2015 年 5 月 のアーカイブ

2015 年 5 月 22 日

「桃太郎」

フリースクールスタッフ 鶴間 明

「昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは河へ洗濯に行きました。」

お馴染みのこの出だしで始まる桃太郎のお話。どうでも良さそうな冒頭だが、今回はここに踏みとどまってゆっくりと考えてみたくなった。

おじいさんとおばあさんはご高齢でご近所づきあいもあったのかどうか定かではないが、この後、おむすびころりんの様に他のおじいさんが登場してくる様子もないので、おそらくは山奥で二人でひっそりと暮らしていたに違いない。自給自足に近い生活を高齢でありながら続けていたのだろうと想像すると、日々、何を生業にして、何を食べて、何を着て、どんな家に住んでいたのか、日々必要になるエネルギーをどのように得ていたのかと考え始めると、非常に心配である。子宝に恵まれず、老夫婦だけでの生活を余儀なくされている状態は、福祉が発達していない時代には、そう長くは生きられない過酷な状況を意味することでもあっただろう。

「おじいさんは山へ芝刈りに」とあるので、木こりの様に山の木を切り倒して太い薪を得るということではなく、落ちていた適当なサイズの枝を拾い集めて日々の煮炊きに利用していたのだろう。細い枝は容易に手に入るが、薪の様に火持ちは良くないので、その都度拾いにいかなければならない。日々の生活を自分の体力の範囲で何とか繋いでいるように思われる。また、この芝は唯一の収入源だったのかもしれない。

「おばあさんは河へ洗濯に」とある。当たり前だが、全自動洗濯機などは存在しない。私達の生活では洗濯に行くことがその日一日の仕事にはならず、仕事の合間に行う家事の一つだ。しかし、衣服を持って川まで出かけて洗って絞って乾かすということは、相当な重労働で、少なくとも半日はかかったであろう。私も人生の中で洗濯機を使うことができずに手で洗って手で絞ってしのいだ期間があったが、ジャージを手で洗って絞って乾かすのには3日もかかったものだった。

いずれにしても、この二文から、昔話ののどかな風景も想起されるが、ご高齢の二人暮しの老夫婦が、十分な備えもない状態で、日々何とか命をつないでいる厳しさも伝わってくる。だが一方で、自給自足の生活をする限りは日々の生活をして生きていくことそのものが仕事であり、高齢であっても常に自分の役割を果たし続けることはできるので、現代以上に生きている実感はあったかもしれない。現代のシルバー人材センターでの雇用や退職金、年金での生活とは大きく異なっているにちがいない。

おじいさんとおばあさんは、おそらくは相当な貧困の状況にあり、今日の命をつなぐのに精一杯な生活の中で、河から流れてきた桃を運命的に発見してしまう。そして何と自らの手で迷う様子もなく喜んで桃太郎を養育することとなる。

この、子育てにかかる負担はいかほどであっただろうか。桃から生まれてきた桃太郎とはいえ、子育ての時点では鬼を退治をするほどの英雄になることはまだ誰も予想できなかったはずだ。ひょっとしたら他に親がいるかもしれない。悪人の血を受け継いでいて、手に負えなくなるかもしれない。愛情をかけて育てても、受け取らずに自分たちから去って行ってしまうかもしれない。

お婆さんは当然、母乳が出る時期ではなかったであろう。いちいち乳母を探して頼むか、粥を布にしたして飲ませたのか、24時間体制で赤ん坊を育てることにはどれほどの苦労があったろうか。腕は腱鞘炎にならなかったのか。腰痛にはならなかったのか。赤ん坊を背負いながら河へ洗濯に行ったのだろうか。また、お爺さんは食料や水、家の修復や衣服、日々必要になるエネルギー資源をどのようにかき集めたのだろうか。特に、桃太郎にかかった食費は並大抵の出費ではなかったはずだ。

桃太郎が大きくなっても、鬼ヶ島に行く際に友達がいた訳ではなかったので、交友関係はそう深くはなかったと思われる。桃太郎の日々の教育は学校ではなく、自給自足に近い生活を行っていることその物で、老夫婦から生きる術を自然と学んでいったのだろう。とはいえ、子どもは子ども。手伝いとして戦力になるには時間が必要で、老夫婦は日々の仕事で忙しい中、桃太郎の教育にも時間的なコストがかかり、収入を削減させることにはなっただろう。

鬼退治の際には、胴当て、前垂れを身につけ、そして立派な刀まで持っている。どうやって手に入れたのだろうか。お爺さんが昔武士でなかったとすると、ここでも相当な出費があったと思われる。そして、最後にはお婆さんは、惜しげもなくきびだんごを桃太郎に渡す。ひょっとしたらこれで、桃太郎が帰らぬ人となるかもしれない。老夫婦は自分たちの生活のために残って欲しいとは懇願しなかったようで、桃太郎の夢を励まして見送っている。

この物語がすごいのは、実は桃太郎ではなく、自給自足の極限の生活をしていた老夫婦が、どのような子に育つか全くわからないのに、迷いなく信じて子育てを実践したことではないかと感じる。与えるだけ与えて、見返りさえ要求せず、育ちたいと思う方向に沿ってあげることができている。

桃太郎はそのような老夫婦の献身的な愛情に応えて、信じられないようなわずかな兵力で金銀財宝を持って帰ってくる。それは、最初から老夫婦が期待したことではなかっただろう。

フリースクールにも、時々どんぶらこどんぶらこと桃が流れてくる。その子たちがどんな子なのか私たちにはわからない。しかし、いつも、彼らには犬、キジ、猿といった個性的な仲間ができて、わずかな兵力でそれぞれの人生という名の鬼退治へ旅び立っていく。そして彼らは時々、土産話という金銀財宝を持ってフリースクールに帰ってくるのでした。めでたし、めでたし。

2015 年 5 月 12 日

反省の色は何色

高村さとみ

 みなさん、今年も半分が過ぎました。時の流れが早すぎて恐ろしいです...。今回は自戒の意味も込めて半年を過ぎての反省を書きたいと思います。

 私は常日頃から「相手を批判したくなったときは自分を省みる」ことを心に留めています。その心は。

 人はいろいろな理由で人を批判したくなります。「人の話を聞かなくて嫌い」「気が利かなくて嫌い」「愚痴ばかり言って嫌い」...例を出せばキリがありません。でもちょっと待って!と心の中でささやきます。ひょっとしてそれは「自分の許容範囲が狭い」のでは??嫌いな相手と同時に「人の話を聞かないことを許せない自分」「気が利かないことを許せない自分」「愚痴を許せない自分」が存在しているのです。相手を批判するときは同じくらい自分を批判する覚悟をもたなくてはならないと思います。

 とはいえ、こうしたことを心に留めていていつ何どきも人を批判することのない心の広い私、なわけがありません。自分を省みなくては...と思っていても相手を批判したい気持ちが止められない時もあります。省みることを忘れてしまうこともあります。ただし、そういう時のパターンはだいたい決まっていて、自分に余裕のない時なのです。やらなければいけないことが積み重なって時間の余裕がない時。(高村は複数のことを同時進行で処理することが苦手です。)別な件に気をとられて心に余裕のない時。そんな時には自分を省みる余裕もなく相手の批判に向かってしまいます。わかっていても中々コントロールの利かないところです。

 今年に入ってからも何度も相手を批判する気持ちが起こり、後からそれに自己嫌悪して...ということがありました。よくよく考えると批判したい物事そのものの前に、何かしらの余裕を奪う出来事が起きているのです。「○○で余裕がなかったからな」と思えるのは相手も自分も批判することがないので気持ちとしては楽でいいのですが、残り半年間はもう少し自分を省みることを心がけたいものです。