2011 年 8 月 29 日

安心ひきこもりライフ

高村 さとみ

 二日続けてひきこもり名人・勝山実さんの講演会に行ってきた。

 そもそもの勝山実さんとの出会いは高知県。不登校・登校拒否を考える全国ネットワーク主催の「夏の全国合宿2011 in高知」での講演を聞き、その穏やかな語り口調にファンになってしまった。いつか札幌自由が丘学園のフォーラムでお話してもらいたい…と思っていたのだが、今回江別のもぐらの会と漂流教室の講演にでるということで、二日連続で講演を聞きに行ってきた。

 高知での話を聞き、勝山さんの本「安心ひきこもりライフ」も読んだのだが、今回の二日連続の講演を聞いて勘違いが判明。私はてっきり勝山さんはひきこもりバンザイ、引きこもりは就労せず如何に家で快適に過ごすかを考えよう…という考えかと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。安心して引きこもることのできる環境の土台があって初めて社会参加ができる、ということらしい。社会参加がうまくいかなくともいつでも戻ってこられる、安心して引きこもることのできる環境があることが重要ということ。

 普段はフリースクールスタッフとして不登校問題に関わっているが、不登校と引きこもりはまた別のもの。25年間の人生を振り返り、一番ひきこもりに近しくなったのはおそらく前回の仕事を辞めたときだろう。といっても仕事を辞めてから動き出すまでわずか2週間ほど。仕事を辞めたときには「しばらく休んで次のことをゆっくり考えよう」と思っていたのだが、2週間でそれは限界だった。「何かしたい」とか「何かしなきゃ」とかいろいろな気持ちがあったと思う。あとはどこかに所属していない状態が落ち着かない、という気持ち。学校や職場など常にどこかに所属して生きてきた私には、どこにも入っていないという状態はとてもむずがゆかった。私の場合は働いていたい、忙しくしていたいという性分なのでそれはそれでよかったと思うのだが、安心して引きこもっていられない世の中だというのはきっとそうなのだろう。働くことが善な世の中。

 おそらく「働きたくないけど働かなくちゃいけない」という気持ちは大半の人がもっているのではないだろうか。例え経済的な問題がクリアされたとしても、周囲の目とか「働かなくちゃいけない」という自分の価値観からやはり働いてしまう気もする。働かなかったとして経済的にどうしていったらよいのか、という問題はさておいて。働きたくない、休みたいと思ったときに「そういう生き方もありだよね」と周囲が多少寛容になってくれたら生きやすいのではないだろうかと思う。自分が自分の生き方を決めるときに、周囲の考えが入ることなく純粋に自分の気持ちを優先できる。「それもありだよね」という考え方は、引きこもりに限らずあらゆるマイノリティに優しい言葉だと思う。

何だかまとまらないが、この二日間そんなことを考えてみた。