2012 年 10 月 4 日

「スキーに魅せられて」

フリースクールスタッフ 鶴間 明

冬が近づいて寒くなってくると、また雪に閉ざされた不便な時期がやってくるという憂鬱な気になるが、楽しみにしていることもある。 スキーができる。 これが一番の(、、、というか唯一の?)冬の楽しみだ。 スキーというと広いゲレンデでリフトに乗って爽快に斜面を滑り降りて行く華やかなイメージがあるが、私が半生かけて続けてきた、結果的に大好きなスポーツはメジャーなゲレンデスキーではなく、クロスカントリースキーだ。 この不可思議なスキーと出会ったのは大学時代。 当時体育科にいた私は、スキー集中講義で歩くスキーの大会に参加することが、単位取得のためにどうしても必要だった。 歩くスキーは高年齢になってから行うスポーツという印象があり、当時はあまりやってみたいとは思わなかったが、大学のゼミの仲間と共にチームを組んで長距離を走るということができることは楽しそうな気もした。 初めて歩くスキーに乗ったは湧別原野100km駅伝の第1区のスタートをきった時だった。 滑り方もよくわからず、滑るというよりも走ったり転んだりしながら必死になって走って次の仲間にタスキを渡した。 この区間では最下位から二番目で、私が様々なスポーツの大会で経験してきた成績の中ではほぼ最悪であったが、走り終わってからの爽快感は他にはない、格別なものだった。 それまでの私のスポーツ経験では、人より強くなること、人に勝つことという観点しかなく、成績が悪い時はひどく落ち込むことが多かった。 しかし、スタート地点に立つこと、参加すること、とにかく精一杯やること、それだけで、こんなに充実した気持ちになれることを初めて体感した。

大学時代はお金がなかったが、この後、自分のスキーを買い、当時所属していた陸上部の冬季のトレーニングの一環にということで練習をするようになった。
私の過ごした旭川にはたくさんの川があり、河川敷にはどこにでもスキーの通った後があり、練習場所には困らなかった。
冬の山も美しく、夏には絶対に入っていけないような場所にまで、雪の上を自由に歩き回ることができた。
旭川の国際バーサースキー大会に参加すると、スタート地点の競馬場が、参加した人で埋めつくされていた。
仮装をする人、それまで参加した時にもらった布ゼッケンで作った服を着て参加する人、赤ん坊をソリに乗せて家族で参加する人、実に多くの人たちが順位など気にせずに、大会そのものを楽しんでいた。
スタートすると、競馬場に埋め尽くされた群衆が渦を巻く様に動き始めて、一大スペクタクルが楽しめた。
給食所ではボランティアの方々が声をかけてくれて補給食を配布してくれたりする。
参加者の中には、手分けしてジンギスカンの道具や食材を持ち込んで、コースの脇でジンギスカン鍋を自分たちで作って食べていた御一行もあった。
色々な人たちが、色々な目的を持って、厳しい冬の寒さの中、それぞれの楽しみを持って大会に参加していた。
上達することだけではない、勝つことだけではない、参加することそのものに大きな意味を持っている、まるでお祭りのようなスポーツイベントで、大会の懐の深さを感じ、これこそ真のスポーツだと感じた。

あれから20年以上の月日が経ち、歩くスキーの愛好家もいつしか、多くの人が(私も含めて)より洗練された道具を使うようになり、競技化し、クロスカントリースキーとして現在も続けている。
現在の大会はかつてのお祭り騒ぎの様な盛り上がりがやや少なくなってしまったが、動力に頼らずに一漕ぎ一漕ぎを懸命に踏み出していくこの地味なスキーには、ゲレンデスキーでは決して味わえない充実感を感じる。
苦しい登りに、爽快な下りが連続するあの白銀の世界に、また漕ぎだしていきたいと、秋の空を眺めながら思う。