2009 年 3 月 25 日

窓辺の花・ゴミ箱そばのできごと

                                                       新藤 理

 

今でもはっきりと覚えている。私は大学四年生で、教員採用試験の勉強にも卒論にもさっぱり身が入らないまま、何かもっと真剣に、自分にとって心から正しいと思って取り組めることを探して自由が丘に来た。多くの大先輩にあいさつをするなか、ひとりだけやけに若いお兄ちゃんが「新藤さんですね。話は聞いてますよ~」と声をかけてくれた。その前の年、教育実習させていただいた小学校で出会った先生のダンナ様だった。「杉野です!」と快活に自己紹介してくださったその方は、今と違って髪がふつうの長さだった。

二階に上がると、やたらにぎやかで自由気ままに過ごす生徒たち。どきどきする。ここで何か自分にできることってあるのかな…。その騒がしい部屋の隅に、やけに涼しげな顔で机に向かう美しい女性がいた。ご本人より先に、亀貝さんが「あのですね、この方は芳賀さんと言いまして、フリースクールを引っ張っている女性でありまして…」女性は至ってクールに「こんにちは、芳賀です」と言って、また机に向かった。

まだ大学生ではあったけど、生徒からのリクエストもあり、音楽の授業を担当することになった。今の生徒が聞けば、学生のボランティアスタッフが毎週の授業を担当するというのは新鮮な話に思えるかもしれない。でもまあ、要するに何でもアリの時代だったのだ。事実、ろくに準備をしないでどうにもしまらない授業をしたり、たまに念入りに準備してみたら参加する生徒は二人だったり、ひどい有様だった。でも、クールなだけじゃなくやたら面白い人だとわかってきた芳賀さんは、「いやー、参加してる子は喜んでますよ」とちょっと複雑な励ましをくださった。

楽しく日々は過ぎたけど、四月からの生活のことは何も決まっていない。週に一回しか会えない生徒たちのことを気にしながら、それでも何かぼんやりとしたままの毎日だった。自由が丘で正式に働ければ、そりゃきっと楽しいだろう。何かを変えられるだろう。でも、自分から「雇っていただけませんか」と言う勇気もなく、まして学園の状況もそれどころじゃないはずだった。

そんなある日。ボランティアの勤務も終わる夕方、もはやすっかり寒くなっていた台所にゴミを捨てに行くと先客がいた。芳賀さんがゴミをまとめていた。あ、 もうゴミ袋ないや。相変わらず気の利かない私がマヌケにそこに立っていると、芳賀さんが口を開いた。
「新藤さん、」少しは手伝ってくださいよ、と言われるかと思った。でも、ちがった。
「新藤さん、正スタッフになる気はありませんか?」

芳賀さんはちょっとニヤっとしていた。突然のできごとに、私はアウアウしながら、「あ、はい、え、あの、正、スタッフ、ですよね。は、はい、なりたいです」とかなんとか口走っていた。と思う。本当のところはよく覚えていない。喜びと緊張で、わけがわからなくなっていた。だって僕、こんなですよ? 気が利かなくて、ぼんやりしてて。いいんですか? そんな言葉をグッと飲み込んだような気がする。やっぱりよく覚えていない。自分の姿だけが、そこからぽっかり抜け落ちたみたいになっている。

でも、今でもはっきり覚えている。うす暗い台所。ゴミ袋のガサゴソいう音。芳賀さんがいたずらっぽく笑っている。

忘れられるわけがない。これからもずっとずっと、覚えているだろう。だってそれは、私にとって、ひとつの夢が叶った瞬間なんだから。そして、その芳賀さんのひと言から、「自由が丘のひと」としての私の人生が始まったのだから。あれから、近くて遠い芳賀さんの背中を追いかけて、それでもいっこうに追いつけないまま、いつのまにか九年が経ってしまった。