2010 年 8 月 24 日

働かざる者、食うべからず!? ①

金澤拓紀

「働かざる者、食うべからず」 ロシア革命を主導し、世界初の社会主義政府を誕生させたレーニンが、伝道者パウロの言葉を引用して述べた言葉だそうである。

自らは働くことなく、勤労者が生み出した富を搾取して贅沢に暮らしていた当時の大地主や財閥たち。そうした支配階級を批判し、労働者階級の闘争意欲を鼓舞するために用いられた言葉なのであろう。

ただし、もともとの意味としては、怠け者を戒めるための言葉だったようだ。

さて、生徒たちにこの言葉を投げかけてみると、「そりゃ、やっぱりそうなんじゃないの?」という反応が返ってくる。「だって実際、働いてお金を稼がなかったら生きていけないでしょ?」と。

正論だ。正論だが、何だかどうも引っ掛かるものがある。

お金ってそもそも、人間の経済活動が円滑に行われるように生み出された便利な道具であるはずなんじゃないだろうか。

なのに、お金がなかったら生きていけないとなると、便利な道具である以前に、お金に使われている、お金に支配されているということになってしまわないのだろうか。

携帯電話だってそうだ。起きている時間の大半を携帯の操作に費やし、日常生活に支障が出るようになってくれば、便利な道具であるという次元を飛び越えて、携帯に依存している、支配されているという関係性に変質してしまうだろう。

携帯とお金は一緒にできないでしょ、という声が聞こえてきそうだが、お金を稼がないことにはどうしようもないからと、仕事も2つも3つも抱えて苦しんでいる人が現にいるということを私は知っている。

「お金」がないと生きていけない世の中になっているのであれば、生きていくのに必要な最低限の「お金」は、生存権として保障されるべきだ。

だから生活保護や年金といった制度が保障されているじゃないか、という声が聞こえてきそうである。

ならば、生活保護を受けながら、世の中の役に立つこと、例えば、街に落ちているゴミを拾うボランティア活動に従事するだとか、そういった働き方、生き方があってもいいのではないだろうか。

「働く」ことと「お金を稼ぐ」ことは、決して同義ではないのだから。