2009 年 7 月 のアーカイブ

2009 年 7 月 19 日

第5回SJG大運動会

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18日(土)、北九条小学校の体育館を借りて行われた運動会は、たくさんの父母や卒業もいっしょになって、楽しく真剣な競技を繰り広げました。

フリースクールと高校の生徒たちは、赤組と緑組とに分かれ、全員一丸となってプレーしました。父母たちも玉入れや綱引きなどにわが子以上に熱を入れて頑張ったことで、「わが子」たちもまた刺激されたようです。

2009 年 7 月 17 日

運動会の総練習

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SJG大運動会はいよいよ明日に迫りました。今日は中央体育館で総練習。フリースクール生と高校生がいっしょになって楽しみました。玉入れや綱引きなどの懐かしい定番競技もあります。

明日は父母の皆さんもいっしょになって頑張ることになります。

2009 年 7 月 17 日

ゲスト授業

 昨日、フリースクールの一時間目の授業は、「読み聞かせ」であった。通常であれば絵本や紙芝居を読む時間だが、昨日は特別。高田三郎さんを招いてのゲスト授業であった。高田三郎さんは絵本「アンモナイトの夏」の絵を描かれており、今回の講義の中心もアンモナイトについてだった。実際にアンモナイトの化石も持ってきていただき、生徒たちも興味津々に化石をなでていた。少しでも地球の歴史を感じてくれていたらうれしい。

 高田三郎さん、絵本コミュニティクラブのみなさん、どうもありがとうございました!!

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2009 年 7 月 14 日

SJG大運動会迫る

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18日(土)、札幌市立北九条小学校体育館を借りて開催されるSJG大運動会が迫ってきました。フリースクールと高校の全生徒が紅組と緑組に分かれて闘われます。昨年は緑が勝ちましたが、今年はどうでしょうか。

はちまきにアイロンをかけて準備に精を出すカンちゃんです。
11時に全員集合することになっています。父母の皆さんも多数ご参加下さい。

2009 年 7 月 11 日

フリースクール部のヨット

ヨット

11日(土)、小樽の海はあいにく小雨まじりで暖かくない天候だった。ヨット体験活動を主宰してくれた波多さんの元気のよい案内で前後3時間ほど、クルーザーではあったが楽しい初体験をする生徒たちだった。

揺れに慣れると生徒たちはクルーザーの上を自由に歩き回り、先頭に立って眺めを楽しんだり、船内の部屋を珍しそうに見たりしていた。途中、交代で舵もとらせていただき、自分の操作によって船が左右に動くのを楽しんでいた。普通、乗り物の運転は免許が無ければすることができないが、船は免許の保持者が同乗することで免許の無い者でも運転が可能となる。そう考えると、生徒たちの年齢でこのように乗り物を運転することは限りなく貴重な体験であった。はしゃいで疲れたのだろうか、後半のクルーザーではウトウトする生徒の姿も。疲れるほど遊ぶこと自体も生徒たちにとっては珍しいことだろう。

さらに、7月20日の海の日にはディンギーという小型のヨットも体験させていただく。札幌セーリング協会の皆様、どうもありがとうございました。来週もよろしくお願いします!

2009 年 7 月 5 日

開拓の村・ニシン漁の盛衰

                                                       亀貝一義

先日、開拓の村で生徒といっしょに「ニシン番屋」のガイドさんの説明を詳しく聞くことができ、初めて知ることができたことがたくさんあった。

私の子どものころ、農村部にもニシンがたくさん売られていた。屋根にまでニシンを干していてカラスがとっていってもあまり気にならないほどだったのではないかと記憶している。昭和30年前後まで、北海道の日本海側ではニシン漁で活気に満ちていた。
2月末に、群来(くき)があると海水面が乳白色になった。ニシンの産卵とそれに伴うシラコの色だ。夜がまだ明けやらぬころ、「ニシンだ」の合図があれば、番屋を飛び出したヤン衆たちの終日の労働が始まる。主として東北から集められたヤン衆たちは、数か月前後の労働で1年間の生活費をかせいでクニ元に帰ったのだそうだ。今でいう出稼ぎ、派遣社員たちだった。しかしこのヤン衆を集めるのも容易ではなかった。しかし山形出身の青山留吉(小樽近くに来たのは「安政の大獄」のころ)は、故郷の若者を動員することに成功した。のみならず、期間労働者であったヤン衆の仕事を夏場でも保障したそうである。
※ 小樽祝津にある「青山御殿」が舞台である。浜益方面に「白鳥御殿」もあった。もといた高校に白鳥御殿の後裔がいた(?)。

にしん番屋の棟梁は、すべてのもうけの9割を自分のものにし、1割を数十人のヤン衆へのボーナスにした。ひどい話だった。だから棟梁はべらぼうなもうけを手に入れた。もちろん皆が皆うまくいったわけではない。うまくいかなければ逆にすぐ破産したという。
獲ったニシンは、約2割を食用にした。数の子も含めてのことである。8割前後は、魚粕として主として関西以西へ「北前船」で送られ、綿花や藍その他の作物にとって最高の肥料になった。
(ガイドさんが、もっこでニシンを背負うこと、大釜でニシンを煮ること、油をしぼり、粕をとったことなどを実演をまじえて教えてくれた。体験した生徒もいた)。

そして強調するには、北海道の石炭やニシンが近代日本の経済を支えてきたのだと。

どうしてニシンは昭和30年代初期にばったりいなくなったのだろう。その理由は必ずしも明確でないが、ガイドさんの言うには「大釜で煮る際の薪」として海岸近くの木を大量に伐採し、それがニシンの「食料」を消してしまったのではないか、という。「森は海の恋人」であることを別の角度から言われた。

 

2009 年 7 月 4 日

北海道科パート2

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先週に続き3日、高校「北海道科」の課外学習の場は「開拓公園」である。今回は1年は開拓の村、2・3年は記念館。開拓の村では、明治大正期の建物や器具、労働のようすや日常生活の一コマを探る勉強をした。かつての「ニシン御殿」のおもがけを残す施設ではガイドさんが丁寧に昭和30年ころまでのニシン漁の繁栄の意味を説明してくれた。

2009 年 7 月 2 日

江別子ども祭り

高村 さとみ

6月末、酪農学園大学ローンで行われた「江別子ども祭り」に参加してきた。江別子ども祭りとは市民団体や大学のボランティアサークルが、ゲームコーナーや工作コーナーなどをつくって開催するお祭りだ。私の大学の後輩たちもゲームコーナーをつくっていたので、応援しに行ってきた。当日は曇りときどき小雨。それでもたくさんの子どもたちが遊びに来てくれた。わたあめ、竹馬作り、迷路、アンパンマンマーチの演奏会…他にもたくさんのコーナーがあり、子どもたちを楽しませていた。中でも盛り上がっていたのが水鉄砲のコーナーだ。祭りの終了時間近くになってやっと晴れ間がのぞき気温も上がると、たくさんの子どもたちでにぎわった。ゴミ袋製の防水服を着てはいるもののそれでも服はびしょびしょで、特に子どもたちの相手役となる大学生たちは、子どもたちから集中砲火を受けていた。

芝生の上で子どもたちと大学生が本気で水鉄砲をしあう姿は少々おもしろかったが、子どもたちを楽しませようと考えている大学生、大人たちがたくさんいる、そんなことを考えてあたたかな気持ちにもなった。私も大学のサークルで経験したのだが、こんなふうにゲームコーナーをつくるのに2ヶ月ほど計画や準備をし、祭りの後は真剣に反省会をする。そして、反省点を来年に生かす…そんなことを30年も繰り返してできあがっている祭りなのだ。つくる側にとってそれはもう大変な労力である。こんなふうに、子どものためを思って集まってくる大人がたくさんいる。地域住民が地域を盛り上げる、先日参加した和寒町民大運動会に通じるものがあるように思う。

今週も札幌学院大学第2キャンパスではサマーフェスティバルが行われる。私も大学生のときは一生懸命やってたなぁ…。大学生という時期しかできないことでもある。後輩たちに今後もぜひ活躍してほしい。心から応援しています。