僚友鶴丈治さんの急逝にあたって
札幌自由が丘学園三和高校校長 亀貝 一義
鶴さんの奥さんも10数年前に亡くなっている。お二人の子どもさんはもちろん立派な社会人でそれぞれ札幌から離れた地で活躍されていることは鶴さんから聞いていた。しかしお二人とも在宅で涙ながらに事情を説明してくれた。しかし、なにぶん「急逝」であったため、知人宅で倒れ救急車で市立病院に運ばれたがすでに手遅れ、という程度のことしか分からない。
そして昨日25日のお通夜(鶴さんはキリスト教徒なので「前夜式」というのが正式な言い方)に続いて今日の告別式だった。
本校からも全員の職員が前夜式か告別式に参列し、鶴さんを偲び、別れの見送りをした。生徒たちも多くが参列したし、卒業生もまた参列していた。
私も在りし日の彼、そして鶴さんとのさまざまなふれ合いの数々を思い出して涙を禁じ得なかった。
現役の教師(スタッフ)とこのような形で別れ、野辺の送りをしたのは柴田宏樹さんに続いて二人目である。(柴田さんは札幌自由が丘学園創立者のお一人。2002年12月26日に逝去された)。
私が札幌自由が丘学園の高校スタッフとしてぜひ参画して欲しいと希望して彼に会ったのは2007年2月だった。この年の4月、札幌自由が丘学園高等部(当時まだ「高等学校」ではなかった)の第6期入学式が行われ、鶴丈治教諭が初めて本校に登場することになる。
もっとも私は彼が北星大附属高校(かつてこの高校は「北星男子高校」「北星新札幌高校」と言っていた)のほとんど開校当時からのつきあいだった。そして日本古代史学のいわば「亜流」であったがきわめてユニークな学説を称えていた古田武彦さんのグループでもいっしょだったから、札幌自由が丘学園開校よりも古いつきあいになる。
鶴さんが本校のスタッフになって「これで札幌自由が丘学園にツルカメがそろったね」などと笑い合ったことも今では懐かしい。
国語の教師であるが、実に博学だった。旅行もよくしていたから世界の事情、あちこちの港町のことも詳しく教えてもらったことがある。
人生いろいろ。出会いもあるが、最近ではむしろ悲しい別れの方が多いのでは、という気持ちがする。与えられた命を大切にしながら、札幌自由が丘学園への夢を持ち続けて頑張らねば、という気持ちを強く持った今日の「鶴丈治兄の葬儀」だった。(2013.9.26)。
カテゴリー: スタッフエッセイ
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