2010 年 11 月 24 日

「生きづらい」若者たちを支える

                                                                                                    亀貝 一義

この見出しは、雑誌「教育」12月号の特集の見出しである。この雑誌の巻頭言に次の指摘がある。よく言われていることだが…。
内閣府の調査の「引きこもり」若者は約70万人。この若者は15歳から39歳。(「若者」はそのつど変化する!?)。これまで引きこもりのきっかけになった理由としてあげられていた「不登校」は約12%で、むしろ割合は低い。…… これに続いて、「人生のさまざまな場面で困難につぶされそうになっている若者が増えている」と記す。
これらの「生きづらさ」を抱えた若者たち自身を互いに支え合うしくみが今どうなっているか、が特集である。しかし私は「支える」ためには「生きづらさ」を自ら克服するような力をいっしょになってつくることも大事だと考えたい。

11月23日の北海道新聞朝刊に大きく扱われていたショッキングな記事だった。「中2女子飛び降り自殺か」、「便せん12枚に遺書」、「いじめの可能性調査」「学校会見『兆候なかった』」という見出しである。
わが家の娘が独り言のように「この子も無理して学校になど行かないでフリースクールにいっていればよかったのに」と。
記事以外のこともあるだろうし、12枚の遺書らしい内容も不明である。軽々しくコメントすることははばかられる。毎年生徒アンケートを行っているという。この中学校でも先週のアンケートを行っていたが、死をえらんだ子どもは「いじめはない」と記していたという。複雑で微妙な子どもの苦しむ心をすべて学校が受けとめなければならないというのも、現実には無理もある。

同じ雑誌のもう一つの特集は「子どもと教育に“野生”の回復を」である。この特集のメダマは大田堯さんの対談記事。(あの1918年生まれの大田先生は今もお元気だった!)。大田さんは次のように言っている。
「学校に過剰な要求をしない、あまり期待を持ちすぎない、もっと学校以外の方法があることを考える、フリースクールなんかも登場している、不登校といったってそんなに気にしない、学校だけで人間は成長するものではない」などなど。

学校にしがみついていなければならないという気持ちが悲劇を生むことに通じる。もっと多様な生き方や進み方を認める社会全体の寛容性が必要だろう。とはいうものの、今子どもたちは学校でも、学校を卒業した以後でも「生きづらさ」を抱えている。これは子どもだけではない。大人だって同じだ。3万人以上の自殺者の内容をみればはっきりする。

どうしたらいいのだろう。「自然に帰れ」を考え直し、昔の野性味のある子ども時代を再体験しながら、生きる力を作り直すことなのだろうか。
キーワード(?)は、急がば回れ、なるようになる、いつでもやり直しはできる、いじめられたら「いつか見返してやる」の根性を!、などなど…??