2011 年 12 月 27 日

生きる力?

フリースクールスタッフ  鶴間 明

今年は例年よりも雪が降る時期が早い気がする。

正月だというのにほとんど雪が降り積もっていない年もあったと記憶しているが、今年はすでにかなりの積雪である。

こんなに雪が多いというのに、今年からは震災の影響もあって、自宅のロードヒーティングのスイッチを切ったばかりでなく、せっかく交わした北電との高い電力量プランの契約も破棄してロードヒーティング用の電力の基本料金も全く払わないようにしてしまった。

多額の費用を捻出して悩みながらも設置したロードヒーティングだったが、今年は東北・関東大震災に加えて原発事故があり、これまでの、そしてこれからも続く被災地の苦悩を考えると、どうしても使う気になれなかった。また、一方で積雪があるとついついスイッチをつけてしまうであろう自分の弱さを知っていたので、あえて契約も破棄してしまった。

実際に生活してみると、積雪が少ない時は除雪もさほど苦にもならずロードヒーティングなどやめて良かったと思うが、一方で積雪で玄関のドアが開きにくくなるほど積もった日などは、ロードヒーティングの快適さを改めて痛感してしまう。そんな自分が少々情けない。

自分の労働力がロードヒーティングの使用量の分だと考えると採算が合う気もするが、体力も尽きてしまったり、病気になってしまったらどうするかと考えると今後の使用の有無の決定は微妙である。

大人の私でも除雪は嫌になるので、子ども達はなおさらである。「モンハン」などのゲームで遠くまで旅をしてモンスターをハンティングする業務が忙しいようで、なかなか除雪に意義を見いだして自ら働く傾向にはないだろう。

そもそも化石燃料や原発などの生み出す高出力のエネルギーに依存しない生活をしようとすることは18世紀後半からすでに人類が忘れてしまっている事だったかもしれない。

200年間以上忘れていた生活を、今から現代人が改めて行うことができるだろうか?

可能かどうかは別として化石燃料はこのまま使い続けると後40年で枯渇すると言われている。

節約して使ったとしても今フリースクールに通っている生徒達の人生の中で大きな変化があるに違いない。

ニートやひきこもりの課題はこの難しい時代に入りつつある時期に生じている過渡的な現象であって、今後はもっと違った現象が起きてくるのかもしれない。

今から20前には10年後の未来を何となく想像できたが(2000年問題は怖かったが、、、)、今から10年後、果たしてどんな未来になっているか、今は全く予測できない。

輸出入にかかる輸送費が高くなるので海外製の品物は高くて買えないず、機械化も減り家内制手工業が増えて安月給の雇用が増えていくという、少々貧しくても人間的に良い方向へ歩んでいくかもしれない。

一方で今の便利さや経済状況を維持しようとして、エネルギーの奪い合いが起こり、治安が乱れたり経済が破綻して非常に不安定な社会になっているかもしれない。そうなれば税金も年金も、医療も教育もどうなるかわからない。

いずれにしても、エネルギーが枯渇した状況では楽をして生きていける未来にはなるとは思えない。

学習指導要領の中では「生きる力」ということが重視されてきたが、これは学習が形式的な物にならずに実際の生活に生かしていけるようにするという本来の意味を超えて、今後の厳しい時代をいかに生き残るかという「サバイバル能力」を意味するようになるかもしれない。

私たちが本当に子ども達に教育すべきことは、「何としてでも生きのびるように」ということ。どうやって雨水を蒸留して飲めるようにするか、どのようにして鹿を仕留めて肉を解体して食べられるようにするかということなのかもしれない。

話はすっかり飛躍してしまったが、「モンハン」で肉の解体作業を学んでも現実には使えるようには思えないので、今からちょっとずつ雪かきでもして、体を鍛えておくことにしよう。