2015 年 7 月 17 日

【札幌学習センター】スクーリング最終日 茶道体験編

スクーリング最終日は、1・2年生は「茶道体験」を行いました。(3年生は、フラワーアレンジメントをやりました)

「片栗庵」という研修館から歩いて徒歩5分、日本庭園に囲まれた古来の建物をイメージして造られた建物で行いました。日本風の落ち着いた雰囲気の中で、風情を感じながらのお茶会や、俳句、短歌などの創作や研修活動などにご利用いただく施設です(和寒町教育委員会HPより) 

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講師の方は、和寒の泉交会の皆さんです。これが、その模様です。みんな、足がしびれましたが、和菓子とお茶をいただきました。

上の2枚の写真は、説明を聞いて、実際に1人が見本となって経験しました。その後、全員がお座敷のマナーについて勉強しました。抹茶好きな子が多くて今回は大盛況でした!!

左下は、和菓子をいただいているところです。とてもきめ細かな、お上品な和菓子でした。真ん中の下と右は、実際に自分たちでお茶をたてて飲んでみました。どうやら、自分のたてたお茶と講師の方に入れてもらったお茶では味が違っていたようです。

みんな、真剣に茶道を体験していました。

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とても充実した5日間でした。特に、1年生は初めてのスクーリングで緊張したと思います。

スクーリングに参加した1年生が、最も楽しかったと言っていたことは「カヌー」でした。その次は、「ペタンク」と「運動会練習」が同時でした。最後に、スクーリングを終えた1年生の担任として、スクーリングの教育的意義についてまとめておきます。

「体験活動の意義」

札幌自由が丘学園に赴任して3ヶ月が経とうとしています。私の意見ですが、札幌自由が丘の特徴の1つに、体験活動が多いことがあげられます。特に6月は、交流会でBBQをしたり、登山に行ったり、サイクリングをしたり、公園で運動したり...私の経験ですが、札幌近郊に引っ越してくる前の田舎で過ごした幼い頃の記憶がよみがえるような、どこか懐かしさを感じさせる日々を札幌で過ごしているように思えてきます。

今の子どもたちに足りていない(かもしれない)大切な学びの場が多く存在している気がしています。というのも、私自身、今年の3月まで研究室にこもって文献を読みあさり、論文を書いていた学生でした。当時、北大の研究室にカメムシが出るたびに大騒ぎしていました。そんな「シティーボーイ」の私も、三和高校にやってきて自然を相手にする機会が増え、大自然の中から学ぶことって意外に多いことに気づきました。そこで、この場を借りて、体験活動の意義について少し理解を深めようと思います。

まず、インターネットで「体験活動、意義」と検索すると、このような説明に出くわしました。

子どもたちは、具体的な体験や事物との関わりをよりどころとして、感動したり、驚いたりしながら、「なぜ、どうして」と考えを深める中で、実際の生活や社会、自然の在り方を学んでいく。そして、そこで得た知識や考え方を基に、実生活の様々な課題に取り組むことを通じて、自らを高め、よりよい生活を創り出していくことができるのである。このように、体験は、子どもたちの成長の糧であり、[生きる力]をはぐくむ基礎となっているのである。(「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について(第一次答申)」平成8719日中央教育審議会答申より)

とても大切な示唆をしてくれています。インターネットは便利ですね。

ほんの少し、私なりに解釈してみようと思います。まず、体験活動をただ通過儀礼として熟すのではなく、体験を通じて「心」が動かされなければいけません。さらに、体験活動の中で「なぜ、どうして」と考え行動するきっかけも大切だと感じます。当たり前のことですが、ただ自然の中で、社会の中で、集団の中で活動していれば、何か学べるというわけではありません。最後に、個人が経験して得た知識や考え方を持って実生活に活かしていく必要性があります。これも非常に大切なことですね。

体験活動での「経験値」を持って、一人ひとりが実生活をよりよいものにするということだと感じました。

自分自身、高校生のころを振り返ると、体験活動って「自然への訪問」、「単位履修」、「学校行事」、「授業がない、らっきー」という単純な理由で過ごしていた気がして、心苦しいです。

子どもと自然の関係についてもう少し考えてみます。河合(1991)は、「日本人は、大自然から美を抽出し、それを独自の繊細で鋭敏な美意識で、造形的に自然を再構成する能力が非常に優れている(p.229)」と指摘しています。日本人の美意識と自然との関係は非常に根深く、和歌や古典文学からも学ぶことができます(ツベタナ, 2011ほか)

ただし、人類は、自然を自らの手で改変することを覚え、人為による生産手段を獲得し、やがては自然を征服し管理する方向に向かった、とも言われています。たしかに、現代の子どもたちを取り巻く環境は、科学の進歩によって人工物に囲まれ、物質的に豊かになることで幸福を獲得できるという錯覚に陥ってしまっているのでは?という気持ちになります。そうした時代だから、体験活動と日常生活との間に大きな大きな「溝」があると思います。

教育者というか、自然体験をコーディネートする私たち自身が、自然体験と日常生活との架け橋となることが求められているような気がします。

スクーリングを通じて、子どもたちはたくさんのことを学びます。それを支援する大人たちも多くのことを学べました。

参考文献

河合雅雄(1991)『子どもと自然』岩波書店  

ツベタナ・クリステワ(2011)『心づくしの日本語ー和歌でよむ古代の思想』ちくま新書

私、小林のスクーリングを終えた感想でした。