2012 年 11 月 7 日

読書と蔵書

                                                                       亀貝一義
「あなたの趣味は?」と聞かれたら、私は「読書です」と答える。振り返ってみても小学校時代からよく本は読んでいたと思う。和寒の叔父の家で暮らしていたとき、たしか戦前に出されていた雑誌の「キング」とか「家の光」などを物置から引っ張り出して読んでいた。まだ和寒では電気がなくてふた昔前のランプ生活だったが、その灯りの下でこっそり読んだ。小説の多くは時代物(チャンチャンバラバラ)。その後、時代小説を自分でも書いてみようという抱負をもったことは、その時の印象が残っていたからだろう。この抱負はすぐキャンセル。

高校は士別にあったから当時の汽車通(今のJR通学)だったのであまり時間がなかったのだが、士別の図書館から初めて借りた本がロシアの文豪ドストエフスキーの代表作「罪と罰」だった。内容はほとんど理解できなかったのだが、その主人公ラスコーリニコフという名前は今でも覚えている。
高校時代の読書はほとんど汽車の中だった。「罪と罰」に続いて読み続けたのは吉川英治の「宮本武蔵」だった。この小説は理解できた、というより時間の経つのも忘れるぐらい読み続けた。あの剣聖と言われた武蔵の青年時代は今でいうヤンキー。その後、沢庵和尚(たくあんおしょう。例のタクアン漬けの考案者?)との出会い、そして常に武蔵を慕い続けるお通(おつう)という美しい娘、最後はライバル佐々木小次郎と巌流島での決闘、など作者がつくったこれらのシーンは多くの日本人の共通の「常識」になった。

60年代から70年代は推理小説をよく読んだ。松本清張の作品はほとんど読んだのではないかと思っている。今では記憶も定かでないが…。その他活躍した森村誠一の小説なども。
80年代以降は、歴史物が多い。倫理社会や世界史の授業内容を勉強するためという意味もあったのだが、特に中国の歴史については、小説と歴史書を重ねて読んだ。殷末周初、秦の時代から漢がつくられてくる頃の「項羽と劉邦」、そして三国時代、隋唐の時代など、歴史の展開は小説のようだった。上の吉川英治の「三国志」や「水滸伝」などは実に面白いテキストだった。

今の読書のジャンルは?と聞かれると「うん、まあ」とあいまいに答えるしかない。むしろ本をよく読むというようには言えない昨今である。

困りだした問題がある。それは半世紀以上にわたる蔵書の始末だ。古本屋さんに売れそうなものはかなり売った。また三和高校本校や札幌学習センターに移した書もたくさんある。それでもまだ6畳くらいの図書部屋が満杯になっている。「これらの本、どうするの?」としかるべき人に言われるのだが、「まだ死ぬには時間があるから、まあそのうちに」とこれまたあいまいに答えている昨今である。80歳を超えたら蔵書を選別して、寄贈したり廃棄したりするつもりだが、ダイジョウブだろうか。