2012 年 4 月 17 日

じんるいはめつぼうしない、けど

フリースクールスタッフ 新藤理

 最近、学園に通う小学生の男の子からメールをもらった。短いそのメールには、意外な、そして真剣な気持ちがつまっていた。

 「気になっている事なんだけど どうして(フリースクールの)みんなは じんるいめつぼうのはなし しないの?」

 私はいろいろな記憶に思いをめぐらせ、ちょっと長い返事を書いた。彼の純粋さとアンテナの鋭さに感じ入りながら。

 「人類滅亡」なんていう物騒な話は、そういえばひとむかし前まではわりとメジャーなものだった。1999年の7月31日に空から恐怖の大王がやってくる、と説いた「ノストラダムスの大予言」である。私と同世代の方なら、子どものころに一度は「1999年にじんるいめつぼう…。そのときは○○才になってるんだなー、しぬのはいやだな」なんて考えたことがあると思う。しかし、「その日」が近づくにつれ、大予言はだんだんとリアリティを失っていった。戦争・テロや災害は後を絶たないけど、ひとまず一日で人類が滅んでしまうようなことはさすがにないだろう。そう思いながら過ごしているうちに、いつの間にかという感じで1999年の8月は始まっていた。アメリカの同時多発テロが起こるのは、それから2年と少し先のことだ。

 今から2~3年前にも、再びそんな話が少し流行っていたような気がする。「マヤ文明の予言によれば2012年に人類は滅びる」と。たしか映画の題材にもなっていた。1999年の大予言ですっかり肩すかしを食らっていた私は特に興味を持つこともなく過ごしていたが、気付けば誰もがそんなことをいたずらに口にすることはなくなった。

 単なるブームの終わりではない。言うまでもなく、東日本大震災のショックが私たちをそうした空想から遠ざけたのだろう。一瞬のうちに私たちが大切にするもののすべてが失われることもある。そして災害のあとも様々な苦しみは消え去ることなく私たちを取り巻いている。伝説ではなく、それは現実だ。そのことを肌で感じてしまった以上、私たちはもう「ちょっと刺激的な話題」として滅びを語ることはできなくなったと思う。

 でも、小学生の彼にとって、「じんるいめつぼう」は決してちょっとした刺激ではない。それだけで頭をいっぱいにして、意を決してこそ誰かに打ちあけられるほどの、切実な恐怖なのだ。人類はそうあっという間には滅亡しない。まずは安心してほしい。でも、一方でその恐怖を心のどこかで忘れずにいてほしい。それは、これからさらに複雑に世界と対峙するときに、自らの原点になりうる感覚のはずだから。

 後日、私のお返事を読んだ彼は「『1999年の7月31日はかのじょとあそんでた』ってところが面白かったよ」と言ってくれた。まずはほっとしてくれたことに、私もほっとしている。