朝昼晩自分でごはんを作っていると、誰かに作ってもらいたくなるんですね。
たまに風邪引かないかな~なんて思ってしまうことも・・・。
先日骨折した時は旦那がお弁当も夜ごはんも作ってくれて、ずいぶん助かったなぁ。
たまにこんなのもいいなぁと思いつつ、こういうことがあるからまた頑張れるんだなぁと感じます。
実家から帰って来る時も、『現実の世界に戻るんだなぁ~』と感じつつも、また実家に帰ることを楽しみにしているから頑張れるのですね。
なにか楽しみがあると頑張れます。
今は毎週末が楽しみ。
週末のマッサージと焼き肉を楽しみに毎日お仕事頑張っております。
はい。私は元気です。

2014 年 7 月 1 日

友だちの境界

高村さとみ

どこまでが友だちでどこからが友だちでないのか。

これは難しい問題です。というか、私にとってはあまり考える機会のない問題でした。

今回エッセイをこのテーマで書こうと思ったのは、フリースクールの子どもたちと接していて考えさせられることがあるからです。

今年の子どもたちは良い意味でグループになっていないのが特徴です。特定の人とばかり一緒にいるのではなく、どの人とでも関わることができる。これはとても良いことだと私は思っているのですが、時折こんな声が聞こえてきます。

「友だちがほしい!」

はて、普段話している人たちは友だちではないのでしょうか?どうやら私の考える「友だち」と子どもたちの考える「友だち」の感覚にズレがあるようです。

このテーマを考える時に思い出すのが、学校でのお菓子配りのことです。お土産でもバレンタインの友チョコでもいいのですが、学校でこのようなお菓子を配ろうというとき、個数によって無意識のうちに自分と関わる人たちをランクづけてしまうことがあります。みんなに配れるよう個数を用意していれば話は別ですが、1個のときは一番の親友に。5個だと仲の良いグループの子たちに。10個だと女子だけに。というのはよくある話です。

前述の「友だちがほしい!」はおそらくお菓子が1個のときに渡す、何でも話せるような親友が欲しいという意味だと思うのですが、これまたそういった存在を私自身は欲しいと感じていないのでなかなかその気持ちが理解し難いのです。

例えば私が悩みA、悩みB、悩みCを抱えているとして。特別な存在がいないからこれらの悩みを話す相手がいないということにはなりません。広く浅い関係の中にAを話せる人、Bを話せる人、Cを話せる人がそれぞれにいるのです。しかし、どうも子どもたちの話を聞いていると、「AもBもCも話せる友だちが欲しい」と言っているように感じます。

…書いているうちにフリースクール論に近くなってきました。私は、フリースクールは小さい規模でいいので、各地に数多くあればいいと思っています。たくさんあれば自分に合ったフリースクールを選ぶことができますし、フリースクールAが実際には合わなかったときにフリースクールBに移ることもできます。

浅くとも広い人間関係の方が自分の話したいことを話すことができ精神的にも安定するのではないか、と私は思うのです。ただ、ひょっとしたら子どもたちは深い関係を築かなければAもBもCも話せないと感じているのかもしれません。あるいは同じAの話をするにしてももっともっと深いところまで話したいと感じているのかもしれません。

とはいえ、どの人とでも関わることのできる関係をつくるということは、自分の気持ちだけでどうにかなるものではありません。実は今の関係性は貴重でもっと大切にした方が良いのだと、後から振り返って気づくのではなく、今から自覚していって欲しいと考えるこの頃です。