2013 年 7 月 30 日

「炎」を見る

フリースクールスタッフ 鶴間 明

夏になると河川敷でバーベキューを楽しむ人たちを見る。
炎天下の中、仲間と一緒に火起こしをして会話を楽しみながら飲んだり食べたりする姿が見られる。
マナーが悪いなどのちょっとだらしない事もあるのだろうが、私はそんな様子を見ると安心する。

私は学生の時から七輪が好きで、お金はなかったが、なぜか七輪だけは持っていて、どこかへでかけていっては、ウィンナーやら、ちくわやら、色々な物を焼いて食べたものだった。
七輪は本当によくできたコンロで、わずかな炭で、高い火力を長時間維持できる。
空気調整をすれば火力調整までできる。
シンプルな構造だが、本当によくできている。
そのために、ホームセンターなどで販売されているバーベキューコンロは、炭を大量に使って、周囲に熱が放熱されてしまうために、未だにほとんど使ったことがない。
時代錯誤かと思われるかもしれないが、私は今でも七輪を日常生活で頻繁に使って調理をしていることが多い。
カーポートには七輪をすえつける卓を既に用意していて、いつでもすぐに火を起こして炊事できるようにしてある。
魚を焼いたり、天ぷらをする時などは、家の中が臭くなったり油っぽくなったりしなくて済む。
ご近所さんから見たら、こんなところに屋台?と思われる光景かもしれないが、私はあまり気にしないで続けている。

火を起こして使えるようになるまでには多少の苦労がある。
ガスレンジの様に高い火力がすぐに得られるわけではない。
最初は煙が多く、頭も服も煙で燻されて臭いが移る。
しかし、こんなマイナスポイントを重ねてでも、炭で調理した物はうまい。
それに、火を見ていると不思議に落ち着くのだ。

人類は長い間、火と共に生活してきた。
昼は獲物を焼いてより衛生的に食べるために、夜は明かりと暖を取り害獣からも守るために、火を起こしていたのだろう。
火を囲み、火を見つめ、語ったり、踊ったりしていたはずだ。
そんな生活を何世紀もしていたはずなのに、オール電化になれば一日に一度も火を見ることもなく、不思議に暖められた物を食べることができている。
では、代わりに何を見て生活しているのだろう。
テレビ? パソコン? 携帯電話?
これらの炎の代用品は、果たしてかつて炎が持っていた役割を本当に果たしてくれているのだろうか。
人類の遺伝子に組み込まれた情報を、そう簡単に組み替えることができるのだろうか。
火を囲まなくなった人類が、どんな存在になっていくのか、まだ誰もわからないのだ。

小さな七輪の炎が、私を安心させてくれる時間。
人の目があっても、特に気にせず、家族で会話ができる時間。
それは、一日の中で、自分が自分に戻れる最も大事な時間なのかもしれない。
※ただし、虫除け対策を忘れずに。