2015 年 9 月 8 日

沖縄に修学旅行中

亀貝 一義

昨日6日に発って11日に帰る日程の高2修学旅行は、今日は与論島泊まり。昨日、那覇についてひめゆりの塔に向かった。今でも、当時ひめゆり部隊として戦場にかり出された女学生たちの中で生きて頑張っている人たちが「語り部」として生徒たちの前で話をしてくれる。引率の田房さんのお話によれば、生徒たちは彼女たちの話を聞いて非常に感じ入っていたという。

1945年4月1日から始まる沖縄戦争を、映像でも文字資料を通じても事前学習を行った。

「らゆる地獄を集めた」沖縄戦争の悲惨さは、戦争というのはどこでも同じであったにしても、特にひどい状況だったとされる。4月から6月末までの約3か月間の戦争は、多くの住民をまきこみ20万人の犠牲を生んだ。

男子生徒・学生たちは「鉄血勤皇隊」として、女子たちは「ひめゆり部隊」として戦争部隊に組織された。沖縄は、当時の日本政府の考えによると本土決戦の「捨て石」の意味を持たされていた。つまり迫り来る本土決戦にそなえて少しでも時間をかせぐ(襲来を遅らせる)、また米兵を殺害することによる勢力を削ぐという意味だった。

修学旅行は、もちろん戦争の追体験ではなく、北海道にはない南国の風土を体験してもらうことも意味としてある。しかし若い人たちが少しでも十五年戦争を実感できるようにするなら沖縄は重要な意味をもっている。今年は「戦後70年」。若者たちが沖縄を体験することが、自分たちの人生の中のどこかに「戦後」を記してもらえればいいのではないか、と思っている。

来週修学旅行を終えた生徒たちがどういう感想を語るか、種々の意味で楽しみでもある。