2009 年 4 月 19 日

「青い目の人形」

                                          亀貝一義 

「ブログ」に記したことと重なるが…。

札幌自由が丘学園三和高等学校の本部校になる元三和小学校は2004年3月に閉校したが私の母校である。
敗戦の決まった時、私たちは小学校の2年生。その小学校を卒業して47年たった1997年4月に旧友たちと母校を訪問した。そのときに初めて「青い目の人形」があったことを知った。
※ この旧三和小学校は1997年1月に新築されていた。

昭和の初め、アメリカ・オハイオ州のギューリック博士(牧師)が日本とアメリカの親善のためにアメリカ全土の子どもたちに呼びかけて約12000体の人形を日本の子どもたちに贈ってくれた。各地で、この人形の歓迎会が開かれ、お礼として各都道府県ごとに立派な日本人形が贈られたりもした。そのように昭和の初期、心温まる日米の子どもの交流があったのである。(この日米の橋渡しの役を果たしたのが経済界の長老渋沢栄一である)。ところが、その後戦争の中で、「敵国アメリカの手先の人形」と、かわいそうな人形がやり玉にあげられた。そして子どもたちはこの人形をたたきこわしていった。

戦争が終わって30年以上たって、各地の小学校の改築工事などが行われていく中で、この人形が発見されていくのである。全国で約200体が現存していることが知られている。多分それぞれの小学校の校長先生などが、壊されないようにひそかに隠していたのだろう。三和小学校に保存されていたのもそういう事情があったに違いない。しかし真相は今となっては分からない。

私自身が小学校に在学中、この人形の話は全く記憶にない。何十年もたってから、こんなことがあったのだ、と知った。そして今から見ればそれほどかわいい感じはしない青い目の人形のもっている意義ははかりしれないと自覚した。

4月25日の札幌自由が丘学園三和高等学校開校式で、これをテーマにした朗読劇が行われる。