2016 年 7 月 20 日

「なんとなく」と私

三和高校 渡辺莉卯

 まだ寒さが肌を掠るような日が続く5月中旬、私は長期のお休みを利用して函館に行ってきた。中学を卒業して以来の、実に7年ぶりの帰郷だ。


 学生の時は部活で忙しいなどと、なんだかんだ理由をつけて帰らなかった自分を「薄情だな。」と思いつつも、行きのバスの中では不思議と高揚感で溢れていたのを覚えている。

「海を見に行こう。」


 ふとそう思い立ったのが、札幌に帰る前日だった。とにかく函館の海の見えるところに行きたいと、なんとなく考えたのだ。

私はそういうところがたまにある。

そのなんとなくがいい方に転ぶ時もあれば、失敗して母に「だから言ったでしょ。」とお小言を食らうのも昔からよくあることだった。この時も、そのなんとなくが始まったのだ。

 さて、そのなんとなくから海を見に行って、そこで何か特別なことが起こったわけではない。その場所で運命の人に出会って、なんていうロマンティックな話もすがすがしいほどない。ただ函館朝市の前を通りながら、

「生魚の匂いって子供の時すごく苦手だったなぁ。」

などとどうでもいいことを延々と考えていたくらいだ。それは海を見ながらでも一緒で、

「あ、釣りをしてる兄ちゃんがいる。釣れてるのかなぁ。」

など、本当につまらないことを考えていたのを自覚している。
でも、そんなぼんやりとした時間が私は好きだなとも思った。

何かすごいことが起こったわけではないけれど、自分がその場所でなんとなく感じたことを思い返すことで、その場所を離れて時間が経ってもまたその場所に自分がいるような感覚になれる気がするのだ。

故郷を離れても、いつでも大好きな海の匂いを思い返せたらそれはそれで幸せだと思った。


「今回のなんとなくは、まぁいい方に転んだだろう。」と、いつもの如くまた根拠があるわけではないのだが、私はまた最後になんとなくそう感じた。